◆ことばの話1220「決定打」

5月30日の毎日新聞のスポーツ面に、欧州チャンピオンズリーグ決勝の記事が出ていました。史上初、イタリア勢同士の決勝戦はACミランとユベントスの間で戦われ、0対0のままPK戦で、ACミランが6度目の王座に輝きました。
毎日新聞の見出しは、



「同国対決ミランに軍配」「イタリア復権」「時間稼ぎ、決定打なく」



この見出しのうち、「決定打なく」に、おや?と思いました。
と言うのも、言うまでもなくこれは「サッカー」の記事です。ところが「決定打」は「野球」の用語です。野球用語をサッカーの記事に使うことに私は違和感を覚えたのです。
Hアナウンサーに「どう思う?」と聞いたところ、
「ボクは特に気になりませんねぇ。」
というつれない返事。そういうものかなー。あ、でもよく見ると、その見出しの前に、
「ミランに軍配」
という見出しもあるぞ。「軍配」は「相撲」の用語。どちらかと言えば「サッカー」に「相撲」の用語を使う方が違和感がありそうなものなのに、これは全然気になりません。
ためしに「相撲用語」を使って、「サッカーの記事の見出し」を、比喩表現で作ってみましょうか。
「ミラン・ユーベ、がっぷり四つ(の好勝負)」
「ミラン、横綱相撲で寄り切り」
「ミラン・ユベントス、初顔合わせ」
「モンテロ、勇み足」

こうやって並べてみると、相撲用語は守備範囲が広いなあ。あ、「守備範囲」は野球用語か。(野球だけじゃないかもしれませんが。)もう、こうなると、しょうがないですな。でも、
「マルディーニ、起死回生の決勝ホームラン」
は、ないわけです、ペタジーニならともかく。マルディーニはサッカー選手(ミランの)ですから。
なにやら、難しいものですね。

2003/6/13


(追記)

Jリーグ「レッズ対ヴェルディ戦」を伝えた7月2日の「ニュースステーション」で、テレビ朝日の角澤照治アナウンサーが
「延長にまさかの決定打」
というようなことを言いました。サッカーの「逆転ゴール」を、野球用語の「決定打」を使って表したのです。やっぱり、こういうのはあるんだなあ。

2003/6/13




◆ことばの話1219「乱舞」

元アナウンサーの先輩・Sさんが話しかけてきました。
「このあいださあ、Sアナがニュースで『ツバメが乱舞していました』って読んでたけど、『ツバメが乱舞』はおかしくないか?」
「と言いますと?」

「ツバメはさあ、スーッと直線的に飛んでいくだろ。ちょっと『乱舞』のイメージじゃあないと思うんだよなぁ。」
調べてみましょう。『日本国語大辞典』を引くと、
「乱舞」
(1) 入り乱れて踊りまわること。酒宴の席などで、楽器にあわせて歌い踊ること。らっぷ。特に五節の帳台の試(こころみ)や寅の日の淵酔(えんずい)に参加した殿上人などが「びんたたら」などという歌を歌って舞ったことを言う。 ちょーっと舞った、いや、待った!「乱舞」と書いて「らっぷ」とも読むと言うのですか?あの、「ヒップホップ」とか、メロディーに起伏のないダラダラしゃべるような歌の「ラップ」と、音が同じなんですか。これは驚きました。


(2) 能で速度の速い舞
(3) 能のこと。また、その一節を謡い奏して舞うこと。らっぷ。
(4) (1)のような様子を呈することから)花がしきりに散ること、蝶がもつれ合って飛ぶこと、人が喜んだりして跳ね回ることなどをいう。




つまり「花」=「花びら」が、ひらひらとたくさん舞う様子や、蝶々がたくさん、やはりひらひらもつれ合って飛ぶ様子が「乱舞」なのですね。そうすると、直線的に飛ぶ「ツバメ」は、いくらたくさん、もつれ合って飛んでいても「ひらひら」のイメージからは遠い。そういう意味で「乱舞」は合わないかもしれませんね。
それより何より、「乱舞」と書いて「らっぷ」とも言うのは、ホントに驚いたぜえ。

2003/6/12



◆ことばの話1218「ヨメとカミさん」

結婚してすぐの頃、あるパーティーに出た時に、自分の妻のことが話題に出て、
「いや、うちのヨメがね・・。」
と言ったところ、先輩の奥さんから、
「いや、ヨメやて。亭主関白やねえ。」
と言われたことがありました。これは「ヨメ=嫁」ということで、すぐに「嫁ぐ」「嫁入り」「姑」「家」「家長制度」「封建的」というような連想が働いているようにに思われます。
関西人は、自分の奥さんのことを「ヨメ」と呼ぶ傾向があるようです。インターネットの掲示板「ことば会議室」でこの話題が出たことがありました。
昔は「ヨメはん」と言ったようです。逆、つまり「ダンナさん」のことは「ムコはん」ですね。牧村史陽『大阪ことば事典』には「ヨメハン」が載っています。
「ヨメハン」(嫁はん)=嫁さん。聟ハンに対する。主として、中流以下の妻に対していう。
ハア、中流以下の妻に対して、ですか。そりゃ、言われた方はちょっと気ィ悪いなァ。
でもちゃんと「妻」に対して使う言葉だと書いてありますね。姑が、息子の妻に対して言うものではないのですね。(これは「ヨメハン」ですが。)
先日(5月23日)読売テレビで放送された「平成紅梅亭」で、桂南光さんが演じた落語の中で、
「ヨメというのは変わりますな。ええ人やなあ、と思(おも)てヨメにもろた、ツマを娶(めと)ったんだ、・・・」
という部分がありました。これは南光さんは「妻を娶った」と言い直して、「ヨメ」が「妻」を指していることを強調しようとしている、わかりやすくしている例ではないか、と思いました。(この番組の収録は、5月2日に「平成紅梅亭・特選落語会」としてサンケイホールで行われ、私も聞きに行きました。)
「妻」「家内」では固いし、「奥さん」じゃ自分の妻を持ち上げているようだし、今朝(6月13日)の読売新聞「日めくり」に出ていた「細君」も、自分のとこに使うにはちょっとなあ。「ワイフ」はハズかしいし。ダンナを「ハズ」と呼ぶのもハズかしいけど。その点「ヨメ」はちょうどよい距離感だと思うのですが、全国的には「ヨメ」を自分の妻に使うのは、珍しいことなのでしょうか。
関東の場合、この「ヨメ」にあたる言葉は、「カミさん」だと思います。
「いやあ、うちのカミさんがね・・・。」
というセリフで思い出すのは、「刑事コロンボ」のコロンボ警部、ピーター・フォーク、と言うより、故・小池朝雄さんですがね。これ、関西人なら、
「いやあ、うちのヨメがね・・・。」
ピッタリ、はまるではないですか!その場合、コロンボ警部の吹き替えは、藤田まことさんにお願いせねばなりますまい。
ちょっと関西テイストの刑事コロンボ、けっこうイケルかもしれませんゾ!



2003/6/12




◆ことばの話1217「踏んだり蹴ったり」

「もう、ひどい目にあったわ、踏んだり蹴ったりやなあ。」



皆さんも人生に一度くらい、こんなセリフを吐くような出来事はあったのではないでしょうか?
さてこの「踏んだり蹴ったり」という言葉。よく考えるとおかしくありませんか?だって、こちらが「踏んだり蹴ったり」しているのではなく、おそらくはその逆です。だから「ひどい目にあった」のです。そうすると、それを正確に言うと、
「踏まれたり蹴られたり」
というふうに受け身形を使う方が正しいのではないのでしょうか?
『日本国語大辞典』を引いてみましょう。「踏む」のところの成句に「踏んだり蹴ったり」載っておりました。が・・・。
「踏んだり蹴ったり」=「(1)ひどい目に合わせた上にもひどい目に合わせること。重ね重ねつらい目に合わせることたとえ。(2)取り引き相場で売買ともに思惑がはずれて損をすること。



おや?個々には、ひどい目に合わせる立場からの言葉として「踏んだり蹴ったり」が掲載されているではありませんか!逆に「踏んだり蹴ったりされる」の意味は載っていません。これは一体どういう事でしょうか?
もしかしたら、私のように、「踏んだり蹴ったり」を「される側が言う」というのは、関西人に特有の言い方なのでしょうか?でも東京出身のUアナも、同じ疑問を持っていたぞ。
どうなんでしょうか?
インターネットの掲示板「ことば会議室」で質問したところ、大阪大学の岡島昭浩先生が答えてくださいました。
「『日本国語大辞典』には被害者側のものの用例はありません。明らかに被害者側から言ったいい方であると断定できそうなものには、尾崎一雄『まぼろしの記 九』に『ソコヒですか。盲目になるんでせう、あれは。あの奥さん、踏んだり蹴ったりですね』があります。
また、加害者側の言い方を使っている例としては、井上靖『眼の皮膚』で『仕切屋が何か細工して、秤をごまかし、それがばれて屑屋の仲間からなぐる蹴るの目にあわされたという話。』があります。」

またYeemarさんからは、
「見坊豪紀『ことばの海をゆく』P74には、池田弥三郎氏『暮らしの中の日本語』の中の「気になることば」で、おかしい言葉をいくつか詮索していて『ふんだりけられたり(けったり)』もその中の一つとしてある」
というご指摘でした。
その他、『日本語学2002年11月臨時増刊号〜日本語あれこれ事典』(明治書院)の74ページには、
『「踏んだり蹴ったり」といいますが、「踏まれたり蹴られたり」がいいのではないですか?』
という、私とまったく同じ疑問が提示されていて、そこでは近藤泰弘氏が次のように見解を述べてらっしゃいます。
「受身や自動の方が論理的にはよさそうなのに、他動表現で言うことは日本語で結構ある。(中略)『踏んだり蹴ったり』も、自分の意志でそうなるわけではないので、自動的自体を他動で言う例といえるのではないだろか。」



と記しています。
結局決定的な結論は出ず終い。踏んだり蹴ったりや!

2003/6/12



◆ことばの話1216「末続か?末續か?」

日本陸上界、期待の星は何人かいますが、短距離で注目は何と言ってもこの人、末続慎吾選手(23)でしょう。
先日行われた陸上の日本選手権でも男子200メートルで日本新記録で今季世界最高の、20秒03をマーク、来年に迫ったアテネオリンピックではメダルの期待もかかります。
さて、この末続選手の名字の「続」という字を、新字体で書くマスコミと旧字体で書くマスコミに分かれています。整理してみましょう。
まず、新聞は、
(読売)末続(6月5日夕刊)
(朝日)末続(6月7日)
(毎日)末続(6月7日)
(産経)末続(6月8日)
(日経)末続(5月7日、6月8日)

一般紙はすべて「末続」でした。
スポーツ紙はどうでしょうか?6月8日の紙面で比べました。
(スポーツ報知)末続
(日刊)末続
(デイリー)末続
(スポーツニッポン)末続
(サンケイスポーツ)末続

なんと、スポーツ紙もすべて「末続」と新字体なのです。
テレビは、どうでしょう?
(日本テレビ)???
(TBS)末續(6月7日)
(フジテレビ)末續(5月6日)
(テレビ朝日)???
(テレビ東京)???
(NHK)末續(5月10日、6月7日)




日本テレビ、テレビ朝日とテレビ東京が未確認ですが、その他のテレビはなぜか「續」という旧字体を採用していて、新聞と対照的です。これほど見事な対比も珍しい(のかな?)。
普通、こういったスポーツ選手などの場合、本人からの強い要望があった場合に「旧字体を使う」ことがあるのですが、新聞とテレビでこんなに対応が分かれている理由はなんなんでしょうかね?また調べておきます。

2003/6/9


(追記)

人の名前の表記に関して、6月7日に大阪市内でイタリア語講師が殺される事件が起きたのですが、その被害者の名字が「まなべ」と言います。これの表記が、読売テレビでは、
「真辺」
と出したのですが、MBSでは、
「眞邊」
と旧字体で出していました。「真」「辺」、二文字とも旧字体と新字体があるので、きわだって違うということが分かる例ですね。他局のニュースも注意しておきます。新聞は今見たところ大体「真辺」でした。



2003/6/9


(追記2)

7月6日、フジテレビの「EZ−TV」でやっていた末続選手の特集で出てきた、末続選手本人の東海大学の卒業論文。そこに書かれた自筆の氏名は、

「末續」

と、旧字体で記されていました。

2003/7/7
(追記3)

世界陸上男子200メートルで、末続選手、堂々の銅メダル獲得です!やったあ!!
そのニュースを伝えた新聞(一般紙)はすべて「末続」でした。で、テレビでは、NHKと日本テレビのニュースで、旧字体の

「末續」

を使っているのを確認しました。(8月30日のお昼のニュース)

2003/8/31


(追記4)

銅メダルで「凱旋」帰国の末続選手、テレビ朝日の「ニュースステ―ション」とTBSの「ニュース23」に掛け持ち生出演していました(9月2日)。久米さんも筑紫さんも共に夏休みでいませんでしたが。その際の表記は、テレビ朝日もTBSも、

「末續」

でした。という事は、私が確認したところ、テレビ東京を除く全局、旧字体を使っているということですね。(テレビ東京はまだ確認していません。)新聞とテレビでこれだけきっぱり分かれるのは、本当に珍しいのではないでしょうか。

2003/9/3