◆ことばの話1735「須藤の読み方」

5月4日の夕方の「ニュース・プラス1」を見ていたら、山形県天童市で交通事故死した人の苗字が
「須藤」
さんでしたが、読み方は「すどう」と濁るのではなく、
「すとう」
と濁らない発音でした。
私の知り合いで「すどう」さんはいますが、「すとう」さんはいません。もしかしたら、東北地方に多いの読み方かな?なんて思いながら、ほかに「藤」が付く苗字で「とう」と濁らないか「どう」と濁るかについて考えてみました。
たとえば「伊藤」は「いとう」しかありませんよね。「いどう」さんなんて知りません。「加藤」も「かとう」だけ。「江藤」も「えとう」で濁らない。
逆に「遠藤」は「えんどう」と濁ります。濁らない「えんとう」というのは聞いたことがありません。
そして「首藤」さんは「しゅどう」「しゅとう」の両方ある。なぜでしょうか?また「木藤」さんは「きどう」「きとう」両方あります。
もしかしたら、「とう」の前の一文字が撥音だったり促音だったりすると濁りやすいとか、あるのでしょうかね。でもそうすると、「とう」「どう」どちらの読み方もある苗字というのは納得できないことになります。
もう一つは、地域によって濁る・濁らないの傾向があるのかどうかということ。
うーん、人の名前(苗字)は、奥が深い!!

2004/5/27

(追記)
NHKの原田邦博さんから、メールで情報をいただきました。それによると、
「たまたま関東地方のあるホテルに勤めるバーテンダーの2人が、互いにまったく関係がないのに、どちらも『須藤』と書いて『ストウ』だった。また、神奈川選出の衆議院議員に『首藤』さんがいるが、こちらも『ストウ』。」
とのことです。調べてみると、たしかに南関東の比例区選出(事務所は横浜市)の首藤信彦衆議院議員の苗字は「すとう」でした。すると「首藤」は「しゅとう」「しゅどう」「すとう」の3種類、確認できたということになります。もしかしたら「首藤」と書いて「すどう」という苗字の方もいらっしゃるかもしれませんね。
原田さん情報、ありがとうございました。

2004/6/1



◆ことばの話1734「ないかどうか」

Sアナウンサーからの質問です。
「『目撃者がないか、聞き込みを続けています』というような原稿は、なぜいつも『ないか』であって、『あるか』ではないんでしょうか?」
「ないか」は「ないかどうか」、「あるか」は「あるかどうか」を省略した形と考えられますね。たしかに、ものが「ある」か「ない」かを尋ねる時には、
「ないかどうか」
「あるかどうか」

という二つの聞き方が可能です。
うーんと考えて、アニメの一休さんのように「チーン!」と思いついた答えは、これ。
「『ないか』は、あることを期待しつつも、そう簡単にはないであろうという現状を踏まえた発言。これが『あるか』だと、現状はおそらくあることを前提としての発言のような気がする」
というものでした。つまりその事件の目撃者は、おそらくなかなか見つからないだろう、と思っての発言だと「ないか」になると。
では「あるか」を使うケースには、どういうものがあるか?あ!「あるか」を使った。これは当然「ある」ことを前提としていますね。ほかにも、
「ほかにどういった考え方があるか、調べよう」
という場合には「あるか」しか使えません。「ないか」を無理やり入れてみると、
「ほかにどういった考え方がないか、調べよう」
となって、普通はこんな言い方、しませんね。これだと「ない」ことが現状で、それを確認することが最終目標になっている感じです。
ただ、こういったように、「あるか」の代わりに「ないか」を使う方言はあったように思います。
「ある」と「ない」は、大変哲学的な表現なので難しいです。というのも、「ない」という状態が「ある」時には、それは「ない」のですから。
物体の存在としてそこに「ある」ということ、これは「人」の場合には「いる」に置き換えられるものです。それと「いる」に置き換えられないもので、ただ状況としての「ある」の区別が(もし哲学用語で区別できているのであれば、少しわかりやすいのだと思いますが)一般的にはどちらも「ある」で表現されてしまうので、話が難しくなっているように思います。

2004/5/27



◆ことばの話1733「ひょっとすれば」

2002年、日韓ワールドカップでの日本代表の合宿中や試合前、ハーフタイム、試合後のロッカールームの様子などを映したドキュメンタリー、
「六月の勝利の歌を忘れない」
上下2巻あるビデオ、2年前に「上」を借りたあと「下」はいつも貸し出し中で、見られなかったのですが、ようやく先日、その「下」を見ることができました。
その中で、サッカー日本代表のトルシエ監督の通訳・ダバディ氏の言葉でこんなのがありました。
「ひょっとすれば」
これって、ちょっと、おかしくないかい?正しくは、
「ひょっとしたら」
もしくは、
「ひょっとすると」
こっちの方がいいかな。どこがおかしいかと言うと、「すれば」の部分ですね。これは「仮定形」なんですよね。いや、たしかに「したら」「すると」も仮定なんだけど、「すれば」はなんかおかしい気がするのです。
なぜ「ひょっとすれば」というような言葉が、ダバディ氏の口からで出てきたのか?と考えたのですが、"もしかすると"、
「ひょっとすると」
というのと、
「もしかしたら」
というのがくっついて、
「ひょっとすると」+「もしかしたら」→「ひょっとすれば」
になったのかな?
「すれば」の仮定形に呼応するのは、「〜こうなる」。「したら」「すると」の仮定形に呼応するのは「〜こうなるかもしれない」。だからかな。それとも可能性を提示する「ひょっと」の部分に秘密があるのかな?
うーむ、なぜ違和感を感じるかがわからないまま、気になる言葉として記憶に残りそうです・・・・。

2004/5/25



◆ことばの話1732「めちゃ×2」

「めちゃ×2」
という表現を、駅の売店で売っていた雑誌の表紙に見つけました。それを見て思ったのは、
「めちゃ×2とかSMAP×SMAP、KYON2。というような表記がよくあるが、読み方はすべて『繰り返し』。こういった言葉の起源はどうなんだろうか?」
そこで、ネットの掲示板「ことば会議室」にこの質問を書き込んだところ、Yeemarさんからご教示いただきました。

「これについては、笹原宏之「新たな繰り返し符号『2』の考察」(『文化女子大学紀要人文・社会科学研究』4、1996.01)がくわしく述べています(注、この「2」は右肩に小書きです。)。
以前、佐藤さんの「芳名帳」(1997.02.14)〔1998.02.14の誤り?〕に書き込みました。上記論文で、「ドキ2」の形は「1984年」「小泉今日子」から一般化した、その後「(ドキ)2」とか「いろ×2」とか「とっても1000000」とかいうバリエーションができていることが追跡されています。私は広末涼子「大スキ!」(岡本真夜・作詞作曲、1997年)で「Doki×2」(「×2」が右肩)を目にしました。」


そしてその「佐藤さんの芳名帳」(注、佐藤さんというのは、岐阜大学の佐藤貴裕さんのことです。)を見てみると、大阪外国語大学の小矢野先生の書き込みがあり、それによると、小矢野先生が出してらっしゃる「けとば珍聞」のバックナンバーに、KYON2のような「二乗語」についての記述がありました。

流行するか、この表記法 ○○2
※「KYON2」の表記を知ったのが今年6月25日「サンデー毎日」85年7/7号p.30で。翌日茨木市内で写真を見て「キョンキョン」こと小泉今日子のことだと知る。翌27日、NHKラジオで、「キョンツー」と発音を知る。偶然が3日続いた。
「ワーイ2、とう2、KYON2が帰って来たんだもーん」という小泉今日子語を翻訳すると、「ワーイワーイ、とうとう、キョンキョンが帰って来たんだもーん」となる--。(フライデー1985,9/27号p.18)
※同誌面には「ムン2、ノリ2、ビン2、元気2」と謎「謎3(謎・謎・謎)の例がある。畳語のオノマトペには都合の良い表記だが。「二乗語(二畳語)」じじょうご/にじょうご とでも呼ぼうか。「2KYON」とも「KYON2」とも。この書き方は、イギリスのロックグループ、デュランデュランの宣伝に使われた"DURAN2"が最初、だそうです。(尾坂繭子さんの教示)(「けとば珍聞」第6号 1985年10月9日)
※縦書きでは「イ」「う」「N」の右側に 2 が書いてあります。「2KYON」というのは「K」の右肩に二乗、「KYON2」というのは「N」の右下(N字の次のマス目の右上)に二乗(?)です。正確には原文をご覧下さい。
※第6号の「○○2」の表記法について、インドネシア語では(2)をangka duaと言って「同じ単語を反復する時に用いる記号」で、「orang2(人々)。anak2(子供たち)。buah2an(果実類)。」(上原訓蔵『基礎インドネシア語』大学書林1971年16版、p.21)(箕面市・角道正佳さんの教示)(「けとば珍聞」第7号 1985年10月16日)
笹原さんの論文で1984年から一般化したらしいことが書かれているようですが、 ボクが実例を見たのはその一年後、しかも、小泉今日子の「KYON2」だった、ということになるわけですね。なおこの表記、中学生の娘も現在使用中です。


ということで、どうもデュラン・デュランの「DURAN2」が、こういった書き方の原始のようで、「KYON2」などで1984年ごろに一般化したようですね。それ以来20年、一般的に使われている(といっても若い人が中心でしょうが。テレビのバラエティー番組は常に若者しか対象にしていない?)のですねえ。もっと古い例があれば、またご報告します。
ああ、今回は転載ばかりで、自分で文字をあまり書いてないなあ。ゴメンナサイ・・・。

2004/5/24



◆ことばの話1731「柳楽」

カンヌ映画祭で、「誰も知らない」(是枝裕和監督)に主演した14歳の中学生、柳楽(やぎら)優弥君が、日本人初の最優秀男優賞を受賞しました。
すごいことですよね。でもその事実より、「苗字が変わっている」というほうに目がいきました。
「柳楽」
と書いて、「やなぎ・らく」ではなくて「やぎら」。「な」と「く」が落ちています。
実は、タレントでミュージシャンの、
「なぎら健壱」
さんの「なぎら」という苗字も、漢字で書くと、「やぎら」君と同じ、「柳楽」なんですよ。「なぎら」は「や」と「く」が落とされています。
「新宿」のことを「じゅく」、「池袋」が「ぶくろ」とか、人の苗字でも「田淵」さんを「ブッチャン」と呼ぶように、俗語では「頭の方を省略するケース」もありますが、「なぎら」はそれと同じようなことなのでしょうか。
「やぎら」のように真ん中が抜けるケースはあるのか?と考えていたら、
「そう言えば『青柳』さんは『あおやなぎ』ではなく『あおやぎ』だ」
ということに思い当たりました。「あおやぎ」は、「あおやなぎ」の「な」が落ちているのですが、おそらくその経過は、「AOYANAGI」の「NA」の「A」が欠落して、「AOYANGI」(あおやんぎ)
になり、その「N」(ん)も欠落して
「あおやぎ」
になったのではないかと思われます。今回受賞した「やぎら」君も、きっと「あおやぎ」さんと同じように「柳(やなぎ)」が「やぎ」になったということですかね。
それにしても、人の苗字・名前というのは同じ字を書いても読み方が違うし、とっても難しいなあ、と改めて思いました。
あ、やぎら君、受賞おめでとう!

2004/5/25
 
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