◆ことばの話2410「貝の数え方」

12月9日に開かれた新聞用語懇談会放送分科会。来年度の完成を目指して作成中の「助数詞ハンドブック」作りの作業の中で、保留になっていた助数詞について検討したのですが、いきなり最初の「アワビ」で、もめました。
「『アワビ』は、『イカ』や『タコ』と一緒に『海産物』で、ひとくくりにすればいいのではないか」
という関東の委員と、
「いや、やはり『イカ』とは一緒にできない。それに『海産物』では食べることを前提としているが、生き物として見た場合の数え方もあるではないか。」
という関西の委員の意見が、真っ向から衝突!知らない人が見たら、
「いい大人が、一体何の話をしているんだ・・・」
というような状況になりました。
結局これは関西の委員の意見が通り、「アワビ」「イカ」「カニ」「貝」は見出しを立てることに。それとは別に「魚介類」のコラムを書くことになりました。ちなみに「アワビ」の数え方は、「杯、個」で生物として数えるときは「匹」です。

というふうに、社内にメールで会議の報告をしたところ、Sアナウンサーから、
「どうして、アワビだけ『貝』から独立するのですか?ホタテやアサリやサザエの立場はどうなるのですか?生物としてのアワビは匹???生物としてのシジミやハマグリも『匹』?」
という質問メールが届きました。
うーん、動物としては「匹」でしょ。そう答えると、
「えー、貝が動物?『匹』ですかあ???」
と言われてしまいました。そりゃあ動物だよ!と思っていたのですが、それを裏付けるものが見つからないでいたのでした。
そんなある日、子どもが学校の図書館から借りてきた、図解の子供向け百科事典(小学館のもの)が、とてもよく出来ていました。その「貝」のページを見るとはなしに見ていたら、なんと、
「クリオネ」
の絵が載っています。しかも名前は「クリオネ」ではなく、
「ハダカカメガイ」
になっています。ハダカ、カメガイ〜!?
漢字で書くと、
「裸亀貝」
でしょうか。どうやらこれは「クリオネ」の和名のようです。そしてそれ以外にも、
インターネットで検索したら、やはりそうでした。
「裸殻翼足目」
という「目」に属するんだそうです
「アオウミウシ」
「アメフラシ」

といった、一見「貝」とは思えない、ものも「貝」として載っていました。
「アメフラシ」は、ナメクジに似た格好で軟体動物腹足綱に属するのですが、背中に薄くて小さい皿状の貝殻を持っているので、貝の仲間になるそうです。
「ウミウシ」は、軟体動物門腹足綱直腹足亜綱異鰓上目に属する一グループなんだそうです。名前、なっがー!つまり「貝殻が退化したり、全くなくなった巻貝の仲間」だということです。全く貝殻を持たないものは「裸鰓類」、「アメフラシ」などのように退化した貝殻を持つ種も含めたものを「後鰓類」いうそうです。「後鰓類」というのは、鰓(エラ)が心臓の後ろに位置することから名づけられているということです。
つまり、簡単に言うと、
「殻を持たない貝」
もいるのです!カタツムリとナメクジが違うようなものなのでしょうか?
また英語で「貝」は、
「SHELLFISH」
つまり、
「殻を持った魚」
ということですよね、直訳すると。こういったことからも、「生き物」としての「貝」は、「匹」で数えて良いのではないでしょうか。
また、落語家の桂小春団治さんに関連のメールを送ったところ、「アワビ」の数え方の一つ「杯」について、こんなメールをもらいました。
『落語の「祝のし」(東京では「鮑のし」)で、こんな一説があります。
家主の息子の婚礼祝いに鮑を持って行った喜六が、家主に、
「鮑の貝の片思い。片思いにはしてやりとうないので、品物を変えてくれ」
と言われたが、友人から、
「祝い物の、のしも鮑から作る。縁起のいい物だからそのまま持って行け」
と言われてまた持って行くと家主は怒ってその鮑を土間に投げつける。喜六は拾いながら、
「ほれ見てみ、投げつけるから2杯の貝が3杯になってるがな」
「あほ、目が見えてないのか、それは猫のお椀じゃ」
と言うくだりがあります。鮑は杯のような形をしてるので「杯」(はい)と数える場合もあるようです。大阪だけかもしれませんが・・・・』

小春団治さん、どうもありがとうございました!
2005/12/22


◆ことばの話2409「英語で紙オムツは?」

生後11か月になる子どもの「紙オムツ」を買いに、近くの大規模ベビー用品の店に行きました。その店で、紙オムツコーナーに出ていた大きな看板には、英語で、
「Diaper」
と書かれていました。へえー、紙おむつは「diaper」というのか。知らなかった。
「『ダイパー』と読むのかな、それとも『ディアパー』かな?」
と思って、家に帰ってから辞書を引きました。すると!発音記号は書けないのですが、
「ダイァパー」
というような発音で、
「ひし形地紋の綿布。《米》おしめ(を当てる)ひし形模様(で飾る)。」
と意味が書いてありました。《米》ということは、これはアメリカ英語なんですね。イギリス英語ではどう言うのか、気になって調べてみました。すると、
「napkin」・・・ナプキン:(主に英)おむつ:《米》生理綿
とありました。「ナプキン」と聞くと、男の私でも、「生理綿」のイメージがありますね。もしくは、レストランなどちょっと気取った食事の時に、汚れないように使う布か、どちらかですね。
身近な生活の中の名詞でも、やはりアメリカとイギリスで違うんですねえ。
いや、勉強になりました。
2005/12/21


◆ことばの話2408「カッケー」

夜、テレビを見ていたら、TOKIOの国分太一君が、ゲストの邦楽奏者・東儀秀樹さんが、ヒチリキ(変換で出ないよぉ)や笙を吹くのを聴いて、
「カッケー」
と言っていました。それを字幕でフォローして、文字もカタカナで「カッケー」と出ていました。もちろんこれは、
「かっこいい」
の意味です。訛ってます。
「すごい」→「すげー」
が、
「OI」→「E」
となり、
「うまい」→「うめー」
「はやい」→「はえー」

になるのと同じように、
「AI」→「E」
となる母音の変化ですね。「かっこいいい」が「かっけー」になるのは、「すごい」→「すげー」と同じ、
「OI」→「E」
の変化ですね。そういう意味では目新しくはないのですが、字幕でまでフォローされてしまうと、なんだか新しい言葉のように思えてきて、メモした次第です。
2005/12/22
(追記)

早稲田の飯間さんからメールいただきました。
『手元の資料では、雑誌「ACROSS」1995.08 p.22-29に掲載された、村松美賀子「女子中高生の話しことば」に「かっけ〜?」とあるのが古い例でした(あまりこの種の例は熱心に採集していないのですが)。
私自身の記憶はあいまいですが、そういえばこのころ初めて聞いたような……という気もします。これ以上の情報はありませんが、ご参考までにお知らせします。
もとの形が「かっこい」ではなく「かっこ・いい」という2単語からなる
例であり、「こいい」の3拍が「けー」になっているところが、「すごい」
などの例とは違うのではないでしょうか。』

さあすが、ずいぶん前からキッチリとチェックされていたんですね!もう10年前から!
私も耳にしたことはあったけれども、テレビの字幕という形で文字に固定されたという点で、「おっ!」と思ったのでした。
情報、ありがとうございました。よいお年を!

2005/12/28


◆ことばの話2407「370キロのアクセント」

日テレニュース24を見ていたら、女性アナウンサーが電気自動車紹介のニュースで、
「時速370キロまで」
という部分の「370キロ」をコンパウンドして、
「サンビャク・ナナジュッキロ(LHHH・HHHHHL)」
と読んでいました。コンパウンドしすぎやろ、いくらなんでも!
しかもよく聞くと、最初がL(低い音)から入っていない可能性もあります。つまり、最初から最後の一つ手前まで、ずーっとおんなじ音で、最後の「ロ」に入る時に初めて一回だけ音が下がる。なんて楽な発音なのでしょう。
でも、共通語・標準語の原則から言えば、最初の音と2番目の音は、高さが変わるはずなんですよね。それがもう、崩れてしまっている、アナウンサーでも。最初の音と2番目の音が変わらないのは、大阪弁の音の特徴なんですけれど。大阪弁がこんなところにも影響を与えているのか?とも思いましたが、音の響き方から言うと、大阪弁よりも東北弁に近いような感じを受けました。
本来は、アクセントの山を二つにわけて、
「サンビャク・ナナジュッキロ(HLLL・LHHHLL)」
と読むべきところですよね。
今日、これと似たような数字のアクセントを、うち(読売テレビ)の新人Iアナウンサーもしていました。
彼が読んだのは、12月21日、京都・東寺で「終い弘法(しまいこうぼう)」が開かれたというニュース。毎月21日の弘法大師の月命日に開かれる市が「弘法さん」と呼ばれているのですが、1年で最後の12月21日のものは、こう呼ばれるという季節の話題です。その中で、出店する店の数が1200を越える、という一文がありました。この「1200」の読みを彼はコンパウンドして、
「せんにゃく(LHHHH)」
と平板アクセントで読んだのです。ここはやはり、「1000」と「200」に分けて、
「せん・にゃく(HL・LHH)」
と読むべきではないか、という話を五十嵐アナにしました。最近はコンパウンドする人が若い人を中心に増えています。というか主流かもしれません。
これは「1000」と「200」が結合してよく使われていることを示していますが(別に、1000のあとは300でも400でも500でもいいのですが)、それは同時にコンパウンドすると、耳に抵抗なく入っていくこと、同時にあまり耳に残らないということが言えます。
この場合、「1000」を超えるほど、ものすごくたくさんの露店が出る、ということを言いたいのですから、耳に残らなければ意味がありません。耳に残る言い方をすべきです。
これをさらに強調する読み方としては、「一」をつけて、
「いっせんにひゃく(一千二百)」
という言い方があります。アクセントは、
「いっせんにゃく(LHHL・LHH)」
です。それは「1000(千)」という数が、とても多くて滅多に出てこないから、強調するために「一」が付いたのではないでしょうか。「一千万」「一千億」も、まずほとんどの場合に「一」が付きます。
単なる「1000」は、最初は大きな数だったから「一」をつけたけど、最近ではあまり大きな数ではなくなったので、「一」を付けるケースが減ったのではないでしょうか。それに対して「一千万」「一千億」は、さすがにまだまだ大きな数字なので、「一」が付いたままなのではないかと考えました。
いかがでしょうか?
2005/12/21


◆ことばの話2406「棺の数え方」

12月9日に開かれた新聞用語懇談会放送分科会。今、「助数詞の数え方」のハンドブック制作を行っているのですが、その中でその後、大いにもめたのは、
「棺(かん・ひつぎ)」
の数え方でした。「棺」は「基」で数えるという意見に対して、
「中に遺体が入っているものを『基』ではなじまないのではないか。『つ』の方が良いのではないか」
という意見と、
「いや『つ』の方が失礼にあたる。」
という意見が対立。さらに、
「やはり中に遺体が入っている場合の『棺』は遺体と同義なので『体』で数えるべきである」
という意見が出て、「カラの棺」と「中身の入った棺」は数え方が違う、という話になったのです。
確かに「モノ」としての「棺」と、ご遺体が入った「棺」では、実際の場面を考えると扱いが変わっても当然ですよね。結局、
「棺」=基。ただし、事件や事故では、遺体を数えることにつながるため配慮が必要。たとえば『5人の棺が安置されています』など」
と表記することになりました。
助数詞はシンプルに「一つのものに対して一つ」とは言えないというのが、この半年、いくつもの助数詞を見てきての結論です。
2005/12/19
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