◆ことばの話2155「DVDとビデオテープとレコード」

子供と風呂に入っているときにレンタルビデオの話になりました。最近は同じタイトルのものでも、ビデオとDVDがあるので、どちらを選ぶかという話です。我が家も1年ほど前にDVDレコーダーを購入したので、どちらを選ぶかという選択が必要です。これまでの経験から言うと、洋画の字幕ビデオは早回しで見ても筋が判りますがDVDは早回しで見ても判らない、ビデオは見た後に巻き戻し(を待つの)が面倒、DVDは巻き戻しの必要がない、DVDだと音声を吹き替えとオリジナルのどちらでも選べるがビデオは借りるときに選択しなきゃならない、DVDの方がかさばらないなどの違いがあります。
で、子供が、
「おかあさんはDVDの方がええねんて。巻き戻さなくてええから」
と言うのを聞いて、ハタとひらめきました。
「DVDはデジタル、ビデオはアナログだが、それは記録方式だけではなくて再生方法についても言える。その再生方法については、レコードもデジタルである」
ということに気づいたのです。音源(映像)そのもの(記録媒体)は、DVDはデジタルで、ビデオとレコードはアナログですが、再生方法は、DVDとレコードはその場で記録媒体は回転しているところに”針”の方が移動して再生する「デジタル」なのに対して、ビデオは、レコードの”針”に当たる”ヘッド”は固定で、その上を記録媒体のビデオテープが移動する「アナログ」方式。つまり、DVDというのは再生方法に関してはレコード時代に先祖帰りしていると言えますし、レコードの再生方式は「デジタル」であったとも言えるのではないでしょうか。
逆に考えると、レコードのような再生方法が当たり前だった時代に登場したカセットテープ(やビデオテープ)の再生方法(=記録媒体の方を移動させるという方式)は、画期的だったのかもしれませんね。
だからどうした?いえ、つまり「巻き戻しの必要があるかないか」ということに関して、再生法方が「デジタル」であれば巻き戻しの必要がなく、再生方法が「アナログ」だから「ソフト=記録媒体」を巻き戻さなくちゃいけないのだということに気づいたということです。それはすなわち、アナログ・デジタルという区別は、記録方式だけではなく再生方法にもあるということにも気づいたということです。
これを小学2年生の息子にかみくだいて説明するのは、けっこう難しかったですよ。
風呂から出ると、さらに考えは進みました。
「その場で回転するだけ、あとは”再生の針”を当てるだけで、瞬間移動装置やタイムマシンはできないだろうか?」
ということを考えたのです。電車や自動車に乗って目的地に行くのは、スピードが上がったとしてもアナログです。ただ極限までスピードを上げれば「瞬間移動」に近づき、デジタル的な感じにはなりますね。飛行機の方が電車よりもよりデジタルに近い。空間の距離を時間に置き換えるとこれはタイムマシンになるんだなと。
できるできないは別にして、こういうふうに空想することは楽しいですね。
 
2005/4/18
(追記)

直接関係ないかもしれませんが、9月6日の日本テレビ「ニュース・プラス1」で取り上げていた神奈川県・相模原市で起きた女性殺人事件で、記者のリポートの中の言葉と字幕スーパーで、
『アダルトDVD』
というのが出てきました。「アダルトビデオ」ということばは定着していますが、「アダルトDVD」はまだそんなに言葉としては定着していないのではないでしょうか?
そんな気がしました。
Google検索では、
「アダルトビデオ」=188万件
「アダルトDVD」=149万件

既に「アダルトDVD」ということばは随分と出回っているようです。モノがDVDなら、「アダルトDVD」と言うしか、仕方がないですねえ。
2005/9/9



◆ことばの話2154「天声人語」

調べものがあって、久しぶりに大阪・中之島の府立図書館に行きました。目指すは新聞コーナー。朝日新聞の昭和20年(1945年)11月7日「国民と共に立たん」という宣言が載った紙面を読みに行ったのです。
その2日前の4月13日、元・共同通信編集主幹の原寿雄さんの講演を聞いた時に、原さんが、
「朝日新聞の有名な『国民と共に立たん』という宣言が昭和20年の11月7日にあって、よくジャーナリズムの自立ということで引き合いに出されるけど、ボクはあれはけしからんと思ってる。なぜなら、それまで戦時中も新聞は国民と共にやってきたわけですよ。それであんな結果になったのに、これじゃ何も反省がないじゃないか!」
とおっしゃっていたので、一度その現物(と言っても、”現物”ではありませんが)を読んで見たいと思ったのです。これはすぐに見つかりました。
意外と短い囲みの記事でした。(字体は新字体に変えています)

「宣言・国民と共に立たん 本社、新陣容で『建設』へ」
「支那事変勃発依頼、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果したる■要たる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容をもって新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである。今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果し得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして事態の■■に無知なるままに今日の■■に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。
今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民とともに立ち、その声を■とするであらう、いまや狂乱怒涛の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の■■たることをここに宣言するものである。」

ところどころ印刷がつぶれて読めなかったのですが(■の部分)要は、終戦後も3か月近く、それまでの経営陣が変わらずにいたのを、経営陣を一新した、ということですね。その「新陣容」で戦後ニッポンの「建設」に寄与したいというようなことでした。
ついでなので、終戦前後、8月15日前後の新聞にもパラパラっと目を通しました。そこで気づいた事をいくつか。
まず、今も朝日新聞のコラムとして続く、
「天声人語」(当初は旧字体なので、正しくは「天聲人語」でしたが。)
ですが、これが始まったのは、
「昭和20年9月6日水曜日」
でした。それまでのコラムのタイトルは、
「神風賦」
というものでした。「ジンプウフ」と読むのでしょうか。たしかに「カミカゼ」じゃあ、ちょっと「民主ニッポン」にはそぐわないでしょうねえ。でも終戦の8月15日から3週間は、そのままのタイトルでしたよ。「神風賦」も「天聲人語」も、右から左への(現在とは逆の)横書きでした。
実は9月6日の紙面のトップ記事は、前日5日に行われた東久邇首相宮の施政方針演説でした。見出しは、
「万邦共栄 文化日本を再建設」
でした(旧字は新字に直しました)。それにあわせるように「神風賦」から「天声人語」に変えられたのです。その日の最後の所には、こう記されています。
「首相宮殿下は、特に言論洞(とう)開を強調遊ばした。この御言葉を戴いて、本欄も『天声人語』と改題し、今後ともに■射の誠心吐露せんとするものである。」
(■は字がつぶれて読めませんでした・・・)

そのほか、外国人の名前のカタカナ表記に関して言うと、8月31日の紙面などでは、
「マツクアーサー元帥」
でした。今なら「マッカーサー」とするところですが。
また、9月17日の紙面では、
「ヒットラ」
でしたが、10月20日は、
「ヒットラー」
と長音符号が付いていました。また10月7日の1面トップ、
「幣原喜重郎男、組閣の大命を拝す」
この「男」は名前でなくて、「男爵」の略。こういう表記があったのですね。そういえば東久邇首相にも「首相宮」と「宮」がついていましたし。
そのほかに気づいたのは、広島の原爆、新型爆弾の記事が載ったのは、原爆投下の翌々日である8月8日。また長崎の原爆の記事は、私が見た限りでは見つかりませんでした。
そして終戦直前の8月12日の紙面には、なんと8月16日幕開きの、団十郎出演の「大歌舞伎」(東京劇場)の広告が。そんな時期まで、歌舞伎の公演はやっていたのですねえ。お客さんは入ったのでしょうか?
そのほか、「勝ち札」の広告もしばしば出ていて、1枚十圓(=10円)で一等は十万圓。ということは、当たれば1万倍ということですね。今に直すと1枚100円で、1等が100万円。あまり大きなバクチではないですねえ。今の宝くじの方が、よっぽど射幸心を煽っていますね。
少し調べ物をするつもりが、あっという間に2時間ほど経ってしまっていたのでした。図書館はタイムマシンです。

 
2005/4/17



◆ことばの話2153「海賊版」

今年2月、東京都台東区JR浅草駅近くで『ハウルの動く城』の海賊版を販売目的で50枚所持していた男が逮捕、その後起訴されました。著作権法違反の疑いだそうです。そして4月には、大阪市生野区の山口組系暴力団組員も、同じ容疑で警視庁に逮捕されました。
ところで、この、
「海賊版」
という言葉、なんで「海賊」なんでしょうか?「泥棒」ではなく。なぜ「海」と関係あるのかな?そこで『日本国語大辞典』を引いてみました。

「海賊版」=(英pirated editionの訳語)外国の著作物を著作権者や発行者に無断で複製したもの。転じて、同一国内におけるものについてもいうことがある。偽版。(例)日本のむこ殿(1955)<読売新聞社会部>「だから特許の海賊版だと悪口をいわれても、自分で独自の研究をやった方が得なのか、これも一概にはいえない」

ハハァ、元は、「外国の著作物」に関して無断で複製することを言ったんですね。「外国=海外」だから「海賊」ですか。と言うより、これは推測ですが、昔は著作権に関する保障が、それぞれの国内では保護されていても国際的な保障はされていなかったし、そういったインターナショナルな組織はなかった。そこで、その隙を突いて海外の著作権物をあたかも「本邦初」のような形で奪っていくことが、しばしばあった。その行為は、公海上のどこの国の法律も及ばないところで略奪を行う「海賊」に似ていた。だから「海賊版」という言葉が生まれたのではないでしょうか。「昔は」と書きましたが、そんなに「昔」の話ではなく、つい数年前まで、そんな状況が野放しであったのではないでしょうか。
それと、そもそもは「英語の訳語」のようですね。このeditionは「版」でしょうが、piratedは何やろ?ピレイテッド?英和辞典を引くと、
「海賊(船)、著作(特許)権侵害者、略奪者」
と意味が載っていて、発音記号を見ると、
「パイアリッ(ト)」
という感じになっていました。あっ!複数形にすれば見慣れた「パイレーツ」じゃないか!「だっちゅーの」で一世を風靡・・・まではしてないか、流行語大賞は取ったよねえ。それとは別でもカリブの海賊もあります。映画、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の「パイレーツ」!進めパイレーツ!そうすると、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の海賊版は、
「『カリブの海賊』の海賊版」
ということで、話がややこしくなりますねえ・・・。

 
2005/4/17



◆ことばの話2152「四分咲き、七分咲き」

サクラ、もう終わってしまいました、京阪神では。今年は4月8日(金曜日)に「あさイチ!」のスタッフで、昼間にお花見をしましたが、そのぐらいだったなあ、花をちゃんと見たのは。大阪は、造幣局の通り抜けが、4月19日(火曜日)まで行われているので、あと少し、桜の季節ですがね。
さて、このシーズンはよく目にしたのが、桜の中継。その中で耳にした言葉に、
「四分咲き」
「七分咲き」

があります。これを、
「よんぶざき」
「ななぶざき」

と口にするアナウンサーや気象予報士が多かったようですが、これはやはり、
「シブザキ」
「シチブザキ」

と言ってもらいたいところですよね。気象予報士のYさんには、放送後に「シブザキ、シチブザキだよ」と指摘しました。また、造幣局の中継に行ったYアナとAアナにも、事前に「どちらですか?」と問い合わせがあったので、「シブザキ、シチブザキだよ」と指導しました。
「シブ」と読む言葉は「四分音符」「四分休符」、漢字は違うけど「四部合唱」「シチブ」「七分袖」「七分粥」くらいしかないというのも、「シブ」「シチブ」と読まなくなってきた原因かも知れません。また、漢数字と和数字の読み方によって変わってくるのですが、和数字の読み方が廃れてきていることが「シブ」「シチブ」の読みが廃れてきていることと関係あると思います。
 
2005/4/17
 
(追記)

散りかけた桜の花を電車の中から見ていて、桜の咲き方と日本人のあり方について、こんなことを考えました。
「桜、特にソメイヨシノの花って、ワサーッと集合していて、一輪の美しさではなく全体の華やかさで美しいと感じさせている。マスゲームや人文字、甲子園の大観衆が与えてくれるのと同じ種類の”感動”を持っているのではないか。菊(キク)やチューリップも、花は大きいけど基本的に同じ要素を持っているように思う。(もちろん菊やチューリップは一輪だけでも美しいと感じさせるものもあるが。)これに対して、例えばユリは孤高。たくさん集まっても『集団』というものを余り感じさせない。バラは、花束の時はやや集団的。バラ園で咲いているときは、葉っぱや茎の占める割合が多いので、それほど『集団』を感じさせないが。桜は『花が密集している』あたりに『集団』を感じさせるのだと思う。そんな桜が好きという日本人は、人と人のあり方にもそれが反映されているのではないか。」
そんなことを考えました。
 
2005/4/18



◆ことばの話2151「桜の数え方」

造幣局の桜の通り抜けが、今年も4月13日から始まりました。その中継に出たYアナウンサーから、中継前に電話がありました。
「道浦さん、桜の花は『一輪』と数えていいんですかね?『一輪に花びらが何十枚も付いている』と言いたいんですけど。」
「ん?桜の花の数え方か。あ、ちょっと待って。」

と言って、『数え方の辞典』(飯田朝子・町田健、小学館)を引いてみると、とてもたくさんの数え方が載っていました。

「本、株、木(ぼく)、樹(じゅ)、個、輪(りん)、房(ふさ)、つ、枝(えだ)、枚(まい)、片(ひら)、片(へん)、朶(だ)」

と、なんと、13種類もの数え方、助数詞が並んでいたのです!その説明を読んでみると、
「樹木を雅語的に数える『木』『樹』を用いることもあります。桜のつぼみは『個』、個々の花は『輪』『個』、数輪まとまっているものは『房』『つ』、花のついた枝は『枝』で数えます。花びらは『枚』、散って風に舞う花びらは『片』で数えます。『朶』は木の枝が垂れ下がっているという意味で、花や雲の塊を雅語的に数える語です。花弁が幾重にも重なっている桜は『八重桜』といいます。」
とのこと。ということは、Yアナの言うように、ここは
「一輪」
で良さそうですね。
その後の桜中継は、うまくいきました。

 
2005/4/17