◆ことばの話1155「OL」

「ニューススクランブル」のUキャスターからメールが来ました。

「『OL』は、使っていいんでしょうか?」

なんで?いいんじゃないの?と思って、

「いいと思いますよ。一体どう言い換えると言うの?」

と聞き返すと、

「女性会社員、もしくは、たんに会社員」

という答えが返ってきました。あ、なるほど、「看護婦」が「看護師」に、「保母」さんが「保育士」になったように、会社員の場合も「女性」を特別視するような「OL」という呼び名はどうなのか、と言うことですね。そもそもこの「OL」も、「BG」=「ビジネス・ガール」の代わりに決めた言葉だったわけですが、もう「賞味期限」が切れ掛かっているのでしょうか。

そもそもの「OL」は、「高校卒か短大卒で入ってきて結婚までのいわゆる『腰掛け』の事務職」が大半であった時代の女性会社員を指していたのではないか
と思われます。昨今の4年生大学を出た総合職の女性社員、しかも「腰掛け」ではなく、子育てをしながらフルタイムで働く女性に使うのはどうか、というようなことでしょうか。
女性が男性と同じように働く社会において、「女性」ということの意味がどう捉えられるべきか。そのあたりを考えると、確かに「OL」という言葉も、使い方を考えなくちゃいけないのかな、とちょっと考えさせられました。「OL」には「未婚」というニュアンスも感じられますし、現在のように既婚・未婚関係なく働く女性が増えてきた中では「女性会社員」あるいは性別に関係のない、単に職業に関する話であれば「会社員」と呼んだ方が良いのかもしれませんね。

ちなみに、入社4年目の女性アナMさんに、

「OLって言われたらどう思う?」

と聞いたところ、

「うーん、そもそも自分をOLとは、あまり思っていないので、特になんとも感じませんね。まあでもちょっといやかな。それだったら、普通に会社員と呼んでもらった方が良いかな。」

という答えが返ってきました。
辞書を引いてみましょう。『三省堂国語辞典』では、(和製英語office ladyの略)と記した後に、
「(若い)職業婦人。サラリーガール」
と載っています。サラリーガールは初めて聞いた(見た)な。『新明解国語辞典』も和製英語と記して、
「女子事務員。(元のBGに相当)」
とあります。BGも引いておきましょう。同じく和製英語。
「(若い)女子事務員。(今は、OLと言うことが多い)」
いやあ、「OLと言うことが多い」のではなく、BGなんて誰も言わないでしょう。

『新潮現代国語辞典』は、やはり和製英語として、
「女性の(事務系)労働者。BGの代わりに作られた語。」

とあります。『岩波国語辞典』はどうでしょうか?

「会社(役所)づとめの女性。女子事務員。▽日本で初めBG(business girl)と言ったが、米語での連想が悪い(→ビジネスガール)ので、それを改めてofficeとladyとを合わせて作った「OL」が一九六〇年ごろ一般化した。」


とあります。「ビジネスガール」をこの辞書で引いたところ、「OLの旧称。米語ではあまりいい意味ではなかったので、改められた」とあるんですが、「娼婦のこと」とは、はっきりとは書かれていません。ちょっと逃げてる?
次に『明鏡国語辞典』です。

「女性会社員・事務員。▽和製英語office+ladyの頭文字から。『BG(business girlの略)』が売春婦を意味する俗語であることから、それに代わる語として作られた。」


こちらはBGをはっきり「売春婦」と書いていますね。最後に『日本国語大辞典』、いってみましょう。

「(おもに会社の)女子事務員。BGに代わって使われるようになった語。」
と至ってシンプルでした。用例は、藤本義一『男の遠吠え』(1974−75)でした。
入社14年目の女性アナウンサーにどう思うか聞いたところ、

「声には出さなかったけど、前からいやだと思っていたんですよ。でも多分、アナウンサーとかキャリア(経歴)のある女性は、『私はOLじゃない』と思ってるんじゃないですか。」

という答えが返ってきました。「声に出して言わない不満」というところでしょうか。斎藤孝先生、こういうのは、どうすればいいの?
でも、それでわかりました。いわゆる今までのOL的な仕事をしている女性は「私はOL」と納得しているし、そういった従来のOL的な仕事をしていない女性は、「私はOLじゃないから、OLと呼ばれても私のことじゃない」と思っている。だから、「OL」と呼ばれて本当に「嫌でイヤで仕方がない」と言う人は「該当者なし」ということになり、 あまり「OLという呼称を変えよう!」という動きがないのではないでしょうかね。
私個人としては、必ずしも「ジェンダーフリー」に「全面的に賛成ではない」のですが、やはり現在の社会には、いろいろ隠れた男社会のシルシが残っているということに関しては、認めざるを得ないでしょう。

2003/5/1


(追記)

家の書棚を眺めていたら、こんな本に目がとまりました。

小笠原祐子著『OLたちの<レジスタンス>〜サラリーマンとOLのパワーゲーム』(中公新書、1998,1)

あれ、こんな本、読んだっけ?と思ってパラパラめくってみると、あちこちにページの端を折ったあとが。既に読んでいました。覚えてないなあ。
この本の序章「OLという存在」の中に「OLという言葉の起源(BGからOLへ)」「会社員が男と女に性別化されるということ」「『女の子』としてのOL」「会社妻としてのOL」など、興味が湧きそうな項目がありました。

2003/8/5



◆ことばの話1154「日本時間」

イラク戦争のニュース、生中継がイラクから届く毎日が1か月ほど続いていましたが、その中で、なんの疑問もなく使われていた言葉に、

「日本時間」「現地時間」

があります。これに関して、

「『時間』ではなく『時刻』が正しいのではないか」

という疑問が寄せられました。たしかに、言われてみればそうなのです。つまり、

「日本時刻」「現地時刻」

とすべきだと。うーん、でも、そんなの、聞いたことないなあ。
『日本国語大辞典』で「日本時間(にほんじかん)」を引くと、
「にほんひょうじゅんじ(日本標準時)」に同じ、と書いてあり、用例として1934年(昭和9年)8月3日の朝日新聞の記事と阿川弘之の『春の城』(1952年)を挙げています。
私たちの普段の生活の中では、「時刻」の意味で「時間」を使うことはよくあります。と言うよりも、「時刻」という言葉を使うことの方が少ないのでないかとさえ感じます。

「いま、時間、何時?」「えーっと、4時15分」

こんな会話は、どこもおかしくありませんよね。

「いま、時刻、何時?」

という方が、何か改まっていて不自然です。
それにしても、なぜ「時間」と「時刻」混同して使うのでしょうかね?
これは・・・・わかりません。
わかった人、教えてください!

2003/4/30


◆ことばの話1153「1か月か?1カ月か?」

「ニューススクランブル」を見ていたら、「3か月」という字幕スーパーの



表記の「か」の字が「3」や「月」に比べて、少し小さいのに気づきました。担当者に聞いてみると、
「『か』を『3』と『月』と同じ大きさにすると、逆に『3』と『月』が小さく見えてしまうので、デザインとしてバランスの良い字の大きさにしている」
という答えでした。
各新聞にはどう書いてあるのかと思い、見比べてみました(3月28日の朝刊)。



(見出し) (本文)
(読売) 数か月 ・・・
(朝日) 数カ月 3カ月
(毎日) 三カ月 三カ月
(産経) ・・・ 一カ月
(日経) 数ヵ月 数カ月
という具合で、読売だけが、平仮名の「か」を使い、あとはカタカナの「カ」を使っていました。また、その中で日経の「見出し」だけが、「小さいヵ」を使っていました。
ほかの放送各社や新聞社はどういうふうにしているのだろうかと思い、新聞用語懇談会加盟の各社の委員の方にメールで質問を送りました。結果は以下の通り。(順不同)

(読売新聞) か
(朝日新聞) カ(1951年2月に「ケ」から「カ」に変えた。見出しは小さい「ヵ」も使う。
(毎日新聞) カ(見出しは小さい「ヵ」も使う)
(産経新聞) カ(見出しは以前は少し小さ目の「ヵ」にしていたが、10年ほど前から同じ大きさの「カ」にしている。)
(神戸新聞) カ(共同通信ん沖社ハンドブックに準拠。但し地名に関しては小さいと書いてくるケースが増えていて直しきれないのでそのままにしているケースもある。)
(京都新聞) カ(見出しは小さい「ヵ」も使う)
(日刊スポーツ)カ(共同通信記者ハンドブックに準拠)
(日本テレビ) か(=表記基準。但しスーパーは数年前から小さい「か」を使っている。ワイドショーでは独自に「カ」を使うこともある。)
(フジテレビ) カ(共同通信記者ハンドブックに準拠)
(NHK) か
(テレビ朝日) ヵ(小さい「ヵ」)
(テレビ東京) か(←小さい「か」)
(読売テレビ) か(←小さい「か」)
(関西テレビ) ヵ(小さい「ヵ」)
(毎日放送) か
(静岡放送) か(小さい「か」)
(共同通信) カ(但し「三が日」「百か日」「五か条の御誓文」は例外で、平仮名書き)


ということでした。但し、私のテレビウォッチングでは、毎日放送さんは「6ヵ月」というふうな「カタカナの小さい『ヵ』」を使ってらっしゃいました(3月19日の昼のニュースで)。また、同じ日のお昼のニュースでNHK大阪では「6か月」の「か」が「小さい『か』」でした。これはやはり(読売テレビや日本テレビと同じ)デザイン上の工夫の範囲内ということのようです。そもそも日本語表記の基準にカタカナの小さい「ヵ」はありますが、平仮名の小さい「か」はありませんから、このワープロソフトでも打ち出せません。文字のフォント数を小さくして表示するしかないのです。そういう意味では、「大きい・小さいはデザイン」と言えるでしょう。
また、NHK放送文化研究所の原田邦博さんが『放送研究と調査』の2002年4月号の「ことば・言葉・コトバ」の欄で、この「いっかげつ」の表記について書いてらっしゃいます。それによると、

「昭和23年に定められた当用漢字音訓表には『箇』は『カ』、『個』は『コ』とあった。しかし昭和29年の国語審議会で『箇』を削除して『個』に『カ』の読みを加えようという報告が出され、日本新聞協会(NHKも加盟)もこれを採用した。ところが昭和56年に作られた現在の常用漢字表では、当用漢字の読みを変更せず、『箇(カ)』『個(コ)』のままとしたという経緯がある。前述のように現在『〜箇月』は法律の分野では当たり前に使われているが、日本新聞協会では、『"箇"は常用漢字ではあるが、使用しない漢字の一つ』としている。このように漢字の扱いが揺れ動いたこともあり、NHKでは漢字が使えない場合の原則やわかりやすい表記という考え方から、『1か月』『2か所』などは、ひらがなの『か』を用いている。」

ちょっと長い引用になってしまいましたが、そういうことのようです。
まとめますと、新聞で平仮名の「か」を用いているのは読売新聞だけ(あとはカタカナの「カ」)、放送でひらがなの「か」を用いているのは、NHK、日本テレビ系列、テレビ東京、毎日放送・静岡放送(=TBS系列)ということですね。

なお、一般的には「か」「カ」に加えて「ケ」も使われていると思います。「ケ」は、「箇」の「竹かんむり」を一つだけ用いた略字ですから、そういう意味では実は漢字なんですよね。
放送と新聞ではこのように各社で表記が分かれているということでした。
各社の皆さん、ご協力ありがとうございました。(発表が遅くなってすみませんでした。)

2003/5/1


◆ことばの話1152「CD焼く」

Mアナウンサーが、尋ねてきました。

「家のパソコンから会社のパソコンに送ったデータを、CD―Rに焼けますかねえ。」

答え。出来ません。出来ないようになっているから。
それはさておき、なぜこういった場合に、

「CDを焼く」

と言うのでしょうか、「焼く」と。「焼き付ける」ということでしょうが、バーナーで燃やしたり熱は加えないですよね、こういった場合。コンピューター関係には明るくないのでよくわかりませんが、なぜ「焼く」んでしょうか。
なんでだろう、なんでだろう?
ご存知の方、いらっしゃいません?
と言っておきながら、引き出しを開けると、藤田英時著『パソコン用語語源で納得!』(ナツメ)という本が出てきました。ホント、何でも入っているね、私の机。こないだも家族でお好み焼き屋さんに行った時に、手を拭こうと思ったら、カバンから「お手拭き」が出てきたし、子供がソフトクリームを食べて口が汚れたら、すぐに「ティッシュ」がポケットから出てくるし、我ながら「ドラえもん並み」でした。
はっ!そんな事より、その本の「CD−R」のところを見てみると、

「CD―Rの『R』は『Recordable』の頭文字で、記録媒体の記録層に有機色素を使い、レーザーの加熱で科学変化を起こし情報を記録する。つまりレーザー光線で有機色素の層にピット(pit:穴)と呼ばれる焦げあとを作るのだ。」

とありました。レーザー光線で焦げ目を!ということはやっぱり、焼き付けるんですね。
レーザーとは気づきませんでした。納得。そう言えば、

「この景色を目に焼き付けておこう」

なんて言い方をしますよね。あれは別にレーザーは用いないのだけれど。そういった場合にも「記憶に焼き付ける」というような用法もあるわけだから、とりたてて「CDを焼く」というのもおかしくないのかもしれません。用が済んだCDも焼くのかな?焼却処分。
いずれにせよ、ここで調べたことは、しっかりと記憶に焼き付けておこうっと。

2003/4/30


◆ことばの話1151「輝きたい」

最近の若者、特に若い女性の口にする言葉に、

「輝きたい!」

というのがあります。

4月17日の日経新聞夕刊の「女と時間と日本経済」という1面の特集「メッシュ消費発進2」の見出しも、

「健やかな美 追求、年を取っても輝いていたい」

と、「輝く」ことを求める女性が紹介されていました。「その意気や良し」というところですが、ちょっと引っかかります。
なぜか。

「輝く」ということは、周囲から見て「そう見える」ということです。何かに一生懸命に取り組む姿勢がとても美しい、その人の内から発散される力が光となって輝いているように見えるのだと思います。でも、その人は、果たして輝きたいと思って輝いているのでしょうか?その仕事に取り組んでいる時はそういった外見・外観には、まったく関心を払わずに、まさに一心不乱、前を見据えて集中しているのではないか、と思うのです。
その姿にあこがれるのは、誰しもあるかもしれませんが、それを見て「輝きたい」と思うのは、カッコだけ見て、中身に目を向けていないのではないか。そういった意味で、この「輝きたい」という言葉に、何か釈然としないものを、感じるのです。つまり、輝いているのは「結果に付随した現象」であって、それにあこがれるのは、うわべだけしか求めていない、薄っぺらな感じがするのです。見つめるべきは「結果に付随した現象」ではなく、「その現象を生み出した元となるもの」ではないでしょうか。

うーん、言ってる意味、わかるかなあ???
ファッションとしての「輝きたい」という言葉を聞くのは、うんざりです。

2003/4/28


Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved