◆ことばの話2365「混合診療」

「混合診療」
という言葉を、最近耳にしたり目にしたりするようになりました。健康保険を使える医療と使えない医療の「混合」、ミックスで行われる診療のことだそうです。
私が初めてこの言葉を目にしたのは、今年の春のこと。その時には、
「混合三種ワクチン」
のように、何かを「混合」するようなイメージがあって、まさか「保険」のこととは思いませんでした。同じ医療用語の中に「混合」という言葉が別の意味(イメージ)で使われるのはどうなのかなあ・・・と、ちょっと気になったのでした。
2005/8/6


◆ことばの話2364「総本山」

11月5日の朝日新聞朝刊のたぶん13版で、日立製作所の記事の見出しに、
「重電のメッカ」
という見出しがあったと「通報」がありました。「メッカ」の比喩使用は、朝日新聞では許可されたのか?という問い合わせでした。読売テレビの場合は、比喩表現での「メッカ」の使用は「ほぼ使用禁止状態」ですが。私が朝日新聞の14版を見てみると、
「日立発祥の地で我慢続く」
となって、どこにも「メッカ」めっかりませんでした。やはり朝日でも「メッカ」の比喩使用はダメなのでしょうか?チェックミスで「出てしまった」のでしょうか??
そのあたりについて朝日新聞の知人に聞いたところ、
「初版から見出しだけに使った。東京の見出しは14版まで「重電のメッカ」だった。大阪は途中でやめたのかも知れない。ルールとしては『交通事故のメッカ』なんて表現はダメだとしているが全面禁止にはしていない。でもいまどき『高校野球のメッカ、甲子園』なんて言っても高校球児に分かるとも思えないので、イスラム信仰への配慮とは別に、見かけたら『辞めときなさい』と言っている」
とのこと。やはり「原則、使わない方針」ということでしょう。
「メッカ」ではありませんでしたが、以前、読売テレビの夕方ニュースで、リポーターが、「バチカン」を指して「クリスマスの総本山」と言ったことがありました。「総本山」はたしかに、
「ローマカトリックの総本山」
と使うような気がしますが、やっぱりもともとは、「仏教」ですよねぇ?これについても朝日の知人に聞いてみると、
「『クリスマスの総本山』はさすがになかった。でも『キリスト教の総本山』が1件、『カトリックの総本山』はなんと61件もあった。これは『AERA』と『週刊朝日』も含んでいる。朝日新聞だけだと50件。」
とのことでした。「カトリックの総本山」は、キリスト教に対する理解がない時代に(今もある意味、あるとは思えませんが)、分かりやすくするための比喩として取り入れられたのかもしれませんね。ネットの「ことばについての会議室」に書き込んで聞いてみたところ、Yeemarさんから書き込みをいただきました。
『「総本山」は、「太陽」コーパスによれば、雑誌『太陽』1925年01号の「明治初年外交物語(其四)」に
「始めて工事に着手した、それが現存の天主教總本山、大浦の殿堂である。」
とあるそうです。「天主教」はカトリックのことですから、仏教以外で「総本山」を使った例と言えるでしょう。こういう使い方が明治からあるかどうかは存じません。
『日本国語大辞典』で、「福翁自伝」から「蘭学医の総本山」の例などが挙がっていますが、これは「おおもと」という一般的な意味に応用されているものですね。手元の例では「かれは尊王攘夷{じょうい}主義思想の総本山である水戸徳川家から入って一橋家を継ぎ、」(司馬遼太郎『燃えよ剣』1964)という例がありました。「仏教用語がカトリックにも応用されるようになった」というよりは、「仏教用語が一般語になったため、カトリックの場合でも使われるようになった」ということではないかと思います。』

詳しく調べていただいてありがとうございます。「総本山」が使われた歴史は古く、それほどクレームもないということでしょう。それだけ人口に膾炙しているということでしょうね。
2005/11/12


◆ことばの話2363「ハングル語」

11月12日に今日行われた高校サッカー大阪大会・決勝は清風高校と大阪朝鮮高級学校の対戦。1対0で大阪朝鮮が優勝したのですが、その中継で、Oアナが、

「(監督は)ハングル語で指示を出している」

と言いました。これは正しくは、

「(監督は)朝鮮語で指示を出している」

です。「ハングル」は「文字」です。日本語における「カタカナ」のようなものです。だから、「ハングル語」というのはありませんから間違いです。「カタカナ語」と言っているようなものです。
また同じ日の日本テレビ「プラスワン・サタデー」で、在日韓国人・笑福亭銀瓶さんの落語の特集をやっていましたが、そのナレーションの中でも、

「ハングルで落語をやりたい」
「ハングル落語」

などと「ハングル」を使っていましたが、さっきも言ったけど「ハングル」は「文字」ですから、「韓国語」「朝鮮語」という意味ではありません。これは本来、

「韓国語で落語をやりたい」
「韓国語落語」

とするべきところでしょう。銀瓶さんのコメントの引用では、もちろんちゃんと「韓国語」と言っていましたが。そのほかの「ハングル」の使い方が気になりました。
「ハングル」=「韓国語・朝鮮語」
ではないので、今後、皆さん、ご注意ください。
(×「ハングルを話す」×「ハングル語を話す」)

2005/11/9


◆ことばの話2362「廃棄物処理法違反のアクセント」

11月8日、NHKラジオ第一のお昼のニュース大阪のスタジオから伝えていた関西のニュース。秋野か牧野か(よく聞き取れなかった)の女性アナウンサーが、
「廃棄物処理法違反」
を全部コンパウンドして、
「はいきぶつしょりほういはん」(LHHHH・HHHH・HLL)
としていました。その後に出てきたニュースの(たしか)、
「所得税法違反」
も、
「しょとくぜいほういはん」(LHHHHHH・HLL)
と、コンパウンドしていました。彼女は「〜法違反」の「違反」が平板アクセントではなく、コンパウンドの結果、
「違反(HLL)」
となってしまっているのですね。
コンパウンドして「中高」のアクセントにするということは、
「スピード違反」(LHHH・HLL)
「駐車違反」(LHH・HLL)

と同じアクセントですね。「コンパウンド」というのは、複合語のその結びつきが強く、1語として既に認知されている場合に起こると考えられます。つまりその言葉をよく使う人にはコンパウンドは起きるとも言えます。しかし、コンパウンドすると、複合された元の言葉の意味は薄くなってしまいます。
普通、私たちがこれを読む時は、
「はいきぶつしょりほういはん」(LHHLL・LHHH・LHH)
というふうに「廃棄物」「処理法」「違反」を区切ることで、意味を際立たせようとします。特に「違反」を立てることで、「こういった法律に反する行為をしたのだ」というニュアンスを分りやすく伝えようとしようとしています。
コンパウンドするということは、先ほども書いたようによく使われる言葉ですから、なじみがあります。それは裏返すと、身近で、すごく「軽い犯罪」のように思えてしまう気がします。今回の「廃棄物処理法違反」は、区切るべきではないかな、と思います。
なお、その後NHKのホームページを確認したら、「廃棄物処理法違反」「所得税法違反」をコンパウンドしていたのは、秋野由美子アナウンサーだったようです。昭和45年(1970年)生まれ、平成5年(1993年)入局、富山県出身だそうです。
2005/11/11
(追記)

11月15日の同じ時間帯のニュースを、また秋野アナウンサーが読んでいました。恐らくこの時間はレギュラーなのでしょうね。そしてまたもや「○○法違反」がニュースに出てきました。今度は、「独占禁止法違反」をコンパウンドして、
「どくせんきんしほう・いはん」(LHHHHHHHH・HLL)
読んでいました。2回出てきましたが2回ともコンパウンドしていました。「スピード違反」のようなアクセントでした。
2005/11/17
(追記2)

「コンパウンドすると軽い罪に思えてしまう」と書きましたが、コンパウンドのもうひとつの弊害の実例として、国名の、
「プエルトリコ」
があります。これは本来、
「プエルト・リコ」
なのに、ほとんどの人は、
「プエル・トリコ」
だと思っているのではないでしょうか?同じようなものには、
「トリコロール」
があります。これも本来は、
「トリ・コロール」
つまり、
「トリ(3)コロール(=カラー<英>色)」=「三色」
の意味なのに、
「トリコ・ロール」
だと思っている人が、多いのではないですか。なんだか、おいしそうな「ロールケーキ」を思い浮かべてしまいます。
これはコンパウンドすることで、もともと「何と何」がくっ付いて一つの複合語になったのかがわからなくなったことと、日本語のリズムの中に、6拍のものは均等にバランスよく「3・3」に分けようという気持ちが入り込んでいるからではないかと推測します。
もちろんコンパウンドには、文章全体を滑らかにするというメリットもあるわけですから、一概に「コンパウンドはいけない」というわけではありませんが、何でもかんでもコンパウンドすればいいというわけでもない、ということですね。
2005/11/22


◆ことばの話2361「人の気持ちも考えて!」

妻から聞いた、小2の息子の話。
息子がパソコンでゲームをして遊んでいたら、生後9か月の娘が匍匐前進して(まだ膝を立ててハイハイはできないので、腕の力と足の蹴りで進むのです)近づいてきて、邪魔をします。一緒に遊びたいのでしょう。しかし息子にとっては邪魔です。そこで、
「もうっ!なおちゃん、やめて!!!」
と言うのですが、相手は生後9か月の赤ん坊。分かるわけはありません。
息子はパソコン遊びをやめて、今度は部屋の別の隅で、プラスティックのボ−リングのピンを立て始めました。するとまた赤ん坊が匍匐前進してきて、
「ダアー@」
とか言ってニコニコしながらピンを倒します。それを見た息子は、怒りの一言!
「もう!なおちゃん!人の気持ちも考えて!!」
・・・えーっと、それは無理やろ。
いつも母親にそう言われているので、つい言ってしまったんでしょうねぇ。でもね、生後9か月の赤ちゃんには、いくらなんでもそれは無理だよ。
けっこう笑える発言でした。
2005/11/9
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