◆ことばの話1850「天王山」

先日、アナウンス部の有志6人で京都刑務所の見学に行った時のこと。車で京都に向かう途中、名神高速道路の天王山トンネルが近づいてきました。
「天王山トンネルも、トンネルが2つできてから、最近は混まなくなったよな。」
という話の流れで、ふと思いついて、Aアナウンサーに聞いてみました。
「天王山と言うと、何があったところだい?」
と聞くと、きょとんとした顔をしています。Sアナが、
「ほら、よく比喩で使うだろ、『天下分けめの天王山』って。」
と言っても、まだ、きょとんとしているので、
「比喩ってわかる?『たとえ』だよ。」
と言うと、
「それはわかりますよお!」
と言ったあとに、
「『天王山のように』?」
って、ホラ、わかってないじゃないか!
「なんだよ、その『天王山のように』って。」
と言うと、また考えて今度は、
「『天王寺の変』ですか?」
ドテッ。
「それは『本能寺の変』だろが!」
いつのまにか「天王山」が「天王寺」に変わってるし。
「天王山」で何があったか、どのように比喩で使われているかも知らないことが判ったので、Wアナウンサーが携帯していた電子辞書を貸してやって、それを引くようにと言ったところ、一生懸命調べていました。
さて。
刑務所の見学が終わって帰りの車の中で、刑務所の感想を、みんなで言い合っていました。
「思ったより町の中にあるんだなあ。」
「塀の『中』、塀の『外』、という感じは実感できましたね。」
「けっこういい生活ですよね。」
「あれも税金なんだよな。」
「やはり、矯正・教育するためには、ある程度、環境を良くしないといけないということですかね。」
「そうだねえ。『衣食足って礼節を知る』って言うからなあ。」
ここでまた思いついて、Aアナに、
「『礼節』って、わかるか?」
「レイセツ?レイセツってなんですかあ?」
「本当におまえはレイセツを知らないヤツだなあ。」

と、なんだかしゃれにならないことで終わってしまいました。

2004/8/5



◆ことばの話1849「班長」

小学一年生の息子の身長はそれほど高くはありません。クラスの中でどのくらいなんだろうか?と思って、
「クラスで並ぶ時は、真ん中?それとも前の方?」
と聞いたところ、意外にも、
「一番後ろ。」
とのこと。
「へえ、そんなに背が高いの?」
と聞くと、
「ううん。班長は一番後ろやねん。」
ということです。クラス全員で並ぶのではなくて、班ごとに並ぶようです。
「へえー、班長なんや。班長は一番後ろなの」
と言うと、
「うん。リーダーは一番前。」
と答えるではないですか!
「ちょっと待って。班長とリーダーがいるの?」
「あと、キャプテンが2番目でその後ろが船長。」

キャプテン・・・Jリーグかっ。船長って・・・おいおい、一体何を言ってるんだ?
「キャプテンは2人いるねん。」
どうやら、みんな、なんらかの「役職名」があるようです・・・。
「副班長とかサブリーダーはいないの?」
「いない」
「・・・で、班長さんは何をやるの?」
「プリント、配んねん。」
「・・・じゃあ、船長さんは何をするの?」
「みんな、おなじ。先生に呼ばれた時、にプリント配んねん。」

うーん、今の教育は大丈夫なんだろうか・・・・・。

2004/8/5



◆ことばの話1848「洛西」

(ああ、随分ほったらかしにしていました。)
4月12日の「ニューススクランブル」のお天気コーナーで、お天気キャスターの大浦さんと小谷さんが二人連れ立って京都へ取材に行った模様が放送されました。北野天満宮のすぐ横にある、平野神社という神社周辺です。
その際に大浦さんが、
「この神社は洛西(らくさい)の守り神なんです」
というようなコメントがありました。これを聞いていたHアナウンサーが、おや?という顔をしました。どうしたの、と聞くと、
「ラクサイ・・・ですかあ。『らくせい』じゃあないんですかね。」
と言うなり、辞書を引いて、
「やっぱり!『広辞苑』には『らくせい』しか載っていませんね・・・『日本国語大辞典』にも『らくせい』しか載っていません。」
とのこと。たしかに辞書を引くとそうなっています。
「でも、『洛西(ラクサイ)ニュータウン』は『ラクサイ』だろ。」
「それは洛西ニュータウンとその周辺だけじゃないですかね。京都の西という意味では『らくせい』じゃあないんですか?」
「そうか、たしかに、洛中(ラクチュー)・洛南(ラクナン)・洛北(ラクホク)・洛東(ラクトー)とくると、洛西(らくせい)かもしれないね。」

ということで、実際に取材に行った小谷キャスター・大浦キャスターと取材ディレクターのO君に事情を聞きに行きました。すると、
「平野神社の宮司さんが、『ラクサイです』と断言していたので、そのまま放送した」
とのことでした。
でも、そもそも平野神社は「京都市北区」にあり、それも中心部に近い位置なので、「洛西」が「ラクサイ」でも「らくせい」でもなんかイメージと合わない(つまり京都の「西」と言っていいのか?という問題)という話まで出てきました。
結局、もう一度、平野神社に電話してディレクターが確認したところ、京都市北区平野鳥居前町、北区上長目町・堀川町、北区紫野西土居町、北区旧土居町2丁目、3丁目、北区大宮土居町、上京区寺町広小路上る北之辺町、上京区馬喰町、中京区西ノ京原町を結ぶ、
「御土居(おどい)」
というものがあるそうです。これは、豊臣秀吉が京都の都市改造の一環として、洛中の防備と川の氾濫から市街地を守る堤防として築いた土塁で、その延長は22,5キロメートルにも及び、その「御土居」の内側を「洛中」、外側を「洛外」と呼んだそうです。「洛西」は当然「洛外」にあたり、その洛中の「西側」を指すので、平野神社はギリギリ「洛外」であり「洛西」に当たるというのです。
ということは、「洛西」と書いて「ラクサイ」という呼び名の方が古くからあって、より広い範囲を「ラクサイ」と呼んだのでしょうか?その後「ラクセイ」という読み方もできたのでしょうか?
結局、放送での「ラクサイ」という呼び方は間違いではなかったのですが、謎は深まったような気がします。

2004/8/3

(追記)

NHKの塩田雄大さんから、
「以前、『放送研究と調査』で『洛西』の読み方について書いてあるのを見たことがある。」と連絡があり、そのコピーを送ってくださいました。
それによると、平成6年(1994年)12月号の『放送研究と調査』で、「洛西」の(旧)の読み方は、
「ラクセー」
だけだったのが、この時から新しい読み方として、
(1)ラクサイ(2)ラクセー
としたとのこと。そこには、こう書かれています。
「『洛西』は従来、京都西部をあらわす地域名としては『ラクセー』を採用してきました。しかし、昭和47年に『洛西ニュータウン』が開発された時は『ラクサイ〜』となった上、昭和51年に西京区が誕生してからは『ラクサイ』が地域名として一般化し、学校や京都市の支所などもすべて『ラクサイ』に統一されています。もともと、京都西部をあらわす呼び方は『ラクセー』『ラクサイ』の両方がありましたが、地元では現在『ラクサイ』のほうが一般的です。したがって、京都西部をあらわす『洛西』の呼び方は、第1に『ラクサイ』を採り、従来の『ラクセー』も許容することにします。(中略)なお、『洛西ニュータウン』や学校名などの固有名詞の場合は『ラクサイ』を使います。」
というふうに、NHKさんではもう10年前に、そう決めていたのですね。
塩田さん、どうもありがとうございました。参考にいたします。

2004/8/6

(追記2)

阪急京都線に乗ったら、
洛西口」
という駅がありました。読み方は、
「らくさいぐち」
でした。

2005/9/11



◆ことばの話1847「怪しいやつに・・・」

子供がテレビで「ポケモン」の番組を見ていたので、一緒に見るとはなしに見ていると、「ディーエフ団」という悪者が出てきて、それに対して、これも悪者の「ロケット団」が、
「怪しいヤツ」
と言ったら、ディーエフ団が、
「怪しいヤツに怪しいと言われるほど怪しくない」
と、言いました。相手の言葉を逆手にとって、自らの正当性を訴える形ですね。この形って、「怪しい」の代わりに「バカ」など否定的言葉を入れれば、文型はOKですよね。つまり、
「バカなヤツにバカと言われるほどバカではない」
とか、
「不埒なヤツに不埒といわれるほど不埒ではない」
「卑怯なヤツに卑怯といわれるほど卑怯ではない」

など、
「○○なヤツに○○と言われるほど○○ではない」
という形なのですね。これ、結構使えるかな。(え?どこで?)
逆にこの「○○」に、肯定的な言葉を入れると、「謙遜」の表現になりますね。
「賢い人に賢いと言われるほど賢くない」
というような感じですね。あまり使わないでしょうが。「嫌味」にとられるかも。
ま、なんか、そんな言葉が気になったということで。

2004/7/31



◆ことばの話1846「天神祭」

Wアナウンサーが憤っていました。
「道浦さん、聞いてくれます?NNN24で、女性アナウンサーが『天神祭』を『てんじんサイ』って読んでいたんですよ。信じられへん!」
と、かなりご立腹。
「最近、天神祭のニュースを日テレがやらないから、知らないんだろうなあ、東京の人は。」と答えると、
「でも日本三大祭の一つですよ!今度、『神田祭』を『カンダサイ』とわざと読んだろか」
と、怒り静まらず。
私が会社に入った頃は「祇園祭」にせよ「天神祭」にせよ、もう「ゼヒモノ」で必ず中継をしたものでした。もちろん全国ネットでもローカルニュースでも。それがいつの頃からか、お祭りのニュースの中継をやらなくなってきたんですよねえ。
その原因の一つとして、天神祭のように広大な地域にひろがる祭は、テレビの、特にニュースの短い時間の中で表現するのは大変難しい、つまり絵になりにくいからではないかと思います。普通のお祭りだとおみこしがあったら、絵で捕らえやすいんですよね。そういう意味では「祇園祭」の方が、山や鉾があって、まだ絵になりやすいですね。でも人出や熱気は伝えにくい。「東北の三大祭」の方が絵になりやすいし、大阪で言うと、9月に行われる「岸和田のだんじり祭」の方が、ずっと絵になるんですよね。そういうふうに、「テレビが好むお祭り」しか取り上げなくなってくるわけです。こういう傾向は、今後ももっと進むと思うので、そういったことを割り引いて、というか勘案して、テレビは見なくちゃいけないと思いますね。これが「メディア・リテラシー」の一つだと思います。
でもそれとは別に、「天神祭」ぐらい読めるようにしとかないかんよ、アナウンサーやキャスターは!「常識」ですよ!

2004/7/31