◆ことばの話1175「如来と菩薩」

『ズームイン!!SUPER』(3月11日)で、京都の清水寺から中継をしたアナウンサーのコメントに対して、視聴者の方から電話があったそうです。



「アナウンサーは『大日如来菩薩』と言っていたが、『如来』と『菩薩』は違うから重ねて使うのはおかしい」



というような主旨でした。本当の名前は「大日如来坐像」でした。担当したアナウンサーによると、
「狭い塔の上層階に登りながらの中継で、その仏さんの名前を覚えていたのだが、一部、度忘れしてしまった。如来だったか 菩薩だったか?どっちか片方を言って間違っているとマズイと思ったので、安全策(?)として如来と菩薩、両方言った。」

ということでした。うーん、片方の方がよかったかも。
この話を聞いたWアナウンサーが、

「如来と菩薩はどう違うんですか?私も同じ状況やったら間違うかもしれない!」

と言い出しました。
そう言われると、たしかに即答できない自分が悔しい。
調べてみることにしました。

「如来」

*(「如実に(より)来(キタ)れる者」の意という)仏(ホトケ)の尊称。(『新明解国語辞典』
*(真理に至った者、の意)仏の尊称。(『新潮現代国語辞典』)





「菩薩」

*[菩提薩捶(ボダイサッタ)(道・覚<サトリ>を求める人の意の梵(ボン)語の音訳)]
(1) 仏陀(ブッダ)の次の位。(2)昔、朝廷から高僧に賜った号。(3)仏になぞらえて用いた、神の尊号。
(『新明解国語辞典』)
*(サ語bodhisattvaパ語bodhisattaの音訳「菩提薩捶(ボダイサッタ)」の略)
(1)悟りを求めて修行する人。また衆生を教化しようとする人。(2)朝廷から高徳の僧に賜った称号。行基菩薩など。(3)仏教になぞらえて用いられた神の称号。(4)利他をはかる人。助けてくれるもの
(『新潮現代国語辞典』)※サ語=サンスクリット語、パ語=パーリ語




ということで、「如来」は「仏」=仏陀の尊称で、「菩薩」は「新明解」(1)によると「仏陀の次の位」ということですから、



如来 > 菩薩



ということでしょうか。実のところよくわかりません。でも「如来」と「菩薩」は違うということだけは分かりました。以後、気を付けましょう。ご指摘をしてくださった視聴者の方、どうもありがとうございました。

2003/5/16



◆ことばの話1174「しろいろ・くろいろ」

先日の用語懇談会で話題に上った話に「しろいろ、くろいろ」がありました。つまり、黄色や茶色は、「○○いろ」と読んでもいいが、「白」や「黒」に「色」を付けて「しろいろ」「くろいろ」と呼ぶのはいかがなものか?という話なのです。
委員の中には、

「白や黒は、本来『色ではない』から、それに『色』を付けるのはおかしのではないか?」

という意見も出ました。なるほど、光がすべての色調が混ざったら「白」というか「透明」になりますし、光がない状態が「黒」なのですから、光の面から言えばそれも一理あるように思えます。そうかと思うと、

「『しろいろ』ではありませんが、『白色(はくしょく)レグホン』とか、『黒色(こくしょく)火薬なんてぇのはありますね』

という委員の方もいました。大勢は、「『しろいろ・くろいろ』ではなく『しろ・くろ』あるいは『白い・黒い』という表現で良いという意見でした。
ニュースの原稿では、

「犯人は『くろいろ』のヘルメットを被っていて、『しろいろ』の乗用車で逃走しました」

などという原稿がよく出て来るのです。これはもしかしたら、関西の方言ではないか?と私は思いました。
ニューススクランブルのSキャスターに聞くと、

「警察発表の情報に、そういうふうに書いてあることが多いでしょ。だから改まった場合に使う言葉なんじゃないですか?」

という答え。それも一理あるな。そう思っていると、JP大阪駅のアナウンスが、

「電車が到着します。足元、"しろいろ"の三角印までお下がり下さい。」

といってました。おや?「しろいろ」って、もしかして、大阪弁か?
うーん、どなたか、「色」の話(「色の道」の「色」ではない)に詳しい方、シロクロつけてください!!

2003/5/18



◆ことばの話1173「なみだして」

先月末、ゴールデンウィークに「ニューススクランブル」のUキャスターが西表島からの中継の仕事に行った時の話です。
中継の打ち合わせの時にカメラマンのY君がこう、言ったのだそうです。

「とりあえず、なみだして、それから詳しい打ち合わせしましょか。」
(というふうなこと)

東京出身で、関西在住十数年のUキャスターはビックリしました。
「なんでY君は、詳しい打ち合わせの前に、涙しなくちゃいけないんだろう?」
そう思った素直な彼女は、すぐに疑問点を、声に出して聞いてみました。

「ねえねえ、Y君、なんで涙するの?どうして??」

一瞬、顔を見合わせたスタッフのみんなは、1秒後に大爆笑!
・・・皆さん、おわかりでしょうか、Y君は、

「波、出して」

と言ったのです。つまり「中継のためのマイクロ回線の電波」、これを業界用語では「波(なみ)」と言うのです。マイクロ回線の電波が通らない時は「波、通らへん」、回線が繋がれば「波、通った」というふうに言います。
業界用語とともにもうひとつ、注意すべき点は、大阪弁では助詞の「が」を省略して話すところです。だから「波を出して」は「波出して」になります。「手ぇ貸して」「目ェかゆい」なども「を」「が」という助詞が省略されてますよね。それと同じです。
もちろん、業界で十数年アナウンサーをやっているUキャスターは、マイクロ回線のことを「波(なみ)」と呼ぶことは知っていました。しかし、もともと東京で生まれてから二十数年、音感を育てた彼女にとって、

「なみだして(HL・LLL)」

というアクセントの音は、

「涙して(HLL・LL」

としか聞こえなかったというのです。東京のアクセントで「波出して」と言うと、

「波出して(LH・HLL)」

となりますから、まあ、当然と言えば当然なのです。今回は、同音異義語(句)でアクセントも一緒、というケースだったのですね。
最近は関西弁アクセントをかなり自由に操れるようになってきたUさんにとっても、まだまだ関西弁アクセントは難しかった。みんなに笑われてしまったUさんは、あとで人知れず「涙した」というお話でした。手強し、関西弁(のアクセント)!

2003/5/16



◆ことばの話1172「まさに戦場です」

「ニューススクランブル」のプロデューサーY氏から内線電話がかかってきました。



「あのう、五つ子の家族のドキュメントをやるんですが、その中で、家の中がグチャグチャな様子を指して、『まさに戦場です』という表現が出て来るんですけど、これは使ってもいいんでしょうかねえ?」



はあ、なるほど。普段であればこういった状況を「まさに戦場です」と言い表すのは、特に問題がないように思えます。しかし、時はイラク戦争が終わってわずかに1か月、その傷痕、印象もまだまだ鮮明です。そこへ持ってきて、「戦場」とはまったく関係のない「家庭」の表面的な様子を表現するのに「まさに戦場です」という言葉を使うと、否応なくイラク戦争の惨状を思い出してしまう。それで、この言葉を使うことの是か非かについて、Y氏は電話してきたというわけです。

結局、結論から言うと、この「まさに戦場です」という表現は使いませんでした。「元気な声が飛び交って大騒ぎです」という表現に言い換えました。
このように言葉というのは、それ単独であれば「使ってもなんの問題がない」ものでも、「相手」や「時期」によっては、「使わない方が良い」というケースも出てきます。そういう意味では、画一的に「この言葉は使っても良い、これはダメ」というふうには分けられない。マニュアルですべてを判断できないものなのです。それぞれのケースに応じて、個別に検討していくしかないでしょうね。ただ、それまでに集積したそういった個別の事例は、問題の言葉が出てきた時の解決策を探るための貴重な資料となることだけは確かです。
そういうことを考えさせてくれる事例ではありました。

2003/5/16



◆ことばの話1171「第1番目」

「第1番目」「第1日目」「第4回目」といったような形、つまり、

「第○△目」

という形(○には数字が、△には助数詞が入る)は、実は、

「『第』と『目』が重なっているので、正しくない。」

ということをご存知でしょうか?だから「第3日」あるいは「3日目」と言うべきなのだそうです。というのは「第」も「目」も同じように順序を表わす言葉だから、というのです。
今朝、通勤途中にすれ違ったサラリーマン。ケータイで何やら仕事の話をしているのが漏れ聞こえました。

「うん、だから、第一会議室を取ってもらって・・・・」

そこでピンと来ました。

「へえー、あの人の会社の会議室も、うちの会社と同じく『第1会議室』って言うんだ。ちょっと待てよ。『第1会議室』って、『第』はつくけど『目』は絶対つかないよな。このあたりに何か秘密があるのかも!」

そう考えながら出社。アナウンス部のデスクで考えました。
つまり「第」のあとには数字が来て、そのあとには「会議室」とか「秘書」とか「高等学校」とか、そういう(順番を付けられる)名詞(もの)が来るのが普通なわけです。
「第一番会議室」とか「第一番秘書」「第一番高等学校」などとは、普通は言いません。
このパターンで言うのは、お遍路さんなどが回る「四国霊場八十八か所」みたいなので、

「第○番札所」

というのがあるぐらいではないですか。

助数詞「番」のケースについて考えてみましょう。「○番目」というのは「○番」という順番の、まさに「その回」という意味で「目」を付けて「○番目」という言い方をしますね。「○番」はただ順番を表わすのですが、「目」が付くと、その順番を指し示した感じ。英語の「定冠詞」の「the」のような感覚ですかね。
そんな中で、2月19日のスポーツニュースを見ていたら出てきた、サッカーJリーグのFC東京から横浜Fマリノスに移籍した佐藤由紀彦選手のインタビュー。移籍後初めての試合が、なんと古巣のFC東京との対戦になることについて、佐藤選手はこう答えていました。

「そういう試合が第一試合目に来るのはラッキー」

「第一試合目」と「目」をつけていました。スポーツ選手はこんなことを、まったく気にしていないということの実例名のですが、ことはスポーツ選手に限りません。いろんな人が「第一番目」のように「第」と「目」を"重複"させます。

なぜ、「第○番目」としてしまうのか?それは、「第○番」と「○番目」が、意識の中で合体してしまっているからではないでしょうか?いわゆる「混交表現」の一つではないか、ということです。つまり「第○番」も「○番目」も、ともに「番」を持っていますから、それを仲立ちとしてくっついてしまったのではないか、というのが私の説です。
もう一つ、これまで考えていた理由は、「第○番」だけでいいのに、なんとなく口が淋しくて、後ろに「目」を付けてしまって「第○番目」となった
ということも、もちろん考えられますけどね。どうでしょうか?

2003/3/7起稿、2003/5/15脱稿

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