◆ことばの話2405「サブマリン」

日本シリーズ中の11月13日、ロッテの渡辺俊介投手の快投の前に、タイガース打線は沈黙していました。この渡辺投手は、最近では珍しい「アンダーハンドスロー(下手投げ)」、俗に言う、
「サブマリン(投法)」
です。昔は阪急の山田投手、古くは南海の杉浦投手など、下手投げの名投手がいましたが、最近は下手投げの投手をプロ野球で見ることはめったになくなり、高校野球ぐらいでしか見られなかった気がします。ですから、「サブマリン」という言葉も、今年久々に耳にした気がします。
車を運転して、ラジオで日本シリーズ中継を聞いていて、そんなことを考えていたら、ふと思いついたことがあります。
「『サブマリン』の『サブ』と、『サブウェイ(地下鉄)』の『サブ』は、おそらく同じ意味。『サブウェイ』は『ウェイ(道)』の『サブ(下)』という意味だから、『サブマリン』も『マリン(海)』の『サブ(下)』ということであろう。しかし普通、日本語のカタカナ語で使う『サブ』という言葉は、何かの『補佐』とか『補欠』という意味で使う。これは正式な委員や部長・選手の『下』で働くことを意味するのか。ところで『Sub(サブ)』の反対は『Sur(シュール・スール=上)』。『Sur』が付く英単語には、『Surplus(黒字)』『Surreal(シュール・リアル=現実を超えている)』などがある。だからどうしたということはないのだが・・・」
サブマリン投法とシュールレアリズムがこんなところで結びつくことが、シュールな感じがしました。
Google検索は(12月16日)、
「サブマリン」=      35万2000件
「サブマリン投法」=        862件
「アンダーハンドスロー」=     180件
「下手投げ」=        3万7400件
「サブマリン、渡辺投手、ロッテ」= 345件
「サブマリン、山田投手、阪急」=   64件
「サブマリン、杉浦投手、南海」=  587件

でした。
2005/12/16


◆ことばの話2404「舞はん妓」

三文判を買いに、はんこ屋さんに行きました。「道浦」というのは、なかなか売ってないのですが、たまたまこの店にはありました。よかった。
しかも昔に比べると安いですよね。たったの350円くらいでした。
その店は、なぜか看板に、
「舞妓」
が使われていたのですが、よく見ると、舞妓の絵の横に書かれている文字は、
「舞妓はん」
ではなく、
「舞はん妓」
であることに気づきました。まいはんこ、マイはんこ、マイ判こ!!バンザーイ、バンザーイ!!!
そ、そういうことだったのか!この店の前を何度も通っていたけど、今まで全然気づかなかった!つまりは、だじゃれ、オヤジギャグですね。
こんな名前を考えたのは、オヤジに違いない!これは太鼓判を押しますゾ!
この「舞はん妓」は、Google検索で(12月16日)、
「舞はん妓」=365件
「マイハンコ」=48件
「まいはんこ」= 7件

ありました。
2005/12/16


◆ことばの話2403「落語は席か題か」

12月9日の新聞用語懇談会放送分科会。助数詞について話し合っているんですが、その中で、「落語」の数え方をどうするか?という噺・・・いや、話が出ました。
東京の委員からは、
「『席』としか言わない」
ということだったのですが、関西の委員からは、
「演じるのは『席』だが、噺の演目は『題』で数えることもあるのではないか?」
という意見が根強く、物別れというか痛み分けに終わったような感じで、
「席(上方では演目は題も)」
というふうになったのですが、会議が終わって数日経って、共同通信の委員からこんなメールが届きました。
『12月11日(日)夜、NHKラジオ第一放送の「ラジオ名人寄席」を聴いていたところ、案内役の玉置 宏氏が「本席は落語2題でございます」という表現をしていました。確か、審議ではNHKの方も「題は使わない」とおっしゃっていたように思うのですが・・・。』
ということでした。そこで、私もインターネット上でどのくらい使われているかを調べて見ました。
GOOGLE(12月13日)では、「落語○題」、「落語○席」という丸の中に、漢数字と洋数字を入れて検索してみたところ、
「落語一題」= 8件
「  二題」= 3件
「  三題」= 68件
「  四題」= 6件
「  五題」= 2件
「  六題」= 1件
「  七題」= 0件
「  八題」= 0件
「  九題」= 0件
「  十題」= 0件

「落語1題」= 3件
「  2題」= 124件
「  3題」= 26件
「  4題」= 67件
「  5題」= 34件
「  6題」= 0件
「  7題」= 4件
「  8題」= 0件
「  9題」= 0件
「 10題」= 0件

「落語一席」= 237件
「  二席」= 4件
「  三席」= 89件
「  四席」= 16件
「  五席」= 18件
「  六席」= 2件
「  七席」= 2件
「  八席」= 3件
「  九席」= 1件
「  十席」= 10件

「落語1席」= 64件
「  2席」= 153件
「  3席」= 73件
「  4席」= 45件
「  5席」= 26件
「  6席」= 14件
「  7席」= 10件
「  8席」= 10件
「  9席」= 1件
「 10席」= 22件

ネット上では、「題」も「席」も両方使われているように思えるのですが、どうでしょうか。
2005/12/13
(追記)

2006年1月8日(日)、私も玉置 宏さんが司会をしているNHKのラジオ、聞きました、車の中で。「ラジオ名人寄席」という番組で、玉置さんは、
「落語二席、お聞きいただきます。」
と言っていました。そしてそのあと、
「一席目、代わり目。…おかみさん二題。二席目、厩火事でございます。」
五代目・志ん生が1961年9月1日に、新宿の末広亭で演ったものでした。
「席」も「題」も使うのですねえ。
2006/1/11
(追記2)

NHKの原田さんからメールをいただきました。
『道浦さんの「追記」を見て、はたと気づき、私なりの結論に達しました。
「落語を数える場合(合計)は『席』を使う。このうち、同じジャンル(『○○噺』など)をまとめて言う場合は『題』も使う」
という結論です。
落語の世界には「三題噺」という、その場で即席でつくるものがありますが、
この「題」とは「題材」「テーマ」「キーワード」などを意味しています。
1/8の玉置さんは、「席」と「題」を、その内容から区別して使ったのではないかと思います。寄席全体では「落語2席」、中身は「おかみさん(噺)2題」という考え方です。
落語には「人情噺」「廓噺」「艶噺」「怪談噺」など、ジャンル別に「○○噺」がありますが、これらについては東京でも「題」を使うと思います。ですから、
「きょうは落語を5席、このうち人情噺は3題」
というような使い方が本来なのではないでしょうか。
また1回の寄席全体であっても、仮に三遊亭圓朝の作品だけを演ずるなら、「席」ではなく、「圓朝○題」のほうがふさわしいかもしれません。(なお「上方噺」の「噺」は内容ではないので、「○題」は無理だと思います。また「小咄」の数え方は「○つ」でしょう)
12/11のは、番組で「題」という言い方が出たということであって、玉置さんが「落語○題」と言ったかどうかは不確かなのではないでしょうか。
つまり、「席」と「題」が東西で対立したり、並立したりするのではなく、大きく「席」があって、その中の分け方で「題」も使うということではないでしょうか。
ですから、原則的には「落語は『席』」を優先したほうがいいと考えます。』
なるほど、玉置さんの「席」と「題」から分析すると、そういうことかもしれませんね。原田さん、ありがとうございました。
2006/1/15
(追記3)

2月7日午前2時過ぎのNHKラジオ「ラジオ深夜便」で、女性アナウンサーが、
「春風亭柳昇さんで『○○○○』と、五代目古今亭今輔さんで『ねぎまの殿様』、落語2題、お楽しみいただきました。」
と言っていました。柳昇さんの演目は聞いたけど忘れてしまいましたが、「おかみさん2題」のように同じ傾向のネタではなく、別のネタでした。そうすると、原田さんが「追記2」で提案されたような形ではないということになりますが・・・。
そもそも、「席」というからには、パフォーマンスをしていなければ「席」とは呼べないのではないでしょうか?落語の台本と言うかネタそのものの数え方と、口演した落語では数え方が違うということなのでしょうかね。
2006/2/14
(追記4)

1月31日の深夜24時過ぎ(だから実質2月1日の午前0時過ぎ)のNHK大阪で放送していた落語番組、冒頭を少し見ました。案内役は演芸研究家の小佐田定雄さんで、
「それでは2席続けてどうぞ。」
と言っていました。最初に出てきたのは、林家小染さんで演目は『試し酒』「酒は命を削るかんな」と言っていましたが、その「かんな」「頭高アクセント」で、
「かんな(HLL)」
でした。私も関西弁だとそう言ってしまいがちですが、これだと花の「カンナ」みたいです。標準語のアクセントでは大工さんの道具は、
「かんな(LHH)」
です。もちろん、上方落語では標準語アクセントで話す必要はありませんし、もし標準語だと、「上方」落語になりませんね。「2席目」は、笑福亭仁智さんの『老女A』中森明菜さんの『少女A』を思い浮かべますね。これは聞きたかったのに、放送時間が遅いため・・・眠ってしまいました。残念。
2007/2/2
 


◆ことばの話2402「ど」

11月25日に行われた武庫川女子大学の言語文化セミナーを聴きに行きました。講師は朝日新聞の河合真美江記者。「勝手に関西世界遺産」というコーナーを担当されているということで、関西弁に関するお話が聞けました。
その中で、
「関西弁では何でも『ど』をつけることができてスゴイ!こないだ田辺聖子さんの小説を読んでいたら、『ど嬶(かか)』という言葉が出てきて、ビックリしました。この調子で行くと『自転車』にも『ど』を付けて『ど自転車』なんてことも言えるんですかね」
とおっしゃったので、私が、
「いや、それはどうでしょうか。『ど』は人間の体の部分か、その属性にしか使われないのではないでしょうか。『どたま』『どすけべ』『どマヌケ』『どんケツ』といった具合で。ただそういう中では、『ど真ん中』だけは例外ではないでしょうかねえ。」
と発言したところ、武庫川女子大学の佐竹秀雄先生も、
「たしかに『ど真ん中』の『ど』は、『どアホ』や『どたま』『どケチ』の『ど』とは違いますね。」
とおっしゃいました。
その時はそれで、「そうですか」ということになったのですが、数日後、古本屋で買った『池田弥三郎全集 第8巻』を読んでいたら、
「奴詞(やつこことば)」
として、
「どう」
が載っていました。使い方は、
「どう腹」「どうなか」
というもの。この「どうなか」は「まんなかの意味」だと言うのです。すると「ど真ん中」は、もともと「どうなか」から来ているのか?と思って佐竹先生に、この前のセミナーでのお話についてもう一度聞いてみたところ、メールでお返事をいただきました。

『「ど」は、中核になる意味としては、罵りだとされています。どあほ・どけち・ど甲斐性なしなど、「ど〜」の多くの用法がそれです。
ところが、そこから派生的に現れた(と私は思うのですが)意味として、「まさにその通りの強調」があり、その用例が「ど真ん中」だと考えます。『日本国語大辞典』では、これらを2つのブランチに分けて説明していて、強調の例に「ど真ん中」「どぎつい」を立てています。ただし、この「どぎつい」は、私は強調ではなく、罵りの方だと考えますが。私は、道浦さんのおっしゃった「ど」が人間にかかわるというご意見がとてもおもしろく、その通りだと思いました。つまり、「ど」の用法には、罵りと強調があり、罵りは当然、人間にかかわることがら、特に、性格や容貌などの評価することがらに用いられる。純粋の強調としては「ど真ん中」があると考えています。
そして、この理屈で少し問題があるのが「ど根性」です。分類すれば罵りだと思いますが、実際には、ほめる文脈で使われますから、少し問題です。「ど根性」の初期の用法として、他人のがんばりを見て、あきれて「ど根性やなあ」と言ったとか、自分ががんばる意味で「ど根性を出してがんばります」と言ったとかの用例があれば納得できるのですが。』

とのことでした。
佐竹先生、ありがとうございました。「ど根性」の用例、見つかるように気を付けて「ど根性」で頑張ります!

2005/12/13
(追記)

さっそくですが、わかぎゑふサンの『大阪弁の秘密』(集英社文庫:2005、11、25)を読んでいたら、
「どがいしょなし(ど甲斐性なし)」
という言葉が出てきました。すんげえなあ、「ど」。どのくらい「かいしょなし」なんだろうか?
2005/12/15
(追記2)

『知ってるようでよく間違う日本語』(北野義則著・真田信治監修、PHP:2009、5、1)という本の中の「コント」部分に、
「ド甲斐性なし」
という言葉が、また出てきました。大阪弁の語彙には、もともとあるようです、この言葉。
2009/10/15


◆ことばの話2401「ソフトとコンテンツの違い」

随分慣れてしまったのですが、最初
「コンテンツ」
という言葉を聞いた時には、
「なんじゃそりゃ?『目次』のことか?」
と思いましたが、よく聞いてみると、
「内容のこと」
で、さらによく聞いてみると、どうやらこれまで、
「ソフト」
と呼んでいたものを「コンテンツ」と言うようであることがわかりました。今から10年ぐらい前のことです。なんだ、それなら「ソフト」と言えばいいじゃないか!と、ちょっと腹立たしかったのを覚えています。
つまり「ソフト」を新しく見せるために言い換えたのが「コンテンツ」なのだと思ってきた。コマーシャル的な、宣伝用語の一つのように感じていましたが、もう随分定着してしまった観があります。
そんなある日、ハタと思いつきました。「ソフト」はゲームなど、「コンテンツ」はコンピューター関連でよく耳にする。と、すると、
「ソフト=アナログ」
「コンテンツ=デジタル」

なのではないか?つまり10年ぐらい前に耳にし始めた「コンテンツ」という用語は、アナログからデジタルへ、世の中が変わり始めた一つのメルクマールだったのではないか?という気がしたのです。
そういう意味で言うと、「コンテンツ」という言葉にそれほど違和感がなくなった21世紀の現在は、紛れもなく「デジタル社会」に変容してしまったのだなあ、それに自分も否応なく対応させられたのだなあと、感慨深いものがあったのでした。
2005/12/15
(追記)

『著作権の考え方』(岡本薫著、岩波新書)という本を読んでいたら、冒頭いきなりこんな記述が。
『現在一般に「コンテンツ」と呼ばれているものは厳格に定義されていないが、著作権法で保護されるものと大部分重なっていると思われるので、本書では、「著作権法の保護対象」と「コンテンツ」を同義語として用いる。』
この本によると、日本が著作権法を初めて作ったのは、1899(明治32)年。その著作権が最近、急に脚光を浴びるようになったのは、「一億総クリエー ター、一億総ユーザー時代」が来たためだとして、これまで一部業界の一部のプロに独占されていたコンテンツ利用のための印刷機器や送信設備を、多くの人が 手に入れたためだと主張しています。
そうか、「コンテンツ」は、単に「ハード」の対立概念としての「ソフト」と同義というよりは、商売される価値(著作権)を持った商品としての「ソフト」なんですね。その意味では「ソフト」と「コンテンツ」は使い分けられるべき言葉なのかもしれません。でもそのあたりの区別や説明は、足りないと思うなあ。
2006/2/28
(追記2)

TBSが出している『passingtime』という放送関係の専門雑誌の2006年5−6月号にTBS報道局長の金平茂紀さん「新・TV報道用語『悪魔の辞典』」というコラムを4ページにわたって書いていました。その中に「コンテンツ」もありました。ご紹介すると、
「コンテンツ」=「僕の経験則では、この語を好んで使うテレビ人にはロクなのがいない。何で中身とか番組とかニュースとか言わないんだい?」
それは「それを言っちゃあ、目新しさが感じられない」からではないでしょうか。
また、マンガ雑誌『ビッグコミック・オリジナル』(小学館)の2006年5月20日号に連載中の唐沢なをき「電脳炎」で、IT関係・コンピューター関係に弱い「課長」が激してしゃべっています。
「大変いまさらですが、『コンテンツ』って言葉、いつの間に市民権を得たわけ!?折れは許可したおぼえないんだがね、一度も!!なんで『目次』とか『お品書き』とか言わないの?もー最近、何かっていうとコンテンツコンテンツコンテンツコンテンツ。うきいーっ。コンテンツミルクかけちゃうぞ、イチゴに。(ふにゅ〜)」
と、著者の気持ちを代弁(?)しております。「山本小鉄(コンテンツ)」というネタも考えていたそうです、唐沢さん・・・。
2006/5/12
(追記3)

昔の・・・と言っても去年ですが、『放送リポート』という雑誌の2008年の9月号の「話題の本から」(須藤春夫)で、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの本『仕事道楽〜スタジオジブリの現場』(岩波新書)の中の一節を紹介していました。
「鈴木氏は映画作品を『コンテンツ』と称することに嫌悪を感じる。『あんなカタカナに置き換えたくない。青臭いといわれようと、あれは「作品」なんだと言いたい。』そこにテレビ放映との違いを見いだしている。」
最初の頃は私も「コンテンツ」という表現に苛立ちを覚えましたが、“慣れ”というのは恐ろしいもので、最近はそれほどイライラしなくなりました。
2009/12/24