◆ことばの話2185「おところ おなまえは?」

5月22日日曜日、お昼の「NHKのど自慢」は長野市からでした。
見るとはなしに見ていると、ある若い女性が熱唱していました。私は、
「鐘、2つかな。」
と思っていたら、なんと、
「キンコンカンコン、キンコンカンコン、キーンコーンカーン!」
と鐘が鳴って「合格」。本人も舞い上がって驚いていました。
そこで宮本アナウンサーが
「おめでとうございます。出場前に、何か嫌なことがあったんですって?」
とインタビューすると、その女性は、
「ええ、ついこないだ、男に振られて・・・・」
「でも、合格ですよ!これで少しは気が紛れますかね」
「ええ!」
ここで宮本アナウンサー、
「おところ、お名前は?」
と型どおり聞いたところ、くだんの女性はこう答えました。
「ゆういち!お前も頑張れよ!」
???そうなんです。彼女は「おところ、お名前は」という質問を、
「男のお名前は?」
と、聞き間違えたのです!
「おところ おなまえは」
「おとこの おなまえは」
と、「ろ」が「の」に変っただけで、全然意味が変ってしまうものなのですね。でもそんな聞き間違い、普通はしないよいなあ。これだから生放送はおもしろいですね。
2005/5/27



◆ことばの話2184「恵存と挿架」

池田弥三郎の『郷愁の日本語〜姿勢のくらし』という本を読んでいたら、こんな一文が。
『また別の後輩の一人がわたしに自分の著書をくれて、扉に「池田弥三郎先生・恵存」と書いた。この後輩にも言ってやった。−君。「恵存」というのは先輩が後輩に贈るときに使うんだ。「おい、とっとけよ」ぐらいの語だ。君がわたしに贈るのなら「挿架」とでも書きたまえ。「書棚の片隅にでも、おさしはさみおきください」ということになる。』(78ページ)
ええ!そうだったの!!?
不肖わたくしも、おととし(2003年)の5月に『「ことばの雑学」放送局』を上梓したのですが、その際に、お買い上げいただいた皆様のうちサインを望まれた方にはお名前を書いて差し上げ、そのお名前の横に、
「恵存」(どうぞおそばに置いてください)
と書き添えていたのです!というのも、私よりも先に本を出した後輩の脇浜紀子アナウンサーが、当時の社長に本を「贈呈」した際に、
「こういう時は『恵存』と書くんだ」
と教わったという話を聞いていたものですから。しまったあー、しくじったか?
しかし、この本をさらに読み進むと、
『「恵存」についての追記』
という項がありました。少し長いですが、引用します。
『恵存という語は、もともとは謙辞ではなく、「とっておけよ」といったような意味だということは、だいぶ以前のこと、中国文学に造詣の深かった、なくなった私の叔父、池田大伍から聴きました。その後、五、六年前だったと思いますが、吉川幸次郎先生のお説として、土岐善麿先生からうかがいました。そのとき、やはり土岐先生が、「挿架」という語があることを、吉川先生のお説として、教えてくださいました。そのことは前に書いたことがありますので、今回の小文にはそのいきさつは書きませんでした。わたしの小文の説は、受け売りです。
私の小文は、もちろんああした戯文ですから、ことばの慣用や通用をことさら無視して、わざとペダンティックに、語原説を持ち出して、話を効果的にいたしたわけであります。
言うまでもなく、ことばは、その慣用や通用は無視できません。近代・現代のことばの辞典は、その慣用・通用を主として、説明いたしますし、それで十分に現代語の辞書として役立ちます。恵存が、かりにもとはどうであれ、今日、謙辞として通用し、慣用していれば、それはその限りにおいて、あやまりではありません。ことばは、根本において、生きているか、死んでいるかが問題であって、正しい、正しくないは、厳密な意味では言えないからであります。(中略)ざれぶみで、とんだおさわがせをいたしました。」
(昭和五十四年八月『文藝春秋』疑問の投書に答えて)

ははあ、当時でも「恵存」は謙遜の言葉として著書に記すことは一般的に広く行われていたのですね、「挿架」よりも。それで、前の文章を読んだ読者から、「恵存でいいんじゃないのか」疑問の声が寄せられたと。それに答える形で書いた文章が、単行本化する時にも載ったのですね。じゃあ、「恵存」を使ってもいいんだ!
ちょっとホッとしましたが、せっかく「挿架」という言葉を知ったのだから、今後はチャンスがあれば、両方使ってみようかと思います。(ちなみに「挿架」は、『広辞苑』には載っていませんでした。)

2005/5/19



◆ことばの話2183「列車往来危険の疑い」

JR福知山線の脱線衝突事故のあと、置き石が増えています。本当に怪しからんことです。
こういった愉快犯、卑劣漢の行為は「悪質ないたずら」ではなく、
「列車往来危険罪」
という犯罪です。5月6日の早朝、このニュースを読んでいた日本テレビの町亜星記者(元・アナウンサー)は、
「列車往来・危険の罪で」
と切って、
「レッシャオーライ・キケン(LHHHHLL・LHH)」

読んでいたのですが、これではまるで、
「発車オーライ・危険」
に聞こえてしまいます。意味の上からもこれは、
「列車・往来危険の罪で」
つまり、
「レッシャ・オーライキケン(LHH・LHHHHHH)」
と切って読むべきではないでしょうかね。
意味を伝える上では、切るところによってアクセントが変ってきます。特に「複合語」になった時は、ふだん以上によく意味を考えて読むことが求められると思います。読むことは伝えることです。視聴者をミスリードしないように読むことが大切です。
2005/5/6



◆ことばの話2182「晴れベース」

報道局の用語委員、高岡デスクが話しかけてきました。
「うちの坊主(小学2年生)が、天気予報を見ていて、生意気に質問してきおったんですよ。『晴れベース』ってどんな意味?って」
たしかに、天気予報で時々耳にする言葉ですね。小学生だと「晴れベース」と聞くと、
「三角ベース」「ホームベース」
のように、なにか「晴れ」の「ベース」があるのかと思ってしまいませんかね。
『基本的には、その日の天気は「晴れ」だけど、時々曇ったり所によっては雨が降る』
とか、そういうような時に使うような気がします。
Google検索(5月10日)では、
「晴れベース」=1060件
その中には「J-WAVEに聴く日本語の変遷について」(2005年3月)と題したこんな文章もありました。
『天気予報では、「今日1日はおおむね晴れ、気持ちの良い天気が続くでしょう」と、おそらく某国営放送で読むようなニュアンスを、J-WAVEではあえて、
「今日は晴れベースの天気となるでしょう」
と放送としてオンエアしてしまうところがスゴイ!!「基本的に晴れ」ということなんでしょうが「晴れベース」ですよ!?確かに「○○ベース」って、我々の会議でもよく飛び交う言葉です。「そのデータ、紙ベースでもらえますか?」「デザインの確認は画面ベースでお願いします。」要は「紙でください」とか「画面でご覧ください」と言えばいいものを、あえて「ベース」で飾って言い放つ。私としては、あまり好きになれない言葉なのですが。』
やはり、使われているのですね。そして言葉に敏感な人の中には気にしている人もいるのですね。
高岡デスクのお子さんは、非常に言葉に敏感だったわけだ。えらいぞ!
2005/5/11



◆ことばの話2181「システィナ」

ヨハネパウロ2世の死去、ベネディクト16世のローマ法王就任というニュースが続いた今年4月、バチカンのニュースがよく出てきました。その中で新法王を決める会議のことを「コンクラーベ」と言い、これは全世界の枢機卿(すうききょう)が長い日数をかけて缶詰状態で行なわれるので、まさに「根競べ」だな、などとオヤジギャッグのネタになったり、話し合いで新法王がまだ決定していない場合には煙突から黒い煙が、決定すると白い煙が出るとか、ふだん我々の生活にはまったく関係ない知識を、キリスト教徒ではない私たちも身につけることが出来ました。そして煙の色が黒いのか白いのかは、そう言われてみないと、よくわからない、ということもわかりました。世の中と一緒だなあ・・・と。
さて、そんなニュースの中でよく出てきた、コンクラーベが行われた礼拝堂の名前ですが、
朝日、毎日、産経、日経新聞は「システィーナ」と書いていたのですが、なぜか読売新聞だけは「システィナ」と長音符号がついていませんでした。
読売新聞の知り合いに「なぜですか?」と聞いてみたところ、
「読売のパソコン辞書に『システィナ』で登録されているが、なぜその語形で載せたかは不明。特に表記の統一で問題にはならなかったようだ。」
とのことでした。
辞書では、『広辞苑』は「システィナ」でした。
インターネットの検索エンジンGoogleでは(5月6日しらべ)、
「システィーナ」=2万7100件
「システィナ」=9170件
でした。要は、「−」で伸ばすところに「アクセントが来る」ということでしょうが、それを長音符号で表すのかどうかということです。そういう傾向はあるものの、キッチリとルールとなっているかと言うと、どうもそうではないのではないようです。
アクセントの有無は、それほど重要でないかもしれませんが(そんなことはない、アクセントは重要だと思いますけど、それは一旦置いて)、カタカナになった時に「−」があるかどうかは、大きくイメージが変ってきますね。
2005/5/6