◆ことばの話1170「ちょっと聞いて!」

最近気になる コマーシャルに、某消費者金融の

「ちょっと聞いて!」

とクマか何かのぬいぐるみが呼びかけてくるものがあります。

「お金の鉄則は、借りたらすぐ返す」

というようなことをクマが口にするのですが、このコメントがどうも気に入りません。
まず、「ちょっと聞いて!」という呼びかけの無遠慮さ。「聞いてください」と言うべきでしょう。投げやりなんですよね、その言い方が。カンに触わります。そしてその、「借りた金はすぐに返すのがお金の鉄則」と言いこよですが、たしかにそれはそうだけど、「原則」というからには、もっと根本的なことがあるんじゃないでしょうか、お金の鉄則は。

「不要不急のお金は、気軽に借りない」

というのことではないでしょうか。
もちろん、「不要不急のお金は借りない」と言ってしまうと、消費者金融の会社にとってはコマーシャルにならないのですが・・・。それは分かってはいますよ、もちろん。
消費者金融のコマーシャルでは、以前、男性が、

「パソコン欲しいなあ・・・」

と言うと、ガガガガガッとその消費者金融の宇宙船(?)のようなものが出動しようとするのですが、その男の人の奥さんが、

「あなたっ!(町内の福引きで)パソコン当ったわよ!」

と言うと、その宇宙船がスルスルスルっと、元のビルの上に退却・収納されてしまうのがありました。あれはすごく好感が持てました。必要でない時には、しゃしゃり出てこない、ということを示したという点で。でもその同じ消費者金融のコマーシャルも、最近は、男の人が釣りをしている人のボートを見て、

「いいなあ、ボート」

と言うと、湖の中からゴボゴボゴボっと登場するようになってしまって、ゲンナリです。ボートは買わんでもええやろ、借りれば。
でも、こんなことを言いながら、そんなCMを放送しているのはテレビ局だし、消費者金融はテレビ局にとって大事な大事なスポンサー様。そこから頂いたお金で、我々、お給料を頂いているのですから。ということは、こんなことを書くのは、天に唾する行為なのでしょうか。

それと、そもそも「長所を強調して、短所を言わない」というのは、「宣伝」の基本ですよね。そういう意味では、消費者金融のコマーシャルも、ほかのコマーシャルと同じ手法を取っているに過ぎないと考えられます。(あくまでコマーシャルに絞って考えた場合)。
でもダメなものはダメだし、良くなって欲しいと思うから、こういう事を書くのです。広告代理店の方も、もう少しそのあたりも考慮して、感じの良いコマーシャルを作っていただけないでしょうか。お願いいたします。
「コマーシャル」「宣伝」ということについても考えさせられますね。

2003/5/03



◆ことばの話1169「性同一性障害」

最近、時折耳にするようになった言葉に「性同一性障害」というのがあります。

「自分の身体は女だけれでも、気持ちは男」

あるいは逆に、

「自分の身体は男だけれども、気持ちは女」

というふうに、気持ちと身体が一致しないという「病気」なんだそうです。原因は、母の胎内で、受精後7週目に男か女かの決定がされた後、20週目からは男なら男性ホルモンが、女なら女性ホルモンが脳をはじめ胎児の身体に流れるんですが、それがうまく脳に届かないと、身体と気持ち(心と身体)の不一致ということになるのだそうです。
5月12日のNHK「クローズアップ現代」でその関連の特集をしていました。その中で、「性同一性障害」の人を指して、

「性同一性障害と呼ばれる病気の人々」
「性同一性障害の当事者」


という表現が使われていました。「性同一性障害」を「病気」としても、その該当者に「患者」ではなく「当事者」という表現を用いていたのは、かなりいろいろ考えた末だと思われます。
この「当事者」の「女性」は、タイでいわゆる「性転換手術」を受けて、もともとは「男性」だったのですが、現在は身体も気持ちも「女性」なんだそうです。この手術をNHKは、

「いわゆる『性転換手術』」

あるいは、

「性別適合手術」

と呼んでいました。コメンテーターで登場した、神戸学院大学の大島俊之教授も、その用語を使っていました。実は数年前の新聞用語懇談会で、たしか山陽新聞の委員の方からだったと思いますが、

「患者の側から『性転換手術ではなく、性別適合手術と呼んで欲しい』という要望が出た」

という話は聞いたことがありました。しかし、それまでに耳慣れた「性転換手術」の方がわかりやすいよなあ、とも思っていました。新しい言葉というのはなかなか馴染みにくいものです。しかし、耳慣れた言葉というのは、当然そこには「手垢」というか、ある種の「固定観念」がこびりついているのも事実。「性転換手術」にこびりついた手垢は、「性同一性障害」に苦しんでいる「当事者」の方にとっては、耐え難いものなのかもしれないのです。

わが読売テレビも、この「性同一性障害」の問題を取り上げた番組「ドキュメント02・カミングアウト〜安藤大将という生き方〜」(盛 敏隆ディレクター)を、2002年7月14日に放送していました。安藤大将(ひろまさ)さんという競艇選手を取り上げたものです。彼は、生まれてから38年間「安藤千夏」という名前の「女性」でしたが、頭の中は「男」。悩んだ末、乳房と子宮を取る手術をし、男性ホルモンの注射をしました。そして2002年3月、「カミングアウト」をして、男性競艇選手としての人生を切り開いたのです。
頭と身体が一致しない場合に、これを一致させるには、「頭」か「身体」のどちらか一方をもう一方に合わせなければなりませんが、「性別適合手術」は「身体」の方を「頭」に合わせる手術です。逆に「頭」の方を「身体」に合わせると、これは人格そのものが変わってしまう。「本人から見て別人」になってしまうわけです。「身体」を(「頭」に)合わせると、他人から見ると「別人」に見えるかも知れませんが、本人にとっては、「それまでの身体が別人」だったわけで、やっと自分を取り戻せたということなのでしょうね。少し、分かった気がします。

埼玉医科大学で、国内で初めての「性別適合手術」が行われてから5年。今も岡山と埼玉でしかこの手術は行なわれていません。「最大多数の最大幸福」だけでなく、「少数意見の尊重」も、民主主義の柱であるということを思い出しました。

2003/5/12



(追記)
同僚の植村アナウンサーが、アナウンス部のホームページ上で、最近、精力的に書いているコラム「植村なおみの性同一性障害」・・・間違った!「植村なおみの、ちょっとひと休み」で、オリンピックでの性転換した選手に対する扱いについて書いています。そこをちょっと、のぞいてみると・・・


「国際オリンピック委員会が性転換手術を受けた選手が五輪に参加する際の条件を決めた。」その条件は…(1)性転換手術を受ける(2)法的に新しい性になる(3)適切なホルモン治療を受け、手術後2年間を経過する…だそうで、この条件を満たせば、男女どちらの性に変わった選手も五輪出場が認められるんだそうです。
一般的に、男性から女性に変わった選手が有利だと見られていましたが、IOCは専門家の意見をもとに、参加条件をクリアすれば、競技の公平性を保てると判断したそうな。
へー、へー、へー……。
最近は各国で性転換に対する法制化などが整いつつありますが…
IOCの素早い対応に吃驚しました!!
(中略)
因みに、日本の状況はと言いますと…わが読売テレビで「性同一性障害」の問題を取り上げたドキュメンタリーを制作した盛 敏隆氏にききました!!すると…こんな詳しい答えが返ってきました。さすが!!
性同一性障害者の戸籍訂正(変更)については、
「性同一性障害者の性別の取扱いの特例法」が平成15年7月16日に成立しています。
この法律が実際に適用されるのは平成16年7月16日からで、
性別の訂正(変更)には、条件があります。
性別の変更
家庭裁判所は、性同一性障害者であって、次のいずれにも該当する場合、その者の請求により、性別の変更を審判することができる(性同一性障害者の特例法3条)。
(1)20歳以上であること
(2)現に婚姻していないこと
(3)現に子がいないこと
(4)生殖腺がない又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態
(5)体について他の性別の性器に係る部分に近似する外観がある
上の要件をすべて満たしている場合、医師の診断書を提出して、審判を受けるようです。
次のオリンピックからは、参加条件にあてはまる人が日本から出てくるのかもしれません。

大変勉強になりましたです。



2004/5/25


◆ことばの話1168「顔が見える」

このところなにげなく目にして特に気にも留めなかった言葉に、突如として引っかかりました。
「顔が見える○○」
という表現です。これは特に農産物などに関してスーパーマーケットなどで、その野菜や果物を作った農家の人の顔写真や名前、それにコメントが書かれたものが、商品の前か上に並んでいて、
「私が作りました。」
などと書かれている、あれですね。「顔が見える」という状態。それ以外にも「顔が見える○○」、結構目にしていると思います。
「顔が見える」はインターネットGoogle検索では、なんと3万1300件もありました!どういう感じで使われているかというと、
顔が見える野菜、顔が見えるパソコン電話、顔が見える協力、顔が見える関係、顔が見えるe−コマースサイト、顔が見える食べ物、顔が見える信任関係、顔が見える連合会、顔が見える産地、顔が見える米づくり、顔が見える安心の宿、顔が見える町作り、顔が見える食品、顔が見える場、顔が見える家作り・・・・
などなど、いやーたくさんありますな。「顔が見える鏡」・・・は当然です。「顔が見える目出し帽」・・・はないか。あっても誰(どの強盗)も使わない。「顔が見えるマスク」などは、サスケさんも欲しがるかもしれませんね。探せばあるかも。
これだけ「顔が見える○○」が多いということは、とりもなおさず、これまでのこういったものは「顔が見えなかった」ということを示していますね。ちなみに「顔の見える」はも1万7700件、ありました。
こういった表現が好まれるのは、いまや、余りにも商品と消費者をつなぐ線が細くなってしまって、誰が作ったか分からないようなものを口に入れていることに対する不安が、消費者の中に高まってきて、それを沈めようという動きの一つだと思います。それは食品だけでなく、ほかの商品にも広がっているので、「顔の見える○○」という表現が増えているのではないでしょうか?
しかし、顔や名前が分かっても、実はその人とは面識もないし、それだけで安心するのは、ホントウはまだ早いのですが、なんか、ひと安心してしまうのですね、これって。というのも、万が一、何かあった場合に、その顔写真の人が責任を取ってくれそうに感じるからではないでしょうか。「匿名と実名」の違いでしょう。しかし、あなたはその人と話したことがありますか?会ったことがありますか?
そういう意味では、この「顔の見える○○」は、「要注意表現」なのかも知れません。もちろん「顔の見えない○○」は論外ですが。

2003/5/12

(追記)

2003年9月29日のケータイメモから。
2003年10月13日号の『ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)に連載されている「気まぐれコンセプト」(第960回欄外)に、
『「作り手の顔が見える食材を」ということで、顔写真を箱(パッケージ)に載せる食品が増えている。人相で食材を選ぶ時代に!?』
という一文がありました。2003年はそういった年だったのですね。
2006/10/31


◆ことばの話1167「白装束」

アザラシのタマちゃんの保護を巡るいざこざから、実はそのうちの一つの団体の代表が何やらあやしい団体の一員で、その団体が岐阜やら長野やら山梨やら福井で道路を白い布でおおったり、よく分からない行動をとっている・・・、というのが、ここ1、2週間の動きです。



(見出し) (本文)
(読売) 白装束集団 白装束の集団
(朝日) 白ずくめ団体 白ずくめの団体
(毎日) 白装束集団 白装束集団
(産経) 白装束集団 白装束集団
(日経) 白装束団体 白装束の団体

朝日新聞だけ、なぜか「白ずくめ」と「白装束」の「装束」を避けた表現となっています。なぜでしょうかね。
あと、テレビでは、読売テレビは「白装束の集団」あるいは「白い集団」。NHKは「白い服を着た団体」。やはり「白装束」を避けているようです。なぜでしょうか?
「装束」というのは言いにくいですが、「装束」の前に「色」が付くとしたら 何色なら許されるでしょうか?「白」はもちろんOKですね、あと「黒」もいけますね。青、赤、緑、紫、橙、灰など。だめかな。「白」と「黒」しかダメなのか。



それと もう一つの違いは「集団」か「団体」か?ということですね。どう違うのでしょうか?辞書を引いてみましょう。
「集団」
*多くの人(物)が集まって形作る、一まとまり。(=『新明解国語辞典』)
*(一)あつまって群を成すこと。また、その集り。(二)相互関係を有し生活を共にする個体の集合。(=『新潮現代国語辞典』)




「団体」
*共通の目的を持つ人が集まって作った集団。(=『新明解国語辞典』)
*共通の目的又は精神をもって結びついている人々の集り。(=『新潮現代国語辞典』)


うーん、これで見る限り、「白装束の集団」ではなく「白装束の団体」と言った方がよさそうですね。明らかに共通の目的を持ったグループですものね。目的の善し悪しは、おいといて。



2003/5/8


(追記)

その後、朝日新聞とNHKの知人から、それぞれ「白装束」を使わない理由について、教えてもらいました。それによると、
(朝日新聞)=あの団体は、服装だけではなく車や樹木など周囲のものにまで白い布を巻くなどの行為に及んでいることから、単に「白装束」「白い服装」と呼ぶよりは「白ずくめ」と呼んだ方が実態にかなっているであろうという判断から。
(NHK)=「白装束」という言葉は「死を決意した人や死者が着る」あるいは「凶事に用いられた」というような伝統的な意味を持っている。パナウェーブ研究所の人たちは、そういう意味で白い服を着ているのではなく、彼らいわく「電磁波よけ」で白い服を着ているのだから、「白装束」とするよりも、ニュートラルな「白い服を着た」とした方がよいという判断から。

NHKの人は「報道に直接尋ねたわけではないですが」と断りながらの意見でした。
なるほどねー。確かに、全身白い服を着ているからって、必ず「白装束」なんて、言わないですもんね。それにしても、早くこの「白装束」に関するニュースを読まなくてよい日が来ることを願います。

2003/5/12


(追記2)

読売新聞の土曜日に連載している「ことばのファイル」というコラム、毎週スクラップして愛読しているのですが、5月17日の分はまさにこの「白装束」がテーマでした。見出しには、
「白衣より不気味な?イメージ」
とありました。「平安時代以降は公家、武家などの"制服"を装束と呼んだ」とも書いてあります。その中で、文化女子大で日本服装史を教える佐藤泰子教授は、
「(パナウエーブの集団を指して)『白装束集団』との言い方には違和感を憶えます」
と苦笑いを浮かべていたと書いてあります。
5月14日、その集団に警視庁などが一斉捜索に乗り出してからは、ちょっと下火になりました。色が白だけに、熱がさめるのも早いようで・・・。

2003/5/26


(追記3)

8月10日、福井県のパナウエーブ研究所の施設内で中年の男性が死亡したというニュースが流れました。NHKの正午のニュースでは、この白装束の集団のことを、ナレーションで、

「白い服を着た団体」

と読み、字幕スーパーでは、

「白い服の団体」

と表現していました。

2003/8/14


◆ことばの話1166「プリン」

「あさイチ!」を一緒に担当している中元綾子アナウンサー。結構、頻繁にホームページを更新しています。それを見ていると、

「昨日、髪を染めました!」

と書いてありました。毎日のように会社で会っているのに、全然気づかんかった・・・。モヒカン刈りか何かにすれば気づいたかも。
それでも、せっかくだから今朝、番組が終わってから、

「髪、染めたんだね。」

と言うと、

「(番組中もちっとも気づかなかったくせに・・・)ホームページ、御覧になったんですね。」
「うん。」
「もう、上の方がプリンになってきたんで・・・。」


とのたまった。
知ってますよ、「プリン」。髪が染めた後に伸びてきて、根元の方(つまり頭のてっぺんの染めたあとしばらくしてから、やはりてっぺんの方が黒くなってきて、

「プリンなんですう」

と言っていたのを覚えていますから。なかなかおもしろく、うまいこと言いますね。
Googleで「プリン、髪」で検索したら、3万5600件も出てきてビックリ!その中には、

「チョコプリン状態、プリンちゃん状態、茶髪プリン、脱プリン、プリンヘッド、髪がおプリンになる、プリン髪」

といったような表現が出ていました。もう、(若者の間では)普通に使われている言葉なんですね、「プリン」て。
でも、若い人で、黒髪が伸びてきたら「プリン」ですけど、年がいってから染めた時に伸びてくる髪が白かったら、どう言えばいいのでしょうか?

「富士山」

なんてのはいかがでしょうか?てっぺんが白いから、ね。

2003/5/8

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