◆ことばの話1165「民度」

春の統一地方選挙が終わりました。いくつか注目の選挙がありましたが、関西で注目と言うと、滋賀県豊郷町の出直し町長選挙と、前和歌山市長で、今は拘置所の中という身である旅田卓宗被告が立候補した和歌山市議会議員選挙。結果はご存知の通り、豊郷町では、リコールで解職された大野和三郎氏がわずか55票差で町長に返り咲き、旅田被告は6000票を得てトップ当選しました。
テレビのニュースで見た、この結果を受けての和歌山市民の街頭インタビューの中には、旅田氏トップ当選の報を、

「和歌山の恥や」

と答えている人がいました。その他にも

「民度が低いのではないか」

という声を(これは放送ではないですが)耳にしました。
しかし、たとえ55票差でも、ちゃんと町長に当選し、また、市議選でトップ当選するということは、固定の支持者が相当数いるということでしょう。それはとりも直さず、大野氏、旅田氏のやり方に賛同する人たちです。これは「民主主義」の結果なのです。
一方、その地域の選挙民でない全国の多くの人はどう受け止めたのか。やはり、「なんだかな・・・」というようなやりきれない思いを持ったのではないでしょうか。

ところで、「民度」とは一体、何でしょうか?いくつかの辞書を引いてみました。
『三省堂国語辞典』
国民の文明・生活の程度。「民度が低い」
『新明解国語辞典』
その地域に住んでいる人びとの経済力や文化の程度。
『新潮現代国語辞典』
国民・住民の経済生活・文化文明の程度
『岩波国語辞典』
人民の生活程度「民度が低い」
『明鏡国語辞典』
国民・住民の生活水準や文化水準の程度。「民度が高い」




次に、インターネットの権策エンジンGoogleで、「民度」に「高い」と「低い」をそれぞれ付けて検索してみました。

「民度」=4890件
「民度が低い」=538件
「民度が高い」=155件




(5月2日しらべ)




明らかに「民度が低い」の方が、「民度が高い」の3倍以上使われています。そもそも「民度」なんて言葉を出すこと自体、それを使う相手を貶めようとしている気がしますから、当然「高い」よりも「低い」が多く使われているのでしょう。『三省堂国語辞典』や『岩波国語辞典』はそういった使用状態を反映させて「民度が低い」という用例(しかも作例)を載せたものだと思われますが、一番新しい『明鏡国語辞典』は、「民度が低い」という言葉に差別的なものを感じて、あえて「民度が高い」の方を作例として採用したのではないでしょうか。

しかし、落ち着いて考えてみると、もしかしたらこの「民度」というものは、一定の考え方に基づいた、もっとはっきり言うと、「都会の」民主主義的な考え方に基づいた考え方の尺度のようにも思えます。そうすると、そういった生き方、考え方に基づかない生活を望む人たちが、滋賀県豊郷町や和歌山市には、多数(少なくとも数千人単位で)いるということです。その人たちの生き方を「民度が低い」というような一言で済ましてしまっていいのかどうか。というより、そういった生き方で生活している人たちがいるという現実にもしっかりと目をむけていく必要もあるのではないか、とちょっと違った角度から考えさせられました。



2003/5/8



◆ことばの話1164「つとに知られ」

またアナウンス部で話していると、



「『つとに知られ』と言う時の『つと』って何?」



という話が出ました。『三省堂国語辞典』を引いてみました。

「つとに」(夙に)
(1) 朝早く
(2) (ずっと)以前に。早くから。「つとに名高い」
(3) 幼いときから。


えーっ!「つとに有名」の「つと」は「夙川」の「夙」と書くんですかああ、知らなかったなあ。しかも「つとに」は「とっても」という意味だと思っていたら、「早くから」という意味だったとは。『枕草子』の「冬はつとめて」の「つと」と同じかあ。気付かんかったなあ。(ホントウは違ったりして。)「つとに」が「夙に」だということは、「つとに有名」ではないと思うのですが、いかがでしょうか?
(今回は、とっても短いです。ごめんなさい。)

2003/5/8


◆ことばの話1163「埋めたい人ランキング」

4月中旬、小学校の教師が、学級新聞で「埋めたい人ランキング」なるものを作っていたというニュースが新聞に載りました。もう、なんたること!常識を疑います。子供たちのご機嫌をとろうとして、率先してそんなことをやるなんて・・・・。教師として、というより、大人としての自覚は一体どうなっているのか?疑わざるを得ません。
この「埋めたい人ランキング」とは、「クラスで『土に埋めてやりたい』と思う人」のランキングだそうですが、この「埋めたい」はすなわち「嫌われ者」、「うざったい人」今風に短縮して言うなら「うざい人」、もっとよく耳にする言葉で言えば「ムカツク人」のことでしょう。

どう考えても、大人である教師が、子供である生徒達に向かって使うには、たとえそれが「ノリ」だとしても、軽率すぎる言葉です。
この教師は、一体どういう子供時代を送ってきたのか。出るのは、ため息だけばかりです・・・。この教師を埋めてやりたい・・・とつい思った人も、たくさんいたことでしょう。って、いけない、いけない、同じ土俵に乗ってしまっては・・・。

2003/5/1



◆ことばの話1162「フリマラ」

佐藤愛子著「老残のたしなみ・日々是上機嫌」(集英社文庫2003・4・20)を読んでいたら、こんな言葉が飛び出してきました。

「フリマラ」

という言葉です。舞台はおそらく佐藤さんの別荘があり夏を過ごす北海道だと思われます。底引き網漁船の雇われ漁師であるノブが、同じ漁師仲間の女房と「懇ろ」になっているところに、当の亭主が踏み込んできた時の話を、佐藤さんがアベさんから聞いているというシーンです。



「それでノブはフリマラで逃げたんだ・・・・・・」
それでは殴られたり蹴られたりした後、フリマラで逃げ出すまでの状況がわからないじゃないか!いったいおっかさんはその間どうしていたのか。
「一緒に殴られたり蹴られたりしたんだよ」
その時、隣近所はどうしたか。ノブがフリマラで走った時の街の情景はどんなものだったか。なぜそういうことを詳しく知ろうとしないのだろう。
「ノブはフリママのまま、家まで走って来たの?」
「いや、途中で知っている家があって、そこへ飛び込んで着るもの貸してもらって帰って来たのさ」
(下線は道浦による)



というような部分があります。この中で4回出て来る「フリマラ」。フリーマーケットではありませんよ。あれは「フリマ」。当然この「フリマラ」は「フリチン」「フルチン」と同じ物です。このあたりについては、「平成ことば事情387ふりちん」にもちょこっと書きましたので、それも読んでくださいね。

「マラ」は「魔羅」、『三省堂国語辞典』によると、
(=仏道の修行のじゃまになるもの。)(俗)陰茎(インケイ)〔梵語(ボンゴ)maraの音訳〕(最初のaの上に線あり)

とあります。つまり「ペニス」です。それが「フリ」なんですね。だからイタリアのブランドだと思うのですが「 最大化されたコレ」というように聞こえるブランド名を、女性が口に出すのを聞いたりすると、一人で赤くなったりしているのですが、まあそれは私の精神がいやしいのでしょう。
「フルチン」「フリチン」「フリマラ」などをGoogleで検索してみました。

「フルチン」=5520件
「フリチン」=2320件
「フリマラ」= 3件
「フルマラ」= 154件




「ふるちん」=2010件
「ふりちん」= 275件
「ふりまら」= 2件
「ふるまら」= 18件


以前書いた「ふりちん」を、入社4年目のMアナに読んでもらったところ、彼女は、
「ふりの客ってなんですか?そこがわかりません。」
とのこと。そうか、たしかに「ふりの客」の説明が記されていません。当然みんな知ってるものとして書いていました。「ふりの客」とは、「買わずに見るだけのお客さん」という認識ですが。大阪の掛詞では、

「夏場の蛤(はまぐり)」

というのがありますね。その心は、

「身腐って、貝腐らん」=「見ィ腐って、買いくさらん」

という、客を貶めたような言い方ですが。遊びの言葉ですね。『三省堂国語辞典』では、「ふりの客」の「ふり」の意味は、

「なじみでないこと。フリー。」

とあります。そうだったのか。間違ってました。「一見さん」ということだったのですね。
ついでに「ふりちん」も引くと、

「ふりちん(振りちん)」=(属)(はだかで)ちんちんを丸出しにすること。ふるちん。

そのままやがな。



それにしても最近、以前は毛嫌いしていた佐藤愛子とか山本夏彦の著作を、「おもしろい」と思って読むようになったのはなぜでしょうかね。佐藤さんや山本さんの書く傾向が、私好みになってきたか?というと、そんなことはない。あちらはずっと同じです。とすると、私が年を取ってきたということ・・・でしょうか。いや、大人に近づいて来たということですね、きっと。(とっくに「不惑」も過ぎておきながら、何ゆうてんのや!)

2003/5/3

(追記)

川上弘美さんが2004年の1年間、日経新聞に連載していた『此処彼処』が、単行本になりました!連載中は毎週日曜日の掲載を楽しみにしていたのです。最初の方は読みそこねていたので、単行本で全部読めるのはうれしい。さっそく買って読み出したのですが、その中に、なんと「フリチン」が出てきました。このエッセイは毎回「場所」をテーマにしているのですが、その中の「駒場」の回。
「ぜんそく持ちだった弟は晴れた日には全身日光浴するのが慣(なら)いだった」
そうで、その場所が、東大の駒場グラウンド。東大ラグビー部員がよく練習に来ていたところです。そこでの出来事。
『「フリチン」の弟を抱き上げた。まさに古きよき昭和、ではあった。』
ということでカギカッコ付きの「フリチン」は「古きよき昭和」のものであったか。

2005/10/24


◆ことばの話1161「所有と保有と所持」

4月25日の各紙朝刊のトップ記事は、

「北朝鮮が核兵器を持っていることを明らかにした」

というものでした。それを報じた各紙の見出しは、

(読売)「北朝鮮「『核兵器保有』」
(朝日)「核保有、北朝鮮が言及」
(毎日)「北朝鮮『核兵器を所持』」
(産経)「北『核保有、近く実験』」
(日経)「北朝鮮、核実験を示唆」

とバラバラでした。
また、日本テレビの朝6時のニュースでは、現行の読みは「所有」で字幕スーパーは「保有」だったそうです。それより後の時間帯(8:30〜10:30)の「情報ツウ」のニュースではどちらも「保有」に統一されていました。
気になったのは「核兵器を持っていること」をなんと表現しているかです。
読売、朝日、産経と日本テレビの字幕は「保有」ですが、なぜか毎日新聞は「所持」、日本テレビの6時のニュースの原稿は「所有」。この「保有」と「所持」と「所有」の意味の違いはなんなのでしょうか?「所有」と言うと自動車、マンション、家、レコード、といったような、使っている物を連想しますね。それに比べて「保有」と言うと、持っているけど使っていないもの、いざという時に使うものというイメージがあります。具体的に何が「保有」かと言うと・・・あまり浮かばないのですが。「所持」はやはり覚醒剤とか麻薬とか拳銃とか、手に持てるもの(で、なぜかアブナイもの)のイメージがありますね。所持金というのもありました。さて、辞書で調べて見ましょう。(『日本国語大辞典』用例省略)



「所有」・・・自分の物として持っていること。所持すること。また、そのもの。
「所持」・・・(1)持っていること。携帯すること。(2)法律で、人が物を事実上支配していると認められる状態。
「保有」・・・もちつづけること。たもつこと。所有しつづけること。




フーム、微妙に違いますね。感覚的には最初に考えていたのと同じですね。今回、の「核兵器」に関しては、やはり「保有」が妥当だと、私は思います。あ、もちろん核兵器は、所有も保有も所持もしないで頂きたいのは言うまでもありません!!

2003/5/1


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