◆ことばの話1325「イトーヨーカドーとイトーヨーカ堂」

2000年12月に閉店してから2年あまり閉鎖されていた「奈良そごう」の跡地に、7月10日、大手スーパー「イトーヨーカ堂」が入って大変繁盛しているようです。その奈良のイトーヨーカ堂、オープンのニュースを読んだとき、原稿を見ていて、あることに気づきました。原稿の中に、

「イトーヨーカドー」「イトーヨーカ堂」

という2種類の表記があったのです。報道のデスクに、
「おいおい、表記が統一されてないよ。原稿はどっちの表記でも読んだら一緒だからいいけど、スーパー(字幕)は大丈夫だろうね?」
と確認すると、デスクの答えはなんと、
「いえ、それはそれで良いのです。」
というものでした。「なんで?」と問うと、

「店舗名と経営会社名の表記が違うんです。店舗の表記は『イトーヨーカドー』で、それを運営している会社の名前は『イトーヨーカ堂』なんですよ。」

へえー、知らなかったなあ。ややこしいことを、しはりますなあ。
Google検索(8月5日しらべ)では

「イトーヨーカドー」=3万5900件
「イトーヨーカ堂」=2万4000件


となっています。
ネットで見ると、「イトーヨーカ堂」は「株式会社」ですね。店舗名と運営会社の名前が違うということで。
似たような例かどうか分りませんが、本屋さんの「ジュンク堂書店」、表記が2種類あるようで、「淳久堂」とも書いてある店舗もあるようです。で、創業者が工藤淳さんで、それをひっくり返したと聞いたことがありますが・・・調べてみると創業者は工藤は工藤でも、工藤恭孝さんでした。1950年生まれ。で、お父さんの名前が工藤淳だったようで、それをひっくり返したようです。佐野眞一著『誰が「本」を殺したか』の中のインタビューに、その辺の話が出て来るようです。この本、以前読みましたから、その記憶が、ちょこっと残っていたようです。Google検索では(8月5日)、

「ジュンク堂」=2万2700件
「淳久堂」= 593件


ついでに、「全部平仮名」でも検索しました。

「ジュンクドー」=26件

正式名称には「書店」が付くようなので、「書店」を付けて検索してみました。

「ジュンク堂書店」=7300件
「淳久堂書店」= 389件
「ジュンクドー書店」= 6件


ということで。お店の名前というのも、調べてみると、なかなかいろいろあるもんですねえ。

2003/8/5


◆ことばの話1324「完食」

以前、阪大の岡島先生がこの言葉に気づかれた時に、たしか「ことば会議室」で書かれていたと思いますが、その後、故・ナンシー関の著作などでも目にしていた言葉、それは、

「完食」

です。すべて食べること。「大食い選手権」とか「ラーメンマニア」を扱ったテレビ番組などで聞いたり見たりしました。それを新聞でも見るようになってきたのです。問いうことは、話し言葉から書き言葉への変化?というふうにも思えるのですが。
インターネットでどのくらい使われているか?とGoogleで日本語ページを検索すると・・・
なんと、17万6000件もありました!!(8月4日しらべ)
ということは、もう完全に日本語として定着したと見てよいのかな?前ページで検索すると、今度はなんと、40万2000件!ということは、中国語にも「完食」という言葉があるということなのかな。

「完食レシピ」とか「17分45秒で完食」とか、こんな感じの使われ方ですね。
「完○」という形で「○」の中に動作を表す漢字が入るものとしては、
「完歩」「完走」「完成」「完勝」「完敗」
といったところが思い浮かびます。意外とあるものですね。そういった並びで考えると、「完食」もおかしくはないのですが、私にはまだ、「流行語・新語」というイメージがあります。辞書には載っているのかな。『日本国語大辞典』を引いてみました。
が、「完食」は載っていませんでした・・・。「間食」や「甘食」は載ってたんですけどね。でもネット上で17万件も使われていることを考えると、今後、辞書への登録も考えなきゃいけないかもしれませんね。

2003/8/7


◆ことばの話1323「さわり」

(注意!)決して、「お」を付けないでください。



「あさイチ!」のニュース担当のディレクターN君がニコニコしながら近づいてきました。

「道浦さん、これって間違いですよね!?」

と言って差し出したその日(8月1日)の日経新聞朝刊には、こんな見出しが。

「歌の"さわり"自動検出」

そして本文、書き出しは、

「歌の聞かせどころを自動的に頭出し(中略)さわりの部分をすばやく見つけて再生するソフトウェアを開発した」

というもの。N君が言うのは、

「歌の聞かせどころを『さわり』と言うのは間違いではないか。『さわり』というのは歌の『出だし』ではないのか?」

ということだったのです。それを聞いた私は、落ち着いて、

「いや、これで合ってるよ。『さわり』は『聞かせどころ』、いわゆる『サビ』のことでいいんだよ。」

一同、

「えええーーーー!!!」

とビックリしていました。でも、私も数年前なら、みんなと同じように「えええーーー」と驚いていたことでしょう。しかも今でもきっと、9割ぐらいの人は、N君と同じように「歌の『さわり』は、出だしの部分」

と思い込んでいることでしょう。でもその意味を採用している辞書は見当たらないんですよ。
最新の言葉(と用法)を載せることで知られている『三省堂国語辞典』によると、「さわり」は、
「(1)さわること。(2)(浄瑠璃の)主人公の気持ちを述べる、節のはなやかな、利き所の部分。さわり文句。(3)(演説などで)全体のなかで、いちばんきかせたい部分。
とだけあって、「曲の出だし」という意味は載っていません。『日本国語大辞典』はどうでしょうか?(用例は省略)

(1)触れること。接触。また、その感じ。触れた感覚。感触。
(2)人に接した時の感じ。人との接し方。応対。人あたり。
(3)人形浄瑠璃で、義太夫以外の他流の曲節を取り入れた部分。
(4)義太夫一曲中で、いちばんの聞かせどころ。また、聞かせどころとされている箇所。転じて、一般に話や文章などのもっとも情緒に富み、感動的な部分。さわり文句。くどき。(5)その場だけの一時のたわむれ。座興。慰み。
(6)三味線の装置。複雑な倍音が生じ、余韻が強く長くなるように、三味線の一の糸を上駒(かみごま)からはずして直接棹に接触させ、乳袋(ちぶくろ)の一部(棹の表面で、上駒に近い部分)を削りとり、一の糸を弾くと、上駒の下一センチメートル余りの所で軽く触れるようにした装置。
(7)女性を誘惑する手段として、人混みの中で、その手や体にさわることをいう、不良青少年仲間の隠語。
(8)巡視者をいう、盗人仲間の隠語。
(9)弁舌をいう、盗人仲間の隠語。


ということで、やはり「曲の出だし」という意味はありませんね。
「意味が変わっている言葉」として、また文化庁の調査項目に入れて欲しい言葉の一つです。

2003/8/6


◆ことばの話1322「建設業者・建設業・建設会社」

お昼のニュース担当者のWアナが擦り寄ってきました。なんだろうか?と思って聞いてみると、
「私、入社以来13年間、疑問に思っていることがあるんですけど、聞いていいですか?」

と言うではありませんか!

「う、うん、いいけど・・・何?」

と聞くと、

「あのね、この原稿にも出て来るんやけど、建設業・建設業者・建設会社、この3つ、読んでもらえますか?」
「けんせつぎょう・けんせつぎょうしゃ・けんせつがいしゃ。」
「どれが鼻濁音でどれが濁音ですか?」
「『建設業』の『業』と『建設会社』の『会社』は鼻濁音、『建設業者』の『業者』は濁音・・・かな。」
「そうですよね。で、なんで『建設業者』の『業者』だけ濁音なんですか?」
「・・・それが入社以来13年間、抱き続けた疑問なの?」
「そうです!」


ああ、そうですか。本番前のややこしい時間に・・・。私は腕を組んで一休さんのように考えました。するとどうでしょう、一休さんのように頭の中で、

「チーン!」

という音がして、答えが出てきました。

「要はどれも『複合語』だろ。だから『A+B』という複合の、AとBの結びつきが強ければ一語になっているということで、『鼻濁音』になるし、まだ結びつきが弱いとなると『濁音』なんじゃないかな。この場合『建設業』『建設会社』は、語の結びつきが強いので『鼻濁音』、『建設業者』は、語の結びつきが弱いので『濁音』。複合語のアクセントのコンパウンドと同じようなことが言えるんじゃないかな。また『建設業者』の場合は、AとBで言うと、Bの『業者』を強調したいという気持ちがあるので『濁音』にしているのでは?『建設業』は『業』を強調するのではなく、やはり『建設』を強調したいでしょ?『建設会社』も同じことが言えるんじゃないかな。だから一語として『鼻濁音』。こんな考えはどうでしょうか?』
「13年来の疑問が氷解しました!」


ということで、 どや!?

2003/8/5


◆ことばの話1321「板画家」

8月3日の読売新聞1面の「編集手帳」を読んでいて、おやっ?と思いました。その書き出しは、

「ゴッホが描いたひまわりの絵に感動し、『わだばゴッホになる』と宣言したのは板画家の棟方志功である。」

ほれ、おやっ?となりませんか、「板画家」という表記。普通これは、

「版画家」

ではないのでしょうか?
そう思って翌日の新聞に「訂正」が出るかな?」と思ったら、これが出ない。もしや?と思いインターネットのGoogleで「板画家」を検索してみると、なんと、

「板画家」= 3万0600件(8月4日調べ)

もありました!ちなみに関連の表記も検索すると、

「板画」=35万1000件
「版画家」= 9万9800件
「版画」=20万件




その中から、「板画」に関する記述のあるNTT東日本青森支店の「ILOVE青森まるごとView『棟方志功について』」というところを 引きます。



青森市の名誉市民、棟方志功は、明治36年9月5日、青森市で代々刃物鍛冶を営む棟方家の三男として生まれました。 小学生の頃から「凧絵」に興味を持ちはじめ、17歳の時、雑誌でみたゴッホの作品『向日葵』に感銘を受けた棟方志功は「わだばゴッホになる」と、大正13年、21歳で油絵画家として帝展入選を目指すため上京しました。
靴直しや納豆売りなどを行い、苦労しながら油絵を学び5度目の挑戦で初入選を果たしました。
その後、以前から版画に心を強くひかれていた棟方志功は板画家に転身しました。
 (志功は板の声を聞くという気持ちから「板画[はんが]」としていました。)
幾多の困難を乗り越え、昭和30年には、サンパウロ(ブラジル)・ビエンナーレに「釈迦十大弟子」等を出品し、国際版画大賞を受賞して「世界のMunakata」となりました。
また、郷土を愛する心が人一倍強く、ねぶたを題材とした板画も残しており、昭和45年には青森県人として初の文化勲章も受賞しました。




そういうことだったんですね。ちなみに「板画家」と「棟方志功」をキーワードに検索すると、

「板画家・棟方志功」=851件

でした。
勉強になりました!

2003/8/4


(追記)

9月5日の読売新聞「編集手帳」が棟方志功を取り上げています。

「版画家の−と書けば、泉下から『字が違う』と苦情が来るかもしれない。『版画はどこか印刷くさい。僕の板画はもっと生身のものです』。」棟方志功は生前、語っている。百年前のきょう、青森市の刃物鍛冶の家に生まれた。」

という書き出しで、「板画家」について記されています。今年生誕100年だったのですね。

2003/9/5

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