◆ことばの話1650「トオルちゃん」

こんなことがあるのだろうか。
他局の番組のことをここで言うのはちょっと気が引けるのですが、言わずにはいられない出来事なのです。
ご存知、今シーズン最高の視聴率をたたき出した、大学病院を舞台にしたリメイク・ドラマに関してなのですが、最終回の一つ前の回の放送に関して、こんな話を昨日、耳にしました。それは、
「主人公の五郎が入院してベッドに寝ているところへ駆けつけた義父(=「浜ちゃん・スーさん」の釣り映画の主人公でもある俳優のNが演じている)が、五郎に向かって、『トオルちゃん、大丈夫か』と言った。そして誰もそのセリフ(名前)を間違ったことに気づかずに、そのまま放送された」
というものです。当然「五郎ちゃん」と呼ぶべきところなのですが。
これについては、皆、
「そんなアホな。誰も気づかないなんて。」
という反応でした。私もその回は見ましたが、「トオルちゃん」なんて聞いた覚えはありません。で、この話は「どうせ、ガセネタやろ」ということで終わっていたのですが、今朝、その回のビデオを録画してした人がテープを持ってきたので、みんなで見たところ、なんとNは、たしかに、
「トオルちゃん、大丈夫か」
と言っているではありませんか!少なくとも「五郎ちゃん」とは言っていません。しかも「トオルちゃん」と言えば、関西人ならば皆知っている、
酒井くにお・とおるの「とおるちゃんっ!!」
のギャグを思い浮かべます。間違うにしても話が出来過ぎ。
これは、もしかしたら、「わざと」間違えたのだろうか?年末のNG大賞を狙って。
こんなことがあるのですねえ・・・・。

2004/3/26



◆ことばの話1649「『ふんぷん』と『ひんぷん』」

Jリーグのヴィッセル神戸に、トルコ代表のイルハン選手が来る!というニュースが最初に流れた、2月10日のスポーツ・ニッポン紙。そのイルハン選手が、未婚か既婚かについては、
「諸説紛々」
と書いてありました。「しょせつ・ふんぷん」。これをみて「おやっ」て?と思ったのですが、
「『ふんぷん』と『ひんぷん』は、よく似ているが、意味はどう違うのだろうか?」
ということでした。さっそく辞書を引いてみました。
『広辞苑』
「ふんぷん(紛々)」=入り乱れるさま。「諸説紛々」「紛々たる議論」
「ひんぷん(繽粉)」=多くのものが入り乱れるさま。花・雪などの入り乱れ落ちるさま。日本霊異記(下)「天の星悉く動き、繽粉とまがひ飛び散る」

「入り乱れる」という意味ではどちらも似ているような気もしますね。
『新明解国語辞典』
「ふんぷん(紛々)」=種種雑多な物が入り交じっていて、統一のない様子。「諸説紛々」
「ひんぷん(繽粉)」=(もと、入り乱れる意)(雪や小さな花びらが)ひらひらと舞い落ち、一面に降り敷く形容。

こちらの辞書では「繽粉」のほうは「花や雪」が散る様子、「吹雪」や「花吹雪」のイメージに限られるようですね。
『新潮現代国語辞典』
「ふんぷん(紛々)」=乱れもつれているさま。「木の葉が風に紛々と落ちる」(ヘボン)、「紛々たる人の噂」(浮雲)、「紛々たる萬事」(舞姫)、「紛々として雪をなす」(ふらんす物語)
「ひんぷん(繽粉)」=(「繽」は多いの意)(1)物事の多く盛んなさま。(2)花や雪などの入り乱れ散るさま。

この辞書は「繽粉」の意味を二つに分けています。一部「紛々」と重なるという考え方ですね。
ちなみに、このスポニチの「諸説紛々」の”正解”は、
「イルハン選手は既に結婚していて、生後6か月の子どもがいる」
そうです。あ、もうあれから2か月近く経つから「生後8か月の子ども」ですかね。

2004/3/26



◆ことばの話1648「明るみになる」

後輩のOアナウンサーが朝の番組の中で、
「・・・といったことが明るみになったわけですが・・・」
というのを聞いて、「おいおい・・・」と思いました。これはいわゆる「混交表現」による間違い。正しくは、
「明らかになる」あるいは「明るみに出る」
です。意味をよく考えればわかるはずのものです。その間違いを指摘したところ、
「えー、そうなんですか!?ちっとも知りませんでした」
という答え。こんなの「気をつけたい表現」の本の一番最初に載っているやんか・・・と思って各種「用語集」を見てみたのですが・・・載っていない。おかしいなあ、たしか載っていたと思ったのですが。
Googleで検索してみました。(3月18日)
「明るみになる」=1590件
けっこう間違って使っている人がいるんですね。次は、正しい使い方の二つ。
「明らかになる」=12万7000件
「明るみに出る」=   4090件

おお!やっぱり桁違いに正しい言葉の使い方をしているケースが多いのですね。
この3つのケースにおける、使われている率は、
「明るみになる」= 1,2%
「明らかになる」=95,7%
「明るみに出る」= 3,1%

です。圧倒的に「明らかになる」が使われていますね。続いて、それぞれを「過去形」にしたものはどうでしょうか?
「明るみになった」=   2410件( 0,8%)
「明らかになった」=29万9000件(96,6%)
「明るみに出た」=    7970件( 2,6%)

ということで、より一層、「明らかになった」がよく使われ、「間違い」とされる「明るみになった」は1%以下という数字が出ました。
インターネット検索の件数によって、間違った使い方と正しい使い方の比率が、「明らかになった」わけですが、やはり意味をしっかり考えて、間違いではない表現を使いたいものですね。

2004/3/25



◆ことばの話1647「狙い打たれる」

朝の番組のスポーツコーナーでOアナウンサー(30歳)がこんなコメントを言いました。
「その球(たま)を、狙い打たれたわけですが・・・」
このフレーズに違和感を覚えました。ごこがヘンだと感じたのかというと、
「狙い打たれた」
という部分です。「狙う」+「打たれる」という複合動詞ですが、「狙い打つ」なら違和感はありません。なぜなら、「狙う」と「打つ」という2つの動詞の主語は、「打つ側」で統一されているからです。
ところが「狙い打たれる」の場合は、前半の「狙い」の主語は「打つ側」なのですが、後半の「打たれる」の主語は「打たれる側」なのです。つまり一つの動詞の中で、主語がねじれている状態なのです。そこに私は、なんとも落ち着きの悪さを感じるわけです。
当のOアナウンサーは、
「全然気になりませんねえ・・・よく使われているんじゃないですか?」
とのこと。
これによく似た例としては、
「打ちあがる」
がありました。これも「打つ」+「上がる」という複合動詞ですが、この場合は「他動詞+自動詞」という「ねじれ」が生じていました。同じく「立ち上げる」がイヤだという人もまだまだ多いですが、これも「立つ」という自動詞と「上げる」という他動詞をくっつけることによる違和感です。「立ち上がる」というふうに「自動詞+自動詞」なら、違和感は生じないのですが。
Google検索では、
「狙い打たれた」=504件
「狙い打たれる」=118件

と、やはりまだそれほどの件数はありません。が、確実に使われてはいます。ちなみに、
「狙い打つ」=1870件
「狙い打った」=234件

でした。

2004/3/25

(追記)

この「狙い打たれる」とよく似たケースで、こんなのもありました。
「イノシシに尻をかみつかれました。」
これもちょっとヘンかな、と私は思ったのです。どこがヘンかと言うと、後半の「尻をかみつかれました」というところ。「かみつかれました」を使うなら、その前は「尻に」となると思うのです。「かまれました」なら「尻を」でいいと思うのですが、かみつく」となると「尻に」でないと座りが悪い。尻だけに。にもかかわらず、なぜ「尻を」となるか?というと、その前に「イノシシに」とあるので「尻に」とすると「に」が重なるからでしょう。それを避けて、しかも「イノシシ」という行為の主体も入れるとこうなります。
「イノシシが尻にかみつきました。」
でもこのニュース原稿を書いた人は、きっと「人」を主体に「〜された」という受身形を使いたいのですよね。すると、「尻」は落として、
「イノシシにかみつかれました」
とするしかないんじゃないでしょうか?
何か名案はないでしょうか?

2004/3/29

(追記2)

4月25日、長野県の少年サッカーの会場で「つむじ風」が起きたというニュースで、地元のテレビ信州のアナウンサーが伝えた原稿は、
「テントを舞い上げました。」
となっていて、字幕スーパーも
「テントを舞い上げる」
になっていました。この「舞い上げる」も「舞う」という自動詞と「上げる」という他動詞がくっついてしまって、違和感があります。最近このように複合動詞において、自動詞と他動詞がくっついても平然と使ってしまうケースが目立ちます。気持ち悪くないのかなあ・・・。

2004/4/26



◆ことばの話1646「うれしいひなまつり」

ひな祭りが終わってしばらくした頃、母がこんな疑問を持ってきました。
「この本に載っている『うれしいひなまつり』の作詞者はサトウハチローなんだけど、こっちの本では、山野三郎って人になってるのよ。これって、どういうことなんやろか?」
たしかにその2冊の本では、同じ曲の作詞者の名前が違って載っています。
「ほんまやな、なんでやろ?」
と思いながら、こんな問題こそ、インターネットを使えばおそらく一発で解決できるのではないか?と思い、さっそくパソコンに向かいました。
「うれしいひなまつり」「作詞」「サトウハチロー」
をキーワードにすると・・・出てきました!
そのうちのいくつかにこうかかれていました。
「山野三郎はサトウハチローのペンネームの一つ。」
意外に・・・というか予想通り、簡単に答えが出てきました。サトウハチローは、いくつかのペンネームを持っていたようで、山野三郎のほかに、陸奥速男、並木せんざ、ももいちろ、玉川映二、倉仲佳人、星野貞志、清水操六、熱田房夫、大道寺二郎、北御門春夫などといった20に及ぶペンネームを使って、童謡から歌謡曲・叙情歌・校歌・社歌にいたるまで膨大な「詩(うた)」を作ったようです。
それぞれのペンネームのGoogle検索件数は、
「山野三郎」=89件
「星野貞志」=55件
「並木せんざ」=24件
「陸奥速男」=17件
「清水操六」=13件
「熱田房夫」=7件
「ももいちろ」=2件
「大道寺二郎」=1件
「北御門春夫」=1件
「玉川栄二」=0件
「倉中佳人」=0件


でした。「山野三郎」は、比較的よく使われていたのでしょうか?それとも「うれしいひなまつり」の作詞者の名前としてよく出て来るということでしょうかね。
あ、でもそもそもカタカナで書く「サトウハチロー」もペンネームだ。本名は、
「佐藤八郎」
ですから。Google検索では
「サトウハチロー」=6180件

やっぱりこのペンネームが一番知られていますね。「小さい秋見つけた」の作詞者としても。
「八郎」という名前は、祖父・弥六が、八番目の孫ということで「八郎」と名づけたが、実は九番目の孫だったことに後で気付いたそうです。
また、「サトウハチロー」というペンネームを使い始めたのは大正13年(1924)12月頃からで、当時、他にも詩を書いている同名の人がいると知ったため、紛れないようにカタカナにしたようです。大正13年(1924年)というと、関東大震災の翌年ですね。
それにしてもこんなにペンネームをたくさん持っているというのは、どういった心境からだったのでしょうかねえ・・・。
読売新聞文化部編『唱歌・童謡ものがたり』(岩波書店1999,8)の10〜11ページ「うれしいひなまつり」には、作詞者が「サトウハチロー」になっていて、この曲が白黒テレビから流れてきたのを耳にしたハチローが、次男の佐藤四郎に「おい、切れよ」と不機嫌そうにいったというエピソードが載っています。実はこの曲をハチローは嫌がっていたとのこと。理由は、「三番で白酒を飲んで赤い顔というのが右大臣だというが、実際の若い右大臣の顔を白く、赤い顔をしているのは年寄りの左大臣のほうだ」「『お嫁にいらした姉(ねえ)様』と、身内に敬語を使ってしまった」という「詩の不備」な点、そしてもう一つは、「歌を作ったころ、既にみな他界していた同じ母を持つ姉妹への思いではないか」と佐藤四郎氏は語ったそうです。ピアノの手ほどきも受け、詩的なものの見方などの面で大きな影響を受けた4歳年上のハチローの姉が、嫁ぎ先も決まっていたのに胸を患って嫁に行けず、18歳で亡くなくなったという出来事があったそうです。
童謡の詩の背景にも、いろいろな面があるのだなあと改めて感じました。


2004/3/25


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