◆ことばの話1430「落輪」

社団法人日本自動車連盟の通称(略称)は「JAF(=ジャフ)」。そのJAFの会員に月に一度送られてくる雑誌、「JAF Mate」10月号の36ページに載っている「事故ファイル vol44」というコーナー、今月は、
「落輪したらどうする?」
という特集でした。これを見て私は、
「普通は、『脱輪』と言うのでは?『落輪』って聞いたことないな。」
という感想を持ちました。そこでさっそくGoogle検索。(10月2日)
「脱輪」=6万8200件
「落輪」= 1290件

これを見てもやっぱり、「落輪」よりも「脱輪」の方が一般的ですよね。
きょう(10月2日)の日本経済新聞の社会面には、昨日(10月1日)兵庫県伊丹市の中国自動車道の上り線で起きたトラック同士の衝突死亡事故の原因になったと見られる、「路上に落ちていたタイヤ」に関して、直前に現場を通過した広島県内の運送業者のトラックから脱輪したものだったことがわかったそうです。あ、そうか、車からタイヤが外れるのも「脱輪」か。それと区別するために「落輪」という言葉をJAFは使ったのかな?
『日本国語大辞典』を引いてみました。
「脱輪」=(1)走行中の自動車・飛行機などから車輪がはずれること。(2)走行中の自動車などが、道路の外に車輪を踏み外すこと。落輪。(3)列車などが脱線すること。

やっぱりそうでした。「脱輪」には、列車の脱線も含めると3種類の意味があったのです。JAFで「落輪」を使ったのは、「脱輪」の(2)の意味を強調するためだったのです。そして、日経新聞の「脱輪」は(1)の意味ですね。それにしても飛行機の着陸用車輪が外れることも「脱輪」と言うんですね。知らなかった!
また、『日本国語大辞典』で「落輪」を引いてみたのですが、「落輪」は見出しがありませんでした。「脱輪」の項で、言い換え例として出てきている言葉なのに。残念です。
ちょっと話が脱輪・・・いやいや脱線しましたね。

2003/10/23

(追記)
去年(2002年)1月、横浜で大型トラックのタイヤが外れて転がり、母子3人が死傷した事故で、神奈川県警の操作本部は今日(10月24日)、業務上過失致死傷容疑で、東京都港区の三菱自動車工業本社の捜索に入りました。この「タイヤが外れた」ということも、先日の新聞では、
「脱輪」
と表現していました。今日の夕刊各紙のこれを巡る表現は、以下の通り。

<見出し>
<本文>
(読売)
トレーラー
タイヤ脱落
大型トレーラーのタイヤが外れ
(朝日)
*****
トレーラーのタイヤがはずれ 車軸と車輪をつなぐ部品が破損し脱輪 「ハブ」と呼ばれる金属製部品が破損し、脱輪した
(毎日)
前輪脱落
大型トレーらーの前輪が外れ トレーラーの左前輪が脱落し タイヤ脱落事故
(産経)
*****
大型トレーラーのタイヤが外れ トレーラーの左前輪が外れ 脱輪事故
(日経)
*****
大型トレーラーから外れたタイヤ タイヤの脱落

ということで、「脱輪」という言葉を使ったのは、朝日新聞と産経新聞だけ。あとは「タイヤが外れ」と、より噛み砕いたやさしい表現か、「タイヤの脱落」という言い換え表現を使っています。やはり「脱輪」という言葉の持つもう一つの「溝に落ちる」という意味に勘違いされることを避けたのではないかな、とも思われました。

2003/10/24

(追記2)

富士山の山梨側の四合目で観光バスが側溝に「脱輪」して18人がけが、というニュースを流した11月12日午前2時過ぎのNHkラジオ。夜勤帰りのタクシーの中で聞きましたが、
「脱輪」
という言葉を使っていました。「落輪」ではありませんでした。
2003/11/16


◆ことばの話1429「幕を引く?おろす?」

夕方の「ニューススクランブル」のナレーションを担当していたYアナウンサーから内線電話です。
「野中広務・元自民党幹事長引退関連の特集のナレーションなんですけど、引退のことを政治家生活に『幕を引く』となってるんですけど、『幕をおろす』と、どっちがいいんでしょうか?」
「うーん、それはつまり幕の形状が違うということだね。歌舞伎など日本古来の芸能の舞の幕は、『定式幕(じょうしきまく)』のように左右に幕が引かれる『引き幕』ものだよね。(右から左でしたっけ?)そしてオペラなど外国の芸能(?)が演じられるステージ゙では、上から下におりてきて上がる『緞帳(どんちょう)』のような幕だよね。どちらを比喩に使うかということだけど、野中さんは、日本の古いタイプの政治家としてとらえられているのだから、西洋風の『幕』の表現よりも、日本風の引き幕の『幕を引く』という表現の方がいいんじゃないの?」

と答えたところ、
「わかりました!」
と元気に返事していました。この話をHアナウンサーにしたところ、
「うーん、僕は『幕を引く』は自分の意志によって終わらせる感じがしますが、『幕が下りる』は自分の意志とは関係鳴く自動詞で下りる感じ。『幕を下ろす』だと他動詞なので意志が感じられますが、自分が、というのではなく、『他人の意志』で、『幕を下ろされた』ような気がしますね。」
ということなので、こういった言葉の語感というのは、「ひとそれぞれ」、ですね。
今日はこの辺で幕を引きとうございます。

2003/10/22



◆ことばの話1428「アーイアイ」

「アーイアイ、アーイアイ、おさーるさーんだよー」

という歌をご存知でしょうか?私よりも少し上の世代から下の人は、
「ああ、知ってる、知ってる」
という方が多いと思います。なんの拍子かで、この歌を家で口ずさんだ時、ふと思い付いて、妻にこう聞いてみました。
「この歌の『アーイアイ』って、何のことか知ってる?」
私としては、当然、妻は知ってると思ったのですが、答えはこうでした。
「えー?アーイアイ?・・・ハーイハイっていうふうな『はやし言葉』じゃないの?」
「あのねー、ほんとに知らないの?常識やんか!」
といったところ、
「そんなの、知らないよお。普通、知らないよ。」
「いや、普通、知ってるでしょ。」

ということで、知り合いにケータイメールで質問を送り付けました。皆さん、ゴメンナサイ!でも本当に良い人ばかりで、なんと26人から返事が返ってきました。そしてそのうち、正解の、
「アイアイという種類のサルの名前」
と答えた人は・・・4人だけでした。正解率15,4%。思った以上に、皆さん知らなかったんですねえ。意外でした。答えの数々をご紹介しましょう。
「考えたことがなかったのですが、サルの鳴き声(英語)ではないでしょうか?」
「サルがアーイアイって鳴くんじゃないですか?求愛の愛愛?」

いや、実は『広辞苑』によると、「アイアイ」という種類の名前はこのサルの鳴き声から付いた、とも記されているので、この答えはあながち間違いでもないんですけどね。でも「愛」は日本語やんか、「アイアイ」。
「おサルさんの名前ではないでしょうか?」
「え?なんでしょう??目のことでしょうか?」
「『こんにちは!』とか『いないいないバアー』という意味の現地語?」
「おさるの名前ですか?それとも『私』って意味かなぁ?」
「愛?相?eye?わかりませーん!」
「ずっと、サルの鳴き声だと思ってきました。」
「目ですか?」
「特に意味のない『お囃子』のようなものでは?」
「現地の言葉で『サル』という意味でしょうか?」
「I(私)ってことですかあ?」
「愛する愛するおサルさん、っていう意味ですか?」
「和気藹々(あいあい)のアイアイではないでしょうか、想像ですけど。」
「英語で言う『私』?」

というような答えが返ってきました。なかなかバラエティに富んで、楽しいでしょ?ご協力頂いた皆さん、どうもありがとうございました!また、やりますね。
2003/10/22



◆ことばの話1427「聖職」

アナウンス部・部長補佐のMアナからメールが来ました。 「広報番組収録にて。テーマはドラマ『ライオン先生』。
M『やはり我々世代では先生と言うのは「セイショク」というイメージ強いからねぇ…ところで…「セイショク」っててどんな字書くかわかるよね?』
新人のKアナ『はぁ…「生」で「食べる」…ですか??』

・・・教師が「聖職」というのは、やはり「死語」になってしまったのでしょうか!?いいんですか先生、こんなことで!!せめては「生殖」と言わなかっただけマシとするか・・・ってそんなことないやろ!
『聖職の碑(いしぶみ)』を書かれた故・新田次郎さんも怒っているぞ!

ハア・・・。
教育というものは、長く・険しい道のりであるなあ・・・と、教師でもないのにため息をつく、今日この頃であります。
2003/10/22



◆ことばの話1426「追いかけざまに」

10月8日、NHK正午のニュースで武田アナウンサーが読んだ原稿に、
「追いかけざまに、次々とナイフで人を刺し」
という一文がありました。(後半は「次々とナイフを振りかざし」だったかも。)
その「追いかけざまに」に引っかかりました。
「振り返りざまに」
というのは「可」ですが、「追いかけざまに」はなぜか引っかかる。なぜか?
「振り返りざまに」は、「ざまに」の前にくる「振り返る」という行為が「終わってすぐさま」という意味になると思いますが、「追いかけざまに」だと「追いかける」という行為は「完了」していなくて、「継続」つまりまだ続いている、その場合には「ざまに」という言葉は付きにくいのではないか、と考えるのです。
この「さまに」(ざまに)は、完了した行為に付くのではないでしょうか。そういう意味では、「駆け出しざまに」なら、まだ許せるような気がします。「駆け出す」の「出す」が終わっているように感じられるからです。『広辞苑』を引くと「ざま」の項に、
(1) その時。そうすると同時に。
として、「参りざまに」「すれちがいざまに」を用例として挙げています。
『新明解国語辞典』では、
「立ち上がりざま」(=立ち上がるやいなや)
という例が挙がっています。
『新潮現代国語辞典』では、「さま」の項に、
(「ざま」ともなる動詞の連用形に付けて)・・・すると同時に。・・・するや否や。
として用例は、二葉亭四迷の『浮雲』から、
「『畜生』と言いざま、こぶしを振挙げて」
を引いています。「〜と同時に」の意味であれば「追いかけざまにナイフで刺す」という表現も可能ですが、「・・・するや否や」だと、まだ追いかける動作は完了していないわけですから、この「ざまに」を使うのは違和感があります。しかし、「追いついた時点で、もう追いかけることは完了している」と考えることは出来ますね。しかしそれは「次々と」で矛盾します。つまり「次々と」は、一連の「追いかける」という動作は完了していないことを示しているからです。

皆さんはどう、お感じでしょうか?

2003/10/8


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