◆ことばの話1625「訪日と来日」

2005年春入社”予定”のアナウンサーの卵君からメールが来ました。

「テレビを見ていて疑問に思ったことがあったのでお聞きします。【訪日】と【来日】という言葉があります。テレビでこの使い分けはあるのでしょうか?ちなみに広辞苑では、『訪日』は『他国の人が日本を訪れること』で、『来日』は『外国人が日本に来ること』とありました。もしよろしければ教えてください。」

うん、よしよし、言葉の微妙な違いに興味を持つのはいいことですゾ。そう思って、ちゃんと返事のメールを送りました。

「『訪日』と『来日』の言葉の違いは、その言葉を発する人の立場の違いによります。『訪日』は、訪れる外国人の視線に立った表現、『来日』は、その外国人を迎える側の日本人の視線での表現と言えるでしょう。君も私も日本に住んでるから、どちらも同じだと思うだろうけど、例えばアメリカに行くのを私たちは『訪米』というけど『来米』とは言わないことを思えばわかりやすいかな。」

というようなことで、私も考えさせられる質問だったので、なかなか楽しませてもらいました。ちなみに大阪に来るのは「来阪」、青森に来るのは「来青」、北海道に来るのは「来道」、熊本に来るのは「来熊」、沖縄に来るのは「来沖」、と書きます。各道府県の新聞ではよく見かける表現です。読み方は、「ライハン」「ライセイ」「ライドウ」はわかるけど、「来熊」は「ライクマ」かな?「来沖」は「ライチュウ」かな?「ピカチュウ」の仲間のようですね。関係、ないか。

2004/3/5




◆ことばの話1624「入学の条件」

地下鉄に乗っていて目に入った英会話学校の広告ポスター。その、下のほうに書かれた小さな文字に目が留まりました。

「外国語の習得は日常不断の努力が大切です。入学にあたっては、案内書をよく確かめてからお申し込み下さい。」

ウン?これはつまり、

「入学しても、学校に来て受身の授業を受けるだけで英語が上達するなんて甘い考えは、お捨てなさいよ。自分で本気でやらない限り、英語なんて身に付かないんですよ!」

という、当たり前だけどつい忘れてしまいがちなことを書いてあるのですね。それだけ道は厳しいと。「英語習得に王道なし」ということですね。
うーん、さすが、べ○リッツ、厳しい指導ということですか。
ほかの英会話学校はどうなんだろうか?と思って地下鉄車内を見回すと、あるある、英会話学校の広告だらけ。「あ、ジ○スも同んなじ文章が書かれている!あ、イー○ンも!!E○Cも!!!」

ホームで見つけた「○バ」の広告にも、ほぼ同じ文章が書かれていました。違ったのは、「入学」「入学案内書」の部分が「受講」「受講案内書」になっていただけ。いっぱい聞けていっぱいしゃべれても、やはりちゃんと地道な勉強をしないと上達しないんだ・・。
ということは・・・・・英会話学校業界で、この注意書きを書くことは申し合わせているのではないか?なぜ、そのようなことが必要なのか?というと・・・入学してみたもののちっとも上達しない、そこで自分の能力と努力不足を棚に上げて、
「私が上達しないのは、学校側の教え方が悪いからや!」
とクレームをつける輩がけっこういるということでしょうかね?
「機会の平等」と「結果の平等」を、履き違えてはいけませんね。
それにしても大阪市の地下鉄には、英会話学校の広告、多かったなあ。
2004/3/7




◆ことばの話1623「105円に・・・」

会社の近くの京橋の駅の売店での話(1月27日)。のど飴を一つ購入しようと、手にとってレジに持っていくと、レジの女性がこう言いました。
「105円になってまーす。」
お!
最近批判される言い方の「105円になります」という場合は、
「『なります』とは、なんじゃい!『です』とキッパリ言えんのかあ!!」
と厳しいツッコミが入りますが、これはちょっと語尾が違いました。
「105円になってます」
です。「なります」だと、上に書いたように
「まだ、なってないのか。いつ、なるんじゃい!」
と突っ込まれることもあります。しかし、「なってます」だと、既に「なってる」わけですから、客が文句をつけることができません。うーん、たしかにそのレジ係のアルバイト店員が値段を決めたわけではなく、
「価格について文句を言われても私は困るわ。最初からそうなってるんだもの。文句言わないで。」
という気持ちも分からないではない。そこから生まれてきた言い方なのでしょうかね?
まだ、この売店以外では聞いたことがないですが、今後増えるかもしれませんね、この言い方。でも「責任逃れ」のように聞こえないでもないので、お客様側から言うとこれでも文句出そうですけどねえ・・・。
2004/3/7



◆ことばの話1622「ヨシとアシ」

土曜日。家でくつろいでいると、昼のニュース担当で新人のAアナウンサーから、電話です。
「道浦さん、『葦原』というのはヨシハラでしょうか?それともアシハラでしょうか?」

「本来はアシだね。でも『アシ』は『悪し』に通じるので『ヨシ=良し』に言い換えることがあるんだよ。これを『忌み言葉』と言います。地名では、芦原をアシハラと読んだりヨシハラあるいはヨシワラと読むことがあるので、逐一、確認が必要だね。忌み言葉は、ほかに『スルメ』は『磨(す)る』に通じて博打などをする人には縁起が悪いので『アタリ(当たり)メ』と言ったり、結婚式などのおしまいに、『終了』『終わり』『閉会』と言うかわりに『お開(ひら)き』『結び』なんて言うのもそうだね。」


とやさしくアドバイスしておきました。
そう言えば、淀川のヨシハラも、そろそろヨシ焼きの季節。春はもうすぐそこまで・・・。
2004/3/5



◆ことばの話1621「寿司イッカン」

お寿司の数え方についてです。最近たまに回転寿司屋さんに行くのですが、その際にお寿司の数え方として、
「一貫」
というのを目にします。「イッカン」と読みます。この「一貫」は、果たしてお寿司の握り1個で一貫なのか、それとも(一皿に2個乗ってくるので)2個で一貫なのか?という話です。去年の秋に行ったAという回転寿司屋では、ポスターに、
「お持ち帰りは、四皿8貫から」
と書いてありました。つまり、「一皿はニ貫」ということになります。一皿に普通は2個乗っていますから、「2個=二貫」、「1個=一貫」という算数の計算になるわけです。そして最近行ったBという回転寿司屋さんでは、
「生いくら 特選一貫」
と書いてありました。この「特選一貫」の生いくらは、「一皿1個」乗っていました。この店でも普通は「一皿2個」で100円なんですけど、ちょっと贅沢に「大きめのネタ」だったり「高いネタ」は、「一皿1個」なんです。
「通を唸らす二貫巻き。ひらめ、えんがわ」
これは「通(つう)」も唸るけど、2個で100円。それで唸るのかも。
と言う具合に私が行く回転寿司屋さんは、「1個=一貫」としているようです。
これについて、実は国立国語研究所が調べて書いたものがあります。『言葉に関する問答集〜よくある「ことば」の質問』(新「ことば」シリーズ14)で2001年の6月に出たものです。割と新しい。少し長いが引用しましょう。それによると(20〜21ページ)、

「ある国語学者は、二個を単位として『カン』と数えるのは、天秤棒や振り分け荷物を背負って運んだむかし、両端にぶらさげた荷物をいっしょに『荷(カ)』と数えたのと関係がある、という仮説をたてています。(中略)寛政九(一七九七)年の『大成筆海重宝記』に、たるを『二ツは一荷(カ)』現代のトランクにあたる葛篭(つづら)や鋏箱(はさみばこ)を『二ツ一荷(カ)』、『新板用文章』では、樽を『一樽。一荷ハ二ツ』とあるそうです。近世に、二つを単位に物を数える助数詞『荷(カ)』が使われたことは証明されます。(中略)『カ』が『カン』に訛ったかどうかは未解決です。また、大正九(一九二0)年の志賀直哉の小説『小僧の神様』で、すし一個が実際には六銭で、四銭だと思っていた小僧が一度触った鮪を店に戻す場面があります。明治以降大正時代まで、十銭のことを『一貫』と俗に呼んでいたので、一個五銭のすし二個で十銭すなわち『一貫』ではなかったか、という別の説です。(服部栄養専門学校教授 飯野亮一氏説)さて、現代のすし店では、『かん』は、すし二つを数える場合と一つを数える場合の両方があります。一個ずつを『かん』と数えるのが本来とする説は有力だそうです。当初、大判の海苔を使ったのり巻き一本の長さの三分の一が、すし一個の大きさと同じだったことから、同じ『巻(カン)』で数えるのだそうです。」

と山田貞雄さんが書いてらっしゃいます。ということは、「一貫=1個」説が有力ではあるが、「一貫=2個」説も根強くあるということで、結論は出ないということですか。うーん、でも「カン(勘)定」はどちらでもキッチリ払わないといけませんね。
2004/3/4


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