◆ことばの話2154「天声人語」
調べものがあって、久しぶりに大阪・中之島の府立図書館に行きました。目指すは新聞コーナー。朝日新聞の昭和20年(1945年)11月7日「国民と共に立たん」という宣言が載った紙面を読みに行ったのです。
その2日前の4月13日、元・共同通信編集主幹の原寿雄さんの講演を聞いた時に、原さんが、
「朝日新聞の有名な『国民と共に立たん』という宣言が昭和20年の11月7日にあって、よくジャーナリズムの自立ということで引き合いに出されるけど、ボクはあれはけしからんと思ってる。なぜなら、それまで戦時中も新聞は国民と共にやってきたわけですよ。それであんな結果になったのに、これじゃ何も反省がないじゃないか!」
とおっしゃっていたので、一度その現物(と言っても、”現物”ではありませんが)を読んで見たいと思ったのです。これはすぐに見つかりました。
意外と短い囲みの記事でした。(字体は新字体に変えています)
「宣言・国民と共に立たん 本社、新陣容で『建設』へ」
「支那事変勃発依頼、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果したる■要たる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容をもって新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである。今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果し得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして事態の■■に無知なるままに今日の■■に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。
今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民とともに立ち、その声を■とするであらう、いまや狂乱怒涛の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の■■たることをここに宣言するものである。」
ところどころ印刷がつぶれて読めなかったのですが(■の部分)要は、終戦後も3か月近く、それまでの経営陣が変わらずにいたのを、経営陣を一新した、ということですね。その「新陣容」で戦後ニッポンの「建設」に寄与したいというようなことでした。
ついでなので、終戦前後、8月15日前後の新聞にもパラパラっと目を通しました。そこで気づいた事をいくつか。
まず、今も朝日新聞のコラムとして続く、
「天声人語」(当初は旧字体なので、正しくは「天聲人語」でしたが。)
ですが、これが始まったのは、
「昭和20年9月6日水曜日」
でした。それまでのコラムのタイトルは、
「神風賦」
というものでした。「ジンプウフ」と読むのでしょうか。たしかに「カミカゼ」じゃあ、ちょっと「民主ニッポン」にはそぐわないでしょうねえ。でも終戦の8月15日から3週間は、そのままのタイトルでしたよ。「神風賦」も「天聲人語」も、右から左への(現在とは逆の)横書きでした。
実は9月6日の紙面のトップ記事は、前日5日に行われた東久邇首相宮の施政方針演説でした。見出しは、
「万邦共栄 文化日本を再建設」
でした(旧字は新字に直しました)。それにあわせるように「神風賦」から「天声人語」に変えられたのです。その日の最後の所には、こう記されています。
「首相宮殿下は、特に言論洞(とう)開を強調遊ばした。この御言葉を戴いて、本欄も『天声人語』と改題し、今後ともに■射の誠心吐露せんとするものである。」
(■は字がつぶれて読めませんでした・・・)
そのほか、外国人の名前のカタカナ表記に関して言うと、8月31日の紙面などでは、
「マツクアーサー元帥」
でした。今なら「マッカーサー」とするところですが。
また、9月17日の紙面では、
「ヒットラ」
でしたが、10月20日は、
「ヒットラー」
と長音符号が付いていました。また10月7日の1面トップ、
「幣原喜重郎男、組閣の大命を拝す」
この「男」は名前でなくて、「男爵」の略。こういう表記があったのですね。そういえば東久邇首相にも「首相宮」と「宮」がついていましたし。
そのほかに気づいたのは、広島の原爆、新型爆弾の記事が載ったのは、原爆投下の翌々日である8月8日。また長崎の原爆の記事は、私が見た限りでは見つかりませんでした。
そして終戦直前の8月12日の紙面には、なんと8月16日幕開きの、団十郎出演の「大歌舞伎」(東京劇場)の広告が。そんな時期まで、歌舞伎の公演はやっていたのですねえ。お客さんは入ったのでしょうか?
そのほか、「勝ち札」の広告もしばしば出ていて、1枚十圓(=10円)で一等は十万圓。ということは、当たれば1万倍ということですね。今に直すと1枚100円で、1等が100万円。あまり大きなバクチではないですねえ。今の宝くじの方が、よっぽど射幸心を煽っていますね。
少し調べ物をするつもりが、あっという間に2時間ほど経ってしまっていたのでした。図書館はタイムマシンです。
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