◆ことばの話2165「抱かれたい女ランキング」

4月15日(金)、「あさイチ!」に一緒に出演している芸能デスク・石川敏男さんのコーナーで、毎年恒例の女性ファッション雑誌『an・an』のアンケート「好きな男 嫌いな男」を紹介しました。それによると「好きな男」ではSMAPの木村拓哉さんが12年連続で1位を獲得。「嫌いな男」では、出川哲朗さんが堂々5年連続で1位に決まり、出川さんはこれで殿堂入りとなり、来年からはアンケートの対象外となることが決まったということです。この「好きな男、嫌いな男」というのは、「ぶっちゃけ」た言い方をすると、いわゆる、
「抱かれたい男ランキング」
というものですね。スポーツ紙の見出しでは、もっと露骨に、
「セックスしたい男ランキング」
という表現もありました。これ、同じことのようでちょっと違う。なぜなら、最初の「抱かれたい」は「受身」なのに対して、「セックスしたい」は「能動的」で、「主体が女性」になっているからです。
これをさらに強調するようなランキングが、男性週刊誌『週刊プレイボーイ』の載っていました。名付けて、
「抱かれたい女ランキング」
おいおい、いいのか、男性諸君!男性が「受身」になっているゾ !それだけ女性の力が強くなってきたということですかねえ・・・。女の人の方が元気が良いという、世の中の現状を反映しているのでしょうか。
ちなみにGoogle検索(5月1日)では、
「抱かれたい男ランキング」=1万1600件
「セックスしたい女ランキング」=3件
「抱かれたい女ランキング」=1090件

でした。

2005/5/1




◆ことばの話2164「自分的にはどうですか?」

「家の近くにヘイができたね」「カッコイイ」
「ヘイ」ではなく、新しい商店街ができました。その中にある、とあるアメリカのブランドの洋服屋さん(古いね、どうも表現が・・・)で、ポロシャツを買いました。今度のロケで着ようと思って。さ緑の綺麗なシャツです。しかし、サイズがMなのかそれともLなのか、よくわからない。身体に当ててみると、Lだとちょっと大きいみたいだし、Mかなあと思いながら男性の店員さんに、
「これ、サイズはMがいいですかねえ、それともLがいいかなあ・・・」
と聞くと、
「ゆったり着るならLですし、わりとピッタリと着るならMですね。」
と言います。そりゃそうなんだけど。Lだと大きすぎないかなあ・・・と思っていると、その店員さんが言いました。
「自分的にはどうですか?」
はい?なんですとー!客に向かって「自分的にはどうですか?」ですって。なんじゃ、この店員は、口の利き方も知らんのかいっ!!とカチンと来ましたが、少し冷静になって、これはおもしろい言葉の事例ではないか、と考えました。
関西では「自分のこと=一人称」に「自分」とももちろん言いますが、おもしろいのは、相手、つまり二人称にも「自分」を使うのは、よく知られていますね。
「自分、最近調子ええんちゃうん?」
「自分、先、食べたら?」

など「あなた」「きみ」「おまえ」に置き換えられるような使い方で「自分」を使います。
この店員は、まさにこの「二人称の自分」を使い、さらに今、若い人がよく使う、
「○○的には」
と組み合わせたのですね。普通、
「自分的には」
と言うと、「一人称の自分」の気持ちを言う時に使い、
「自分的には、もう少し軽い方が好きなんですけど・・・」
「自分的にはOKですけど、先輩がどう判断するか・・・」

などと使うのは、ごくごく一般的です。(よね?)
でもこの「自分」は二人称。つまり、
「あなた(的に)はどうですか?」
という意味で、
「自分的にはどうですか?」
とろ使いおったのです。なーんだ、じゃあ、いいんじゃないの?と思うかもしれませんが、そもそも関西弁の「二人称の自分」は、対等な親しい間柄や目下の人に対して使うものなんです。目上やお客さまに対して使うものではありません。だから「お客様」である私は「カチン」と来たんですね。
でもまあ、そういう「物言い」が使われているというフィールドワークができたからいいか、と考え直しました。おっとなー(大人)!!
ちなみに、結局「M」を買って帰ったのですが、家に帰って着てみると・・・小さかった・・・翌日、「あのう、サイズが小さかったんですけど・・・」と、レシートとともに持って行くと、「はあい、わかりました。」と、昨日とは違う男性の店員さんが、気持ちよく「L」と交換してくれました。(これで交換してくれてなかったら、文句書いてるところかも?)
2005/4/27
 


◆ことばの話2163「『亡くなられた』と『亡くなった』」

4月25日に起きたJR福知山線尼崎駅手前で起きた脱線衝突事故。大変痛ましい事故になってしまいました・・・。
その原稿を読む時に気になった表現は、
「亡くなられた方」
という表現です。遺族の方を目の前にした時に、
「息子さんが亡くなられたのですね・・・」
とか
「お亡くなりになったのは、どなたでしょうか?」
という表現・言い方(そういうふうな質問を遺族の方にするかどうかは別にして)は、OKだと思うのですが、原稿で読む場合には、「亡くなられた」は「二重敬語」だと私は思います。「亡くなった」で十分に敬語なのです。その区別をつけるべきではないでしょうか。
しかしその名もズバリ『敬語』(講談社学術文庫)の中で、東京大学助教授菊池康人氏は、
『「死ぬ」は「お死にになる」とは言わない。直接的な表現を避けて「おなくなりになる」と言う。「なくなる」自体も「死ぬ」に比べ間接的なので、ある程度尊敬語的な感じがするが、これは身内にも使うので、厳密には尊敬語ではない(犬や猫の死にも「なくなる」と使う人もいるほどである)。「なくなられる」「おなくなりになる」と使ってはじめて尊敬語と見るべきであろう』(165ページ)
と書いていますが、放送では犬や猫などの動物に「なくなる」は使わないことになっています(たしかに『パンダが亡くなった』りする例が若干ありますが)。
新聞の見出しはどうか。426日の夕刊の犠牲者リストの見出しでは、
(読売)「死亡された方々」
(朝日)「亡くなられた方々」
(産経)「身元が確認された犠牲者」
(毎日)「亡くなった方々」
(日経)「亡くなった方々」
そして428日朝刊では、
(読売)「亡くなった方々」
(朝日)「JR事故で亡くなられた方々」
(産経)「亡くなられた方々」
(毎日)「亡くなった方々」
(日経)「亡くなった方々」
となっていました。これを見ると、毎日と日経は一貫して(と言っても、私が見たのは2日だけですが)「亡くなった方々」としているのに対して、朝日は一貫して「亡くなられた方々」としています。読売と産経は26日夕刊と28日朝刊で、表現が変わっています。
28日朝刊の時点では、
「亡くなった方々」=読売、毎日、日経
「亡くなられた方々」=朝日、産経
と分かれていますが、まあ、どちらが絶対正しいと言うものではないので、今後も見守りたいと思います。
2005/4/28
(追記)
この日の用語懇談会でこの話を出したところ、各新聞社の委員の方から意見をいただきました。その中で驚いたのは、読売新聞の方の話。
「道浦さんがおっしゃったように今日(4月28日)の朝刊は『亡くなった方々』だったのですが、夕刊では『亡くなられた方々』になっています。どちらにするか、話し合いはされていないようです。」
そうだったのか。
ほかの新聞の方からは、
「シンプルに『亡くなった方々』でいいと内勤のデスクはそう思うのだけど、外勤で実際にご遺族の方に取材する記者は、丁寧に『亡くなられた方々』と言いたいというふうに言ってくるようですね。」
「今回は被害者の方々に何の落ち度もない。しかもこのような大惨事になった。そのあたりで、心情的にも、新聞社も被害者の方に思い入れが入るのではないか。」
など、いろんな意見が出ました。
2004/4/28
(追記2)
私も委員の一人として編集に参加した、日本新聞協会・新聞用語懇談会・放送分科会編の『放送で気になる言葉〜改訂新版』に、「亡くなられる」についての記述がありました。(19ページ)

「亡くなられる」
言葉そのものが古風でなくても、丁寧すぎる敬語は不自然さを感じさせる。「アメリカでは100人が寒波のために亡くなられています」というニュースの一説。事実を知らせるなら「死亡しています」でもよいわけだが、死者への配慮を加えるとしても「亡くなっています」で足りる。「亡くなる」はそれ自体が丁寧な言葉だからだ。
「亡くなる」「亡くなられる」「お亡くなりになる」のように敬語にはいくつもの段階がある。しかし、対象によってこれを使い分けることは身分社会の名残のようで好ましくないし、大仰な敬語の乱発はかえって聞き苦しい。
なお、「パンダが亡くなった」と言った例もあったそうだが、動物には「亡くなる」は使わない。「死亡」も動物には使わないが、「死亡牛」はBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)関係の専門用語として使われている。

という風に、かなり詳しく説明されています。主旨は私の言い分と同じですが、現場の現状は「亡くなられる」を使わざるを得ないように変わってきているようです。状況にもよるのですが。
2005/5/1
(追記3)
5月1日午前10時から、JR西日本の垣内社長が訓示を行いました。A4用紙2枚分のその社長訓示を書き起こした原稿が、報道局にも届きました。その中で垣内社長は、
「お亡くなりになられた107名の方々」
という表現を使っています。この「お亡くなりになられた」という表現は、当然とは言え、最大限の敬意表現です。しかし、これも言うまでもないことですが、いくら言葉を尽くしても、失われた命はもう、取り戻すことはできません・・・。
2005/5/1
(追記4)
6月23日に開かれたJR西日本の株主総会で垣内剛社長は、
「お亡くなりになった方々」
という表現を使っていましたが、これはまあ、当然と言えば当然の言葉遣いでしょう。
2005/6/28
(追記5)
2008年6月8日(日)、東京・秋葉原で、7人が殺害され、10人が重軽傷を負うという痛ましい無差別殺傷事件が起きました。この事件でなくなった方のお名前を載せた6月9日の各紙夕刊(朝刊は、お休みだった)の表記は、
(読売)亡くなった方
(朝日)亡くなられた方々
(毎日)亡くなった方々
(産経)亡くなった方々
(日経)亡くなられた方々
でした。<読売・毎日・産経>が「亡くなった」で、<朝日・日経>が「亡くなられた」でした。3年前のJR福知山線の事故の時と変わったのは、
(産経)亡くなられた→亡くなった
(日経)亡くなった →亡くなられた
で、あとは同じ表記でした。
2008/6/10



◆ことばの話2162「タニカワとタニガワ」

小学2年生の息子の授業参観に出た妻が、その様子を報告してくれました。
「今日は、谷川(タニガワ)俊太郎の詩で『おおかみ』というのを読んでたよ。」
「タニガワ?タニカワだろ。」
「先生は『タニガワ』って言っていたように聞こえたけど。」

本棚から谷川俊太郎の詩集を持ってきて、奥付の著者名のルビを見ると、やっぱり、
「タニカワ」
と濁っていません。
「先生にちゃんと言っておかないと。」
という私の言葉を受けて、妻が連絡帳に、
「夫が、タニガワではなくタニカワだと申しておりますが・・・」
と書いたところ、その日返ってきた連絡帳には、先生からの返事が。
「タニカワと言ったつもりだったんですが、タニガワと濁って聞こえたんですね。ゴメンナサイ。」
おそらく、
「アナウンサーで言葉使いにはウルサイ親だから、気をつけた方がいい」
と思われているのでしょう。そんなにとやかく言うつもりはないのですが。ただ去年、1年生の時の担任の先生には、授業参観の感想として、
「『見れる』『着れる』は『ら抜き言葉』なので、我が家では使わないように教えている。できたら学校で先生も『見られる』『着られる』と言って欲しい」
などと、ノート2〜3ページにわたって書いたことが影響しているのでしょうか。
イヤな親!
しかし、先生のそのメッセージで、ハタと気づきました。
「この『谷川』という苗字は、清濁(濁る、濁らない)とアクセントに関係があるのではないか?」
つまり、「平板アクセント」で言う時には、
「タニガワ(LHHH)」(Lは低く、Hは高く読む)
となり、「中高アクセント」で言うと、
「タニカワ(LHLL)」
と濁らない傾向があるのではないかということです。また、関西では平板アクセント、もっと言えば、「LHHH」ではなく「HHHH」という高い音が続くアクセントがよく使われるために濁ってしまうのではないか?ということです。この「HHHH」で濁らない、
「タニカワ(HHHH)」
というのは、なんとなく違和感があるのですよ、私は。(もちろん「タニカワ(LHHH)」でも違和感があります。)濁らないのならアクセントは「タニカワ(LHLL)」という中高の起伏アクセントですよね。関西だと「タニカワ(HLLL)」という頭高アクセントもあると思います。逆に「タニガワ」と濁ったら「タニガワ(LHLL)」というアクセントでは言わないのではないでしょうか?「タニガワ(LHHH)」と濁る平板アクセントは、普通名詞の「谷川」の場合で、起伏アクセントは「苗字の場合だけ」という気もします。この辺に何か秘密があるのではないかなあ。また、引き続き考えてみようと思います。
2005/4/27



◆ことばの話2161「生歌と生検証」

平成ことば事情921「生セラ」で「生」という言葉が必要以上に使われていると書きました。もう2年半ほど前のことでしたが。
先日の用語懇談会放送分科会で、委員の中から、
「最近『生』という言葉を濫用しすぎるのではないか。先日も、歌手をゲストに呼んでいたある番組で、『このあとは、ナマウタ(生歌)を披露してもらいます』と言っていたが、『ナマウタ』というのはいかがなものか。」
という意見が出ました。それについては以前書いたなと思って調べると「ことば事情921」で書いていたというわけ。
それによると、普通、「生ビール」とか「生肉」というように「食べるもの」で「生」(なま)というと、「加熱処理や調理をしていない」という意味だが、風俗関係の「生」は、「直接」「ダイレクトに」というような意味で「生」が使われているようだ、とのこと。
その歌手が出た番組は「風俗関係」だったのでしょうか?いや、風俗関係の番組ではなく「報道番組」でも、
「生出演」「生中継」
など、「生」にこだわります。新鮮さこそが売り物、ということでしょう。だって「NEWS」ですから新しくないと・・・。
しかし、それにしてもたしかに”行き過ぎ”の感はあります。
今日(4月26日)放送していた某テレビ局の、JR福知山線の脱線衝突事故の番組では、
「元JR運転士が事故現場を生検証」
という字幕(サイドスーパー)が出ていましたが、
「生検証」
はないでしょう、とその局の方には言いたいところです。(あとでコッソリ言おうっと。)その元運転手の方がVTRの中で出演していて現場を検証しているのではなく、生中継に出演してその場で検証するということなんでしょうが、まさに「生」に毒された頭で考えた字幕スーパーだったと言えるのではないでしょうか。こんな、こなれていない言葉を使うと、その元運転士の行う検証そのものが、
「生」=ちゃんと火の通っていない、中途半端なもの。
というふうに誤解されませんかね?
また、これを「生検」と略して言うと、別の言葉になってしまい、読み方も「ナマケン」ではなく「セイケン」になります。
2005/4/26