◆ことばの話1840「ぐるり」

伊藤桂一さんの『悲しき戦記』(光人社名作戦記、2003,1,14)という本を読んでいます。去年、所属している男声合唱団で、この伊藤桂一さん作詞・高田三郎作曲の『戦旅(せんりょ)』という曲を歌ったのです。その時に、「伊藤桂一の世界」を知るためにこの本を買ったのですが、読まないまま過ごしてしまい、また戦争の思い出の月(8月)が近づいてきたので、読み出したのです。
その中で「おや?」っと、気になる言葉があります。
「ぐるり」
という言葉です。意味は、
「周囲」
ということだと思うのですが、最近はあまり使っているのを聞いたことがありません。
実は学生時代に歌ったことがある、詩人の草野心平さんの「蛙」にもこの「ぐるり」が出てきたのを思い出しました。伊藤桂一『悲しき戦記』に出てくる「ぐるり」を書き抜いてみましょう。
「銃声はおそろしく大きくぐるりに反響した」(27ページ)
「ぐるりの連中は、そのとき、さびしげに笑いあっただけである。」(30ページ)
「しかも、ぐるりは昼をあざむく月明だったのだ。」(33ページ)
「ぐるりの風光は南国の豊かな情調に満ち、」(36ページ)
「ぐるりは全部敵で、間違えて味方を撃つ心配がないから、かえって安心なんだ」(40ページ)
「荒れたぐるりの風景を見ていた。」(46ページ)
「ぐるりには降りしきる雨の音のほかは何もない。」(52ページ)
「兵隊たちのぐるりに集まってきていた集落民の中の一人の老農夫が、」(64ページ)
「ぐるりの、どこともしれぬ地点からも一斉射撃がはじまりだした。」(67ページ)
「彼はいまぐるりの気配を『暗夜』だと感じたのだが、」(72ページ)
「眼をしばたたいてぐるりをみてみた。」(75ページ)
「両脇を支えられている意識も失せ、ぐるりはまた暗くなり、そしてみるまに全くの暗黒になっていった。」(77〜78ページ)

まだ本の途中なのですが、ここまでで、なんと12回も「ぐるり」が出てきたのです。これは、多いですよね。著者の伊藤桂一さんは、大正6年(1917)三重県生まれ。昭和37年(1962)には『蛍の河』で第46回直木賞を、昭和58年(1983)には『静かなノモンハン』で吉川英治文学賞も受賞している作家です。
『新明解国語辞典』では「ぐるり」は、
「ぐるり」=(一)まわり、周囲。(二)(副詞)「−と」(1)「くるり」より重い感じを表わす。(2)すっかり取り囲むことを表わす。
とあります。
Googleで検索してみました。(7月31日)
「ぐるり」=10万3000件
でもこれは多すぎます。擬態語としての「ぐるり」が含まれているためだと思われます。つまり「富士五湖ぐるり一周の旅」のような形です。
そこで今度は「ぐるりを」で検索しました。
「ぐるりを」=1910件
これは「周囲」という意味での「ぐるり」の件数と思われます。多くはないけれど、そこそこ使われていると言えるのではないでしょうか。でもこれもおそらくですが、使っている人の年齢はかなり高いのでは?「平成ことば事情1833」で書いた、同じ伊藤桂一さんの本の中に出てきた「員数外」と同じく、近い将来、消えて行ってしまうような気がします。「絶滅危惧語」ではないでしょうか。
2004/7/31


◆ことばの話1839「汚名をそそぐ、すすぐ」

6月8日の読売新聞スポーツ欄に、テニスの全仏オープン決勝の記事が載っていました。アルゼンチン人同士の対決となった男子決勝。土のコートで今季23戦22勝のギリェルモ・コリアでしたが、第3セット途中から左太ももに痙攣が走り、ガストン・ガウディオの前に敗れ去りました。見出しは、
「悲運のクレー名人 コリア大泣き」
「汚名すすぐチャンスだったのに」

2001年4月にドーピング違反事件を起こして7か月間の出場停止ショブンを受けたコリアですが、本人は禁止薬物の混入を知らなかったとして、今回その汚名を返上しようとがんばっていたそうです。その記事の中にも見出しにも使われていた、
「汚名をすすぐ」
という言葉。私は、
「汚名をそそぐではないのか?」
と思い、辞書を引いてみたところ、両方載っていたのですが、どうも「すすぐ」の方が古いみたいなのです。
『日本国語大辞典』によると、
「すすぐ」=(1)水をかけて汚れを流す。水で清める。水できれいに洗う。(2)口中をゆすぐ。口の中を洗い清める。うがいをする。くちすすぐ。(3)けがれた心や世の中などを清める不浄を除き去る。(4)汚名を除き払う。身の恥をはらす。
とあって、(4)の意味の用例はなんと宇治拾遺集(1005−1007頃)のもの。これに対して、「そそぐ」じ、
「そそぐ」=(1)水をかけてよごれを洗い落とす。洗い清める。また、けがれた心や世の中などを清める。すすぐ。(2)身にこうむった汚名や受けた恥を手柄や仕返しによって消し、名誉を回復する。すすぐ。
で、この(2)の意味はまさにピッタリだと思うのですが、一番古い用例でも坪内逍遥の『当世書生気質』(1885-1886)なのです。つまり「すすぐ」の方が、「そそぐ」よりも、900年近く古いのです。

現在のネットでの使用状況は同でしょうか。Google検索してみると(7月30日)、
「汚名をすすぐ」=257件
「汚名をそそぐ」=643件

と、「そそぐ」の方が、2倍以上使われています。
そういう意味では、歴史的には「すすぐ」の方が伝統があり、現代的には「そそぐ」の方がよく使われているということで、どちらを使っても良いのかなあという気がしました。

2004/7/30


◆ことばの話1838「露出」

Sキャスターと話していると、
「『露出する』って、やっぱりテレビ業界用語ですよね。」
と言い出しました。どういうことかというと、ニューススクランブルのSキャスターやUキャスターが夏休みを取るときに、最近は、代わりに画面に出るアナウンサーは立てずに、読みだけを行なう、いわゆる「カゲアナ」を出すことが多いのですが、この「画面に出る」ことをテレビ業界では「露出する」と言うのです。しかし、一般的には「露出」というと、

1、カメラの光の絞り。
2、公衆の面前で陰部を出す。

ということを指すのではないかと思うのです。だから「テレビに顔を出す」という意味で「露出する」と会話している様子を一般の人が聞いた場合、「2」の意味で受け取ってしまって、
「あの人、一体何の話をしているのかしら・・・危ない人?」
と、いぶかしく思われる「危険性」があります。
人前であまり「露出」しないようにしないといけませんね・・・、いや、「人前で」露出はいけませんが、「人前に」露出するのは、仕事なのでしょうがないのですが・・・・。
辞書を引きましょう。『日本国語大辞典』では(用例は省略)、
「露出」=(1)外部にあらわになること。あらわにすること。また、あらわしだすこと。(2)写真をとる時、レンズのシャッターを開閉して感光紙に光をあてること。
という2つの意味が載っています。「外部にあらわになる」というのは、「陰部が」という「主体」を伏せて「露出する」と言う場合もあれば、テレビ放送によって自分の交友関係の「外部に」、「自分の顔・体」があらわになる、というケースもありますね。
「外部にあらわになる」=「露出する」
という緩い定義だと、主語の違いや状態によって、表す意味が変わっていく=「多義になる」のは、当然と言えば当然でしょう。

2004/7/27


◆ことばの話1837「をけら詣り」

京阪電車の広告を見ていたら、京都の八坂神社に関して、
「をけら詣り」
という表記がありました。それって「おけら」ではないのか?なぜ「を」なのか?と思ってGOOGLE検索してみました。(7月11日)
「をけら詣り」=124件
「をけら参り」= 24件
「おけら詣り」=328件
「おけら参り」=358件

ということで、やはり普通の「おけら参り」の件数が一番多かったですね。「を」を使ったものは少ない(まあ、全体に件数は、多くはないのですが。)
それにしても「を」を使うということは、「御」としての「お」ではないのですかね。
今度また、八坂神社に聞いてみますね、今年の大晦日にでも。えらい先の話やなあ・・・。

2004/7/30



◆ことばの話1836「名脇役に徹し」

7月25日、俳優の下条正巳さんが亡くなりました。88歳。俳優・下条アトムさんの父で、寅さん映画の「おいちゃん」役として有名です。と言っても最近は「寅さん」を見ていない人も多いので、必ずしも有名かどうかはわからないのですが。また息子の下条アトムさんも、最近は俳優というより「うるるん滞在記」のナレーターとしての方が有名かもしれませんが。
この訃報を伝えた7月29日の『ズームイン!!SUPER』で女性キャスターの駒村さんは、
「名脇役に徹し」
と原稿を読んだのですが、これはおかしくないでしょうか。それも言うなら、
「脇役に徹し」
で、「脇役に徹し」たからこそ「名脇役」と呼ばれたのではないでしょうか。
「〜に徹し」という「〜」の部分に「名」というほめ言葉を入れると、「徹する」主体自ら「名」とほめているみたいで、なんかヘンです。
言いたいことを省略してくっつけて言おうとすると、こういうふうに「どことなくヘン」な表現になるようですね。
もう一つ、同じくこの日(7月29日)日本テレビの(・・・・というか、実は制作は、この4月から読売テレビになっているのですが)「ザ・ワイド」では、
「名脇役として活躍」
と言っていましたが、これは第三者が表現しているので、特にヘンな気はしません。
しかしその「ザ・ワイド」の中で
「お亡くなりになりました」
という表現が何度もアナウンサーやリポーターの口から発せられました。これは「亡くなる」という言葉がすでに「敬意表現」であるので、「お」をつけるのは「過剰敬語」。そこまで丁寧にしなくても・・・と思うのですが、ワイドショーでは往々にして、
「万が一にも、丁寧さが足りなくて、失礼があるといけない」
という配慮からか、過剰に敬語を使ってしまう傾向があるようです。かえってそちらの方が失礼にあたるケースもあるのですがねえ。
最後になりましたが、下條さんのご冥福をお祈りします。
2004/7/29