◆ことばの話2090「ICの読み方」

英語の得意なWアナウンサーから、お昼のニュースの前に質問の電話です。
「ICカードのIC、アイシーと読まなきゃいけないんでしょうか?アイスィーと読んでもいいですか?」
彼女にとってはこの発音、以前からとっても気になすそうなんです。彼女としては、ベタな日本語読みの「シー」とは読みたくない。「スィー」と読みたいと。
でもなー、アルファベットの読みだけ言語の発音でやると「浮く」しなあ。こないだNHKの「BS2」のコールを、女性アナウンサーが、「ビーエス・ツー」ではなく、
「ビーエス・トゥー」
と読んでいたのがちょっと気になったということもあったしなあ。それと似てますね。
結局、今回はどうなったかと言うと、
「あまり英語っぽさが鼻につかない程度になら『アイスィー』と読んでも良い」
ということに。ニュース後、Wアナから、
「どっちで読むか、早く決着つけてくださいね。今後もっと出てきそうですから」
と言われたので、
「アイ・スィー」
と答えておきました。その後、Sアナウンサーに「どっちかな?」と聞いたところ、
「シーでしょ。だって、このアルファベットは日本語として使われているんだから。、外来語と一緒ですよ。日本語の発音でいいはずです。そんなこと言いだしたら、外国人の名前も全部現地の発音ぽく読まなくてはいけなくなりませんか?アルファベットの読み方だけ例外というのはないでしょう。」
とのこと。なるほど、なるほど。納得しました。そう言えば、
「タマゴのLサイズ」
と言う時に、「L」は普通に「エル」と言いますよね。これを、
「エルゥ」
というふうに英語発音は、しないですよね。アルファベットだからと言って英語かというと、これだけ日本語の中に取り入れられていれば、もう日本語・・・・というか日本語風の読み方で良いということでしょう。
特に、日本語になじめばなじむほど、日本語風の読み方が定着していくということですね。逆にまだ定着していない時には、英語風の発音が聞かれるということではないでしょうか?
この説明にWアナは納得していないようで、
「じゃあ、経営最高責任者のCOOとかも『シーオーオー』ですかあ??」
と言っていましたが、日本語と定着すれば、そういうことになるでしょうね。

2005/2/21


◆ことばの話2089「2007年問題」

2月19日の日経新聞夕刊1面のコラム「あすへの話題」で、ノンフィクション作家の後藤正治さんが「壊し屋世代」というコラムを書いていました。その書き出しが、
「二〇〇七年問題という言葉を耳にする。団塊世代が六十歳の定年を迎えはじめ、社会への影響、少なくあるまいという予測である。」
そうそう、数か月前に私も初めてこの「2007年問題」という言葉を目にしました。
「西暦+問題」
というのは、5年前に、
「2000年問題」
というのがありましたが、それは全世界の問題で、今回の「2007年問題」は日本固有の問題という違いがありますがね。後藤さんは、
「一説によれば、団塊世代が死に絶えた暁には年金問題もかなり改善されるそうだ。」
と書いていますが・・・「ニート」の問題でも、ニート世代の親の世代である「団塊の世代」が叩かれていましたが・・・荷宮和子さんも著書できつく叩いてたなあ。
で、この「2007年問題」ってネットではどのくらい使われているか、GOOGLEで検索(2月19日)すると・・・なんと、
「2007年問題」=1万0100件
もありました!
ネット上では、かなり問題になっているようですね。でもまだあまり、目にしたり耳にすることはないと思うのですが。私だけ?
また、気にするようにしておきます・・・と書いたのですが、スクラップを整理していたら、去年の8月20日の朝日新聞「三社三論」という大きな特集記事で、
「2007年 団塊リタイア」
について取り上げていました。日本総研主任研究員の山田久さん(1963年生まれ)、社会学者の見田宗助(むねすけ)さん(1937年生まれ)、漫画家の弘兼憲史さん(19447年生まれ)がそれぞれ意見を述べています。
それによると、「団塊の世代」は、第二次大戦後の1947年〜49年生まれのことで、60年代末から70年代初めにかけては「全共闘世代」として学生運動の中心であり、(「いちご白書をもう一度」のように)就職後は「会社人間」に変身して高度経済成長の原動力になったと。
この世代に近い54歳から56歳の層は総務省の人口推計では683万人と日本の全人口の約5%を占めるそうです。それだけの層が一時(いっとき)に「引退」する影響は無視できず、これが「2007年問題」と呼ばれているんだそうです。
団塊の世代は、実は一番賃金の高い世代でもあるので、企業にとっては人件費が大幅に減ることを意味している、と。ただ、中長期的に見ると、これらの人たちの購買力が下がるので、企業の売上高が減るということにもつながるというのです。また、この「団塊の世代」=第一次ベビーブーマーは、実は日本だけの話ではなくて、欧州でのベビーブームは日本を上回るものだったそうです。だから2007年問題は、世界的・同時的な広がりを持つものだということです。
この世代にあたる弘兼さんは、
「良い意味でも悪い意味でも、僕らの世代はトレンドを作っていく世代です。迷惑をかけない範囲で自分を楽しむ、新しい『老後』をつくっていきたい」
と話しています。
2005/2/21

(追記)
3月3日の朝日新聞朝刊に、こんな見出しが。
「団塊世代よ、帰れ島根へ」
「大量退職時期控え、知事が手紙」

島根県の澄田信義知事が「定年後、ふるさとで暮らしませんか」としたためた手紙を県出身者に送ったという記事です。対象者は2万5000人。団塊世代が増えると高齢化が進む懸念がありますが、県は「老人医療や介護保険の負担増より、人口増による国の地方交付税増加分が上回りプラスになる」と試算。担当者は、
「60代は山間部ではまだ若いと言われる世代です。」
そうなんだろうけど、ねえ。
2005/3/3


◆ことばの話2088「どしどし」

テレビ番組で、
「おハガキ、どしどしお送りください」
と言っているのを聞いて、
「『どしどし』って何?」
とふと思いました。「どしん、どしん」から来ているのかな?いわゆる「擬態語」でしょうか?(「どしん、どしん」は擬音語だろうけど。)
それを頭の片隅に残している間に、今度は似たような言葉で、
「じゃんじゃん」
という言葉もあることに気づきました。
どう違って、どう一緒なんだろう?
『新明解国語辞典』で「どしどし」を引きました。
「どしどし」=(1)足音を立てて騒騒しく歩く様子。(例)「廊下をどしどしと通っていく」(2)次から次へと目ざましい勢いで何かが行われる様子。(例)「どしどし意見を出してください」「どしどし応募する」
とありました。この2番目の意味ですね、「どしどしお送りください」は。で1番目の意味から考えるともともとは擬音語のようで、どちらが先かはわからないけど「どしどし」と「どしんどしん」は関連がありそうです。「どしどし」の強調形が「どしんどしん」かな?
一方、「じゃんじゃん」はどうでしょうか。
「じゃんじゃん」=(鐘などが勢いよく続いて鳴る形容)勢いづいて、同じ事が続けざまになされる様子。(例)「じゃんじゃんと申し込みが有る。」「雨がじゃんじゃん降る」「じゃんじゃん酒をもってこい」
ということで、「どしどし」と「じゃんじゃん」は、やっぱり似たような意味で、似たような使われ方をしていますね。でも・・・微妙に違うな。
たとえば、「じゃんじゃん飲めよ」とは言っても「どしどし飲めよ」とは言わないですね。重量を感じさせるのが「どしどし」。踏み鳴らすのだから。一方の「じゃんじゃん」は程度の激しさを表しているようですね。一部重なっているという表現は、なかなか使い分けが難しいですね。
2005/2/24


◆ことばの話2087「ブログ」

既に少し、平成ことば事情2057「ブロガー」に書きましたが、最近新聞紙上でも
「ブログ」
が話題になっているので取り上げます。特にアメリカにおける「ブログ」が社会に影響力を持ち始めて、
「ブログはジャーナリズムか否か」
という問題になっているそうです。最近の新聞記事から拾ってみましょう。

2月13日の読売新聞、ニューヨークの大塚隆一記者の報告によると、CNNのニュース部門の最高責任者イーソン・ジョーダン氏(44)が2月11日突然辞任。イラク駐留軍の米軍を巡る発言がきっかけですが、追いつめたのはインターネットのホームページの一種「ブログ」だったと記しています。この記事の中の「ブログ」の解説には、
「ウェブログの略称。日記風のホームページで、手軽に開設でき、だれでも書き込みが可能。ブログ間の行き来もでき、情報を一気に集めたり、広めたりできる。人気ブログの読者は一日数十万人規模で、米国の中堅紙並みだ。」
とあります。イーソン・ジョーダン氏は、1月27日に開かれたダボスでの世界経済フォーラムの討論会の席上、「イラクで死亡したジャーナリストの何人かは米軍が狙って殺した」とも取れる発言をし、すぐに撤回したとのこと。内容は非公開でしたが、漏れ伝わった発言に反発した人たちが「イーソンゲート・コム」というブログを開設し、
「命をかけている米兵に根拠のない主張をするのは許せない」
として、ほかの20以上のブログと連携しながら、参加者から得た情報を持ち寄って同氏を追及したということです。
2月17日の朝日新聞は、
「傷だらけの米メディア、降板劇とお抱え評論家」
と題して、3月9日に24年務めた「CBSイブニングニュース」のアンカーを降板するダン・ラザー氏を取り上げ、CBS会長の、
「一人のアンカーが『神の声』を放つ時代ではない」
という発言も載せています。そして、
「最近は大アンカー制が行き詰まっている」
「ネットワーク(日本のキー局)が弱体化する一方で、爆発的な情報伝達力で既成メディア批判をする『ブログ』(ネット上の「日記」)などの新参者もあらわれた。」
と記しています。
そして2月18日の産経新聞には、
「米メディア界にブログ(日記風HP)旋風」
という大見出しが。
この記事によると「ダン・ラザー氏がキャスターを降板することになった理由もこのブログの情報発信である」と書いています。また、CNNのイーソン氏辞任直後の2月11日夜には、
「読者、コメンテーター、ブロガーの皆さん、ありがとう。これはこの国に立派に奉仕しているすべての兵士の勝利です。」
という書き込みがあるブログに行われたそうです。
記事によると、アメリカのNPOが1月にまとめた調査では、ネット利用者の27%がブログを読み、7%が自らのブログを運営もしくは作成しているとのことで、中には数十万人の読者を持つブログもあるそうです。また、昨年7月の大統領選挙・民主党全国大会では、一部のブロガーにも記者証が与えられたとのこと。
ブログがアメリカでここまで浸透した理由としてブログ研究家のハラバイス・ニューヨーク州立大学助教授は、2001年のアメリカ中枢同時テロの影響と、ブログが持つ対話性を挙げています。ニュースについて対話し情報交換をすることを満たす新しいメディアとして、ブログがその要求を満たしたのが原因と見ているのだそうです。
そして、「ブロガーがジャーナリストかどうか」については意見が分かれ、元・雑誌編集者のブロガー、ジェフ・ジャービス氏は、
「ブロガー全員がジャーナリスト」
と主張するのに対して、ハラバイス助教授は、
「ブログが誤った情報を発信して広めても、読者は『ブログだから』と気ににしないし、責任が問われることもないだろう。責任を負うことのない発信は、報道と言えるだろうか」と疑問を投げかけています。また、米・フロリダ州は報道機関(記者)に取材源の秘匿を認めた「守秘権法」をブロガーには適用しないことを決定し、既存メディアとブログを区別する動きも出てきているそうです。
日本では、まだそこまでブログやブロガーの存在感は、アメリカほど高くはないようですが、遅かれ早かれ、そういう動きが出てくるのではないでしょうか。今後、注目ですね。

2005/2/19

(追記)

3月17日に毎日新聞「記者の目」で「ライブドア堀江貴文社長への反論」という意見記事を社会部の渡辺雅春記者が書いています。その中で渡辺記者は、
「堀江社長も『(新聞は)取る必要もない。携帯とネットのニュースサイトで十分だ。』と言う。だが、ニュースサイトの情報を提供しているのは新聞などの既存のメディアだと言うことを忘れているのではないか。」
と書いています。そうだよな。わざと忘れたフリをしているのかな?また渡辺記者は、「ブログ」に触れている部分もあります。
「インターネットもジャーナリズム的昨日をになう可能性はある。注目されるのはウェブログ(ブログ)だ。(中略)ブログが発信した情報からCBSテレビの誤報が明らかになり、幹部が辞任した。影響力を持ち、多種多様な意見の交換が可能なブログには、一種の世論形成機能もある。しかしながら、組織的、継続的に社会をウォッチし、報道を続けることがブログでは不可能だ。情報を集め、裏付けを取り、その事実が社会にどのような影響を与えるのかを考慮して報道するのは、訓練を積んだプロのジャーナリストでなければできない。社会は倫理観と責任感を持ったジャーナリズムを必要としている。そう信じる。」
そして大きな見出しの文字は、
「調査報道は新聞の生命だ」
「ブログに使命感あるのか」

と挑戦的です。引用が長くなりましたが、渡辺記者が「そう信じる」と結んだ部分は、たしかにそのとおりだと思います。しかし、今、ブログのようなメディアが出てきた一因は、渡辺記者が「社会は・・・・必要としている」といった資質を、既存のメディアが十分に持っていると言えなくなってきているからではないか、という危惧も感じます。マスメディアの中に身を置くものの一人として、自戒の気持ちも込めて、そう感じました。

2005/4/7
(追記2)

3月28日、朝日新聞夕刊に、
「厳しすぎる?先生の悪口ブログに 仏で中高生8人退学」
という見出しが出ました。その記事によると、
『日記形式のウェブサイト「ブログ」に教師の悪口を書いていたとして、フランス各地で中高生8人が退学処分になっていたことがわかった。AFP通信など仏メディアが伝えた。』
とのことで、自分のブログに教師のことを「卑怯者」などと書いた生徒や、教師の隠し撮り写真・似顔絵を中傷コメントと一緒に載せた生徒ら8人が退学させられたとのことなんです。ブログは、フランスでは中高生に爆発的人気で、約150万人がブログを作ったり日常的に書き込んだりしているとのこと。フランスでは高校一年までが義務教育なので、退学になっても別の学校に通うことはできるそうですが、父母からは「厳しすぎる」という声も出ているそうです。
新しい形の「ブログ」というメディア、今年はさらに話題を呼びそうです、いろんな意味で。


2005/4/8
(追記3)

「ブログ」の言い換え・・というか説明に関して、10月20日の日経新聞は、
「ブログ(日記風の簡易型ホームページ)」
としていました。ちょっと長いですが、しょうがないかなあ。

2005/10/20
(追記4)

共同通信のMさんから、
「毎日新聞は『ブログ(ネット上で公開されている個人の日記風のサイト)』」でしたよ。」
と教えていただきました。ありがとうございました。

2005/10/20
(追記5)

2006年6月16日の産経新聞1面に、産経新聞グループの新しいウェブサイト「iza(イザ!)」β版の運用が始まった、とありました。「イザ!」は、
「新聞社のニュースサイトを個人のブログ(日記風サイト)を本格的に融合した、新聞系サイトの進化版「新聞2.0」です。」
と説明してあります・・・がようわからん。まあ良いか。その見出しが、
「記者とブルグる情報サイト」
ブログをすることを
「ブログる」
と言うのですね。Google検索では(7月13日)、
「ブログる」=24万2000件
もありました。そう言えば「Googleで検索すること」は、
「ググる」
と言うんでしたもんね。ブログってもおかしくないか。(平成ことば事情1724「ググる」をご参照ください。)
2006/7/13



◆ことばの話2086「レッツらゴー」

去年の大晦日の話です。うだうだとテレビを見ていて年越しをしてしまいました。
TBSの深夜の歌番組で、タレントのベッキーが、バスから降りるミュージシャンを急き立てるために言った一言が耳に残りました。
「レッツラゴー」
え?これって、古いギャグだよねえ。もう死語だと思いますが。数年前にYアナウンサーが使っているのを耳にしたことがありましたが、そのときに彼女は、
「若手のお笑いコンビが使っているのを聞いて、マネをした」
と言ってましたが。その後、まったく耳にしなかったものです。なぜベッキーが?親が使っていたからでしょうか?
GOOGLEで検索してみました。(2月19日)
「レッツらゴー」= 601件
「レッツラゴー」=5470件

全部カタカナの方は、結構使われていますねえ。ビックリ!
でもこの言葉・・・以前に取り上げたことがあるような気がするんだよなあ。検索しても出てこないんだけどなあ・・。

2005/2/19

(追記)
わたくし、冒頭に出てきた女性タレントの名前は、
「ビッキー」
だと思っていたことを、ここに告白します。正しくは「ベッキー」だったのですね。良かった、ネットにアップする前に気づいて。ご指摘くださった三浦アナウンサー、ありがとうございました。

2005/2/21
(追記2)
川崎市の西尾さんから、
「昭和40年代に、赤塚不二夫のマンガで『レッツラゴン』というのがあった」
というメールをもらいました。そうそう、あったあった。これも以前書いたような気がするんだけどなあ・・・。

2005/2/28
(追記3)
「レッツらゴー」は生きている!
2008年6月9日の午後11時過ぎ、帰宅途中に耳にしました。
家の近くのショッピングセンター内にあるカフェが、この時間(夜中)に簡単な改装工事か電気系統のチェックをしていたのですが、その店に作業に向かう 30代半ばから後半と思しき体格のいいお兄さんが、後ろをついて来る後輩と思しき男に、
「レッツらゴー、レッツらゴー。」
とつぶやくように2回言うのを耳にしたのです。それはまるで、
「えっちら、おっちら」
のような軽い掛け声なのでした。
2008/6/10
(追記4)
もしかしたら、流行っているのかな、ひそかに「レッツらゴー」が。
7月3日朝、NHK教育テレビの幼児番組『いないいないばあっ!』を、娘(3歳)と見ていたら、犬の着ぐるみの「ワンワン」が、「ぐるぐるドッカーン!」という曲の前に、
「レッツらゴー」
と言っていました。
2008/7/5
(追記5)

昨夜、子どもたちと遊んでいたら、3歳の娘が、
「レッツらゴー」
と言ったので、驚いて、
「どこでその言葉を覚えたの?」
と聞くと、
「保育所で」
さらに小5の息子が、
「エドはるみが言ってるで!」
との証言を。知りませんでした。そんなところで使われているとは・・・。子どもの意見も聞いてみるものですね。
2008/7/7
(追記6)

最近、エドはるみ、見ないですね・・・。
横山秀夫の処女作・・・って最近は言わないんですよね、デビュー前に書いた小説『ルパンの消息』、文庫で出たので読みました。友人のY君から勧められて(と言っても彼は、「あまりおもしろくなかった」と言っていたのですが)。その中に、「レッツらゴー」が出てきました。
『「レッツラゴー……」竜見が精一杯おどけてみせたが、その声は見事にかすれた。』(129ページ)
舞台は、1990年。さらにそこからさかのぼること15年というところ。1980年代半ばですね。そういう舞台設定で出てきました。「精一杯おどける言葉」としての使われ方です。
2009/6/9