◆ことばの話1655「捕らえる」

「あさイチ!」本番前、Nチーフプロデューサーが質問してきました。
「みっちゃん、『とらえる』の送り仮名は『える』か?それとも『らえる』と送るのかい?」
つまり「捕える」と書くか、「捕らえる」と書くか?という質問です。
「うーん、どちらも間違いとは言えないんじゃないですかねえ。『新聞用語集』か『読売スタイルブック』は見はりましたか?」
と言いながらその両方のハンドブックを開いてみると、
「捕らえる」
になっています。よく読んでみると、
「とらえる」捕 とらわれる・と・つかまえる・つかまる・ホ
とあって、その後の「とる」のところに、
「とる」捕 とらえる・とらわれる・つかまえる・つかまる・ホ
とありました。太字が「送り仮名」ですね。
そこから考えると、「捕らえる」と「ら」を送るのは、「つかまえる(捕まえる)」と区別するためではないかと思われます。けど「捕らえる」とするならば、「つかまえる」は「捕える」と送っても区別が付くはずですが、「とらえる」と間違う恐れもあるので「捕まえる」と「まえる」三文字を送っているのでしょう。「捕(とら)える」と送り仮名は二文字でも、読めるとは思うのですが。
これとよく似ているようで似ていない例に「行う」があります。私が小学校の時に「おこなう」の漢字を習った時の送り仮名は、「行なう」と「なう」を送りました。理由は、「行」という漢字は「おこなう」と「いく」という読み方があるので、その区別をハッキリつけるためだと習ったような、微かな記憶があります。だから私は「行う」だと「行く(いく)」にように見えてしまって「行(い)う」と読めてしまうのですね、字数のイメージから。だから、一文字多くなっても「行なう」と送り仮名を送りたくなるのです。
小さい時に覚えたものって、なかなか抜けませんね。だからこそ、小学校ぐらいからの教育って大切だと思うのですがねえ。
おや?話が、えらいところに飛びました。

2004/3/27



◆ことばの話1654「させていただきます」

3月15日、前日の名古屋国際女子マラソンの結果を受けて、アテネオリンピック・マラソンの代表選手3人が日本陸連から発表されました。もう2週間も前のことになりますか。
ご存知のように、Qちゃんこと高橋尚子選手が落選しました。この、代表選手発表の記者会見の時の日本陸連の沢木啓祐強化委員長の話し方が引っかりました。
「女子の選考理由に入らさせていただきます。(中略)高橋尚子について、入らさせていただきます。(中略)坂本くんを選ばさしていただきました。」
というふうに、選考結果と理由を述べる中で、
「〜させていただきます」を2回、「〜さしていただきました」を1回
使ったのです。この「させていただきます」は、丁寧なようで慇懃無礼にも聞こえるし、過剰なへりくだりのように感じます。よく「誤った敬語」に出てくるものです。「させていただく」が訛った「さしていただく」も同様です。4月に刊行予定の新聞協会放送分科会編の敬語の使い方の本にも、
「『〜させていただく』は、謙譲表現として文法的には誤りではないが、相手から特別な許可を得る、恩恵を受ける、許しをもらうなどの場合に使って謙譲の意味を表す言葉なので、多様は避ける」
とあります。オリンピックのマラソン選手の発表というのは「特別な場」であるのは確かですが、やはり多様は避けたいなと思いました。
あ、それにこれって、もし「させていただく」を使うにしても、本来なら、
「入らせていただきます」
「選ばせていただきました」

と言うべきところだから、余分な「さ」が入った「さ入り言葉」でもあるぞ。ダメだ、こりゃ。(いかりや長介ふうに)落選!!

なお、余談ですが3月25日付の「スポーチ報知」によると、沢木強化委員長は「今後のマラソン日本代表選考システムを考え直したい」と明言したそうです。見直す点は「選考基準と、選考レースの数という2点。(陸連と現場で)共通認識を持つようにしたい」と、より明確でシンプルな基準づくりに着手するそうです。それは(遅いけど)良かった。

さらについでに言うと、司会の人が質疑応答に入る時の言葉も引っかかりました。
「ご質問は、社名とお名前をいただいたうえで、お願いします。」
おわかりでしょうか。質問を「いただく」のは自分のほうですから、本来ここは、
「社名とお名前をお名乗りいただいた上で、ご質問をおねがいします。」
「ご質問は、社名のお名前を名乗った上で、お願いします」

とすべきところでしょう。「お名乗りいただく」にするか、もうここでは敬語は省いて「名乗った上で」とすれば、主語と述語の関係が保たれるのではないでしょうか。
ああ、日本語って、マラソンの選考と同じぐらい難しい!!

2004/3/27


(追記)
今日、5月5日で、大阪・天満橋にある百貨店「松坂屋・大阪店」が81年の歴史の幕を閉じます。それに先立つ3月31日には、同じ松坂屋のくずは店が31年の歴史に幕を下ろしました。そのくずは店の前に置いてあった看板に書いてあった文字が、
「3月31日をもって営業を終了させていただきました。」
というものでした。この「させていただきました」は、ちょっと実感がこもって伝わってくるような気がしました。
(参考・平成ことば事情1466「さしていただきます」もご覧ください。)


2004/5/5



◆ことばの話1653「・・・なんてな」

3月20日、「ザ・ドリフターズ」のリーダー・いかりや長介さんが亡くなりました。享年72。早すぎる死でした。
去年の5月に頸部のガンの手術で入院、その後7月には映画「踊る大捜査線」の舞台挨拶に姿を見せて、ファンをホッとさせました。ホッとしすぎて、その後注意を払わなかったので、この訃報にはビックリしました。
その舞台挨拶の時の言葉が耳に残っています。いかりや長介さんは、神妙な面持ちで、
「今後はご迷惑をおかけした分、粉骨砕身、頑張ります。」
ここで、会場のファンから大きな拍手。それをうれしそうに聞き、拍手が収まるのを待って、長さんがボソッと言った一言が、
「なーんてな。」
これはすごい一言とだったと思います。短くてタイミングもバッチリ。俳優としてもコメディアンとしても、その一言に込められていたように思います。
「8時ダヨ!全員集合」での「オイーッス」という一言よりも、この「なーんてな」の方が、いかりや長介さんの一言として、私は長く記憶に留めることでしょう。
心から、ご冥福をお祈りします。

2004/3/26



◆ことばの話1652「最古の銀河」

3月11日の新聞に、
「最古の銀河が見つかった」
という記事が出ていました。それをみた「あさイチ!」プロデューサーのK君が、
「意味がわかんねえよ。埴輪じゃあるまいし・・・。」
と言っていました。たしかにわかりにくい表現です。そこで、ちょっとその、
「最古の銀河」
について考えました。
なぜ銀河についても、古墳のように「古さ」を取り上げるのか?と考えた時に、宇宙での距離に使う単位が、
「光年」
であることに思い至りました。1光年とは、光の速さで1年間に進む「距離」です。「光は1秒間に30万キロメートル進む」と子どもの頃に覚えたのを忘れずにいます。地球を7周半できる距離です。地球一周は4万キロ。そうすると、
1分間に光が進む距離は、
30万キロメートル/秒×60=1800万キロメートル。
1時間に進む距離は、
1800万キロメートル×60=10億8000万キロメートル
1日に進む距離は、
10億8000万キロメートル×24=259億2000万キロメートル
ひと月に進む距離は、
259億2000万キロメートル×30=7776億キロメートル
1年に進む距離は、
7776億キロメートル×12=9兆3312億キロメートル=1光年

ということになります。1回1回、9兆・・・というのは面倒でややこしいから、
「1光年」
というふうに、いわば「デノミネーション」しているわけですね。
私たちの生活の中で、「年」という単位が出てきたら、これはもう「時間の単位」と普通考えますが、宇宙サイズでものを考える場合に出てくる「年」は時間ではなく「距離」を表しているのです。
「時間と距離」の関係は(よく知りませんが)、アインシュタインの相対性理論とか何とか、あるいはタイムマシーンのようなものを連想させますね。「ワープ」とか。
つまりここで言う「(宇宙)最古の銀河系」という場合の「最古」は「古さ」(=時間)
を言っているのではなく、やはり距離を指しているのではないか
と。つまり、
「一番遠いところにある銀河」
という意味がこの場合の「最古の銀河」ではないか?と考えました。
しかしその話を聞いた「あさイチ!」のNチーフ・プロデューサーは、あっさりと、
「いや、それはないやろ。素直に一番古い、ということが言いたいんとちゃうか?」
と、私の此処までの計算の努力を一蹴してくれました。銀河一周、いや一蹴。
皆さんはこの問題、どうお考えでしょうか。時間?それとも距離ですか?
え?こんなヘンなことを考えているミチウラとは、距離を置きたいって?
・・・・どうぞご自由に。

2004/3/26



◆ことばの話1651「来街」

読売テレビの地元・大阪は京橋の「京橋ひがし商店街」というところを、久しぶりにのんびり歩いていると、見慣れない看板が立っていました。そこには、
「ようこそ!来街」
と書いてありました。「来街」。なんて読むんだろうか?「ライガイ」としか読めないよなあ。意味は分かりますが。
Googleで検索したところ、日本語のページで「来街」は1万0700件ありました。思った以上に使われているようです。
「来街者アンケート」「来街者インタビュー」「来街者数」「来街者調査」
「来街者増加」「来街意向」「視察来街」

など、いろいろと使われているようですが、どうも商店街の専門家用語のような感じがします。
日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』にも「来街」は見出しが立てられていませんでした。
そういった専門家用語を表に出しての「ようこそ来街」という看板が、本当にお客さんの側に立って立てられたものなのか、ちょっと疑問が残りますが、意味は分かるから、まあ、いいか。でも、どっちかと言うと、
「ようこそ来来」
の方が、「ラーメンでも食べようかな」という気を、お客さんに起こさせるのではないでしょうかね?(ジョークですよ、念のため)

2004/3/25


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