◆ことばの話1640「へたれ牛・へたり牛」

アメリカでBSEに感染して症状が出た牛のことを、
「へたれ牛」
と呼んでいると当初伝えられましたが、このところその表現が、
「へたり牛」
に変わっているようです。一体どっちが正しいのでしょうか?と、Wアナウンサーから質問を受けました。
語感から言うと、「へたり牛」は何かの理由でへたりこんでいる牛を客観的に表現したもので、「へたれ牛」は、頑張ろうと思えば頑張れるのに、根性がなくてへたり込んでいる、と見るものの目からは判断できる状態。つまり「へたれ牛」の方が、その人の主観が入り込んだ言葉のように思えます。せっかく育ててきたのに「へたり」やがって・・・という生産者の目・・・でしょうか?そんなことはないか。もっと愛情を注いでいますよね、生産者の方は、ゴメンナサイ。
Google検索(3月16日)では、
「へたれ牛」= 157件
「へたり牛」=3820件

と、「へたり牛」が圧倒的に(20倍以上)使われているようです。
意味の違いを考えましょう。「へたり」は「へたる」という動詞の連用形のようですが、連用形なのに、「牛」という体言(名詞)に接続するのはどうしてでしょうかね?いきなり疑問が。「へたる」を活用させると、
未然形「へたら(ない)」
連用形「へたり(ます)」
終止形「へたる」
連体形「へたる(とき)」
仮定形「へたれ(ば)」
命令形「へたれ」

で、良かったんでしたっけ?五段活用。これでみると、「へたり牛」の「へたり」は連用形です。連体形は「へたる」。そうすると、これは「連用形+名詞」ではなくて、
「連用形の名詞化したもの+名詞」
と考えられますね。「歩く」という動詞の連用形が名詞になった「歩き」などと同じではないでしょうか。そうそう、「へたる」は載ってる辞書と載ってない辞書があって、「へたりこむ」は載っていても「へたる」は載っていない辞書もありました。で、その「へたる」の意味は、『岩波国語辞典』によると、
「へたる」=(1)体が弱って力が抜ける。へたばる。(2)使い古して弱くなる。また、張りはなくなる。
とあります。でも、このことば、大阪弁っぽい音の響きがあります。「へ」が入っているためでしょうか。「へ」=「屁」の連想ですかね?『大阪ことば事典』を引いてみると、
「ヘタル」=「へたばる。すわり込む。また、弱る。」
とあり、さらに、
「『全国方言事典』によると、神戸では「疲れはてる」の意味で、また、奈良・香川・京都・大阪・神戸・岡山・広島では「坐る。臀をつけて坐る。という意味で、そして、福井県遠敷郡・滋賀県蒲生郡・三重県阿山郡・奈良・大阪府泉北郡・香川では「倒れる」の意味で使われる」
とも記してあります。また、「へたばる」は、
「ヘタバル」=「ぺったりと座り込む。また、病気にかかって寝込んだり、物事を中途で投げ出す場合などにもいう。また、ヘタル。さらに訛って、ヘチャバル。」
とありました。ということで、「へたる」は関西起源の言葉で、一応全国で使われていると考えられるのではないでしょうか。
さて、もう一方の「へたれ牛」ですが、「へたれ」が動詞「へたる」の活用形と考えると、仮定形の「へたれ」かなと思うところですが、そうなのでしょうか?「へたれ牛」の「へたれ」とよく似たニュアンスの活用形としては「腐る」の関連で、
「くされ縁」
というのがありますが、これは「くさり縁」とは言いませんね。「くされ外道」とかの言葉もありますが、これ以上言うと下品になりそう。
逆に考えて見ましょう。「へたれ」が連用形だと考えると、元の動詞が「へたれる」ということになります。この「へたれる」は辞書に載っていませんが、Googleでは416件検索できました(3月16日)。「へたれる」があるとするならば、「へたり牛」と「へたれ牛」の違いは「元の動詞が違う」と言えるのですが。
いずれにせよ、「へたれ牛」の場合の「へたれ」は、音感は似ていますが「屁たれ」とは関係ないのではないでしょうか。え?誰もそんな質問はしてないって?そうでしたっけ??

2004/3/16



◆ことばの話1639「テロとゲリラ」

先月(2月)、東京の防衛庁の敷地に迫撃砲が打ち込まれるという事件がありました。それを朝のニュースで伝えたWアナウンサーから質問が出ました。
「こういうケースは『テロ』ですか?それとも『ゲリラ』ですか?そもそもテロとゲリラの違いはなんですか?原稿は『テロ』で字幕スーパーが『ゲリラ』になってたんですけど。」
最近、難しい質問ばかりです・・・。
「うーん、『テロ』と『ゲリラ』は違うなあ。『ゲリラ』は、スペイン語で『戦争』を意味する『ゲラ』の、規模の小さいやつだよね。だから戦闘の方式を指しているんじゃないかな、『ゲリラ戦術』とか。またそういった戦術を取る連中のことを指して『ゲリラ』と呼ぶこともあるようだね。『テロ』は、もちろん『テロリズム』の省略形で、『恐怖』を意味する言葉『テラー』から来てるんでしょ。こちらは、思想的な背景を持った、無差別攻撃のことを指すように思うね。」
「ふーん。」

と、一応の納得はしてもらったものの、私も不安なので、調べてみました。
『明鏡国語辞典』を引くと、
「ゲリラ」=「正規軍ではない小部隊が奇襲などによって敵を混乱させる先方。またその小部隊や戦闘員。」
「テロ」=「政治的目的を実現するために暗殺・暴力・破壊活動などの恐怖手段や、その脅威に訴えることを是とする主義。また、それに基づく暴力行為。テロ。」

とありました。最初の私の答えは当たらずと言えども遠からじ。でも説明不足でしたね。
「テロ」のすぐ横に、
「テロル」(ドイツ語)=「暴力を手段にして敵対者を威嚇すること。テロ。」
というのも載っていました。そう言えば沢木耕太郎に『テロルの決算』という作品がありました。大学の時に読んだ覚えがあります。
さらに、9・11の後に読んだ本で、その名もズバリ『テロリズムとは何か』(佐渡龍己、文春新書、2000,9,20)というのを書棚から引っ張り出してきました。
その中で目立った記述を取り上げると、

「テロリズムは犯罪という見方は間違っている。日本政府はテロリズムを犯罪と規定している。」(36ページ)
「一九八四年頃から米国政府は、テロリズムとは国際組織による戦争の一手段である、という認識を持ち始めた。(中略)テロリズムは戦争の一形態なのである。」(39ページ)

この本が出されたのは、9・11テロのちょうど1年前。ということは「これはテロではない、戦争だ」という例のブッシュ大統領の発言の前から、「テロは戦争」という認識をアメリカ政府は持っていたのですね。

「『テロリズム』という言葉が初めて使用されたのは一七九五年であり、この言葉が最初に使用されるようになった淵源は、フランス革命にある。(オックスフォード英語大辞典OED)そして、テロリズムという言葉は『terror』と『-ism』に分解することができる。
terrorは動詞として『恐怖で打ちのめす』という意味があり、『-ism』は動詞から行動を現す名詞を形成し、システムという意味がある。これらをまとめてテロリズムとは、『恐怖のシステム』(A system of terror)と解することができる。terrorの語源であるラテン語の『terreo』は、驚かす、恐れさせる、不安にする、の意味のほかに『脅して追い払う、脅してやめさせる』の意味がある。この言葉が手段と目的を含む。これは現在使用されているテロリズムという言葉の原義を示している可能性があり、特に注目すべき重要な点である。」(47ページ〜48ページ)
「テロリズムであるためには、『恐怖』を何かの目的のための手段として使用することが必要である。テロリズムの本質である『脅して、追い払う、あるいはやめさせる』における『脅し』は、相手に対して『恐怖』を与え、わが意志を強制することにある。」(102ページ)

そしてテロリズムの特徴を、次の3つに集約しています。
(1)見えない戦争
(2)交戦しない戦争
(3)心の戦争

こういったことを踏まえてこの本では、政府、企業、旅行者への提言も記されていますが、詳しくはこの本をお読みください。大変勉強になります。

そう言えば「北朝鮮による拉致」も、被害者家族の方々は「北朝鮮のテロである」と主張しています。たしかにあれは「ゲリラ」ではありませんね。
これについて書こうと思いながら放りっぱなしにしている間にも、3月11日、スペインのマドリードで、列車に仕掛けられた爆弾が爆発して200人近い人が亡くなるという痛ましい事件が起きました。これは「テロ」事件です。爆発のあったアトーチャ駅には私も何回か行ったことがありますが、有名なプラド美術館や、ピカソの「ゲルニカ」があるソフィア王妃美術センターからも程近い場所です。スペイン南部のセビリアやコルドバへ行きの超特急・AVAのターミナルでもあります。駅構内はまるで植物園のようにさまざまな木々が植えられていて、ちょっと日本では見られない異国情緒を味わえる駅でもあります。
スペイン政府は「ETA(バスク祖国と自由)の犯行だ」としていますが、ETA側は「アラブの犯行だ」として、自らの関与を否定しています。これまでETAは半世紀近くにわたってテロ行為を繰り返してきましたが、その犠牲者は総数で800人。それが今回はたった1回のテロで200人近い犠牲者が出ました。その大胆な手口から考えると、もしかしたらETAの犯行ではないかも知れません。
21世紀をテロの世紀にしないために、我々は「心の戦い」と向き合う必要があるのではないでしょうか。

2004/3/12




◆ことばの話1638「カトレアとカトレヤ」

3月10日、お昼のニュースで大阪・鶴見緑地の「咲くやこの花館」で開かれている「洋ラン展」の話題を放送しました。その原稿(=契約している共同通信の記者兼カメラマンが書いて送ってきたもの)を見ていると、リード部分は「カトレヤ」と書いてあるのですが、本文では「カトレア」になっています。「ヤ」か「ア」か。どちらでも聞く分には大して変わらないのですが、気になります。「広辞苑」を引いたら「カトレア」と載っていたので、結局「カトレア」で放送しました。
放送後にいろんな辞書を引いて見ました。その結果は、
<カトレヤ>・・・・2
『新明解国語辞典』(三省堂)=カトレヤ
『三省堂国語辞典』(三省堂)=カトレヤ


<カトレア>・・・・7
『日本国語大辞典』(小学館)=カトレア
『広辞苑』(岩波書店)=カトレア
『日本語大辞典』(講談社)=カトレア
『明鏡国語辞典』(大修館書店)=カトレア
『岩波国語辞典』(岩波書店)=カトレア
『新潮現代国語辞典』(新潮社)=カトレア
『デイリーコンサイス国語辞典』(三省堂)=カトレア


ということで、手元の辞書では「カトレア」派の勝利のようですね。
そして共同通信社の『記者ハンドブック・新聞用字用語集・第9版』を見てみると、
「カトレア」
で載っていました。冒頭の原稿を送ってきた共同のカメラ・記者さんは、混乱したのかな?
また「NHKことばのハンドブック」にも
「カトレア」
で載っていました。そして、読売新聞社の『読売スタイルブック2002』を見てみると、
18ページの「外来語表記の標準」というところに、
「イ列、エ列の音の次の『ア』は、『ヤ』と書かずに『ア』と書くのを本則とする」
と記してあるではないですか。ということは、日本新聞協会の『新聞用語集』にも、きっと同じことが書いてあるぞと思ってみてみると、ありました!やっぱりまったく同じ記述です。正解は、
「カトレア」
ということですね。ただ、この例外としては、
「カシミヤ」「コンベヤー」「ロイヤルミルクティー」
が挙げられていました。

2004/3/11

(追記)

NHKの塩田さんから、
「アかヤかについて、以前に書いたものがありましたので、送ります」
と連絡があり、『日本語あれこれ事典』(『日本語学』2002年11月号臨時増刊号)の中の「ダイヤルかダイアルか?」を送ってくださいました。それによると、この表題のクエッションに関しては、「ダイヤル」の方が一般的、としています。ただ、旧文部省の「外来語の表記」には、上の↑『読売スタイルブック』と同じこと(アが原則)が書かれていて、例外として「ヤ」と書くのは「タイヤ」「ダイヤモンド」「ダイヤル」とあるそうです。
そして1951年版と1998年のNHKアクセント辞典を比べて「ヤ→ア」に変わったものとして、「アカシア」「カナリア」「ダリア」「マラリア」「ローラーカナリア」が挙げられ、「ア→ヤ」の変化は一つもないそうです。
また、昔も今も「ヤ」のものとしては「ギヤマン」「ダイヤ」「ダイヤモンド」「ダイヤル」「タイヤローグ」「ビリヤード」「メリヤス」で、昔は「ヤ」が多く、今は「ア」が多いとのこと。理由としては「推測ですが」と断った上で、
「借用の方法が『耳で聞いた原音主義』から『綴りに準じた準綴(じゅんてつ)主義』に変わってきたことと関連があるように思う」
と記されていました。つまり「耳から入る外来語」から「目から入る外来語」に、主流が変わってきたということですね。
塩田さん、ありがとうございました。


2004/3/15



◆ことばの話1637「新撰組か?新選組か?」

NHKの大河ドラマでやっている「新選組!」。私は見たことはないのですが、大河ドラマファンはやはりたくさんいるようで、そういった層にアピールすべく、「新選組」関連の本が、本屋さんの店頭には所狭しと並んでいます。
それを眺めていて気付いたのですが、この「しんせんぐみ」の表記、2種類あるのですね。「新撰組」と「新選組」。「せん」の字が、「てへん」か「しんにゅう(しんにょう)」かの違いです。その書店の店頭で数えたところ、
「新選組」:「新撰組」=10:2
で、「新選組」の方が圧倒的に多かったです。ドラマの影響でしょうかね。(ドラマは「新選組」という表記です。)
GOOGLEで検索しました。(3月5日)
「新選組」=15万8000件
「新撰組」=11万1000件

うーん、接戦ですね。どちらも多いが、「新選組」がリード。
漢和辞典で「選」と「撰」を引いてみると、「選」は文字通り、「えらぶ」という意味ですが、「撰」の方は、「とる」「そなえる、そなわる」「あらわす、著述する、詩文を作る」「あつめる、編集する」「つくる」という意味があって、それとは別に「えらぶ、えりわける」という意味も載っています。
私は「新撰組」派だったのですが、もしかしたら、「撰」の字が常用漢字でないから使えないのかな?と思って調べたら、やっぱり「撰」は常用漢字に載っていませんでした。だから、ということもあるのでしょうかね。
『新明解国語辞典』で「新撰」を引くと「表記」として、
「『新選』は、代用字」
とありました。『明鏡国語辞典』で「しんせん」を引くと、「新選・新撰」と書いてあって、同じく「表記」として、
「『新選』は『新撰』の新しい書き方。『新選数学問題集』『新選/新撰美術大系』『新撰万葉集』『新撰朗詠集』などと使う」
とありました。『岩波国語辞典』では、
「新撰」=新たにえりすぐる、特に編纂(へんさん)すること。
「新選」=新たに選ぶこと。

となっていました。微妙な意味の違いがありそうです。『新潮現代国語辞典』は、
「新撰・新選」=書物などをあたらしくえらび作ること。あらたに編修すること。また、そのもの。
とありました。「編修」って見慣れないな。「編集」は見慣れているけど。
「編修」=書物をあみ整えること。また、その人。多数共著の辞書などで編著の中心人物をいうことが多い。
へえー、そういう意味だったのか。「編集」した「監修」のようなものでしょうか。
元に戻って、「新撰組」か「新選組」か?
ただネットで調べると、実は当の「しんせんぐみ」の人たちも「新撰組」と「新選組」の両方の表記を使っていたようで、そういう意味では「どちらも正しい」ということになるのでしょうかね。

2004/3/11

(追記)

昨日、会社帰りに、会社の近くの別の本屋さんで調べると、なんと、
「29対0で、新選組」
でした。「新撰組」は「ゼロ」でした。

2004/3/17



◆ことばの話1636「ポリオと小児まひ」

Sアナウンサーから、また質問メールです。
「小児マヒって言葉は、使っちゃいけないんでしたっけ?」
「どうして?」
「インタビューに答えたお医者さんが『ポリオ、昔は小児マヒって言いましたが、今は言いません』というようなことを言っていたのを見たからなんです。」
「どうなんだろう?調べてみよう!」

ということで、読売テレビの『用語ガイドライン』などを読みましたが、特にそういった具体例は載っていません。
日経テレコンで、各新聞のキーワード検索をして見ました。(3月2日)
2003年3月3日から2004年3月2日までで、

「小児まひ」
「小児マヒ」
(日経)
120
(朝日)
40
72
(毎日)
49
72
(読売)
30
72
(産経)
14
合計
132
350

という結果でした。ちなみに「ポリオ」も「小児マヒ」とまったく同じ350件!そこで「ポリオ・小児マヒ」という二つをキーワードに検索したところ、思ったとおり350件出てきました。これはどういうことをさしているかというと、おそらく「小児マヒ」と「ポリオ」という二つの言葉は同時に使われているのではないでしょうか。例えば、
「ポリオ(小児マヒ)」
という具合。ちなみに「ポリオ・小児まひ」(「まひ」がひらがな)で検索すると、42件でした。内訳は、日経4、朝日5、毎日20、読売9、産経4です。
ここで全期間に対象を広げました(1975年1月1日から2004年3月2日までの29年2か月)。結果は、

(ポリオ)  5915件
(小児マヒ) 5915件
(小児まひ) 1780件

と、またもや「ポリオ」と「小児マヒ」は、まったくの同数でした!
ついでに同じく全期間で、「小児マヒ・ポリオ・言い換え」をキーワードで検索すると、7件でした(読売5、産経1、日経1)。
現在は「ポリオ(小児マヒ)」あるいは「小児マヒ(ポリオ)」という表記が新聞では使われていると推測されます。

2004/3/11

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