◆ことばの話1305「アオバズク」

日経新聞の水曜日夕刊に、「探鳥記」という横に細長いコラムが載っています。野鳥写真家の叶内拓哉さんという方が、いろんな鳥を紹介しているコラムなんですが、そこで6月11日、「アオバズク」という鳥について書いてありました。
「アオバズク」、聞いたことはありますね。で、よく似た名前のものに「ミミズク」があります。やっぱり仲間なんだそうです。フクロウの仲間。渡り鳥で、「青葉」の頃に東南アジアから日本へわたって来るので「アオバズク」と言うそうです。このコラムによると、
「『ズク』はミミズクの『耳が付く』からきている」
のだそうです。「耳が付く」というのは、耳のように見える羽「羽角(うかく)」があるからそういうふうに呼ばれているそうです。そこで初めて「あっ!」と気づきました。
「ミミズクは耳が付いているように見えるから『耳付く』だったのか」
と。このほか、「コミミズク」「トラフズク」「コノハズク」もこういった仲間です。
「耳」が大きく付いているから、「ミミズク」、小さいミミズクなので「コミミズク」、虎のような斑(ふ)が入っているので「トラフズク」、そして、木々の緑が芽吹く季節に出て来るから「木の葉」の頃のミミズクなので「コノハズク」ということなんですね。ネーミングの由来は知らなかったなあ。もう「ミミズク」をベースに「ズク」を付けたら「ミミズクの仲間」という感じですねえ。旧ユーゴスラビアのサッカー選手が、ストイコビッチ、ユーゴビッチ、ミハエロビッチとか、みんな語尾に「ビッチ」が付いていたのを思い出しました。
でもこの「探鳥記」によると、「アオバズク」には、耳のように見える「羽角」はないのだそうです。それなのになぜ、「ズク」の付いた名前が付いたのかは「わからない」そうです。
このネーミング、「納得ずく」では、ないのですね。

2003/7/31


◆ことばの話1304「に切り付ける:を切り付ける」

7月30日、奈良市の交番に入ってきた男が、交番の嘱託相談員の女性に匕首(あいくち)を突きつけて「拳銃を貸せ!」と脅す事件がありました。その原稿にこういうフレーズがありました。



「男は女性相談員を切りつけて逃走しようとしました」



これを読んで私は、違和感をおぼえました。というのは、
「『女性相談員を』ではなく『女性相談員に』ではないか?」
と思ったのです。つまり「に」か「を」かという助詞の問題です。なぜ「に」か「を」かという問題が起きるのか?考えてみました。問題は、助詞の後に来る「切りつける」という複合動詞です。これは、
「切る」+「つける」
ということですね。その時の助詞が「切る」に付くものか、「つける」に付くものかということなんです。
複合動詞の元の動詞の前の助詞が、どちらも同じ場合と異なる場合がありますね。その異なる場合に、どちらの動詞になじんだ助詞を使うかという問題なのです。
この場合、「切りつける」という複合動詞のうち、前者の動詞「切る」の意味が強ければその前に付く助詞は「を」になりますし、後者の動詞「つける」の意味を強調した方が言い場合、助詞は「に」になりますね。私は後者の「つける」の意味の方が強いと感じたのです。というのは、単に「切る」というよりは、その被害者に対して「動」・「動き」がある動作だと思ったので、「つける」に意味を持たせたいと考えました。そうすると「を」ではなく「に」になってくるのです。
複合動詞の場合、ついつい前者の動詞に合わせて助詞を選びがちですが、よく考えて助詞も選びたいものです。

2003/7/30

(追記)

スクラップを整理していて、同じような例を見つけました。去年(2002年)3月25日のTBSの「ニュース23」(筑紫哲也さんの番組です)で例の辻元清美議員(当時)を読んで筑紫さんがインタビューした時の放送です。「質問が手ぬるい」す。(徳山喜雄著『報道危機』集英社新書2003,6,22)と批判された日の番組です。
その時の「サイドスーパー」(=ずーっと画面の隅に出っ放しのタイトル字幕)が、
「辻元議員に問いただす」
だったのですが、途中で「縦」に出たスーパーは、
「辻元議員を問いただす」
だったのです。「に」と「を」が混在していました。単に間違えたのでしょうが、どちらでもOKということが分りますね。この場合、「問う」+「ただす」という複合語で、意味の上で「問う」が重ければ「に」ですし、「ただす」が重ければ「を」になります。TBSも揺れていたのでしょうかね。

2003/7/31


◆ことばの話1303「肉声」

先日(7月4日)の用語懇談会放送分科会に、読売新聞校閲部の関根さんがいらっしゃってました。お久しぶりです。その関根さんが、
「『肉声』という言葉がありますよね、あれって、生のその本人の声のことを言いますでしょ。でも最近は、『肉声テープ』とか機械を通した声も『肉声』と使っている気がするんですが、この使い方ってまだ国語辞典に載っていないんですよ。どう思われますか?」
と話し掛けてきました。ははあ、全然気づきませんでした。言われてみたらそんな気がしてきました。
Google検索で
「肉声」 = 2万8500件
「肉声・マイクを使わない」= 31件

でした。(7月5日しらべ)
ちょうど出張帰りの新幹線の中で読んだ新聞に、その「肉声」が使われていました。
「フセイン氏の肉声?『国内潜伏、降伏しない』」(東京新聞7月5日)
本文を見てみると、
「カタールの衛星テレビ・アルジャジーラは四日午後、イラクのフセイン元大統領の肉声とする録音テープを放送。」
とありました。つまり、読売新聞の関根さんがおっしゃるとおり、テープの声を「肉声」と表現しているのですね。これに対して、東京版の朝日新聞は、
「『私はイラクにいる』『米に聖戦を』フセイン氏の『声』放送」(朝日新聞・東京版7月5日)
というふうに「声」としていて「肉声」は使っていません。
大阪に帰ってから見た、その日(7月5日)の毎日新聞夕刊の見出しは、
「『フセイン氏の肉声』の放送、米に"打撃"鑑定急ぐ」
と、「肉声」を使っていました。また、7月8日の日経新聞夕刊は、本文で、
「米中央情報局(CIA)は七日、カタールの衛星テレビ局アルジャズィーラが『フセイン元大統領の肉声』として放送したテープについて『おそらく本物だ』との見解を示した。」
とあって、「肉声」を使っています。
さらに同じ日の読売新聞の夕刊は、見出しで、
「フセイン元大統領の肉声の可能性〜録音テープ、CIA分析」
とありますが、本文では、
「米中央情報局(CIA)のハーロウ報道官は七日、カタールの衛星テレビ局アル・ジャジーラが四日に放送したイラクのフセイン元大統領=写真AP=のものとさえれる録音テープについて、分析の結果、音声は元大統領本人のものにほぼ間違いないとの結論に達したことを明らかにした。」
となっていて、「肉声」は使っていません。その7月8日(火)の日本テレビ系列の「きょうの出来事」での字幕スーパーは、
「フセイン大統領新たな肉声!?」
でした。同じく日本テレビの7月31日午前6時4分、「ズームイン!SUPER」の
「ニュースSUPER」
での字幕は、
「CIA フセイン大統領の肉声テープ」
でした。7月30日の日経新聞夕刊の見出しは、
「フセイン元大統領の肉声?息子の死悼む録音テープ」
と「?」マーク付きの「肉声」。これは本人のものかどうか、という意味の「?」のようです。つまり、
「本人の声=肉声」
という解釈のようですね。
また、7月31日の日経新聞は、
「録音テープの声 フセイン氏断定」
と出ているベタ記事ですが、こちらは「肉声」という言葉は使っていません。同じ日の産経新聞も、
「テープの声、本人と断定」
という見出しですが、本文中も「肉声」は使われていません。
この件に付いてBBS「ことば会議室」に書き込んだところ、Yeemarさんから書き込みをいただきました。それによると、
「『犬の人形』や『赤い白墨』に通じるところがある。『肉』の部分が希薄化して『声のテープ』という意味になり、『肉声』を『本人の声』というつもりで使って『本人の声のテープ』という意味になっているのかも。」
ということで、 私が考えた「肉声」=「本人の声」と同じような意見になっています。
というような使用状況を踏まえた上で、『日本国語大辞典』で「肉声」を引いてみました。



「肉声」=肉体から出る声。マイク、電話などの機械を通して出る声に対して、人間の口から直接発せられる音声。



とあります。やはりこれだと、テープに録音されたものを「肉声」と呼ぶのは無理がありそうです。ただ、テープに録音される前の声は「肉声」と呼んでもいいのではないでしょうか。そうすると、「『肉声』が録音されたテープ」という表現は、許されることになります。ただ、それをテープレコーダーで再生したものは「肉声ではない」ことになるのですが。ややこしいですね。
いずれにせよ、「肉声」を「本人の声」とする新しい傾向が出始めていることと、テープに録音したものは「肉声」だとしても、それを再生したものは「肉声ではない」という認識でいいのではないでしょうか?

2003/8/1


(追記)

原克著『悪魔の発明と大衆操作』(集英社新書(2003,6)の177ページに、1932年、日本無線電信電話(株)製の新型ラジオ、「にっ歩レット四S−A(ミゼット型)」の広告が載っていますが、そのコピーが、

「眞に肉聲聞くには抵抗増幅に限る」

というものでした。ラジオから出て来る音が「肉声」と呼ばれているわけです、1932年、昭和7年に。昔からあったのですね。

2003/8/4


(追記2)

「肉声」以外に「肉〜」という言葉には、
「肉親」「肉筆」「肉眼」「肉体」「肉薄」「肉弾」

などがあります。「肉」にはダイレクトな密着感がありますね。

2003/8/14


(追記3)

8月17日(日)深夜の「ドキュメント03」では、人間魚雷「回天」に乗って命を散らした山口県出身の21歳の若者が、特攻前に録音した声を紹介していました。その番組のタイトルが、

「甦った58年目の肉声」(だったと思う)

でした。録音の声ですから、厳密には「肉声」とは言えないのでしょうが、録音され、再生された音の向こうに「肉声が聞こえる」、ということでしょうか。

2003/8/18

(追記4)

2005年11月11日の産経新聞朝刊に、大阪工業大・情報科学部の音声音響研究室が、これまで機械的な合成音でしか聞けなかったホームページ(HP)の情報を、「肉声」で聞ける国内初のシステムを開発したという記事が載っていました。この場合、「肉声」で良いのでしょうかね?見出しは、
「温かみのある肉声でHPを聞く」
でした。

2005/11/11

(追記5)

これに関して産経新聞大阪本社の清湖口(せこぐち)校閲部長にメールをしたところ、お返事をいただきました。
『社内ではこれまで「肉声」についての論議はなく、今回も違和感を唱える者もいなかったため社の見解はないが、私個人の感想では意味が変容、あるいは守備範囲が広くなったものと解釈している。ITの発達、メディアの多様化、音声技術の進歩等で、もはや「肉声」と私たちが聞く「音声」の間に機械の存在を意識しなくなった、つまり、肉声と寸毫たがわぬ「声」が聴けるという環境になったということが大きいと思う。多くの辞書はそれでも肉声について、揃えたように「マイクなど機械を通じてではなく…」などと書き、それも十何年も変わっていないようだが「いつまでマイクなのか…」の気もする。「○○の曲を生演奏でお送りします」とラジオアナウンサー。でも、この「生」も電波に乗ったとたん、腐るわけではないけれど「生」では賞味できない?でも世間は違和感なく受け入れる。この高技術の時代、スタジオで生のものは、いつまでも新鮮な生?なのではないだろうか。』
ということで、この話をベースに、ご自身が毎週土曜日の産経新聞夕刊に書かれているコラム『語誌ップ拾遺帳』に、「肉声」に関して11月26日に書かれていました。
2006/1/15


◆ことばの話1302「力負け」

皆さんは、
「力負け」
という言葉を聞かれたことはありますか?私はこの言葉は、「力持ち」の「力」、つまり物理的な「力」と「力」で真っ向勝負して、その結果負けた場合を指すと思ってきました。勝者として、マッスルマンが頭に浮かびます。「力技」の使い手のような人です。
しかし時々そうではなくて、総合的な「力」で負けた場合に使われている例があるようにも感じます。
「総合力」で負けた場合に「力負け」を使うのはおかしいのではないか、と思うわけです。
その場合は、「完敗」「惜敗」「大敗」などの区別はあっても単なる「負け」で、「力負け」とは言わないと思うのですが。『逆引き広辞苑』で「○○負け」という言葉を探してみましょう。

忌み負け、漆負け、御(お)負け、面(おもて)負け、顔負け、掛り負け、風(かざ)負け、勝ち負け、果報負け、蚊負け、剃刀(かみそり)負け、堪忍負け、寒(かん)負け、気合負け、器量負け、位(くらい)負け、怪我負け、後途(ごと)負け、根(こん)負け、寒さ負け、失脚負け、先(せん)負け、空(そら)負け、知恵負け、力負け、遠(とお)負け、夏負け、名前負け、飛脚負け、独り負け、日(ひ)負け、ぼろ負け、丸負け、厄負け

以上、34語の「○○負け」が載っていました。「力負け」もありますね。『広辞苑』を引くと、

「力負け」=(1)力が劣っていて負けること。(2)力を入れすぎたため、かえって負けること。また、力を過信して、しくじること。

とありました。ありゃ!?この(1)の「力」というのは物理的な力のこと?それとも「総合力」なのかな?そのへんがわからない。(2)の力を入れすぎて負けることや、力を過信して負けることも「力負け」なんですね。これは確かにそういう使い方をするような気がしますので、納得。「力(りき)みすぎの負け」ですね。
ちなみに「力(ちから)勝ち」という言葉も引いてみましたが、『広辞苑』には載っていませんでした。
アナウンス部で聞いてみると、Sアナウンサーは、
「お互いに力は持っているんだけど、最後に自力の差で負けてしまうのが『力負け』だと思う。『惜敗』のイメージ。」
と答え、Oアナウンサーは、
「力の差がありすぎて、かなわなくて負ける。『大敗』のイメージ。」
と意見が割れました。
『日本国語大辞典』で「力負け」、引いてみました。
「力負け」=(1)あまりに力を入れ過ぎたためにかえって負けること。また、考え過ぎて的はずれになること。(2)力が足りなくて負けること。実力不足で敗れること。
(用例は省略)

ああ「実力不足」も、「力負け」と言うんですね。知りませんでした。「力不足」でした・・・。
それにやはり「力み過ぎ」も「力負け」なんですね。これはSアナもOアナも「そういう用法があったとは・・・」と驚いていました。今後はもっと 気を付けていきたいなと思っています。
「力」にもいろいろあるということですね。

2003/7/30
(追記)

なぜこんな疑問が突然出たか、わかりました。以前(4年前)に読んだ、この本に書いてあったからでした。
山田俊雄著『ことば散策』(岩波新書、1999.8.20初版)
この本の154ページから158ページに、しっかりと書いてあるではないですか。 自分の思いつきと思っても、実はどこかで読んでかすかに覚えていたりすることがそのネッコだったということが、やっぱりあるんですねえー。

2003/12/25


◆ことばの話1301「マジックのアクセント」

阪神タイガース、強いです。異様な速さで優勝への「マジックナンバー」が出ました。
読売新聞で毎週土曜日に連載されているコラム「ことばのファイル」で、去年(2002年)の9月21日、「マジックナンバー」が取り上げられていました。それによると、1940年前後、アメリカ大リーグの報道に登場するのが始まりとか。ビンゴゲームでビンゴがそろうための最後の数字を「マジックナンバー」というところからという説が紹介されています。日本の場合は、一度出たマジックが消えることもありますが、アメリカでは原則として引き分けがなく各球団の勝敗数(の合計)が同じになるので、単純に「首位チームはあと何勝で優勝するか」をはじき出すため、マジックが途中で消えることがないそうです。
さてこの「マジック」のアクセントですが、「マジック(HLLL)」と頭高アクセントで言う人と、「マジック(LHHL)」と中高アクセントで言う人がいます。どっちなんでしょうかね。
おそらく頭高アクセントは「英語読み」、中高アクセントは「日本語読み」なんだと思います。周囲で聞いてみると、
「『マジック(HLLL)』と『頭高』で言うと『手品のマジック』のような気がするし、中高で『マジック(LHHL)』と言うと、『マジックインクのペン』のような気がする。」
という人が、結構多かったです。
7月14日のNHKは「マジック(HLLL)」と「頭高アクセント」でした。その後も「頭高アクセント」のマジックの方がよく耳にする気がしますが、皆さんはどちらですか?

2003/7/31


(追記)

読売テレビの解説委員辛坊治郎さんは、7月31日の「ズームイン!!SUPER」で、
「マジック(LHHL)」
と中高アクセントでした。

2003/7/31
(追記2)

10月5日、NHKでやっていた、阪神のセリーグ優勝の特別番組で、佐藤誠アナウンサーは中高アクセントの「マジック(LHHL)」、一緒に出ていたタレントの遥洋子さんは、頭高アクセントの「マジック(HLLL)」でした。年代差があるのでしょうかね。

2003/10/6