◆ことばの話1885「mizkan」

最近、唐沢寿明が出ている「味ポン」のコマーシャルを見ていると、最後に出てくる企業の「ミツカン」のマークが、
「mizkan」
と、「ツ」にあたる部分のローマ字が「tsu」ではなく「z」になっているのに気づきました。いつからこうなったんだろう?と思い、ミツカンのホームページを見てみると、・・・やっぱり今年の6月1日から、
「ミツカンからmizkanへ」
コーポレートシンボルの変更を行なっていたのでした。そのテーマは「伝統と革新」。ホームページによると、
『アルファベットで構成されるロゴは、新しい時代に、新たな目標に挑戦していくミツカングループの、変革と挑戦への強い意志を示しています。
“mitsukan”を“mizkan”とすることで、一目で“形”として認知できるようにすると共に、真ん中に置いた“z”には、「究極」「挑戦」、「Zymurgy(醸造学)」の意味を込めました。
買う「身」、「未」来、「魅」力、さらには「味」「水」「実」「深」などミツカングループと関わりの深い“mi”の書体を違えることで意図的に際立たせ、深い意味を託しました。200年の伝統を守りつつも決してそこにとどまることなく、常に変革と挑戦を繰り返すことで未来に向かっていく私たちの新しい旗印として、デザインされました。』

とのこと。そういえば「mi」は、ほかの文字よりも太いですね。
真ん中に置いた“z”には、「究極」「挑戦」の意味とともに、
「Zymurgy(醸造学)」
の意味を込めているのですか。深いですねー。居眠りの「Z」ではないのですね。
「ザイマジー」。『デイリーコンサイス英和辞典』を引くと、なんとこの「zymurgy」は、一番最後に載っている単語でした。「z」で始まる英単語で知っているものなんて、
「zoo」と「zigzag」
ぐらいしかなかったですから・・・。
それにしても3文字”tsu”よりも、1文字で”z”の方が、たしかに人の目を引くし、インパクトもあると思います。200年の伝統がある企業が、21世紀に新たなる100年を生き抜いていくための、地味だけれども地に足の付いたデザイン変更という気がしました。

2004/9/10



◆ことばの話1884「みたよな」

『ヤスケンがえらぶ名作50選〜乱読すれども乱心せず』(安原顕、春風社:2003、3、30)という本を読んでいたら、宇野千代『おはん』の中に、
「小説みたよな」
という一説があると書いてありました。意味は、
「小説みたいな」
ということでしょうが、そうすると「〜みたいな」という言葉は、
「見たような」→「見たよな」→「みたいな」
と変化してできた言葉なのか?という疑問が生じました。
そこで、インターネットの掲示板「ことば会議室」に書き込みをしたところ、

「はい、そうです。『〜をみたような』から変わってきたことが判っています。」

と、大阪大学の岡島先生から返事をいただきました。やっぱりそうだったのか!目からウロコですね。さらに、

「もしそうだとすると、
『よ』→『い』
という音韻転換が起きたと考えていいのでしょうか?そういった例は、ほかにもたくさんあるのでしょうか?」

と問いかけると、

「『そ(ん)なような』→『そないな』
『そがような』→『そがいな(→そげな)』
といった例があります。」

という答えが返ってきました。
「そないな」「そがいな」「そげな」は、どれも方言(関西弁)のニュアンスがありますね。でも「みたいな」にはありません。なぜでしょうか?と、さらに問うと、

「『そないな』『そがいな』のような言い方は、西日本を中心に起こったのに対し(東北の一部にもあると思います)、「みたような」は東京で起こったからでしょう。
「よう」→「い」は、他に、さようなら→さいなら、もありますね。これは東京も含めて全国的だと思います。」

と答えてくださいました。今はそれが当たり前、と思っている「みたいな」という言葉も実は「見たような」から変わってきたのだということを知ると、改めて
「言葉って変わっていくものだなあ。」
と改めて強く感じましたね・・・みたよな。

2004/9/9



◆ことばの話1883「しでかしそうだ」

「とんでもないことをしでかしそうだ」
というアテネオリンピックでの水泳の実況のコメントについて、日曜昼の番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、レギュラーパネリストの政治評論家・三宅久之さんが、プンプン怒って、
「しでかすというのは、悪いことをするのを言うのであって、金メダルを獲るというすばらしいことに使うのはおかしい!」
と力説されてました。そのとおりです。私もそう思います。ただ、わざと間違った使い方をするというのは、そこに生じる違和感から、「強調」のためのテクニックでもあることを付け加えておく必要はあるでしょう。それでも、聞く人にとって「強調」の効果よりも「違和感」が上回ってしまえば、その言葉の使い方は失敗だったと言えると思いますが。
「あさイチ!」の放送が終わって、出演者やスタッフが引き続き「ズームイン!!SUPER」を見ていた時に、アナウンサーが巨人の現状について、
「もう絶対に負けられない試合」
という表現を使いました。見ていたスタッフから失笑が起こりました。
「もうこれまでに、なんべん『絶対に負けられない試合』があってん」
という笑いです。一緒に聞いていた川藤幸三さんが、
「アナウンサーもな、考えて、もの言わんとアカン。あれは開幕戦やったと思うが、試合が終わったあとにアナウンサーが、『この1勝は大きいですね』と言いおったんや。なーにをゆうとんねん、140試合の最初の1試合が終わっただけやないか!何が『この1勝は大きい』やっちゅうねん」
そうですねえ。よく笑い話で、開幕戦で3本ホームランを打った選手についてのコメントは、
「このペースで行くと、今シーズンは420本はいきますね」
というのがありますが、そんな笑い話を、本気で言うと、やはり
「アホちゃうか」
と思われてしまうでしょうね。気をつけましょう。

2004/9/9
(追記)
アテネ五輪・水泳女子800メートル自由形で金メダルを取った柴田亜衣選手のゴール直前に「しでかしそうだ」と言ったのは、テレビ朝日の森下桂吉アナウンサー(1982年入社)。その同じテレビ朝日の先輩である吉澤一彦アナウンサー(1977年入社)が、『放送文化・2004年冬号』の「放送と言葉」というコラム欄で「言葉は生きている!」と題して、そのいきさつについて書いていました。吉澤アナが、帰国直後の森下アナに「取材」したところによると、「世界ランク1位の山田沙知子選手の影に隠れて、柴田選手はそれほど目立つ存在ではなかった」と。また、アテネの予選でも3位に着けていたものの、「400メートルで金メダルを取った優勝候補のフランスの17歳の選手がいたことなどから、森下アナウンサーも、柴田選手はメダル圏内ではあるものの金メダルまでは届かないだろうと予想していた」と言います。それが、「もしかしたら・・・」と思ったのは、「残り25メートルを切ってから。10メートルを切ったときには身体中に戦慄が走ったそうだ。そのときに浮かんだ言葉は『大変なことを成し遂げそうだ!』。しかしそんな上品な言葉では表現し切れないと思った瞬間、例のセリフ『大変なことをしでかしそうだ!』と叫んでいたのだ。」
そういうことだったのですか。貴重な「真情」の吐露が記されていますね。こういった森下アナの心の動きとそれに伴う「言葉」について吉澤アナは、
「言葉の使い方からすればたしかに不適切だったかもしれない。しかし、あの表現は日本国中の気持ちを共有したオリンピック史上に残る素晴らしい実況であったと私は思っている。やっぱり言葉は生きものだ!」
と、述べていました。
2004/12/1



◆ことばの話1882「『けれども』のアクセント」

9月8日、NHKのBSの男性キャスターが発した言葉「けれども」。そのアクセントが、
「けれども(HLHL)」
音階で言うと、
「ファレソド」
というものでした。「け」と「ど」の2か所にアクセントの「山」があります。
「山・谷・山・谷」
というアクセントです。2回目の「山」が、1回目より若干高い。この「けれども」というアクセント、わが読売テレビの解説委員・辛坊治郎氏もよく使います。
しかし、普通の「けれども」は、
「けれども(HLLL)」
と「け」だけが高い「頭高アクセント」で、音階で言えば、
「ソドドド」
ですね。しかし、「け」と「ど」の2か所にアクセントの山を置くことによってより逆説の意味を強めることができます。これは「アクセント」ではなく、
「イントネーション」
と言うことができると思います。
たしかに2か所のアクセントの山が「けれども」を強調するのですが、使いすぎると鼻につくし、その強調の効果も薄れます。効果が強いものほど、その効果が薄れて飽きるのもまた早い、そういったことも頭に入れて、効果的に時々使うのがいいのではないでしょうか。


2004/9/9

(追記)
11月16日、拉致議連の平沼赳夫会長が、
「申し上げるのは難しいんですけれども、・・・」
と言っていた、その語尾の「けれども」が、
「けれども(HL・HL)」
と、2つの山を持つ形のアクセントでした。政治家はよく使うような気がします。これを使うと、
「ちょっと偉そうな感じ」
がしますね。偉そうな雰囲気を出したい時に、一度是非使ってみてください。
2004/11/28

(追記2)
やっぱり!政治家は「けれども(HL・HL)」が好き!
鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)参議院議員が、11月28日放送の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」の中で、11月23日の「勤労感謝の日」は勤労者の勤労に感謝するのはいいが、もともとこの日は「新嘗祭」だったのだ、ということを言う時に、
「それはそれで、いいけれども(HL・HL)」
と言いました。相手の言うことをさえぎり、かつ「相手の言うことを否定することを、これから言うぞ!」という時に、この「けれども」は出てくるのです。「逆説の強調」です。相手の言い分を一応取り込んでおいて、それを否定するしゃべり方、ですね。
2004/11/28


(追記3)
10月8日、アスベスト問題に関するNHK特番で、尾辻厚生労働大臣が、
「さきほど専門家の先生もおっしゃってました“けれども”(HLHL)」
というアクセントで話していました。やはりこれは政治家アクセントなんでしょうかね?
2005/10/13


◆ことばの話1881「患者様3」

先月(8月)末の日経新聞で「患者さま」に関するコラムを見つけたので、平成ことば事情933「患者様2」の追記を書いたのですが、それで「患者」という言葉に敏感になっていたからでしょうか。今朝、駅の売店で、
「医者の言葉、患者のことば」
という、雑誌の特集の文字が目に付いたのでその雑誌『論座』(2004年10月号、朝日新聞社)を買いました。780円ちょっと高い。
さてその特集のページに目をやりますと、2人の医師の対談が冒頭に来ていてその対談のタイトルが、
「患者を『患者さま』と呼ぶよりも・・・」
とあるではないですか!ホラホラ、やっぱりこのことを書いてあるよと、すぐにその対談を読み始めました。
2人の医師のうち一人は、鳥取県で「野の花診療所」を開院している医師・徳永進さん、そしてもう一人は、アフガニスタンのペシャワールで、医療活動をしている医師・中村哲さんでした。中村さんは、お名前だけは存じていました。その対談から「患者さま」に関する部分を抜書きすると・・・

(徳永)私の嫌いな言葉に「患者さま」というのがあります。「患者さま」と言わない病院は、日本ではかなり減ってきてるんです。
(中村)「患者さま」ですか?私は「さま」というのは初めて聞きましたね。それは卑屈じゃないですか。(笑い)
(徳永)受付のレジのところはお金が欲しいから銀行みたいに「さま」をつけるのはいいとしても、ふだんの呼び方でも「徳永さま、どうぞ」と言うんですね。「患者さま」という呼び方は、患者の本当の悩みと向かい合う気持ちがなくなったことをごまかす形骸化したものではないかと思って、すごく抵抗があるんです。
(中村)医療の商業化と関係があるような気がしますね。
(徳永)なぜ対等に「患者さん、どうされましたか?」と呼んで向かい合わないんだろうか、患者というのはいろいろあって、腹立たしい患者もあるし、言うこと聞かん患者もあるし、可哀想な患者もあるし、いろいろあるわけですよ。ぶつかってみないとわからないし、ぶつかって「こいつめ」と思いながら「これだけは守れよ」と言いたいこともあったりするわけです。「患者さま」と呼ぶと、あとを追っかけないことが多いんです。どうして言葉だけを丁寧にして、内容をおろそかにしていくのか。気持ち悪いなあと思っているんです。

と、日本で医療活動をしている徳永さんが「患者さま」という呼び方から透けて見える医療の現状と体質に疑問を投げかけています。一方の中村さんはアフガニスタンが拠点なので、そういったことはあまり感じないのでしょう。
その中村さんですが、「ハンセン病」という言葉・名称ではなく、「らい」と言おうとしているそうです。それについてこうも言っています。
(中村)このごろは論争する時間がもったいないこともあって「ハンセン病」という言葉を使っていますが、はじめのころは私の邪推、ひがみも多少あって、言葉さえ変えれば解決するような風潮が日本全体にあるように感じたんです。
(徳永)先ほどの「ジュザーム」でいくのもいいですね。
(中村)「ジュザーム」でもいいし、英語の「レプロシー」というのもふつうに使ってるわけです。言葉上で何かをごまかすということはない。そのあたりが日本の社会のみみっちさを感じるところで、ちょっとした「差別用語」に目を吊り上げたりするのはよくないんじゃないか。それよりも、らいの患者が差別を受けない状態をつくり出すことが大切で、そのこと以前に言葉の問題で終わっちゃう。それが非常に象徴的な気がしたわけです。

言葉・表現にとらわれるあまりに、病気と患者そのものに目が向けられていないことに対して、最前線の現場で戦っている医師としての不満が感じられます。それが、中村さんをして、言葉より手を動かすことの大切さを訴えようとさせているのではないでしょうか。
また、NHK放送文化研究所のホームページで、柴田実主任研究員が8月のコラム「見たり聞いたり ことばウラ・オモテ」で「神様・お客さま・患者様」というタイトルで書いていました。それによると、
「職場の先輩から「病院で『患者様』と呼ばれたが、あれは正しい敬称だろうか」と聞かれました。そういえば、患者様という表現は医療ミスのおわび会見で聞いたことがあります。「お客様」はなんら抵抗はありませんが「代理人様・被害者様・債権者様」などには「患者様」と同じような抵抗感があります。(中略)板橋区のある病院の駐車場には「患者・業者のかたがたは…」とあり、玄関には「患者様の駐車場は…」とありました。「患者様」の掲示が新しく見えるので、後から(医療費患者負担増のころか?)付けられたもののようで、「患者様」が比較的新しい表現であることがわかります。」
とありました。
「患者さま」をめぐる論争は、まだまだ続きそうです。
2004/9/9

(追記)

映画会社から試写会のご案内をいただきました。それによると、
「いらっしゃいませ、患者さま。」
という映画が、2005年6月に松竹系で全国ロードショーとなるそうです。
サブタイトルには、
「病院天国」「サービス過剰な大病院  目指せ売り上げNO、1」
と有り、どうやらコメディのようです。主演は渡部篤郎、原沙知絵、大友康平。チラシを見ると、「あり得ない?こんなサービス」として、
「薬の特急券」「口移しバリューム」「同伴CTスキャン」「ひざ枕点滴」
などの項目が。・・・・病院に怒られないのかなあ、この映画。

2005/3/31
(追記2)

家の近くのお医者さんの駐車場で、
「患者様専用駐車場」
という看板を見かけました。もうこれは、
「患者様」=「お客様」
という感覚と考えているわけですね。

2005/5/1
(追記3)

2008年8月24日の日経新聞「患者の呼び方」という特集記事(松本勇慈記者&古田 彩記者)が出ていました。それによると、
「病院や診療所で『患者様』という呼び方を見直す動きが広がっている」
とのこと。やはり「違和感がある」ことから、「さん」呼称に戻すケースが増えていることが具体的なケースとともに記されています。その背景には、
「モンスターペイシェント(怪物患者!)」
誘発したとの反省もあるようで、
「呼称を考えることが、患者と医療従事者の関係のあり方を問う契機になっている」
んだそうです。よしよし。
2008/8/25
(追記4)

2008年10月20日、検査で大阪の北野病院に行ったら、
「患者様各位」
という貼り紙の説明の中に、
「患者さん」
という表現がありました。また別の貼り紙は、
「患者さまへ」「初診の患者さまへ」
と。配布する紙にも、
「初診患者様へのお願い」
「患者様」を使っていました。
また、受付けの女性の呼び出しは肉声でも、
「青い番号札40番でお待ちの患者様」
と「患者様」を使っていました。
何年か前に立て替えられたこの病院、初めて中に入りましたが、地下から3階まで吹き抜けで、日差しが入ってエスカレーターで上の階に昇っていく感じは、
「ホテルかデパートみたい」
たしかに、
「バーゲンでもやっているのか?」
と思うほど込んでいました。そういう意味では「患者様」と言うのも、あながち間違っていないかな?と思いました。そして、番号札を取って受付のところで並び、帰りに精算する時は「ATMみたいな機械」に向かって一人で、機械に言われるがままに操作してお金を払うところは、
「銀行みたい」
でした。
2008/10/20
 
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