◆ことばの話1555「組織のあり方」

1月7日の読売新聞朝刊を読んでいたら「解説面」に目が留まりました。そこに載っていたのは3つの解説記事でしたが、1つ目は「潮流2003〜2004 大学はどこへ」。89の国立大学が4月に法人化されるのに伴い、大学はどう変わるのかという記事でした。
そしてその下の記事は「労組に未来あるか」という見出しで「組織率がついに20%割れ」という小見出しが着いていました。
この二つの記事を見て私が感じたことは、
「組織のあり方が目に見えて変わってきている」
ということです。大学、労働組合、政党、会社、消費者団体。組織と個人。組織が変わったということは、とりもなおさず構成要因の個人が変わったということです。
また、組織の最小の単位は2人。つまり、「夫婦」は「最小の組織」と言えます。晩婚化、少子化、夫婦別姓、共働き率の増加、離婚率の高まりなど結婚の形態が変わってきていることは、その最小単位としての組織の変化、ということです。その変化は、
「ゆるい結合体としての組織」
と言えるのではないでしょうか。民主党を見ているとよくわかりますね。今までの「政党」のような「一枚岩」の組織ではないことは一目瞭然ですね。まあ自民党もそうですが。
こんなことを考えたのも、実はその前日(6日)の日経新聞夕刊の記事を見ていたからです。その記事の見出しは、
「組織なくてもネットで世論」
去年6月に「老人党」という「バーチャル(仮想)政党」を立ち上げた、作家のなだいなださんに「フォーカス」を合わせていました。(「フォーカス」というタイトルのコラムなのでした。)それによると、この老人党は「党」を名乗ってはいるものの、現実の政治活動はしないそうで、特定の主義主張は掲げずに、インターネットのホームページに自由に書き込んでもらう、一種の「掲示板」なんだそうです。アクセスの中心は50歳代ですが、10代もかなりいるとのこと。去年11月の衆議院選挙の直前には、連日1万件を超えるアクセスがあり、そこでの意見「死票を減らすために、共産党や社民党の支持者も小選挙区では民主党に投票すべきだ」という意見が選挙結果に大きな影響を与えたとされているそうです。(ほんとかどうかはわかりませんが、新聞記事にはそう書いてある。)つまり「組織がなくても世論を作り出せるのがネット社会」という分析です。この「老人党」を実際の政党にする気はなださんにはなくて、「国会議員が10人いてもできることは知れている。我々の活動によって選挙の際に有権者の5〜10%が動くぞという方が効果がある。」
と書いてありました。なださんの言葉なんでしょう。5から10%もほんとに動いているかは別として、この「老人党」というインターネットの掲示板を媒介したバーチャルな"政党"活動などは、21世紀の「現在の組織のあり方」として取り上げられるのではないでしょうか。
組織のあり方が変わるということは、私が所属している読売テレビという会社の組織も、あるいは趣味や仕事で参加しているさまざまなグループも、どんどん変わっていくということです。
新年にあたって、考えたのは、こんなことでした。

2004/1/15

(追記)

「ズームイン!!SUPER」でもおなじみの佐々淳行さん原作の映画「突撃せよ!浅間山荘」をDVDで見ました。当時の浅間山荘を再現したセットなどは見事でしたが、佐々さん役が役所広司というのがちょっと・・・・カッコよすぎですね。(佐々さん、すみません。) それと描き方が、警視庁側・・・というより佐々さんの視点だけで描かれていて、犯人側はほとんど出てこないことなど、ちょっと不自然な感じがしました。 しかし、合同で一つの大きな仕事に命をかけて取り組む場合の組織の問題点については、いろいろ考えさせられる点がありました。 現場でのセクショナリズムによる対立、指揮官の無能さ、指揮系統の不統一、準備の不十分さ。こういったことはプロジェクトを失敗に導きます。 そして、正確な情報がいかに大切であるか。こいった問題についてはよく描き出されていたと思います。 犯人側から描けばまた別のものができて、興味深い人間ドラマになったのではないでしょうか。

2004/2/13




◆ことばの話1554「梅雨のアクセント」

今頃なんじゃー!と言われそうですが・・・半年前からチェックしていたものに「梅雨」のアクセントの変化があります。
普通「梅雨」のアクセントは平板アクセントの
「つゆ(LH)」
です。だから「梅雨が明けました」のような文章では、
「つゆがあけました(LHH・LHHLL)」(Lは低く、Hは高く発音)
となり、「ゆ」と助詞の「が」は同じ高さになるのですが、最近ニュースなどでよく耳にするのは、
「つゆがあけました(LHL・LHHLL)」
というふうに、「ゆ」のあとの助詞の「が」のところで音が下がる「尾高アクセント」なのです。
ちょうど去年の梅雨明け頃の7月2日に、テレビ朝日「ニュースステーション」で上山アナウンサーが「尾高アクセント」で「梅雨が(LHL)」と言っていました。
これと関連があるかどうかわかりませんが、「鍬」のアクセントも「平板アクセント」なのですが、なぜか「くわが(LHL)」と「尾高アクセント」にするのをよく耳にしました。なぜそうなるのか?考えてみました。
「つゆ」も「くわ」も2文字で、アクセントの違いによって、異なる意味のものが存在します。「梅雨」と「露」、「鍬」と「桑」。そういったアクセントの多様性が、アクセントのブレを生じさせているのではないか、と考えます。
アクセントが完全に逆転してしまったという例では、同じく去年の3月17日、男性ナレーターが「グリーンマイル」の説明の中で「その軌跡を」というフレーズで「軌跡(LHH)」の「平板アクセント」を逆に頭高アクセントで、頭高アクセントであるはずの「奇蹟(HLL)」を平板アクセントで読んでいるのを耳にしました。(NHKアクセント辞典では「奇跡」は平板アクセントも載っていましたが。)
<教訓>同音異義語でアクセントが異なる言葉はよく注意して読む必要があります。

2004/1/15




◆ことばの話1553「氷点下と零下」

新聞用語懇談会放送分科会のメンバーで、静岡の放送局のIさんからメールが来ました。
「なぜ、放送では『零下』を使わず『氷点下』を使うのでしょうか?その理由は?」
というものです。
たしかに放送分科会から出している『放送で気になる言葉改訂新版』にも、83ページの「数字の読み方」の「気象関係」の中に、
「―20度」=氷点下ニジューど(「まいなすニジューど」とも)[零下は使わない]
とはっきり記してあります。しかしその理由については書いてありません。
いつものように『新明解国語辞典』を引いてみると、
「氷点」=水が凝固し始める温度。一気圧ではセ氏零度。
「零下」=(セ氏の)零度以下。氷点下。

とあります。これによると、「氷点」および「氷点下」は、1気圧の下での「純水」が凍り始める温度ということですよね。ということは気圧の変化や水の状態が違う場合には、凍る温度が変わってくるのですから、「氷点下」を「零下」とまったくのイコールで結ぶことができるのかどうか、ちょっと疑問です。
また、『NHKことばのハンドブック』の197ページにも、
「零下○度○分」・・・「零下」は使わない。「氷点下○度○分」とする。場合によっては、「マイナス○度○分」と言ってもよい。
と記されていますが、理由は書いてありません。NHKの人に聞いてみたところ、
「昭和42年(1967年)に、『零下』は使わず『氷点下』を使うという内容の、『決定』ほど強くない『通達』を出したようだが、理由は書いてない。推測だが『レイカイチド』と放送 で言った場合、『0か1度(=0 or 1)』と聞き違える人がいるかもしれないからではないか」
という答えが返ってきました。その話をアナウンス部でしたところ、Sアナウンサーが、
「『−0,1度』つまり『氷点下零度一分』などの場合、『零下』を使うと『零下零度一分』となって『零』が重なるのを嫌ったんじゃないですか?」
という意見を出してくれました。なるほどー。それにこの場合もNHKの人が言うように「0か(or)0度1分」ととられる危険性がありますから、そういう意味では同じですね。
どうも、音声を主体とした放送で「零下」が嫌われる(使われない)のは、その音の響きに「あいまいさ」があるからのようだということで、一応決着したのでした。

2004/1/15

(追記)

お天気キャスターの小谷純久さんに「なぜ零下と言わないのか?」と聞いたところ、
「『零下』というと『レイカ』という音が『冷夏』と混同されるので、それを避けるために『氷点下』と言う。」
という答えが返ってきました。そして、
「氷点下だと気圧が違うところでは、一定の温度にならないのではないか?」
と聞くと、
「だから発表される温度というのはたとえば富士山頂の『現地温度』を補正した『海面温度』(つまり海抜ゼロメートルでの温度)に換算して比較できるようにしている」
ということでした。フーン、奥が深いですねえ・・・。

2004/1/23
(追記2)

Mさんという読者の方からメールをいただきました。それによると、
「気圧が低いところでは,水の沸点が低くなることはよく知られているが、融点は逆に、気圧が下がるにつれて、わずかながら上がる。従って気圧の違うところでは『氷点』の温度も違ってくることになる。しかしその変化は、沸点に比べるとはるかに小さいので、事実上『氷点下イコール零下』とみなしても差し支えない。
また、気象観測で通報される『気温』は、あくまでも『現地温度』だけ。『気圧』は,観測地点の標高が高いほど小さくなるので海抜0mにおける気圧の値に直す。この計算を『海面更正』と呼ぶ。気象観測においては、実際に観測した『現地気圧』と、それを使って算出した『海面気圧』の両者を通報するが、天気図に書かれるのは『海面気圧』のみ。たとえば,NHKラジオ第2放送で1日3回放送されている『気象通報』で報じられる各地の気圧の値も、『海面気圧』のみ。)気象庁観測部編『気象観測の手引き』にも『気圧』に関しては海面更正のやりかたが書かれているが『気温』については、特にその手の補正の話は出ていない。

ということで、小谷さんのおっしゃる「現地温度を海面温度に換算する」というのは「気圧のことと勘違いされているのではないか?」というご指摘です。小谷さんに確かめてみたところ、
「そのとおりです、ごめんなさい。」
ということで、Mさんのご指摘どおり、訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。

2004/2/27



◆ことばの話1552「真冬並みの寒さ」

さーむいっすねー!北海道は雪と氷の中に閉じ込められているようですが、大阪も寒いです。おかげで風邪を引いてしまいました・・・。咳が止まらなくて、視聴者の皆様にはご迷惑をおかけしております。すみません。
さて、その寒さを伝えるニュース原稿にこう書いてあったので、アナウンサーがそのまま読んだところ、視聴者の方からお叱りの電話をいただきました。
「さっきのニュースで『真冬並みの厳しい一日になりそうです』って言ってたけど、今が真冬の真っ只中だから『なりそうです』はおかしいんじゃないですか。」
あ!たしかに。おっしゃるとおり。
でも、「なりそうです」がおかしいというよりは、「真冬並み」の「並み」がおかしいですな。真冬なんだから、今は。
「いつを"真冬"と定義するか?」
と問われれば、やはり「寒の入り」の「小寒」、1月6日ごろから、立春の前の日の節分、2月3日までの間と答えるでしょうね。今はまさにその定義に当てはまります。
しかし、ここで思うのは、定義による季節(真冬)と、その間の気温は必ずしもリンクしないということです。つまり、暖冬のときは「真冬」の期間でも「真冬の寒さ」になるとは限らないのが「お天気」というもの。そう考えると、真冬に「真冬並み」の気温のこともあれば、「春のような気温」のこともあるかもしれません。ああ、ややこしい。
そう考えると、「真冬」という季節に「真冬並み」という季節名を冠した気温のたとえを出すからややこしい。「まさに真冬の寒さになる」とするのが一番よいのではないかなあと、真冬の寒さをよそに、春の陽気の暖房が効きすぎた部屋の中で考えている私です。

2004/1/15



◆ことばの話1551「『熱』の促音化」

「熱」という言葉が頭に付く言葉というと、どんなものを思い浮かべますか?
「熱狂」「熱戦」「熱線」「熱湯」「熱闘」「熱帯」「熱帯魚」「熱唱」「熱中」「熱波」
といったところが、まず思い浮かびますが、それぞれ読み方は、
「ねっきょう」「ねっせん」「ねっせん」「ねっとう」「ねっとう」「ねったい」「ねったいぎょ」「ねっしょう」「ねっちゅう」「ねっぱ」
ですよね。では、次の言葉はどう読むでしょうか。
「熱気球」
ねっききゅう?ブー!不正解!!
『NHK日本語発音アクセント辞典』によると、正解は、
「ねつききゅう」
え?どう違うかって?つまり「ねつ」の「つ」を、促音化して小さい「っ」にはしない、ということなんです。それまでに挙げた「熱線」以下のものはすべて促音化された小さい「っ」でしたが、「熱気球」は違うのです。
たとえば「熱愛」「熱雲」「熱演」なども「ねつ」の「つ」は大きいままで促音化しません。
促音化するかしないかは、どこで決まるか?
基本的には「熱」のあとに来る言葉の音が、「カ行、サ行、タ行、パ行」の時に起こりうる
ようです。というと、「母音の無声化」の原則とよく似ているようですね。
でも「熱気球」は「熱」のあとに「カ行」の「キ」が来るのに促音化しません。このほか 『NHKアクセント辞典』を見ると、「熱機関」「熱化学」「熱核兵器」「熱器具」などは「熱」のあとに「カ行」が来ていても促音化していません。これらは「熱+○○」の「○○」の部分の意味が独立した感じになっているのが特徴といえるでしょう。
アクセントのコンパウンドや連濁と同じように、「熱○○」が複合語として分離しがたい一つの語と認められるようになれば、これらの語の「カ行」も促音化することでしょう。そういう意味では「熱気球」は、意外と早い時期に促音化して「ねっききゅう」になるかもしれません。わかんないけど。

2004/1/15


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