◆ことばの話1575「まいります」

この1年、新聞用語懇談会の放送分科会で、「敬語」について考えているもので、街中でも「敬語」に耳をそばだてています。特に、駅などでの録音された案内の音声。注意して聞いてみると微妙な違いがあるようです。
この間、JR京都駅で聞いたアナウンスは、
「電車がまいります」
でした。これは電光掲示板に出ていた文字も「電車が参ります」でした。
さすが、京都は丁寧だなあ、と。
というのも同じJRでも 大阪・京橋駅では、
「電車が到着します」
というのですね、これが。味もそっけもない。同じく京阪・京橋駅も、
「2番線に出町柳行き急行が到着します。」
という「到着」派でした。
ふと気づくと、うちのマンションのエレベーターも、モノをしゃべるヤツになっていまして、このあいだ1階から乗ると、こう言いました。
「上にまいります」
おお!丁寧ではないか。謙譲語を使ってますね。でもよく考えたら、しゃべるエレベーターは大体すべて、
「上にまいります」
と言いますね。
「上に行きます」
とは言わないなあ。丁寧だなあ。
しかし電車の場合は電車を運行している電鉄会社がお客様に向かって、またエレベーターもエレベーター本人(本体)がお客に向かってへりくだった言い方の「まいります」を使っているので問題はないですが、最近よくマラソンの実況などで、
「先頭の選手がスタジアムに入ってまいりました」
なんてアナウンスがありますが、これは本来、選手の側にいるわけでもないアナウンサーが、視聴者に向かって選手をへりくだった立場におく必要はないのではないか、という話が放送分科会で出ました。しかし、
「この場合は、もう本来の『謙譲』の意味合いは失って、単なる『丁寧語扱い』なので許容されるのではないか」
という意見が出てみんな「なるほど」と納得したのでした。まいりました。

2004/2/2

(追記)

2月12日、会社のエレベーターの一つ(日立製)でしゃべるエレベーターがあるんですが、これがやはり、
「上にまいります」
としゃべっていました。また、地下鉄堺筋線・北浜駅のホームでは、
「まもなく電車がまいります」
とやはり「まいります」と丁寧でした。

2004/2/12

(追記2)

FUJITEC製のエレベーターも、「上にまいります」「下にまいります」でした。エレベーターは丁寧ですね。また、最近乗った新しいビルのエレベーターは、
「23階(がい)です」
というふうに、「23カイ」ではなく濁って「23ガイ」と言っていたので、驚きました。

2004/2/19


◆ことばの話1574「1968年の“みたく”」

2000年の9月から2001年の2月までの半年間、大阪大学大学院の受託研究員として、真田信治先生の下で社会言語学の勉強をさせてもらったことがあります。(卒業証書はもらっていません。)そのときに研究室にある言語関係の雑誌を紐解いていて見つけた資料の、コピーが出て来ました。それは『言語生活』1968年(昭和43年)9月号の座談会です。テーマは「気になることば」。出席者は、入江徳郎(朝日新聞論説委員・当時)、大石初太郎(専修大学教授)、見坊豪紀(著述家)、そして若き日の曽野綾子(小説家)という面々です。曽野さんの写真が若いんですナア、これが。なんと言っても36年前ですから。
私も、現代からその座談会に参加した気分で「へえー」と思ったものを書き上げます。

(大石)「近頃の『合理化』ということばが非常に気になることばの一つなんですがね。」
(見坊)「昔の人員整理に当たるわけですね。」
(入江)「首切りということですね」


近頃ではこれは「リストラ」ですね。「合理化」も流行り言葉だったんだ。「首切り」という現実を、少しでも言葉でやんわりとさせるために、その時々で直接的ではない言葉が使われるんですね、こういうことには。

(曽野)「この間アメリカで旦那さんをなくした若い日本の女性にあったんです。(中略)『何しろわたしはね、主人のほねをもって日本に帰ったのよね』(後略)骨(こつ)じゃないんです。ほねなんです。ちょっと楽しかったです。」
(大石)「骨(こつ)なんていうのは古語かな、もう」


いえ、やはりそれは「コツ」でいいと思います。でも去年、沢たまきが亡くなった時(2003年8月)に、沢たまきと『プレイガール』で共演していて告別式に来ていた桑原幸子(ゆきこ)さんは「おねえがお骨(ほね)になっても」。
と言ってましたから、36年前も今も、状況は変わっていないのかも。

(大石)「学生が『あの先生は漢詩などを扇面によく認(みと)めるんです』というんですよね。わからなかったですよ。何だろう。考えてみたら、『認』という字ですね、あれ『したためる』と読めないものだから、『みとめる』になっちゃった」
(見坊)「文字を通して覚えちゃったんですね。」
(司会)「『ざりこみ』なんてそうですね。」
(大石)「『すわりこみ』ね」
(入江)「『ざりこみ』のほうがなんだかすわりこんでいるようだ。じゃりの上に(笑)。」

たしかに。「認(したた)める」は読めないかも。このあと、司会の人がこんなことを言っています。

(司会)「いまの若い人、『みたく』ということいいますね。『みたいに』とぼくらはいう。はじめ一人二人から聞いて、あ、これはおもしろいいいかただと思っていたら、もう非常に広がっているように思うんですけれども、どうでしょう。」
(見坊)「『つかれてみたくなった』とか?」
(司会)「そうじゃなくて。」
(曽野)「『こじきみたくなった』といういいかたでしょう、ぼろぼろになって。」
(入江)「ずいぶん目ざわりだな、それこそ。誤植かと思いますね。」
(大石)「書いたものにはまだで出ていないでしょう。」
(司会)「使っている連中がまだ物を書く年になっていないんじゃないかと思いますけれどね。」
(曽野)「子どもからぼつぼつ青年ぐらいのところかしら。」
(司会)「わたしのところに来る営業の人、ですから大学でているわけですよね。その人が使うんです。」
(大石)「そういえば、栃木県出身の青年が使っているのを聞いたことがある。あちらの方言にあるのかな。」
(曽野)「わたしの知っているのでは、東京都内出の、女子大を出た人ですね。それから、あれは電気のほうの大学をでたんだろうと思います蹴れでも、そういう人たちがよく使うんですね。」


そうだったのか!「みたく」は、せいぜい1970年代後半から1980年台に8かけて、泉麻人さんあたりが活字で使い出したのかと思っていたら、1968年に既に使われていたのですね、関東では!これは発見した!という感じですねえ。
このほか、

(入江)「『停年』を『定年』に変えましたね、いつのまにか。これはなかなかヒューマニズムがあっていいです(笑)」

この頃に変わったのですか、「停年」から「定年」に。

(入江)「『オールドミス』といわないで『ハイミス』とかね。この『ハイ』には月給が高いという意味もあるらしいですね。教養も高い。年齢も高いが高級なるという意味がある」
(大石)「できたころは、『ハイミス』は『オールドミス』よりも感じがいいわけなんだけれども、使いなれてくるとまただめになっちゃいますね。」
(入江)「手あかがついてね」


いまはもう、「ハイミス」なんて言いませんねえ。

(見坊)「『共働き』ということばがありますね。このごろわりあいに使われているらしいですが。あるとき『共働き』ということばがある席で問題になったんだけれども、ご列席の言葉の専門家たちがだれ一人知らなかった、という話聞いたことがあるんですよ。」
(大石)「いつごろのことですか。」
(見坊)「去年だったと思います。(中略)少なくとも六、七年前から使われているんですね。」
(大石)「ぼくの聞いたのは、もっと古いんです。知人が結婚したときだから十年ぐらいになりゃせんかな、あのときに、近頃は『共かせぎ』といわないで『共働き』というそうです、というあいさつを聞いたことがあるんです。」
(見坊)「そうそう。それです。わたしもいろいろ材料を調べてみますとね、やはりいまおっしゃったようなことが書いてあるんです。近ごろ『共働き』ということばがはやっているというんですね。『共かせぎ』が『共働き』というふうに変わったとか。それから女性雑誌で『共働き』というのを社の編集方針として使うようにきめている雑誌があるらしいですね。」
(大石)「『かせぐ』ということばが語感が悪いのかな。」
(見坊)「そういうことらしいですな。」


そうなんだ、たしかに「共稼ぎ」って最近あまり聞かなくて、ほとんど「共働き」になっていますよね。昔は「共稼ぎ」家庭も今より少なかったでしょうし、それも(教員などの仕事を除くと)女性が自分のやりたい仕事をやるために働いているのではなく、家庭の経済状況から「お金のために」仕方がなく働いて「稼いで」いたことが多かったでしょうからまさに「共稼ぎ」だったのでしょうが、働く女性が増えて、女性も結婚しても働くのが特に不思議はないようになってきた現在では、「稼ぎ」のために働くのではなく女性の「自己実現」のために仕事を続けることが増えたので、「共働き」ということばが浸透したとも言えるのではないでしょうか。その端緒が1968年ごろ、そして女性雑誌がきっかけということは、「ファッションとしての共働き」ということも最初はあったのかもしれませんね。
さらに、「こどものことば」というくくりで、こんな会話も。

(入江)「こどもの話ですが、小さな子どもに『いくつ』と聞くと、四つとか五つとかいわないですね。『ぼく五歳』とか『五歳』とかいうね。どういうわけでしょうか。幼稚園で、そういういいかたを教えるのかな。」
(見坊)「おかしいですよね。うちの子もそうですよ。」
(大石)「非常に不自然な感じがするんですがね。」
(見坊)「どこから始まった習慣なんでしょう。」
(大石)「それから、ものをかぞえるのに、一つ、二つといわない。一個、二個。ひどいのは、小学校の一年生が遠足に行くときの話で、駅を三個通ってというんですよ。」


おお!この座談会は発見だらけだ!1968年にもう、和語で「一つ二つ三つ・・・」という数え方が子どもたちの間では廃れかけていて、「一個、二個、三個・・・」という漢語系の数え方が出ていたとは!
実は、和語系統で「一つ、二つ、三つ・・・」ならば、面倒な助数詞を選択しなくていいんですよね。その数え方の部分を漢語系の「イチ、ニ、サン・・・」にすると、助数詞を選択しなくてはならないのですが、その部分は捨てられて「個」という助数詞だけにするということが行われているのです。
近年・・・というのはここ10年ぐらいですが、学年や年齢の差を、
「イッコ上」(=1歳年上)「ニコ下」(=2学年年下)
という言い方が広がってきたものの起源は、36年前に求められるということですね。
36年前に小学1年生だった人は、今年43歳!まさに私の学年ではないですか!そんな言い方してたのかなあ・・・。その私たちの子どもが、もう現在小・中学生、高校生になっている。うーん、1世代以上の時(36年)の中で、いつのまにか、年齢を「1個、2個、3個・・・」という数え方も定着しつつあるということでしょうか。当時は「幼児語」だったのにねえ。

昔のこういった記録を読むと、本当に新鮮な発見がいくつもあって、つい時間の経つのを忘れてしまいます。
2004/1/29

(追記)

中学の同級生Y君からメールをもらいました。
それによると、彼は中学生になるまで「みたく」は一度も聞いた事がなかったそうで、最初に「みたく」を目にしたのは、中2(1975年)の2学期。埼玉県から大阪に転校してきたT君が「班ノート」(!なつかしー!!)の記述に「みたく」を使用していたのを覚えているとのこと。Y君は「T君は埼玉から引っ越してきたので、この言葉は関東言葉なんだろうな」と思ったそうですが、それから30年近い年月が流れているにもかかわらず、そして東京で11年も暮らしていたにもかかわらず、その後Y君が「みたく」を耳にした、あるいは目にしたことはないそうです。 こういった実体験に基づくご報告、貴重です。Y君、ありがとう!
2004/2/13



◆ことばの話1573「春闘」

1月15日の産経新聞の経済欄にこんな見出しが。

「『春闘』から『春討』へ」

どちらも「シュントウ」と読みますが、これは日本経団連の奥田碩会長が、1月14日に開かれた「労使フォーラム」での講演の中で、
「労働組合が実力行使を背景に賃上げ率・額や賃金水準の社会的横断化を意図して戦う"春闘"はすでに終焉している」
として、経営側は今春闘に「経営環境の変化や経営課題を労使間で幅広く検討する『春討』として位置づける」姿勢を示したものです。
これまでも奥田会長は従来の「春闘」という労使交渉の形に、再三疑問を投げかけていて、つい先日も、
「春闘?もう死語でしょう。」
という発言もしていました。これに対して労働者側、連合の笹森清会長は、
「春季労使交渉では賃金のウエートが下がっているのは事実。雇用の確保や、中小・地場産業の労働環境の整備など幅広い対話を労使間で行う」
という姿勢を見せていますが、その一方で、
「継続的な賃下げであるベースダウンや降給を、経営側が本気で押してくるならば、徹底的な対応をする覚悟がある」
とも述べています。不況の中デフレで、物価はここ数年は下がってきていましたが、今後いつ上昇に転じるかもしれません。消費税率も「向こう3年は上げない」と小泉総理は明言しましたが、それは同時に「3年後に税率を上げる」ということを意味しているようにも見えます。事実、政府・与党はその方向で動き始めているようです。
数年前、毎日新聞の1面トップに、
「『ベア』は死語」
という見出しが躍ったことがありましたが、物価や社会環境などとは全く無関係に、給料だけが上がっていくのはおかしい、という感覚は、当の労働者側にもあるのではないでしょうか。しかし、労働の正当な対価・報酬としての賃金を、ケチったり、値切られたりするのは、誰しもゴメンです。「春討」になったら、より広範な労働環境の改善を考えられるようになればなあと思います。
2004/1/29

(追記)

1月29日発売の『週刊文春』(2月5日号)の48ページ、「経済記事にモノ申す」というコラムで、
「『春闘』は確かに死語だが・・・」
という見出しの文章が記されていました。
それによると、日本経団連の奥田会長が1月13日の記者会見で「春闘は死語」と言ったこと。それを1月16日の日経新聞のコラム「春秋」で取り上げたことなどを記しています。面白かったのは、「春闘」はもちろん死語だが、「ベア」(ベースアップ)も、死語。証券マンにとって「ベア」と聞くと、相場用語の「ブル(強気)」「ベア(弱気)」の「ベア」(熊が手を振り下ろす動作がトレーダーの売りの動作に似ていることから、弱気の象徴とされる)が、まず頭に浮かぶらしいこと、また「春闘」の生みの親で6年前に亡くなった太田薫・元総評議長は、最近はストライキなしが前提なので、「春闘」ではなく「春談」と言っていたらしいこと、連合も「春闘」という言葉は正式には使わず「春季生活闘争」というらしいことなどが記されていました。よく読むと、かなり「春秋」に書かれている内容と重なっていましたが。文春と春秋で似てるからいいか。

2004/1/30


(追記2)

2月8日の朝日新聞「ことばの交差点」というコラムで「春闘」を取り上げていました。言葉の解説のような感じで、校閲部の中原光一記者の署名がありました。

2004/2/11


(追記3)

「『ベア』今や死語に・・・4年連続で凍結、大手銀 リストラ迫られ」
という見出しが出たのは、1999年1月13日の毎日新聞朝刊でした。昔のスクラップが出てきました。


2004/3/1

(追記4)

「ベア」が"死語"になってから久しかったのですが、今年(2006年)の春闘のニュースでは「ベア」が復活しているようです。
1月12日の朝刊の見出しを見ていると、
「ベア復活 高まる期待」(読売新聞)
「ベア復活で景気にはずみを」(毎日新聞・社説)
とあって、毎日の社説には、
「今年は久しぶりに『賃上げ』の春風が吹いている」
とありました。朝日新聞の特集のタイトルも、
「06復活春闘」
と、同じく死語になっていた「春闘」が「復活」したようです。
では、これまでのベアと、今回の賃上げ要求は、どう違うのか?1月13日の日経新聞には、「Q&A」として、
「Q、従来のベースアップ(ベア)との違いは?」
「A、ベアは賃金表を書き換えて、全ての従業員の賃金が一律に上がる仕組み。賃金改善は各社の判断で若手や中堅など特定の層を重点的に引き上げるなど賃金カーブの是正したり、職務や職能による仕事給に配分したりすることもできる。」
とありました。その「Q&A」の横には、
「NTT労組 ベア要求見送り」
とありました。景気の回復は、いまだ「まだら模様」のようです。


2006/1/13



◆ことばの話1572「店休日」

久々に大阪・梅田で時間があったので、阪急百貨店に行きました。昔は、1階はネクタイ売り場だったのに、いまは女性用のアクセサリーとか香水とか、そんなものの売り場になってしまってます。・・・男はデパート行かないからかなあ。
さて、その入り口に、阪急百貨店の休みの日が書いてありました。
「2月17日(火)は店休日です」
昔は週に1回の(たしか木曜が)お休みだったのに、最近は月に1回休むかどうかなのか、この業界も大変だなあ・・・と思ったときに、ちょっと待てよ、と。この、
「店休日」
という言葉、おそらく「てんきゅうび」と読むのだろうけど、あまり耳にも目にもしない言葉だなあ、もちろん漢字を見れば意味はすぐにわかるのだけれど。
「本日定休」「本日定休日」
というのは見慣れているけれども「店休日」というのは、普通のようで普通でないのではないか?そうそう、その前日も生協で「店休日」という表示を見たぞ!と思い出して、辞書を引いてみました。『新明解国語辞典』には載っていない。『広辞苑』にも載っていない。最大の国語辞典『日本国語大辞典』にも・・・載っていない。載っていたのは「電休日」(でんきゅうび)だけでした。ちなみに「電休日」というのは「電力の供給を休む日」ということで、戦時中にあったようですね。ここでの用例は中村光夫の「ある女」(1973)からでしたが、たしか原民喜の「夏の花」の冒頭にも出てきたと思うので、そちらの方が古い用例でしょう。1947年発表のようだし。いずれにせよ戦時用語で、もしかしたら、1970年代初めの石油ショックの時に復活して使われたかもしれませんが。
それはさておき、「店休日」は辞書には(まだ)載っていない。ネット検索(Google)してみると、なんと、37万1000件も使われているではありませんか!ビックリ。
しかし、この「店休日」、どう読むのかな、一応確認しようと思って、阪急百貨店に電話してみました。
「すみません、この『店の休日』と書いて、なんと読むんですかねえ?」
「『てんきゅうび』でございます。」
「『てんきゅうじつ』とかは読まないんですか?」
「ええ『てんきゅうじつ』ではちょっとおかしいですから。でも普通は『店のお休みの日は・・・』というような言い方をしますけど。」
「でも『店休日』の読み方は『てんきゅうび』ですか。」
「そうです。」

はっきりと受付のお姉さんが答えてくれました。ありがとう。
ということで、「辞書にない言葉」、また一つ、見つけました。
2004/1/30

(追記)

伊丹の大阪空港にあるインテリア店「アクタス」に行ったところ、店の自動扉には、
「休店日」
という表示を使っていました。『日本国語大辞典』には載っていません。これもGoogleで検索してみると、34万5000件もありました。「店休日」が37万1000件でしたから、ほぼ互角の戦いですね。
どちらも見た目で意味はわかるし、取り立てて目新しい言葉でもないので、辞書には載らないのでしょうかね。
2004/2/2

(追記2)

「電休日」が、原民喜の『夏の花』に出ているなどと、ええ加減なことを書いてしまいました、すみません。載っていたのは、「電休日」ではなく、「休電日」でした。冒頭部分です。

「私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あった。八月十五日は妻にとって初盆(にいぼん)にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑わしかった。恰度(ちょうど)、休電日ではあったが、朝から花をもって街を歩いている男は、私のほかに見あたらなかった。」

という文章です。そして『日本国語大辞典』は、「休電」は載っていて、用例は、1941年の「夢声戦争日記」(徳川夢声)からでした。

それはさておき、「店休日」「休店日」という言葉が生まれた背景について考えて見ました。 昔は間違いなく、
「定休日」
と言っていたと思います。それが使えなくなった、つまり、
「定休日がなくなった」
から、それに代わる休みの日のことを指す言葉が必要になったのではないでしょうか。 ここ10年の不況、特に「消費不況」と呼ばれるものの直撃を受けた形の百貨店業界は、年々売り上げ減少、前年同月比マイナスという中で、少しでも売り上げを伸ばすために「休みの日を減らす」ことを行いました。そりゃあ、店を開けていれば、休んでいるよりは売り上げは増えるでしょう。そのために「毎週木曜」といった形の「定休日」は、「2週に1度」に減り、さらには「定期的な休みはなくなってしまった」のではないでしょうか。お正月だって、昔は一日・二日は休んでいたのでは?それが本当に「365日、無休」に近くなってきて、完全に「定休日」という概念も形もなくなってしまったので、それに伴って「店休日」「休店日」という名称が出てきたのではないでしょうか。 さらに言うならば、「24時間営業のコンビニエンスストア」の存在が、百貨店の定休日をなくしたのではないでしょうか。 そう言えば、高校の卒業文集に、キューバのカストロ首相の言葉として(本当かどうかは知らないのですが)こんなことを書いたヤツがいましたっけ。
「青年に与えたい言葉が3つある。働け、働け。そして、働け。」
それじゃあ、奴隷やんか・・・。 いいのかなあ、「定休日」が消えてしまっても・・・もう消えているんですけどね。

2004/2/3



◆ことばの話1571「ナタとオノ」

1月29日午前10時ごろ、韓国・ソウルの日本人学校の幼稚園部に刃物を持った韓国人の男が乱入し、男子園児に切りつけ重傷を負わせるという事件がありました。男は取り押さえられましたが、この事件を伝えた各紙夕刊(1月29日)の、刃物を示す表現が微妙な違いを見せています。
(読売)オノ
(毎日)オノ
(産経)ナタ
(日経)ナタ
(朝日)ハンマー


オノオノナタ、園中でござる。
ちなみに、このニュースを伝えた日本テレビのお昼の「ニュースダッシュ」は、
「ナタ」
と表現していましたが、その後、
「携帯用の斧」
に訂正されました。
オノとナタはどう違うか?『新明解国語辞典』では、
「オノ(斧)」=丈夫な刃の有るくさび形の鉄に、柄を付けたもの。立ち木の伐採期を割るのに使う。よき。
「ナタ(鉈)」=まき割り・枝打ち。くいを削るなどに用いる刃物。形は、たんざく形や刀形など用途によってさまざまである。

ということで、やはりナタとオノは違いますね。ハンマーは全然違う。刃物ではないし。
オノの方が大きな木を切るのに使う大きめの刃物で、ナタは枝払いや薪割りに使うものという印象です。本当はどちらが凶器に使われたんでしょうねえ?
と思って、ニュースを見ていたら、実物は「片方に刃があるオノ」でした。高層ビルなどで、ガラスを割って脱出するときに使うようとして置いてあるようなものです。これは「ナタ」ではなく「オノ」ですね。ハンマーのような使い方をするでしょうが、刃が付いてましたから、ハンマーではないでしょう。ということで、結論は、「百聞は一見にしかず」でした。
2004/1/29

(追記)

翌日の朝刊各紙(1月30日)を見ると、「ナタ」や「ハンマー」は消えていました。
(読売)オノ(長さ約三十五センチ、刃渡り約十三センチ) 
(毎日)オノ
(産経)手おの
(日経)長さ約三十センチの手おの
(朝日)オノ(全長35センチ前後)


ということで、「おの」と「オノ」、ひらがなかカタカナかという問題は残りますが、一応「斧(おの)」が凶器だということですね。写真で見ると、いわゆる「おの」というよりは少し小さめの「手おの」という表現の方がふさわしいような気もします。しかし、長さも各社微妙に表現が違って、特に朝日の「前後」ってのは「約」よりも正確さに欠けるような気がするのですが。いかがでしょうか。「前後」は、いくつかあるものをひっくるめて言う時の数値の幅に使うのでは?どうなんでしょうか。
2004/1/30

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