◆ことばの話1755「ヨン様」

すごいブームです。NHKで土曜日の午後11時過ぎから放送している番組が、そんなに遅い時間なのに視聴率15%も取っているんですから。韓国のドラマ「冬のソナタ」でブレークした俳優、ペ・ヨンジュンの人気といったら・・・。アナウンス部の女性陣でも、YアナとMアナがはまっています。YアナはDVDまで購入してしまいました。
そのペ・ヨンジュンさん。ファンからは、
「ヨン様」
と呼ばれているようですね。しかし、これって、苗字ではなくファーストネーム(名前)の方に「様」を付けた呼び方で、たとえば「木村拓哉」を「様」付きで呼ぶ場合に、
「拓哉様」
と言ってるような感じです。これまでにこういったファンの人から、
「○○様」
と呼ばれる人で、一般でも有名なものと言えば、少し古くは、
「杉さま」(杉良太郎=俳優・歌手)
最近では、
「ベッカム様」(ディビッド・ベッカム=サッカー選手)
などが有名ですが、これはともに、
「苗字 + 様」
なんですよね。「ヨン様」とは違います。もし、ヨン様も苗字に「様」を付けて呼ぶと、
「ぺ様」
になってしまいます。一文字だと語呂が悪いのなら、ちょっと伸ばして
「ペー様」
になりますかね。でもそうすると、「林家ぺー」と間違われるから、それを嫌って「ペ様」「ペー様」は避けられているのでしょうか?(ネット検索で「ペ様」を引いたら同じようなことを考えている人が少なくとも3人はいました!)語呂も悪いし。半濁音は、イヤかい?「ペコちゃん」「ポコちゃん」は、いいのにな。ちなみにYTV報道局でニューススクランブルの演出班にいるディレクターの北口君は、一部の人から
「ペーヤン」
と呼ばれています。だから、もし彼にファンクラブができたとしたら、
「ペー様」
となるかも知れません。それを避けた・・・わきゃないか。
6月6日の読売新聞の読書欄で加藤陽子・東京大学助教授の「愛書日記」にこんな記述が。
「仕事柄、俳優個人への思い入れを排し、これまではジェラール・フィリップと市川雷蔵にしか『様』をつけてこなかったという岩波ホール支配人の高野悦子氏までが、『様』づけで呼ぶのを躊躇しない俳優。それが『冬のソナタ』のヨン様こと、ペ・ヨンジュンである。」

そうかあ、高野悦子さんをして、これまでにたった2人しか付けなかった「様」付けの俳優の一人に、ヨン様は選ばれたのですね。それはすごいことですねえ。
でもこの「○○様」というのは、女性が男性の俳優を指して呼ぶ場合だけで、男性ファンが女優を呼ぶケースには使われてないのですね。
Google検索(6月7日)では、
「ヨン様」 3万2300件
「ヨンさま」 3960件
「ペ様」 1760件
「ペさま」 52件
「ペー様」 117件
「ペーさま」 17件
「ぺ・ヨンジュン」 5万6400件
「ペ・ヨンジュン様」 784件
「ペ・ヨンジュンさま」 1390件
「冬のソナタ」 24万5000件
でした。ついでに
「杉さま」 1220件
「杉様」 666件
「ベッカム様」 7470件
「ベッカ ムさま」 547件
ということで、やっぱり、「ヨン様」の人気はスゴイです。いつまで続くかは判りませんが。(あー!怒られるかも・・・)

2004/6/7

(追記)

もう今頃「ヨン様」というのもどうかな、とちょっと思ったのですが、その後もオロナミンCのコマーシャル出演とか、まだまだ話題の主です。
6月7日の日本テレビ系「爆笑問題のススメ」でも「ヨン様」が取り上げられていて、やはり「なんで『様』つきなの?」という話になり、
「(レオナルド)ディカプリオが『レオ様』と呼ばれたあたりからではないか。もともとは『杉さま』からでしょう」
と、爆笑問題の太田光が話していました。

2004/6/8

(追記2)

ことば事情1245で「ベッカム様」について書いていました。すっかり忘れていました。そこで出てきている「様」「神様、仏様、稲尾様」「レオ様」、そして阪神の代打の神様「八木様」でした。
そして、今朝(6月10日)の毎日新聞朝刊の4コマ漫画、東海林さだおさんの「アサッテ君」第10212回(!)で、若い女性が「ヨン様」「ベッカム様」と言うのをテレビで見た、アサッテ君の奥さんとそのお母さんらしき人が、お茶を飲みながら話しています。
母「あたしたちのころは カズ様とかライ様とかいわなかったけどなー」
娘「だれそれ?」
母「長谷川一夫とか市川雷蔵とか」

というオチ。岩波ホールの高野悦子さんが「様」を付けるという市川雷蔵が、ここで出てきました。ちなみに長谷川一夫(1908−84)、市川雷蔵(1931−69)。市川雷蔵って37歳で肝臓ガンで亡くなってたんだ。知らなかった。でも長谷川一夫と市川雷蔵って、ずいぶん年齢が離れてるよね。その両方のファンだったと言うこのお母さん、年齢はいくつという設定なんだろうか?

2004/6/10

(追記3)

脇浜紀子アナウンサーに続いて、村上順子アナウンサーも、ヨン様のドラマ「ホテリアー」の広報番組のために韓国に取材に行き、先ほど帰ってきました。みんなに「冬ソナ」手帳などを、おみやげで配っていました。
それで思い出しました。先日の日経新聞のコラムで、「ペ・ヨンジュンに似てはいるものの及ばない男の人のこと」を、
「ペ・3,5ジュン」
と呼んでいる女の人がいる、という話が書かれていました。これはヒドイ・・・。そのコラムの書き手の方も、
「男は、もし松嶋奈々子に似てはいるが及ばない女の人がいたとしても、けっして『松嶋むつこ』と呼んだりはしないのに」
と書いていましたが、たしかに。しかし、
「よう、そんなこと、考えるなあ・・・」
と感心もしたのでした。

2004/7/9
(追記4)

「ヨン様」に夢中になりすぎた女性のことを、
「ヨンフルエンザ」
というと、今週号の『週刊ポスト』に載っていると、「なるトモ!」(月〜木、9:55〜11:20)でやっていました。MJアナウンサーは、既にヨンフルエンザに感染していると、自分で言っていました。
GOOGLE検索したところ、「ヨンフルエンザ」は857件もありました。
7月10日付の朝鮮日報にも、
「ヨンフルエンザにヨンゲル係数… ヨン様関連新造語が流行」
という特集記事が載ったそうです。それによると、「ヨン様」と「インフルエンザ」を組み合わせた「ヨンフルエンザ」は、「ぺ・ヨンジュンが出演しているドラマを一度見ると、次々と見なければいられなくなるという症状で、一度かかるとぺ・ヨンジュンを知る前の自分には決して戻れなくなるという不治の病」だそうです。
「ヨンゲル係数」は、生計費中に占める飲食費の割合を示す「エンゲル係数」から生まれた言葉で、「生活費中においてペ・ヨンジュン関連グッズ購入費の占める割合を表す数字」。こうした言葉はペ・ヨンジュンの公式ホームページで日本の女性ファンが主に使用していて「ヨン様」に続く新たな言葉として急速に広まっているのだそうです。
よーやるわ。
2004/7/12

(追記5)

もうあまりのブームで、触れるのもどうかな、と思いますが、7月26日読売新聞夕刊「ことばのこばこ」梅花女子大学の米川明彦先生「ヨンフルエンザ」について書いてらっしゃいました。
また7月27日の「あさイチ!」では毎日新聞朝刊(7月27日)を取り上げて、「冬ソナ」ブームで韓国への旅行客が去年の「ヨン倍」・・・いやいや「4倍」だと紹介していました。
そのほか、7月21日の読売新聞夕刊に元・吉本興業専務でフリープロデューサーの木村政雄さん「パパさまそっちのけ『ヨン様』ブーム」というコラムを書いてます。書き出しは、
「『山のあなた』は知っていても『冬のソナタ』は知らなかった。」
あと7月22日の朝日新聞朝刊では、天野祐吉さんが「CM天気図」というコラムで「あ、ヨン様!」と題してオロナミンCのコマーシャルに上戸彩と共演しているヨン様ことペ・ヨンジュンのことを書いています。前にこのCMで上戸彩と共演していた新庄選手、ヨン様に似てますね。この傾向が好きなのかな、上戸彩は。というかCM製作者は。なんで巨人の選手は出なくなったんや?別にいいけど。
そうそう、同じ7月22日の新聞各紙に、ペ・ヨンジュンさんら4人の韓国の俳優が文芸春秋社に対して、勝手に写真集を発売して肖像権を侵害したとして、発売の即時中止と謝罪を求める警告書を出したという記事も載っていました。
各紙、見出しには「ヨン様」と書いていましたが、本文中ではフルネームの「ペ・ヨンジュンさん」と書き、2回目からは、
「ペさん」
と書いていました。当然か。でもちょっとおもしろいね、「ぺ」さん。


2004/7/27

(追記6)

7月31日の「恋のから騒ぎ」の「愛の説教部屋」のコーナーに、明石家さんまが、ペ・ヨンジュンのマネをして出てきて、字幕スーパーで
「サン様」
と出ていました。その時間、NHKには本物の「ヨン様」が出ていました。

2004/7/31

(追記7)

『放送レポート』2004年7月号(第189号)の「放送の泣きどころ(25回)」というコラムで関千枝子さんという人が「単なる恋物語だけじゃない『冬ソナ』の魅力、わかります?」と題して書いています。その中にこういうことが書いてありました。
韓国は夫婦別姓なので、夫と妻の姓が違う。そして「父系血統継承主義」なので、父親と子供は同じ苗字になるが、もし両親が離婚し、母が子供を引き取り育てる場合でも、子は実父の姓を名乗り続ける。しかし、女性が婚外で子を産んだら子は母と同じ姓を名乗るというのです。
これと「冬ソナ」がどう関係するかというと、ドラマでヨン様が演じる主人公の名前は、「カン・ジュンサン」
そしてその母の名前は、
「カン・ミヒ」
なのです。ということは、ヨン様は「婚外子」。それは韓国の人ならば、役名を聞いただけでわかる、ということなのですね。関さんは、
「韓国の視聴者が見たら、一目でカン・ジュンサンが婚外子とわかるわけだ。カン・ジュンサンのシニカルな暗さには境遇からくるものがある。こうした問題がさりげなく入っていて、単なる恋物語ではないと思うのだが、ヨン様に夢中になっている日本の熟女たちは、そうしたことを少しでも感じたかな?」
感じるわけないじゃん。
最後の一言がちょっとイヤミですが、「へえー」な話題ですよね。
ちなみにこの『放送レポート』を出している「晩声社」(「声」は難しい字体)という出版社、裏表紙の広告を見ると、
『冬のソナタ特別編』『冬のソナタ特別編U』『ピアノで弾く冬のソナタ』
といった本を出版していて、『冬のソナタ特別編』などは16刷と、文字通り「好評発売中」のようです。

2004/8/5

(追記8)

8月5日の読売新聞に出ていた「2004年上半期の話題の商品(イベントや人も含む)ベスト10」の第4位に、「ヨン様」がランクインしていました。「ヨン」様だから、第「ヨン」位なのかどうかは、わかりませんが。ランキングを発表した電通さんに聞いてください。ちなみに第1位は同率で「アテネ五輪」と「DVDレコーダー」でした。
2004/9/13

(追記9)

さすがの「ヨン様」人気も一段落というところでしょうか、JR大阪駅構内で見かけた、「阪急ファイブ」
の広告ポスターの大きなコピー文字は、
「ヨンの次は5」
でした。そう来るか・・・。
2004/10/26

(追記10)

もういいか・・・と思いつつ・・・。
2005年2月2日の日経新聞夕刊のコラム「レターの三枚目」で作家の出久根達郎さんが、『「ヨン様」と「雷様」』と題して書いています。出久根さん、夫婦して「ヨン様」にはまっているそうです。ここで書かれているのは、主に「ヨン様」のことではなく、「雷様(ライさま)」こと、市川雷蔵のこと。「カミナリサマ」ではありません。
この二人の誕生日が同じと聞いたが、本当だろうか?と問いかけている。それなら、調べてみましょう。ちなみに市川雷蔵はコラムの中に「8月29日生まれ」と書いてあるので、「ヨン様」だけ調べればいいのね。
ヨン様の誕生日は・・・っと・・・おお!どうやら本当のようですね。ヨン様は2004年8月29日に32歳、ということは1972年の8月29日生まれかア。「雷様」こと市川雷蔵は、1931年の8月29日生まれ。その「雷様」は37歳の若さで逝ってしまったそうですが、告別式には雷が鳴ったそうです。

2005/02/11
(追記11)

なんだか続くなあ・・・2月18日の読売新聞朝刊のヨンコママンガ「コボちゃん」(植田まさし)第8110回は「マフラー」というタイトルが付いていて、コボちゃんのおじいちゃんが青いマフラーを「ヨン様巻き」にして町を歩いていると、道行く女性がみんな、「キッッ!!」
と睨みつけていく。おじいちゃんは家に帰ると、情けなさそうな顔をしながら、おばあちゃん(=奥さん)とコボちゃんに、
「ワシがヨン様巻きしちゃ、そんなにいけない?」
と尋ね、おばあちゃんが、湯飲みにお茶を入れて差し出しながら、どちらでもよさそうに、
「さー」
と答えている場面で終わっています。いいじゃん、どんな巻き方しても、マフラーぐらい!
ついでにもうひとつ。同じく2月18日の朝日新聞スポーツ面のプロ野球「キャンプリポート2005」はこの日は「ロッテ」の特集。見出しが、
「大砲『スン様』ほほえむか」
この「スン様」というのは、韓国のプロ野球で56本のホームランを記録して去年、来日した「イ・スンヨプ選手」のことです。兄貴分の初芝選手がノック中、韓流ブームに乗るように「スン様」とからかうのだそうですが、当のイ・スンヨプ選手は、
「まだ自分は『スンちゃん』のレベル。様と呼ばれるにふさわしい活躍をしますよ。」
と話しているとのこと。平井隆介記者の記事です。

2005/2/18


◆ことばの話1754「十手」

時代劇の岡っ引きが持っている「十手」。これを皆さんは、どう読みますか?
「ジュッテ」?それとも「ジッテ」?
正しくは(伝統的には)、
「ジッテ」
なんですが、
「『十』なのになんで『ジッ』なの?『ジュウ』じゃあないの?」
という疑問があるのではないでしょうか。
実は、これ、もともと「十」は「じふ」なので、後ろに何か付いて促音になると「ジッ」となる方が正しい、伝統的なんですね。ところが「ジフ」が発音上「ジウ」→「ジウー」→「ジュウ」となってきて、後ろの何かついたときの発音も「ジュッ」となってきたということのようです。
これに関して、『岩波国語辞典』を引いて、ビックリしました。そこにはいつ頃から「ジッテ」が「ジュッテ」になってきたか?ということが記されていたのです。つまり、
「『じゅって』の読みは、1955年ごろに始まったもので、本来ではない。」
と書いてあったのです!ということは、「本来的ではない」「じゅって」も、もう半世紀の歴史があるのか。
ほかの辞書はどうかというと、
『三省堂国語辞典』=見出しは「じって」のみ。意味の解説文の中に「じゅって」も。
『新明解国語辞典』=同上
『明鏡国語辞典』=見出しは「じって」のみ。「じゅって」は記述なし。
『新潮現代国語辞典』=同上

ということで、手元の辞書はほとんど「じって」派なのです。
ところで、北海道大学の山下好孝先生が今年2月に出した『関西弁講義』(講談社選書メチエ:読書日記10参照)の中で、この「十」の問題が出てきます。「10分」をNHKは「ジップン」と言うが、あれは「ジュップン」だ、と山下先生は書いているのですが、これは完全に山下先生の勘違いですよ。NHKの塩田雄大さんも、
「この部分、おかしいですね」
と言っていたのですが、その1か月後くらいに、「週刊文春」で高島俊男さんが連載している名物コラム「お言葉ですが」で、この点をコテンパンに書いていました。ちょっとかわいそうなぐらい。
私は「本来はジッ」ということを知ってからは、「ジップン」とか「ジッパーセント」と言うようにしていますが、ほかのアナウンサーに強制はしていません。
とりあえず、このぐらいにしておきますが、あちこちにこの「ジュウかジッか」というのは書いてあると思うので、見つけたらまた追記します。

2004/5/29
(追記)

アナウンサーとしては「ジッテ」と言うようにはしているのですが。同じように「十」が入っていても数詞の場合は、「十回」を「ジッカイ」と言うか「ジュッカイ」と言うかは、「どちらも許容」になっていますが、物の名前などは、本来の伝統的な読み方を使うようにするわけです。
今一度『岩波国語辞典・第6版』「十手」「ジュッテ」で引いてみると、
「『じって』の誤読」
とあり、さらに「ジッテ」を引くと、
「江戸時代に捕吏が持っていた道具。50センチほどの鉄棒で、手元近くに鉤(かぎ)がある」
と、意味が書いてあるのに続けて、
「『じゅって』の読みは、一九五五年頃に始まったもので、本来ではない。」
と書いてありました。(前述)それにしても、いやに具体的です。なぜ「1955年頃に始まった」という具体的な年代の記述があるのでしょうか?
理由はわからないまま、新聞用語懇談会の放送分科会で、その記述のことについて言及すると、委員の方から、
「1955年と言うとテレビ放送が始まって3年目・・・もしかしたら『テレビの時代劇』で使われ始めたということを指しているのではないか?」
という意見が出て、皆一様に、「なるほど!」とヒザを打ったのでした。そうか、テレビでの誤読「ジュッテ」が広まってしまったのか・・・。
もし、そうだとしたら、本来の読み方「ジッテ」を取り戻すことも、テレビに課せられているのではないでしょうかね。そうでないとテレビが、
「御用!」
になったりして・・・。
2004/10/26


◆ことばの話1753「就活」

神戸の女子短大で今年も2度ほど講義を担当することになり、先週、その一回目の授業に行ったときのことです。講義終了後に担当のM先生が、言葉の移り変わりや新しい言葉の出現に触れて、
「最近学生が使っている言葉で、就職活動のことを『就活』って言ってるのを耳にしまして、なんか、新しい言葉が出てきたなと思ったのですが、道浦さんはご存知ですか?」
と聞かれたので、
「ああ、知っていますよ。あれは3年半ぐらい前ですかね、2000年の12月ごろかな、大阪大学の大学院に半年ほど通っていた時に、掲示板のポスターにその『就活』という文字が載っていたのを覚えています。それが私が『就活』という文字を初めて目にした時だと思います。きっと今は、文字で書くならカタカナで『シューカツ』となっているんじゃないですか。アクセントは関西では中高アクセントで『シュウカツ(LHLL)』だと思いますよ。以前、『平成ことば事情』にも書いたんじゃないかな?もちろん、私が学生時代にはきっちりと『就職活動』と言っていて、『就活』なんて略語はなかったです。おそらく就職氷河期で、もう大学に入ると同時に就職活動のことを考えないといけなくなったことで、一、二年生を含めて大学生全学年が就職活動に関心を持つようになったことで、『就活』という略語が定着したんじゃないでしょうか。ボクらの頃は、就職活動なんて4年生だけが行うものでしたからね。」
と、答えました。
「平成ことば事情」を検索してみると、「就活」で項目は書いていませんでしたが、2度ほどこれについて書いています。初めて書いたのは、2001年の7月9日の「平成ことば事情362・退社しました」で、こんなふうに書いています。

『ちなみに最近、大学生の間で使われている略語で「就活」(アクセントは関西では「シューカツ」LHLLという中高アクセント)というのがあるようですが、これは、「就職活動」の略なんだそうです。』

次に書いたのは、2003年4月24日の「平成ことば事情1147・リクナビ」。こんな感じです。

「じゃあ、会社訪問の受付とか、面接の受付とかは、全部インターネットでやるの?」
「いや、全部ということもないですけど、ほとんどそうですね。パソコンのインターネットとがなかったら、就活(シューカツ=就職活動のこと)、できませんよ」


と、いう感じで出てきます。アナウンス部の若手に学生時代に「就活」という言葉を使っていたかどうかを聞いたところ、1996年に大学を卒業したNアナウンサーは、
「たぶん使っていなかったと思う」
と答え、2000年卒業のMアナウンサーは、
「使っていました。自分で『就活ノート』を作って書き込んでました。」
と答えています。そのMアナウンサーの話だと、
「1年先輩(1999年卒)のYアナウンサーも使っていたと思います。」
と、またNアナウンサーは、
「妻はYアナウンサーと同じ1999年卒ですが、盛んに使っています」
とのことですので、1997年から1999年の間に使われるようになったのではないかと思われます。
梅花女子大学の米川明彦教授の『日本俗語大辞典』(東京堂出版)には、ちゃんと「就活」が載っています。
「『就職活動』の略。学生語。」
として用例として、『現代用語の基礎知識2000年版』に若者言葉として載っている例が示されています。2000年版が編纂されたのは1999年でしょうから、やはり1999年に出てきた言葉と考えられそうです。同じ米川先生の『若者語を科学する』(明治書院、1998年3月)には「就活」は載っていません。また、大阪外国語大学の小矢野哲夫教授の『ワードウオッチング〜現代語のフロッピィ』(私家版、1999年1月)にも「就活」は載っていません。
このあたりから考えても1999年の就職シーズンあたりから、「就活」という言葉が学生の間で一般的になったと言えるのではないでしょうか。
Googleで「就活」を検索すると、全体のページではなんと220万件!も出てきてビックリしましたが、「日本語のページ」に限定して検索し直すと、24万7000件でした。それでも大した数ですよね。(中国語にも「就活」という言葉があるのかな?)
考えてみれば、小学校の頃に「学級活動」(=ホームルーム)を略して「学活」なんて言っていましたし、「特別活動」なんかは略して「特活」でしたよ。ゴジラやウルトラマンじゃないんだから。それは「特撮」(=特別撮影)。
中学・高校で「部活動」を略して「部活」(音は「ブ」と「ドウ」の3音分略してるけど、文字は1文字しか略してない!)と言ったりしてましたから、「就職活動」を略して「就活」には、それほど違和感はないようですね。私なんかは「トンカツ」や「串カツ」の方が、なじみがあるのですがね。

2004/6/7

(追記)

2005年1月21日の読売新聞朝刊「ことばのファイル」で、
「シュウカツ」
を取り上げていました。一世代前までは、就職活動といえば、会社に資料請求ハガキを出していたもの・・・・と私の世代と同じかな、これを書いた左山政樹さんという記者の人は。「資料請求」「OB訪問」に変わって「就活」用語に登場したのが、
「エントリー」および「エントリーシート」
ですね。また、「就職活動」の省略形で表される、「就活(シュウカツ)」という言葉は、
「就職に勝つ」
という掛詞ではないか、とも書いてあります。なるほど、それは気づかなかった。それと就職協定が1997年に廃止された結果、
「就職戦線」
という言葉も勢いを失い、1996年から2000年までは、読売新聞紙上に203件登場したが、その後2001年以降は82件に減っているということです。

2005/1/21
(追記2)

久々の追記です。2008年12月23日の24時過ぎ(24日の午前0時過ぎ)の関西テレビのニュースを見ていたら、街頭インタビューで、
「サンタさんに何かお願いしましたか?」
と女性記者が質問をしていました。質問された一人の関西の若い女性は、こう答えていたのです。
「就活なんで・・・仕事下さい」
この「就活」のアクセントが、
「シュ/ー\カツ」
と、見事に「中高アクセント」でした。ほお。「就活」のアクセント、私はてっきり、
「シュ/ーカツ」
「平板アクセント」だと思っていました。認識不足でした。が、たとえば「トンカツ」のアクセントは、関西では、
「トンカ/ツ」
最後だけが上がる形で、決して、
「ト/ン\カツ」
とはなりません。「トンカツ」と同じアクセントパターンなら、
「シューカ/ツ」
最後だけが上がるはずなのに、なぜそうならないか?
思うに、「トンカツ」は4拍ですが、同じ4拍に見える「シューカツ」は、実は「3拍」だと認識されているからではないか?だからこそ関西方言の略語・新語のアクセントパターン「3拍中高」にあてはまるのではないか?
もっとも「トンカツ」も、もっとあとで(最近になって)関西に入って来ていたら、
「ト/ン\カツ」
になっていたかもしれないのですが・・・。
いや、いずれにせよ「シュ/ー\カツ」というアクセントは、勉強になりました。
2008/12/23



◆ことばの話1752「万作と萬斎」

狂言師の野村万作さんと野村萬斎さん親子。「マンサク」と「マンサイ」、二人そろって舞台に、ということもよくあるようで、先日そういった公演のポスターを見かけました。その時に思った疑問は、
「なぜ『マン』の漢字が違うのか?」
ということなんです。お父さんの野村万作さんは1931年(昭和6年)生まれ。
「六世・野村万蔵」の次男。祖父の故「初世・萬斎」及び父に師事したとのこと。
野村萬斎さんは1966年(昭和41年)4月5日生まれの37歳。狂言師・野村万作の長男で、1994年曾祖父の五世・万造の隠居名「萬斎」を襲名したそうです。ひいおじいさんは「万造」と簡単なほうの「万」だったのですね。で、その「隠居名」は難しい方の「萬」。ふーん、ややこしい。

Google検索(6月3日)では、
「野村万作」=  4760件
「野村萬斎」=1万6700件

と、息子さんの方がネット上ではたくさんヒットしました。
ネットの会議室「ことば会議室」で質問したところ、skidさんから、こんな書き込みをしていただきました。(それに私が調べたものも、ちょっと付け加えました。)

「現在の野村万蔵家の名前を見ると、『萬』の字は、『野村萬(=隠居名。七世万蔵)と、『野村萬斎』の2人だけです。
『野村萬』(=七世万蔵)の子は『野村万之丞』(来年1月9日に「八世・万蔵」を襲名予定)、
『野村萬』の妹の子は『野村万禄』、
『野村萬』の弟は『野村万作』『野村万之介』、
そしてその『野村万作』の子が『野村萬斎』。
『萬』は隠居名であり、『萬斎』は『五世・万造』の隠居名を襲名したそうです。
隠居名に『萬』の字を使うならわしがあるかどうかは知りません。
また、三省堂の『狂言ハンドブック』では、
『五世・野村万造(萬斎)』『野村萬斎(五世万造)』
となっていますが、『能楽ハンドブック』には系図に、
『五世万造 万斎』
とあるのが不審です。」

skidさん、どうもありがとうございます。しかし、ややこしいですね。自分でわかったのかわからないのかがよくわからない・・・。
でも「萬」の字を使う人と「万」の字を使う人がいて、「萬」の方が隠居名によく使われているということがわかっただけでももうけものです。
しかし、こういうことがあると、「萬」=「万」ではないということで、気を付けなければいけないなあ・・・としみじみ思いました。日本語の文字・漢字って難しい・・・。

2004/6/4

(追記)

父と話していて、私の「祖父の祖父」の名前は「萬之助」であることを思い出しました。しかも曽祖父の代までは、その名を代々継いでいたと。たとえば、曽祖父の本名は「周二郎」でしたが通名では「萬之助」だったのだそうです。昔はみんな「萬」の字だったのかどうかは、わかりません。

2004/6/7

(追記2)

驚きました。上にも書いた野村萬の長男で、来年、八世・野村万蔵を襲名予定だった、和泉流狂言師の野村万之丞(本名・耕介)さんが、6月10日午前8時20分、神経性内分泌がんの止め、東京都内の病院で死去しました。44歳でした。残念です。ご冥福をお祈りします。合掌。

2004/6/11

(追記3)

6月17日の日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」に、作家の島田雅彦さんが「死に急いだ友人」と題して、野村万之丞さんの急逝について記していました。
それによると学習院の高校時代、同級生の"皇太子"から「野村君も大変だね」といわれたことがあったそうです。もちろんこれは、将来、狂言師になることが決められている野村氏への同情がこめられていたのですが、島田氏はその後に、こう続けています。
「皇太子の忍耐力に敬服する一方で、私は気づいた。日本には誰もが享受している諸権利を諦めなければならない気の毒な方々がおられるということを。」
それにつけても、万之丞氏、若すぎました・・・。

2004/6/26



◆ことばの話1751「沖縄の下町」

(少し前の話になってしまいましたが)
3月24日の夕方のニュース番組「ニューススクランブル」で、大阪市大正区の商店街を紹介していました。大正区は、沖縄から移り住んだ人が多いことで知られています。商店街にも、沖縄のお惣菜などを売る店が多くあります。その様子を見て女性リポーターが発したコメントが気になりました。
「なんか、沖縄の下町の雰囲気がありますね。」
彼女が言いたかったのは、おそらく、
「沖縄の雰囲気と、下町の雰囲気を併せ持つ街」
ということだったのでしょう。(あとで彼女に確認したら、そのとおりでした。)
ところでそもそも、
沖縄に「下町」が果たしてあるのか?
という疑問と違和感が湧き上がりました。「下町」って都会にしかないような気がするんですよね。でも、いくら都会といっても「札幌」に「下町」はない気がします。では、「下町」がある都市はどこか?私の個人的な感覚で言うと、
「下町がある都市」=東京、大阪、福岡、仙台、金沢
「下町ない都市」=札幌、京都、横浜、静岡、奈良、滋賀、沖縄

てなところでしょうか。
この疑問を解決するには、まず「下町」を定義しなくては、なりますまいか。『広辞苑』の「下町」の説明は、
「低い所にある市街。商人・職人などの多く住んでいる町。東京では、台東区・千代田区・中央区から墨田川以東にわたる地域をいう。しものまち。(例)「下町情緒」⇔山の手・上町(かみまち)」
とありました。ここから考えられるのは、
(1)海抜・標高が低い土地
(2)商人職人が多く住んでいる町

の2つですが、そこから考えると特に(2)は、江戸時代の「城下町」との関連がありそうです。Sアナウンサーと話をしながら考えたところ、(1)も条件だが、それはそもそも「下町」が「発生した時の条件」であって、それによって形成された「下町」が「作り出したもの」ではない。江戸時代に城下町があるということは、その時代(つまり300年以上前)から、「都市」であったという歴史があることで、その地域が生み出した情緒、町の雰囲気というものが、いわゆる「下町情緒」というものであろう。「下町」の定義に当てはまらない町でも、それと似たような雰囲気を持つ町というのも存在するのではないか。しかし厳密に言うと、それは「下町情緒を持った町」ではあっても、「下町」ではない、というようなことになりました。なんだかややこしいですね。
結論は「沖縄に下町はない」「大阪市大正区は下町の風情がある」ということでした。
ところで、『カラー版・地中海都市周遊』(陣内秀信、福井憲彦、中公新書:2000,7,25)という本を読んでいて思ったのですが、「都市」は「人が集まる広場」を持っていると。そして下町の生活に水利は不可欠であるということが書いてありました。それを読んで思ったことは、堀田善衛の『広場の孤独』は「都会、都市における孤独」というようなことだったのかなあと。
また、『バカの壁』の養老孟司センセイの都市化論は、人口や街の規模の問題を取り上げているようにも思えました。そういう意味では「下町」は「都市」の原型に当たるのかもしれません。

2004/6/7
 
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