◆ことばの話1480「幹細胞と肝細胞」

日本語にはたくさんの同音異義語があります。これもその一つでしょう、「幹細胞」と「肝細胞」。ともに、「カンサイボウ」と読みますね。意味はどう違うのでしょうか?この「幹細胞」が10月29日の日経新聞の夕刊、最近話題の「ES細胞」関連の記事に出てきました。
「肝細胞」はなんとなくわかるけど「幹細胞」ってなんでしょうか?ネットで調べてみました。それによると、「幹細胞」というのは、
「ある細胞に『変化するように』という指示を受けると、特定の細胞に変身すなわち分化する能力を持っており、変化を遂げる未分化の状態で長期間にわたって自らを複製・再生する能力も備えている細胞。胚からは『胚性幹細胞(ES細胞)』、成人からは『成体幹細胞』、胎児からは『胚生殖細胞』を採り出すことができる。」
とのこと。
また、話題の「ES細胞」は、
「受精卵が分化して胎児に発展するまでの状態である胚の初期段階から採り出されるもので、身体のどのような細胞にも成長できる性質を持っているため『多能性幹細胞』とも呼ばれている」
そうです。ということは、「肝臓」の「幹細胞」は、
「肝幹細胞」(カンカンサイボウ)
かな。関西学院大学と関西大学の学生のそれは、
「関関肝幹細胞」(カンカンカンカンサイボウ)
かな。菅直人の・・・・。
嗚呼!!
どうしてこんなにダジャレにはまってしまうのだろうか?私の脳の幹細胞は、一体どうなっているのでしょうか?どんな指示を受けて"変身"しているのか?いっぺん、見てみたい。
2003/11/28


◆ことばの話1479「5回を終わっています」

日本シリーズの中継を見ていて思ったことをメモしておりました。
日本テレビの船越アナウンサーの実況だったので、第2戦だと思います。その時に、船越アナウンサーが、
「5回を終わっています。」
と言ったのです。最近ではごく普通に使われるフレーズですが、ふと感じたのは、
「なぜ『終わりました』と完了形で言わないのか?」
ということです。これは、
「視聴者に『終わった』と思われてチャンネルを変えさせないため。『継続している感じ』を持たせるため」
ではないのでしょうか?それならばこの「終わっています」というセリフ・Qワードも納得できます。しかし、「終わる」という「完了」の瞬間を指す言葉が、「継続」の意味を持つ「・・・(し)ています」という表現(語尾)を伴うのは、やはり違和感があります。
でも悲しいことに、もうずいぶん、慣れてしまっています・・・。
2003/11/16



◆ことばの話1478「超意外性」

クルマを運転しながらNHKのラジオで大相撲を聞いていた時のこと(11月10日)。
横綱・朝青龍が、栃乃洋(とちのなだ)に敗れるという波乱がありました。それを受けて実況アナウンサーが、
「栃乃洋は意外性のある力士なんですが・・・」
と言うと、解説者が、
「それにしても栃乃洋、意外性を発揮しましたね」
と、同じように繰り返し、さらにそれを受けてのアナウンサーのコメントが、
「超意外性を発揮しましたね。」
えー、「超意外性」!?女子高生じゃないんだから・・・そんな言葉を使われるほうが、よっぽど「超意外性」だと感じたのは、私だけではないはずです。
栃乃洋が朝青龍に勝ったことが、よっぽど「意外」だったのでしょうが、そんなに何回も「意外」を繰り返した上に「超」をつけると、栃乃洋に失礼じゃあないんですかねえ・・・。
「超失礼」
と、栃乃洋は思っているかもしれません。

2003/11/16



◆ことばの話1477「張るか貼るか」

「ニューススクランブル」の本番前、スタッフが聞いてきました。
「車の窓ガラスに『スモーク(シール)をはる』の『はる』は、漢字で書くと『張る』でいいんでしょうか?それとも『貼る』でしょうか?」
ちょっと考えました。
最初は「はる」面積によって「大=張る」「小=貼る」かなと思ったのですが、そう簡単でもないような気がして来ました。はるものの面積なのか、はられるものの面積なのか。そのあたりもはっきりしません。
どうなんだろ?うーん、はられるものに対してはるものの面積が、相対的に小さいときには「貼る」、大きい場合には「張る」かなあ。でもそれとは別にはるものの面積がある程度以上ならば、相対的ではなく絶対評価として「張る」を使う気もするな。
結局、こう答えました。
「『張る』でいいんじゃないかな。『貼る』の場合は『切手を貼る』のように大きな台紙のような物の上に小さくくっつける場合に使われる気がするね。それに対して、『張る』は前面に大きく張り巡らすような場合に使うと思うよ。この場合は自動車の窓ガラスいっぱいに『はる』わけだから、『張る』でいいんじゃないかな。『貼る』を使うと、そのガラスのごく一部分にくっつける感じになると思うな。」
思いつきで感じるままに答えたのですが、スタッフはえらく納得がいったようにうなずいて、『張る』を使うことになったのでした。
はあー、気がはった。これは「張った」、でいいんですね。
2003/11/25



◆ことばの話1476「地デジ」

いよいよ、地上デジタル放送が12月1日の午前11時から、三大都市圏の一部で始まります。始まるんです。その「地上デジタル放送」の呼び方が、去年の12月、それまでは「地上波デジタル放送」と言っていたのに、総務省が「地上デジタル放送」と言っているからか、放送局は右へ倣えで、一斉に「地上デジタル放送」と「波」を取った言い方に変わったことは、「平成ことば事情1050」に書きました。デジタルの波を出すのに「波」を取るのは理屈に合わないのですが。
その中で、新聞各社はその後も引き続き「地上波デジタル放送」と「波」が入った表現をしていることも書きました。新聞で「波」の入らない「地上デジタル放送」という形を私が初めて見たのは、2003年6月5日の産経新聞でしたが、さすがにここにきて、新聞社も放送局の現場の表現を取り入れたのか、「地上デジタル」という表現も使い出したようです。
さて、それで今朝(2003年11月21日)の毎日新聞で「地上デジタル放送」という表現を使っているのですが、問題はそちらではなくて、こちら。その略称というのが、なんと、
「地デジ」
というものなのです。なんか「切れ痔」みたいなイヤな響きの言葉ですねえ・・・。
地デジを洗うような・・・・(血で血を洗うような)。そんなイヤな言葉を持ってきてくれたのは、「ニューススクランブル」の坂キャスターです。
「道浦さん、ネタあげましょうか。」
と言って、切抜きとともに日経テレコンで調べた「地デジ」という表現を使った例を調べて持ってきてくれたのです。それによると、「地デジ」は毎日新聞でしか使われておらず、その毎日新聞での初出は10月20日。
「動き出す地上デジタル〜お先に『地デジ』体験・・・あと42日」
という記事です。これは「地デジ」とカギカッコでくくって、「新しい言い方なんですよ」と注意を喚起しているので、まだマシです。ところが次に出てくる11月12日の大阪版の夕刊
「地上デジタル放送、来年12月に神戸放送局でも・・・NHK」
という記事の中では、最初に1回「地上デジタル放送」と使っているものの、2回目3回目は何の断りもなく「地デジ放送」という言葉が、言い換えもカギカッコもなしに使われています。さらに11月15日、元NHKアナウンサーの西田善夫さんのコラム「スポーツ百景」の見出しでは、またカギカッコつきの「地デジ」が出てきて、
「『地デジ』で茶の間が観客席」
となっています。本文では、
「12月になると『地デジ』(地上デジタル放送)が関東、中京、近畿エリアの一部で始まる」
とあります。本文中ではこのほか「地デジ」「地デジ時代」と2回、カギカッコなしの地デジが出てきます。
そして今朝(11月21日)の朝刊の「TV買い替え 負担大きく」という大きな記事。執筆したのは、伊藤一博記者と中島みゆき(!)記者。道理で、「地上の星」に関する記事を書いているわけだ。ハハ。その中では、
「12月1日からの地上デジタル放送(地デジ)放送開始が10日後に迫った」
という書き出しで、以降は普通にカギカッコなしで「地デジ放送」「地デジ対応」という言葉と「地上デジタル放送」という表現が混在しています。
インターネットではどうでしょうか?
YAHOOで「地デジ」を検索すると、101件出てきました。またGOOGLEで検索すると384件出てきました。ネット上では、まあまあ使われてはいるようですね。使っている中には、テレビを販売する販売店のホームページなどが目立ちました。私個人の基準では、GOOGLE検索で1000件未満のものは、まだ一般的に使われている言葉ではないと判断していますので、それに従いますと、この「地デジ」は、まだ一部でしか使われていない「耳慣れない言葉」と言ってよいでしょう。
新聞(毎日新聞)では、「地上デジタル放送」という長い名称が嫌われて「地デジ」という略称が採用されたのでしょうが、この言葉、さっきも書いたように「音の響き」がよろしくない。できたら使いたくないし、新聞でも使って欲しくない表現(略称)です。

2003/11/21

(追記)

12月1日、ついに地上デジタル放送が始まりました。その記念イベントが、大阪でも読売テレビ近くの「ツイン21」で行われ、その模様をNHKが全国放送で紹介していました。そこで紹介していたクイズ大会のタイトルが、
「地デジでクイズ」
音声でも。「ちでじ」と言っていましたし、字幕もそう出ていました。使うなよなー「地デジ」。語感、ごっつい悪いと思いませんか?私は使わないぞ。「使う!」という人たちと、「ちでじをあらう戦い」になるかもしれません・・・。 ダジャレの響きも悪いや。

2003/12/07


(追記2)

2006年1月5日から毎日新聞が「テレビが消える日」
という特集記事を始めました。その第1回のタイトルは、
「業界に9、2%ショック〜『アナログ停波』周知進まず」
でした。2005年3月に総務省が全国の15歳以上80歳未満の男女3965人を対象におこなった「地上デジタルテレビジョン放送に関する浸透度調査」によると、「地上デジタル放送が始まっていること」は73%の人が知っていましたが、「アナログ放送が将来停まること(アナログ停波)」を知っている人は66、4%に減り、「その時期が20011年であること」を知っている人は、わずか9,2%しかいなかったそうなんですです。アナログ停波の時期の周知度が1割未満だったことは、
「9、2%ショック」
として、関係者に衝撃を与えたということです。
2011年7月24日には、今のアナログ放送のテレビは見られなくなります。それまであと、5年半です。

2006/1/6

(追記3)

パソコンのインテルのコマーシャル、木村拓哉と石田純一が出ているバージョンを見ていたら、石田純一が「地上デジタル放送」のことを、
「地デジ」
と略していました。それを聞いたキムタクは、
「略すことないだろ」
と言っているんですが、それに追い討ちを掛けるように石田は、キムタクに対して、
「キムタ」
と呼びかけています。まさに
「略すことないだろ、既にキムタクでも略されているのに!」
というところですね。「キムタ」「地デジ」への皮肉だと思います。キムタの大冒険。

2006/1/15

(追記4)

1月6日の産経新聞の小さな記事。見出しは、
「22年末までに近畿の90%超 地デジカバー率」
一瞬、
「ん?『デジカバー』ってなんだ?」
と思ってしまいました・・・。ちなみに産経新聞の場合は、「22年」というのは「平成22年」、西暦に直すと、4年後だから「2010年」、つまり「地上アナログ放送が終了する2011年の、前の年」ということですね。

2006/2/3

(追記5)

電車の中で、テレビの中吊り広告が目立っていました。日立の「Prius」というテレビです。宣伝文句は、
「プリウスにしかない、地デジの美しさを明かしましょう。」
たしかに地上デジタルの映像はきれいに映るのでしょうが、「地デジ」という言葉は、決して美しくありませんよね。「デジ」というふうに、濁る音が二つ続くところに、「美しくなさ」を感じるのだと思います。『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(黒川伊保子、新潮選書、2004)を読むと、その理由がよくわかるかも。
2006/5/31
(追記6)
お正月に、和歌山市内の大型家電店Aに行った時のこと。大型液晶テレビが、かなり安く売られていました。その理由の一つは「テレビで宣伝していないメーカーのもの」で、もう一つの理由は、
「地上派デジタルチューナーをつけていないからです。」
と記されていました。地上派?・・・「波」だろ!と心の中で突っ込みを入れつつ、さらに注意書きを読むと、
「地デジ対応でなくても大丈夫!」
として、
「これからのHDDプレーヤーには地デジチューナーがついてくるから、テレビモニターに地デジチューナーは必要ない」
とのこと。あ、なるほど。そういう考え方もあるのか。Googleで検索すると(1月6日)、
「地上波デジタルテレビ」=13万4000件
「地上派デジタルテレビ」=   2030件
で、「地上派」は「少数派」でした。(「地上派」の反対は、「衛星派」かな?)
2007/1/8

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