◆ことばの話1565「ソウルとスピリッツ」

火星に着陸したNASAの火星無人探査車。その名前が読売新聞には、
「スピリット(spirit魂)」
と書いてあったのを見て、おや?っと思いました。私の思いの中での「スピリット」の訳語は「精神」であって、「魂」にあたる英語は「ソウル(soul)」だったからです。(余談ですが「スピリッツ」と複数形になると、マンガ週刊誌を思い浮かべますが。)
これについて、後輩のHアナウンサーに、
「ソウルとスピリットの違いはなんだと思う?」
と聞くと、
「うーん、『ソウル』は"そこにある"という感じ、"存在"で、それに対して『スピリット』は"方向性"というか"ベクトルを持った意志"を感じますねえ。」
「というと、やはり『西部開拓』なんかは『パイオニア・スピリット』であって『パイオニア・ソウル』ではないんだね。」
「そういうことですね。」

この問題を考えるにあったって思い浮かんだのは、黒人が歌うブルースは「ソウル」「ソウルフル」であって、同じく黒人が歌う歌でも「黒人霊歌」は、(最近)「アフロ・アメリカン・スピリッチュアル」(昔は「ニグロ・スピリッチュアル」と呼ばれましたが。)と呼ばれているということで、やはり「ソウル」と「スピリット」の棲み分けが行われているということです。「スピリット」の方が「宗教的」なのでしょうか?
英語に詳しいWアナウンサーに聞いたところ、さっそくパソコンで『ランダムハウス英和辞典』を引いて教えてくれました。
「これによると、『soul』は『body(肉体)の対語で、肉体に生命と力を付与するもの。人間の本質的な部分で永遠不滅のもの』とありますね。これに対して『spirit』は、『肉体を超えた次元での活動力としての精神。また、元来、肉体を供えていない存在も指す』とありますね。」
ということで、あっけなく解決。身体(肉体)にくっついているのがソウルで、そうでないものがスピリットか。そういえば「スポーツマン・スピリット」とは言うけど「スポーツマン・ソウル」とは言わないな。「ボディ&ソウル」なんてのも聞いたことがあるぞ。
火星に行ったのが「スピリット」なのはわかりましたが、それを「魂」と訳すか「精神」とするかの問題は解決していません。日本語の「魂」と「精神」の違いはなんでしょうか?
『日本国語大辞典』によると、
「精神」
(1)心。また、心の動き。肉体に対し、形而上的な働きをする実体としての心。
(2)物質的なものを超越した霊妙な存在。たましい。霊魂。
(3)物事に執着する気持。目的を達成しようとする心の働き。気力。根気。
(4)生気あふれる状態。
「魂」
(1)人間、さらにはひろく動物・植物などにも宿り、心のはたらきをつかさどり、生命を与えている原理そのものと考えられているもの。身体を離れて存在し、また、身体が滅びた後も存在すると考えられることも多い。霊魂。


うわー、なんて持って回った文章なんざんしょ。

(2)人だま。死者の霊魂が、夜など、光りながら飛ぶといわれるもの。また、それをかたどった歌舞伎芝居の小道具。
(3)心のはたらき。精神。思慮分別。才覚。
(4)心の傾向、状態をいう。性質。性格。
(5)心の持ちかた。根性。しょうね。
(6)(武士のたましいというところから)刀の異称。
(7)葬式に加わる時の女性の結髪の一つ。多くは潰(つぶ)し島田。精進髷(しょうじんまげ)。


「魂」の方が意味の幅が広そうですね。
昨日(1月21日)ようやく見た、話題の映画「ラスト・サムライ」では、この中の(6)の意味で「魂」という言葉が字幕に出てきました。刀は武士の魂なのですね。
しかし、やはり私は「パイオニア・スピリッツ」は「開拓者精神」と訳したいので、火星無人探査車は「精神」と訳す方が好きです。
余談ですが、火星探査車「スピリット」が初めて撮影した大型岩石の名前を、大きい方は
「サシミ」
小さい方は、
「スシ」
と名づけ、その上その一体は、
「ワサビ地区」
と命名したそうです。(読売新聞1月20日夕刊)
本当ではNASAそうな話ですが、本当です。何考えてんだか。
でもそれだけ「サシミ」「スシ」「ワサビ」は、日本語ではなくて英語(米語)の仲間入りしていることの表れ・・・という気もしますけどね。
2004/1/22



◆ことばの話1564「絶唱」

「絶唱」
という言葉をお聞きになったことがありますか。どういった意味だと思います?
私は、作家の「絶筆」とか「絶命」のように、
「死ぬ前に最後に歌う様子」
と思ってました。確か、山口百恵さんの映画で「絶唱」というタイトルのものが、なかったでしたっけ?・・・あったあった、1975年の作品でした。見てないけど。
調べてみると内容は、
「山陰地方の封建的な名家の一人息子・順吉が 山番の娘・小雪と恋仲になったが、二人の仲を心よく思わない順吉の父・惣兵衛や周囲の人間は二人の交際に大反対。引き離されそうになった順吉は 反発して小雪と駆け落ちをする。束の間の幸福を得るが順吉は戦争に召集されてしまい…。」
というようなもののようです。そのイメージで、なんか死ぬ前に歌うように思ってしまっていたんですねえ。でも本当は、「とってもうまい歌(い手)」というような意味だと聞いて、「え!そうなの?」と驚きました。
で、『新明解国語辞典』を引いてみると、
「絶唱」
(一)すばらしい出来ばえで、だれがよんでも感銘を受ける詩歌。
(二)聞き手に感動を与える歌いぶり。(二は誤用に基づく)


え!(二)も誤用に基づくのか!そもそも私が思っていた意味なんか、載ってないじゃん・・・・と絶句。
おあとがよろしいようで・・・。
2004/1/19

(追記)

そもそもこの「絶唱」について書こうと思ったきっかけは、去年の9月22日、NHKの中川緑アナウンサーが歌謡番組の宣伝で、
「おなじみの六人の歌手の方が絶唱します。」
と言っているのを聞いたからでした。え?絶唱?歌ったったあと死んじゃうの?
「熱唱」でいいのではないかなあ、とその時、思ったのでした。『新明解』の(二)の「誤用に基づく使い方」だったのですね。

2004/1/30

(追記2)

NHKさんは「絶唱」が好きなのでしょうか?2月3日の「ラジオ深夜便」でも「絶唱」が出てきました。
「(午前)2時からはロマンチックコンサート。エディット・ピアフの特集で、ピアフの『絶唱』、お聞きいただきましょう。」
とベテランの女性アナウンサーが使っていました。「ロマンティック」ではなく「チック」でしたが。でも、最初聞いた時は、
「ピアフの絶叫」
かと思いました。ピアフはあの「愛の讃歌」で有名ですが、知らない人が聞いたら、
「ピラフの絶叫!?」
と聞き間違うかも。「チャーハーーーーン!!」・・・。(注・チャーハンと焼き飯とピラフは厳密に言うと違います。もちろんピアフとピラフは、厳密に言わなくて違います。)
それにしても「絶唱」の「絶」は、「超」のような「強調」の使われ方をしていますね。「絶唱」のような使われ方の例としては、
「絶景」「絶好」「絶品」「絶対」「絶好調」
など、ありますね。中畑さん、懐かしい・・・。逆に「絶不調」もありますが。 「絶交」は、また違う使われ方ですね。「超」と合わせて、
「超絶技巧」
というのもありましたね。リストのピアノの曲で。グレン・グールドかなんかが弾いてるやつ。「絶品」に「超」が付いて「超絶品」もあるかな。「ウルトラスーパー」みたいなものかな。こんなところで。
2004/2/5




◆ことばの話1563「ヘジャブ」

1月19日の朝刊各紙の海外面に載っていたパリ発の記事は、フランスの公立小中学校などでイスラム教徒の女性が頭にかぶる布の着用禁止が、フランス政府で検討される中、パリを始め各地でイスラム教徒団体の抗議デモが起きている、というものでした。
イスラム女性が頭にかぶる布は、
「ヘジャブ」
と呼ばれるのですが、各新聞の表現が違いました。見出しは、
(読売)ヘジャブ禁止新法、仏に抗議デモ続々
(朝日)「スカーフ禁止」反対デモ・仏では2万人参加
(毎日)仏のスカーフ禁止に抗議、パリなど各地でイスラム教徒ら一斉デモ

ということで、「ヘジャブ」のことを 朝日と毎日は「スカーフ」と呼んでいたのです。
確かに「ヘジャブ」と聞いて(あるいは見て)、
「ああ、イスラム教徒の女性が頭にかぶってる、あれね」
とわかる日本人読者がどれだけいるかというと疑問です。だからわかりやすく「スカーフ」とするのは、一つの方法でしょう。でも、
「へー、あのスカーフのことをイスラムでは『ヘジャブ』って言うんだ!」
ということがわかるためにも、本文中では、ちょっと触れて欲しいなあとも思います。
本文ではどうなっているかというと、
(読売)ヘジャブ(スカーフ)
(朝日)スカーフ、ヘジャブ(スカーフ)
(毎日)スカーフ、スカーフ

というふうになっていて、読売は「ヘジャブ」のあとにカッコ内で「スカーフ」と説明。朝日は「スカーフ」を単独で使って、イスラム女性が持つプラカードの内容を紹介した引用部分に「ヘジャブ(スカーフ)」と書きました。毎日は「スカーフ」で通しています。
スカーフの一種であることは間違いないのですが、なんか現地名(?)も書いてくれた方が、臨場感が出ると思うのですが。たとえば日本の相撲のことを海外で伝える場合に、「まわし」を「パンツ」と言い換えられたら、気が抜けるでしょう?
「マワシ(スモウパンツ)」
なら、まだ許せそうな気がするけど。これはあくまでたとえ話ですけどね。そんな感じかなあ。皆さんは、どうお感じになるでしょうか?

2004/1/20

(追記)

今日(1月22日)の毎日新聞夕刊の小さな記事の見出しが、
「スカーフ論争サウジでも」
というもので、サウジアラビアで経済会議に出席した女性が、頭を隠すスカーフを着用しなかったとして、論議を呼んでいるという内容です。エジプト・カイロの小倉孝保記者が伝えたその記事の中では、
「ヘジャブ(イスラム教徒の女性が頭髪を隠すスカーフ)」
と、「ヘジャブ」という言葉を出してそれを説明する形になっています。19日の記事では「ヘジャブ」を使わずに「スカーフ」で通した毎日新聞が「ヘジャブ」を使ったというのは、もしかしたら、私のこのコラムを読んだのかも知れませんね・・・・と思ったけど、この記事が書かれた時点では、まだネットにアップされていませんでしたっ・・・と。

2004/1/23

(追記2)

上に書いたときには見つけられなかった産経新聞に「ヘジャブ」関連の記事を見つけました。2月20日の夕刊、トップ記事(大阪版)です。見出しは、
「ヘジャブ巻き 銃声の街奔走」
「産経新聞もイラクに女性記者を出すぐらいやらないとだめですよ」と昨年末に上司に言ったという田北真樹子記者が、実際にイラクのサマワへ行かされて(?)書いている記事です。
「頭には髪の毛を隠すための黒いヘジャブ。黒いスカーフを頭にぐるりと巻きつけているだけだが、他社の日本人記者に『タリバンのようだ』と笑われた」 そうです。また、
「男性の姿が消えた途端、頭からかぶっていた黒い布やヘジャブをさっさと脱ぎ去る女性の姿は、日本人男性が夫でもない限り見ることはできない。」
とも書いています。これを見ると、「ヘジャブ」と「スカーフ」「黒い布」は別のものなのでしょうか?よくわからなくなりました。

2004/2/25

(追記3)

3月5日の日経新聞に、
「仏『スカーフ着用禁止法』成立」

という見出しの記事がありました。パリの奥村茂三郎記者。そこでは、
「フランスでイスラム教のスカーフやベールの着用を公立学校で禁止する『宗教色排除法』が成立した。仏上院が三日、賛成二百七十六票、反対二十票で可決した。九月の新学期から実施する」
とありました。「ヘジャブ」という言葉は出てきませんでした。

2004/3/5

(追記4)

久々にこの関連の記事を目にしました。4月24日の朝日新聞。
「スカーフ『だめ』バンダナ『OK』ターバン『?』」
「仏の禁止法 学校は混乱」
「教育相、通達見直し約束」

という見出しです。それによると、フランスの宗教スカーフ禁止法が、実際に何を禁じるかで迷走しているそうです。4月21日に教育省の通達案が公表されたのですが、それによると、同じ「かぶり物」(スカーフなんかは、「かぶり物」と呼ぶのか?)でもバンダナは原則OKとされているために、学校側は「現場が混乱する」と悲鳴を上げているとか。ここに記された通達案の禁止物は、
(1)呼称にかかわらずイスラム教徒のスカーフ、およびその代用品
(2)ユダヤ教徒のキッパ(小さな帽子)
(3)異様に大きい十字架

の3つが例示され、それ以外にも、
「新たな宗教シンボルの登場に備え、禁止リストはこの限りではない」
とまで断っているとのこと。その一方で、
「つつましいものや固有の文化慣習に基づく伝統は可」
としているので、例示されなかった「シーク教徒のターバンは認める」とも読める、と記事は書いています。
たしかに「固有の文化慣習」は宗教と深く結びついている例は多いのですから、一方を禁じて一方を認めるというのは解釈しづらく矛盾しているようですね。
この法律は9月の新学年から適用されるそうですが、まだ、ひと悶着ふた悶着ありそうです。

2004/4/27

(追記5)

2006年6月17日の読売新聞に、
「“アラブ版バービー”モテモテ」
という見出しが載っていました。記事を読んでみると、シリアで生まれた着せ替え人形、
「フッラ」
というのが、中東で爆発的な人気を呼んでいるのだそうです。シリアのニューボーイ社というところが開発元。「フッラ」というのは、シリアなどに生育する「ジャスミンの一種の名前」に由来するのだとか。そのフッラは、見た目・背格好はアメリカの着せ替え人形「バービー」(米・マテル社)に似ていますが、違う点は、
「ヘジャブ」や「アバーヤ」(ガウン)を着用しているところ
で、目や髪はアラブ人らしく茶色や黒だとのこと。新聞には、大きな写真も2枚載っています。
2003年発売で、年間100万体を生産するヒット商品になったとか。「フッラ」には、もちろんボーイフレンドはいなくて、ミニ・スカートなどの露出の多い服は避けたことが、保守的な親の心もつかんだ一因のようです。
ダマスカスの人権活動家アンマル・クラビ氏は、
「イラク戦争や対テロ戦争で欧米に対する不信感が拡大し、欧米文化の排除やイスラム回帰の動きが強まっていることが、フッラ人気の背景にある」
と分析しているそうです。
2006/6/17



◆ことばの話1562「インストールとフリップ」

1月15日、第130回芥川賞に、史上最年少で19歳11か月の綿矢りささんの『蹴りたい背中』と、20歳5か月の金原ひとみさんの『蛇にピアス』が選ばれました。めでたいめでたい。写真を見ていると、まるでアイドル歌手のよう。
で、綿矢さんは京都の紫野高校に通っている17歳の時に書いたデビュー作『インストール』が32万部も売れるベストセラーで、今回の受賞作も既に13万部売れているという、売れっ子大学生作家。その第一作『インストール』。読んでません。ごめんなさい。内容はともかくタイトルの「インストール」というのは、コンピューターにソフトを読み込む操作(?)のことを言うと思うのですが、この言葉を、
「インストゥール」
という人がたまにいます。なんとなく「ト」を英語っぽく「トゥ」と言ってしまって、かえって英語ではなくしてしまっているのですが。こういうのは過剰修正なんですかね。
GOOGLE検索(1月16日)では、
「インストール」= 331万0000件
「インストゥール」=   3050件

と、圧倒的に正しい「インストール」が使われていますが、間違った「インストゥール」も3000件以上ありました。ついでに、
「インスツール」=1510件
でした。微生物を顕微鏡で覗いてしまいそう。それはパスツール。
同じようなものに、テレビ番組で何かを説明する時によく使っている、グラフや文字・図が記された紙、「フリップ」があります。このフリップのことを「フィリップ」と、わざわざ「フィ」という言いにくい発音をする人も、まま、います。これもGOOGLE検索したのですが、・・・ダメでした。「フリップ」は7万7800件検索できましたが、「フィリップ」は、外国人の名前に多いために、18万3000件出てきて、そのうちどれだけが「フリップを言い間違えたフィリップか」がわからなかったのです・・・。
「メディア」が言えなくて「メデア」と言ったり、「ディレクター」を「デレクター」と言ったりする人がたくさんいるかと思えば、本当は「ディジタル」なのに日本語としては「デジタル」が主流になってしまったり、やっぱり「ディ」とか「フィ」とかいう音は日本人には発音しにくいんだなあ、それなのになぜわざわざ「フィリップ」「インストゥール」と言うのか。謎は深まるばかりです。
(「平成ことば事情1558・マリフアナ」の追記も読んでくださいね。)

2004/1/16

(追記)

平成ことば事情1471「バングラデシュとフィーチャー」も、同じ話題を取り上げていましたので、お読みください。こういった「フリップ」を「フィリップ」というようなものを、
「ハイパーコレクション」(過剰修正)
と言語学では呼ぶとのことです。

2004/1/23



◆ことばの話1561「『全員』のアクセント」

アクセントの話です。
「再現」
という言葉のアクセントは『NHK日本語アクセント辞典』には、
「サイゲン(LHHH)」
という「平板アクセント」しか載っていません。しかしここ数年、
「サイゲン(LHHL)」
という「中高アクセント」をよく耳にするようになりました。これはたぶん「証言」という言葉が、平板と中高、両方のアクセントが採用されていて、それに引かれたのではないか?と思っています。この話は以前書いたような気がします。
さて、今回はさらにその仲間が増えたのではないか?という話です。
「全員」
という言葉。これも『アクセント辞典』によると、「平板アクセント」しか載っていないのに、やはり
「ゼンイン(LHHL)」
という「中高アクセント」をよく耳にするようになってきたのです。先日も『ズームイン!!SUPER』で、福岡放送の浜崎キャスターが「ゼンイン(LHHL)」と言っていたかと思うと、メインの羽鳥アナウンサーも「ゼンイン(LHHL)」と言っていました。浜崎キャスターはついでに・・・と言ってはなんですが、本来、平板アクセントのはずの、
「残忍(LHHH)」
も中高アクセントの、
「ザンニン(LHHL)」
と言っていました。
そして、1月18日放送の「週刊トラトラタイガース」の中、阪神の石毛投手も、
「ゼンイン(LHHL)」

「中高アクセント」で話していました。
どうも、もともと平板アクセントの4文字の単語は、中高アクセント化する傾向があるのでしょうかね?
今後もウォッチしていこうと思っています。
2004/1/19
(追記)

TVドラマ「GOOD LUCK」のビデオを見ていると、主人公の副操縦士を演じるキムタクこと木村拓也さんが、機内アナウンスで「必ずお客さま全員をハワイホノルル空港まで無事にお連れします」と、乗客に説明した際の「全員を」のアクセントが、
「全員を(LHHLL)」
中高アクセントでした。東京の若い人たちの間に広まっているような気がします。

2004/4/26

(追記2)

5月31日の日本テレビ「NNNニュースダッシュ」で阿部哲子アナウンサーが「全員」を、
「ゼンイン(LHHL)」
と「中高アクセント」で読んでいました。ご報告。

2004/6/1
(追記3)

7月6日、テレビ東京の気象予報士、内藤聡子さんが、不快指数に関して話している中で「全員」を、
「ゼンイン(LHHL)」
と「中高アクセント」で話していました。
2004/7/8

(追記4)

8月9日のNHKお昼のニュースで、福井県の高校生を乗せたバスが横転してけが人が出た、というニュースを福井局の男性アナウンサーが読んでいましたが、そのときの「全員」のアクセントが中高の「ぜんいん(LHHL)」でした。

2004/8/9

(追記5)

8月5日の日本テレビの夜8時代の番組で、司会の福沢朗アナウンサーが「皮膚の全面で」「全面で」が、
「ぜんめんで(LHHLL)」
中高アクセントでした。これでは「前面」と区別が付かないな、と思ってアクセント辞典を引いてみると、なんと「前面」も「全面」も同じアクセントで、平板アクセントと中高アクセントの両方が記載されていました。勉強になりました。
あ、もしや、これではないか。「全員」のアクセントが、本来は平板なのに最近中高アクセントが増えている原因は。つまり、「全面」が平板と中高の両方が許されているので、「全員」も中高にしているのでは?共通点は、
「ぜん○ん」
という4文字で違うのは「○」の部分だけ。あ、そう言う意味で言えば、「原因」も「げんいん」、「ぜん○ん」と同じく「ん」が一つおきに出てきて、最初の一文字が濁音だから、もしかしたら中高で、
「げんいん(LHHL)」
と言いだす連中が出てくるかもしれません。形が似ているということと、この形は「同音異義語」が多いので、
「アクセントの違いで、意味の違いを出そう」
という気持ちが、知らず知らずの間に働くのかもしれません。
この形の言葉のアクセントは、要注意ですね。

2004/8/12
(追記6)

2008年3月2日朝の日本テレビ『ザ・サンデー』で、この2月に「ロス疑惑」でアメリカの捜査当局に逮捕された 三浦和義容疑者がその昔、漫画家の加藤芳郎さんが司会をしていた日本テレビの番組『ウイークエンダー』に中継で出演した時の映像を流していました。「グリコ森永事件」の話が出てきたので、おそらく1984年のことだと思います。その中で三浦容疑者は、グリコ森永事件の「青酸入りチョコ」の感想を聞かれて、
「日本中の子供たち全員を人質にとるようなことは」
と話していたのですが、この「全員」のアクセント「中高アクセント」で、
「ぜ/んい\ん(LHHL)」
でした。既にこの頃に「中高アクセント」は出現していたのですね。そういう意味でも貴重な映像でした。
2008/3/3

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