◆ことばの話1320「留飲」

エビスの黒ビール、発売・即完売してしまい生産が追いつかなかったため、生産体制を整えて、7月下旬に再発売されました。さっそく買って飲んでみたところ、黒ビールにありがちな甘すぎるようなコクはなく、キレのある爽やかな黒ビールだと思いました。
さて、その「再発売」を報じた記事が、8月1日の日経新聞朝刊に載りました。そこに使われていた文字を見て、いつものように「おや?」と思ったのでした。そこには、

「留飲」

という文字が踊っていたのです。これって本当は、

「溜飲」

ではないのでしょうか? また表外字なので代用させているのでしょうか?『読売スタイルブック2002』を引くと、

「りゅういん(溜飲)」→留飲、つかえ 留飲をはらす→留飲を下げる

と載っていました。やはり、サンズイをつけると表外字なんですね。
日本語ページのGoogle検索では、

「溜飲」=3350件
「留飲」=405件


比率は「8:1」で溜飲の勝ち!でも「留飲」も400件以上あるのですね。その中にちょっと気になるものも。というのは、

「留飲」は「広義では水毒の総称で、狭義では胃内停水のこと。」

と書いてあるページがあったのです。「水毒」「胃内停水」って何でしょうか?
同じホームページからカット&ペーストすると、まず「水毒」は、

「水(血液以外の体液)の分布・代謝・分泌が体内で偏在する病的状態。症状としては、皮膚(汗)、皮下(浮腫)、目(涙)、鼻腔(鼻汁)、口腔(唾液)、気道(痰)、消化器(胃腸液)、泌尿器(尿)など、水の分泌の過多・過少であらわされる水分代謝の変調、分布の異常をいう。『金匱要略・痰飲咳嗽病篇』では、痰飲すなわち水毒を、狭義の痰飲(胃内停水)、懸飲(脇下の水滞)、溢飲(皮下の水滞)、支飲(肺水腫で喘鳴を伴う状態)の四つに分けている。頭痛、めまい、口渇なども水毒症状とされるが、これもまた局所的浮腫あるいは浸透圧異常と考えられる。」

うーん、難しい。「胃内停水」はと言うと、「心下振水音」を見よとなっていて、そこには、

「心下振水音=心下部を指先あるいは拳で軽く叩くと、胃内からの水音が聞こえること。胃内停水ともいう。胃下垂、胃アトニーなどのように胃壁の緊張が弱い時にしばしばみられる。」


と書いてありました。
とにかく「留飲」は「病気の名前」なんですね。じゃあ、「溜飲」の代用字としていいのかどうか。ちょっと疑問です。サンズイぐらい付いてもいいのにねえ・・・と思わなくもありませんね。

『日本国語大辞典』
を引いてみると「溜飲」しか載っていませんが、その意味はと言うと、
「胃の消化作用が不調となり、酸性のおくびが出ること。またそのおくびや症状。胸やけ。」
なんだ「留飲」と同じ意味じゃない。しかも用例に出ている「りゅういん」に当てられた漢字は、「留飲」と「留員」で、「溜飲」の字が使われた用例がないのです。
用例は『医心方』(984年)『病名彙解』(1686年)『滑稽本・浮世床』(1809―13年)という、結構昔の用例です。もしかしたら、「溜飲」の方が新しい使われ方なのかもしれません。また、「溜飲が下がる(下(お)りる)」「溜飲を下げる(下(お)ろす)」というのも見出しになっていまして、その用例では「溜飲」の文字が使われています。用例は『歌舞伎・黒手組曲輪達引』(1858年)、夏目漱石『明暗』(1916年)、井上光晴『階級』(1967年)、高浜虚子『俳諧師』(1908年)、有島武郎『或る女』(1919年)。
19世紀後半から20世紀という、「留飲」の用例よりも新しいもの
です。
もしかすると「りゅういん」は、中国から入ってきたときの病気の名前としては「留飲」だったのに、その後明治時代になぜか「サンズイ」がついて「溜飲」になり、その後、戦後になって「当用漢字・常用漢字」のせいでまた「留飲」に戻ったのではないか? という推測が成り立ちますね。じゃあ、「留飲」でいいのか。なーんだ。
皆さん、これを読んで「留飲」が下がりましたか?それとも「溜飲」?

2003/8/2


◆ことばの話1319「インタビューの敬語」

新聞用語懇談会の放送分科会で、いま、敬語について話し合っています。放送で使う敬語のあるべき姿、ということで、具体的に事例を挙げているわけですが、大変難しく、1回や2回の会合ですべてを語り尽くすことは出来ません。
今回(と行っても7月上旬に開かれたのですが)問題になったのは、

「プロ野球中継などで、インタビューするときに、監督や選手に敬語を使い過ぎるのではないか?」

ということでした。その会議の帰り、東京からの新幹線の中で敬語について考えました。特に、新聞などの書き言葉における敬語と、テレビなどの放送における敬語の違いについてです。そして、ひとつの大きな違いに着目しました。
新聞などの書き言葉メディアの場合、誰かにインタビュー取材してそれを新聞紙面に載せることで報道するわけですが、取材する場合に敬語を使わなければいけない相手は、

「被・取材者」

だけです。そこで取材したことをまとめて記事に書いたものを、「読者」が読むわけです。記者はその段階で、「読者に対する敬語」も考える必要があるかもしれませんが、とりあえず、同時に「被・取材者」と「読者」を相手にする状況は考えられません。
ところがテレビやラジオの場合にはそういう状況があるのです。そうです、生放送・生中継でのインタビューです。例えばプロ野球の場合、これは、「被・取材者」である監督や選手にインタビューしている姿を、そのままお茶の間の視聴者の皆さんが見ているのです。ですから、インタビュアーであるアナウンサーは、(自分ではみえませんが)テレビカメラの向こう、テレビの前にいる視聴者も意識しながら、「被取材者」たる監督や選手に語りかけなければいけません。
この時、「被取材者」の監督や選手に敬語を使い過ぎると、それを見ているお茶の間の視聴者は、どう思うか。

「こいつ、監督におべっかばっかり使いやがって。俺様もここで見てるのに、全然敬意を払っとらへんやないか!」

と感じるのです。つまり、インタビュアーは、「被取材者」と「視聴者」という2者・2方向に対して、どちらにも敬意を払った言葉遣いでインタビューに当たらなくてはならず、しかも「被取材者」への敬意を上げ過ぎると、視聴者はないがしろにされたように感じるというジレンマを意識しながらインタビューしなくてはならないのです。これは、「生中継」というコミュニケーションツールを持たない活字メディアにはありえない・考えられないシチュエーションと言えます。

そこが今回の問題の最大のポイントなのではないでしょうか。
被取材者と視聴者の両者に、同時に使って違和感のない敬語・敬意表現はどういうものなのか。それについて、今後考えていきたいと思います。

2003/8/2


◆ことばの話1318「核銀座」

8月1日の朝刊各紙に北朝鮮が、各問題をめぐる6か国間交渉に応じる姿勢であると、ロシアを通じて表明したことがトップ記事として載りました。読売新聞の解説面にも、それに関する記事が載っていましたが、その見出しの一つに、

「核銀座」

というのがありました。「核施設」がまるで「銀座」のように賑わっている、という意味合いなのでしょう。

Googleで検索したところ、たったの2件しかありませんでした。(8月1日)
この「○○銀座」、地名としては日本全国にあるでしょうが、こういった「核銀座」のように比喩としての「○○銀座」はどのくらいあるのか?どういった言葉があるのでしょうか?『逆引き広辞苑』で調べてみましょう。「ざんぎ」で引けばいいですね・・・あかん。「ぎんざ」しか載ってなかった。がっくし。
あ、思い出した!

「原発銀座」

というのは聞いたことがあるぞ!Google検索。なんと550件ありましたです、ハイ。
やっぱりこの言葉はある程度定着しているな。そこからの発想で読売新聞は「核銀座」なんて言葉を作ったんでしょうね。
でも「核銀座」「原発銀座」も「銀座」の前に付いている言葉に関しては、「マイナスのイメージ」を持ってこの言葉を使っている感じですね。マイナスのイメージは持っているけれどもそれが密集していて賑わっている、というのが「○○銀座」という言葉なのでしょう。とりあえず、こんなところで。

2003/8/2


(追記)

台風10号の中継をしてくれていた(読売テレビの台風特番に、いわば"友情出演"のような形中継してくれていたので。)で高知放送の久保田アナウンサーのリポートの中に、

「台風銀座」

という言葉が出てきました。なるほど、それがあったか。「台風銀座」はGoogle検索(8月8日)では、1万6300件もありました。台風が良く来るところをそう呼ぶのですね。

2003/8/8


◆ことばの話1317「たしなめる」

おっちょこちょいに見られがちの新人のKアナ。先輩のからかいに対して、プンプン怒って一言。
「こう見えても、私、茶道をたしなめてたんですよ!」

ホホウ、茶道をねえ・・・「たしなめた」とはまた、よほどおエライんでしょうなあ。それも言うなら「たしなんでいた」のでは?
こういう時にワープロは便利ですね。「たしなめる」は・・それ一発変換で「窘める」。こんな漢字だったのか。そして「たしなむ」は・・・「嗜む」ですね。この漢字は知っていましたよ。

「ちょっとの違いは大きな違いなんだぞ!」


と、噛んで含めるように、たしなめておきましたので。
でもこういった言い間違いは、だれしも経験しているものです。(お、今日はいつになく優しい!)
私は学生時代、男声合唱団・グリークラブに所属していたのですが、そのグリークラブが小学校の音楽鑑賞会に出演したことがありました。その時に司会をした同期のIという男は、こう言ったのです。

「みんな、こんにちは!これからしばらくの間だけど、僕たちのせつない演奏を聞いて下さい!」


もちろん、会場からは、すすり泣く声が聞こえ・・・ることはありませんでしたが、司会の「つたなさ」に「おいおい!」という声と「クスクス」笑う声が団員の中から聞こえました。
そんなこんなで今週号のマンガ雑誌『ビッグコミックオリジナル』(小学館)連載中の黒鉄ヒロシ『赤兵衛』で、これと同じような間違い・・・と言うかダジャレと言うか、似たような例を見つけました。こんな感じ・・・

「我々は、着実に愛をむしばみ」→「はぐくみ」
「愛の花を憎しみ合い」→「いつくしみ」
「彼女のなまやさしさは」→「やさしさは」
「胸踏みつけられるこの想い」→「締め付けられる」




うーん、日本語はムズカシイ・・・・!!

2003/8/4


◆ことばの話1316「サボリスト」

7月の頭の頃に東京出張した帰りの新幹線の中で読んだ東京新聞(7月5日)に、

「サボリスト入門」

というコラムがありました。詩人の佐々木桂さんという人が書いています。「サボリスト」、意味分りますよね。「サボる人」ですね。でも単にサボるというよりは、

「忙しい中に自分で時間を作り出す人」

というような感じで使われているようです。初めて見たにもかかわらず、昔から知っているような言葉です。

Google検索で「サボリスト」を引くと、なんと1950件も出てきました。

「〜する人」という意味の造語の場合「○○イスト」という型になるので、いろいろ和製英語を作りやすいのだと思います。しかももともと「サボる」は「サボタージュする」ということで、「サボタージュ」という外国語に日本語も「する」をつけて日本語化したものです。それをさらに(和製)英語化する、という手順を踏んでいるわけで「サボリスト」の「サボ」と「スト」の部分は、「もともと英語」ですね。だからこの「サボリスト」という和製英語は、5文字中「リ」だけが日本語で残りの4文字は英語(外国語)という和製英語です。そういう意味では、ちょっと珍しいかも。
なお、佐々木桂さんによると、サボリストの鉄則の一つには、

「細切れの時間を作るな」

というのがあるそうです。

2003/8/2

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