◆ことばの話1815「袋だたきにしていました」


阪神タイガースは、ペナントレース前半戦を終えて勝率はちょうど5割。まるで参議院選挙の自民(49人)と民主(50人)の当選人数みたいに、ピタッと数字をそろえました。その前半戦の振り返りを、7月15日の「ズームイン!!SUPER」の「部長にQ!」のコーナーでやっていました。その中で、金本選手が値千金のサヨナラホームランを打って、ホームインした時にチームメートに囲まれて頭や背中、お尻ななどを叩かれて、
「手荒い祝福」
を受けているシーンが流れていたのですが、それを見たOアナウンサーは、こう言いました。
「金本、袋だたきにあっていますね。」
・・・いや、たしかに、やられているのは同じ行為かもしれないけど、その表現は違うやろ。ホームランじゃなくて「ダブルプレー、ゲームセット」で「サヨナラ勝ち」じゃなくて「サヨナラ負け」なら「袋だたき」もあるかもしれないけど、それもまず、ないな。金本のバットがピッチャーを直撃したとか、それなら相手チームの選手に袋だたきにされるということはあるかもしれないけど。これじゃ、まるで意味が変わってきます。
本人にあとでそのことを指摘すると、
「あ、そうですね。つい、うまい言葉を思いつかなかったので・・・・でも、あえて反対のニュアンスを持たせて言ったということもあるんですけど・・・」
と、言っていましたが、そりゃないで。
言葉はキッチリと使いましょうね!!

2004/7/15



◆ことばの話1814「わてはわて」


平成ことば事情1805の「なんなん のんのん ねんねん」という話を聞いたNHKのラジオで、佐藤誠アナウンサーが、もう一つおもしろい話をしていました。
亡くなったジャーナリストの黒田清さんが、
「アイデンティティ」
という言葉を、大阪弁で言い換えていたのを聞いたことがあったというのです。「アイデンティティ」って普通は、
「自己同一性」
とかなんとか、あんまりよくわからない言い換えで出てくる言葉ですよね。これを黒田さんは、
「わては、わて」
と訳していたというのです。「わて」は共通語では「わたし」ですが、これを「わて」としたところが温かみを感じますね。ええ話やなあ・・・「自己同一性」よりも、ずっとずっと伝わりまんがな。
外来語も、「皮膚感覚の言葉」で翻訳できたら、理解もいっそう深まると思うンやけど、なかなかこんなにうまく訳すのは難しいのも、また事実なんやなあ・・・。

2004/7/15



◆ことばの話1813「まっさかさま」


7月14日、「ニュースプラス1」で、集中豪雨に襲われた新潟から、日本テレビの山本真純アナウンサーが現場の状況を伝えていました。その中で、こんなことを言っていました。
「ごらんいただけますでしょうか?ここでは中古車を販売していたんですが、ごらんのように自動車がまっさかさまになっています。」
このコメントにHアナウンサーが食いつきました。
「まっさかさまあ?この状態には使えないんじゃないですか?」
ふーむ、なるほど、単に自動車が上下反対にひっくり返っています。「まっさかさま」という言葉は、「落ちる」とい言葉(動詞)を伴って使われるような気がします。つまり、
「まっさかさまに落ちる」
という表現。つまり、「まっさかさま」は「動き」のあるものを示すときに使われるような気がします。すでにひっくりかえってしまっている「状態」=動きのない静止している状態に「まっさかさま」を使うことにHアナウンサーは違和感を覚えたのです。
たしかになー。
辞書を引いてみました。『広辞苑』は、
「まったくさかさまなこと。また正反対。」
これだけだと、山本アナウンサーの「自動車がまっさかさまになっています」という使い方がおかしいかどうかはわかりません。用例はなんと保元物語からで、
「弓手の方へまっさかさまに落つれば」
ということで、やはり「落ちる」という動詞を伴っていました。『新明解国語辞典』では、
「倒れたり落ちたりするものの上下が正反対の状態になっている様子」
とあり、用例はありません。これによると、「倒れたり落ちたり」によって上下が正反対になっている「状態」なので、「動いている途中」でなくてもいいような気がします。
『日本国語大辞典』ではどうか。
「物事の順序や位置がまったくさかさまになっていること。また、そのさま」
とあって、特に「動き」には触れていませんねえ。用例は、『広辞苑』と同じ『保元物語』、そして『日葡辞書』(1603−1604)、『ありのすさび』(後藤宙外、1895)『蜘蛛の糸』(芥川龍之介、1918)でいずれも「落ちる」という動詞と一緒に使われていました。単独で「まっさかさまの状態」という表記の用例はありません。
でも、「まっさかさま」の使い方について、しっかり「動き」に言及した辞書は見当たりません。どうしてなんでしょうねえ。

2004/7/14

(追記)

大阪大学の岡島先生から、「ことば会議室」にこんな例を書き込んでいただきました。

つい眼と鼻の先に月光に半面を照らされた、巨大な白っぽい円型が、東京湾の上をいっぱいにおおってそびえたち、かすかな縮緬《ちりめん》じわをよせた波おだやかな海面に、それがまっさかさまにうつっているのだ。(小松左京『首都消失』第四章「熱い空白」4)

小松左京の『首都消失』、大学時代だったかなあ、読みました。でも、こんな表現がありましたか。もう全然覚えていませんでした。ご指摘、どうもありがとうございました。

2004/7/18



◆ことばの話1812「もろ」

今年の夏休みの旅行の傾向について、夕方の「ニューススクランブル」で原稿を読んでいたUキャスター、
「去年はSARSの影響をモロに受け・・・」
えーっつ「もろ」はないやろ、「もろ」は、ニュース原稿で。
「まともに受け」
というのが、普通の言語感覚を持ったアナウンサーやキャスターでは?ちょっと「もろ」は正に「もろ」に「俗語」っぽすぎますよねえ・・・。
昔、赤い旅団に誘拐殺害されたイタリアの首相が、
「モロ首相」
という名前でしたが。固有名詞以外にニュース原稿で「もろ」を使うのは、私は「もろ」反対です。

2004/7/14

(追記)

モロ首相の誘拐・殺害事件は、1978年でした。
また、梅花女子大学の米川明彦先生編『日本俗語大辞典』(東京堂出版)にも、「もろ」は「『もろに』の略」
として載っています。その中で一番古い用例は、1978年の『笑解・現代楽屋ことば』(中田昌秀)
「モロ まともに、全部、ばっちりというような意味」
だと紹介しています。

2004/7/14



◆ことばの話1811「こちら時間」

アメリカ大リーグのオールスター戦。ヒューストンで行われています。(7月14日)正午のニュースが終わったあとのNHKで、引き続き放送していました。その中で男性アナウンサーが、
「こちら時間で・・・」
と言ったのが引っかかりました。そのことを隣の席のHアナウンサーに言うと、彼は、
「アメリカ時間となぜ言わないんだろう。アメリカといっても広いので、いくつも時間がある(時差がある)から、そうは言えないんでしょうね。でもそれなら、ヒューストン時間と言わないんだろう?」
「『中西部時間』とかなんとか、言い方があるんだろうね。でも、あまり聞かないね。」

それよりなにより、「こちら時間」の、「こちら」に、
「視聴者の皆様は、現地ヒューストンに見に来られなくてかわいそうですねえ。私はもちろん来ていますよ、ヒューストン、アメリカです。生でオールスター見てます。そりゃ、仕事ですからねえ・・・。」
という優越感が、ちょびっと感じられるような気がするのは、私の「ひがみ」でしょうか。そういったところ、Hアナウンサーが、
「『ひ・が・み』・・・かあ・・・」
と言ったので、すかさず私は、
「ひ・が・み、『彼我見』ということを考えたの?」
と聞くと、
「よ、よく、『ひ・が・み』だけでわかりましたねえ!」
と驚いていましたが、20年来の付き合いですから、そのぐらいはわかります。もしかして・・・と、ドキドキしながら辞書(『新明解国語辞典』)を引いてみたところ、
「僻み」
という漢字しか載っていませんでした。残念。でもお寺のお坊さんなどは説法で、
「『ひがみ』とは『彼我身』あるいは『彼我見』とも書いて、ほかの誰かと自分を比較して見るところから始まるもの。己を見つめ直すことから始めなくてはならないのじゃ。渇!!」
とかなんとか言っていそうな気もしますねえ・・・。

2004/7/14
 
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