◆ことばの話1120「ショートケーキ」

3月14日は、「ホワイト・デー」です。(ゴメンナサイ、サイトにアップするのが大変遅れてしまいました・・・。)
わがアナウンス部の男どもも、先月14日に「アナウンス部女子アナ一同」からいただいたチョコレートのお返しにと、14日当日に会社にいる予定で一番後輩のOアナに頼んで、
チョコレートを買ってきてもらいました。箱にクマのぬいぐるみが書かれたかわいいチョコレートでした。
女性陣もけっこう喜んでくれて、まずはめでたし、めでたし。
そんな中、このクマさんの絵のついた箱を手にしたWアナウンサーが、チョコレートはOアナウンサーが買って来た、というのを聞いて、

あーなるほどねー、わかるわかる。こういう絵柄のかわいいのを買う男の子って、きっと、かわいらしい清楚な感じの女の子のことが好きなのよ。きっとO君の彼女って、そういう感じなんちゃう?それで、こういう感じのが好きな男の子が、デートでケーキを食べる時は、絶対、『イチゴのショート・ケーキ』を頼むの。もう、これは私の学生時代の分析から間違いない!ゴテゴテと飾る女の子が好みの男の人は『モンブラン』頼むし、スポーツ系の女の子を好む男の子は、『シンプルなチーズケーキ』を頼むねん!」

と力説。みんな「ほんまかいな」と思いながらも、初めて聞くこの説に聞き入っていました。そうするうちにOアナウンサーが仕事先のスタジオから帰って来たので、

「Oは、さあ、喫茶店でケーキ頼む時は、どんなケーキを頼む?」

と聞くと、果たしてO君は、

「僕はもう絶対ショートケーキしか頼みませんねえ、イチゴの」

と答えるではありませんか!Wアナ説、ズバリ的中!!驚きました。



さて。この話の中で出てきた「ショートケーキ」ですが、なぜ「ショート・ケーキ」と言うのでしょうか?別に「短い」わけではないですよね。大きい、小さいはあるにしても。
そこでこの「なぜ『ショートケーキ』は『ショート』と言うのか?」を、インターネットのGoogleで「ショートケーキ・語源」をキーワードに検索すると、232件出てきました。
どうも「これ!」という一つの説ではなく、いくつか説があるようです。列挙すると、

(1)日持ちがしないから(日持ちの期間が短いから)「ショート・ケーキ」
(2)作るのに時間がかからないことから「short time cake(ショート・タイム・ケーキ)」と言い、それが省略されて「ショート・ケーキ」になった。
(3)もともとはスポンジケーキではなく記事はビスケット状であったことから、「もろい」を意味する英語「short(ショート)」が使われた。
(4)(3)と同じく、生地のビスケットを噛んだ時の音「サクサク」を意味する英語が「short」なので。
(5)ケーキを作るのに「ショートニング」(=油)を使うから。




どれも本当のようでもあるし、ウソくさくも、ありますね。
どなたか、正解をご存知の方、ご教示ください。よろしくお願いします。

2003/3/14


(追記)

吉田菊次郎著『洋菓子はじめて物語』(平凡社新書、2001、12、19)という本の第10話に「ショートケーキ物語」という項があり、そこに上に書いたようなことが記されていました。正解は・・・諸説あるようですが、イギリスのショートケーキというものは、ビスケット生地というのは、本当のようです。

2003/4/3



◆ことばの話1119「クキクッキー」

イラク戦争が続いて、このところ重苦しい雰囲気なので、ちょっと楽しい話題を・・・。



先日、後輩達と飲みに行った時の話。埼玉県久喜市出身のOアナウンサーが、こんな話をしました。

「以前、久しぶりに実家に帰った時に、いつの間にか地元名産としてクッキーが売られていたんですよ。その名前が、久喜市だから『クキクッキー』だったんです。」
「なにやら、植物の茎のような名前だね。」
「安易なネーミングですねえ。」
「そうですよねえ。」


と言いながら、Oアナは、

「これは昔の話なんですけど、埼玉県の幸手(さって)市がまだ幸手町だった頃に、『サッテリア』っていうハンバーガー屋さんがありましたよ。」

というような、「本当の話」を続けます。みんなが、

「うそだあ!」

と突っ込むのですが、「これもホントだって!」とOアナは話し続けます。

「そういう地元モノの駄洒落命名商品の話で、以前、東京の千駄木に『センダッギー・フライドチキン』のお店があったという話を聞いたことがあって、探したんだけど見つからなかったんです。」
「うそぉー!そんなお店、最初からないんでしょ?」
「いやいや、ほんとにあるって聞いたんだってば。そういえば、Yの地元の千葉県松戸市には、『マツドナルド』があるって聞いたけど・・・。」
「そんなお店は、あ・り・ま・せ・ん!!」
「最近、なくなったの?」
「最初からありません!!」


とYアナ。今度は兵庫県出身のOアナウンサーが話し出しました。

「そう言えばブランド物で、『イブ・サンローラン』のパチモンで、『イヌサン・ゾーサン』ていうのがあるとか。」
「ありえへーん!」


というような会話が、お酒の席で賑やかに続きましたとさ。
この埼玉県久喜市出身のOアナは野球中継担当、兵庫出身のOアナウンサーは、4月から「あさリラ!」という番組に出演しています。関西の方は、いっぺん、見たって下さい。

2003/4/3

(追記)
お正月休みにふるさと・埼玉県久喜市に帰っていた尾山アナウンサーが、かの有名な(?)
「クキクッキー」
を、お土産に買ってきてくれました!正式には、
「田園交響曲 喜びの街 久喜クッキー」
という名前でした。写真を撮りましたので、張りますね。


2007/1/8


◆ことばの話1118「最後通告と最後通牒」

日本時間の3月18日午前10時、ついにアメリカが、イラク・フセイン政権に対して、「最後通告」を出しました。48時間以内に亡命を受け入れなければ攻撃するぞと。
さて、その内容を云々するのはさておいて、このことを伝えた新聞各紙はすべて、
「最後通告」
という言葉を使っていました。でもこういったことを指す言葉には、
「最後通牒」
という言葉もあったはずです。なぜ新聞は「通牒」ではなく「通告」という表現を使ったのでしょうか?「通牒」と「通告」という言葉を辞書(『日本国語大辞典』)で引いてみました。
「通牒」=(1)文書で通知すること。また、その文書。(2)「つうたつ(通達)」に同じ。(3)国際法上、国家の一方的意思表示を内容とする文書。国家の政策などを表示する場合に用いられる。
「通告」=(1)文書などで告げ知らせること。通知。通報。(2)一定の行為または処分を相手方に行なわせる意図のもとに一定の事実を告げ知らせること。




これで見る限り、「通牒」を使ってもいいような気がします。もう一冊、『新潮現代国語辞典』を引いてみました。
「通牒」=(1)書面で通知すること。また、その書類。(2)「通達二A」の旧称。(3)国際法上、国家が相手国に対し一方的に意思表示する文書。(例)「最後通牒」
「通告」=つげ知らせること。通知。




これでみると、「通告」の方が一般的にいろいろと使えそうな言葉で、「通牒」の方が、使用範囲が限定されそうに見えます。また、『新潮現代国語辞典』をもとに「通牒」と「通告」の違いを見つけるとするならば、「通牒」は文書・書面によるもので、「通告」は、伝えられれば、(その手段は)何を使っても構わない、というふうにも思えます。
確かに今回のブッシュ大統領の「最後通告」は「テレビ放送」を通じて行われました。「文書」ではありません。(文書も出ているのかもしれませんが。)そこから「通牒」という言葉を避けて、「通告」をいう言葉を使ったのではないでしょうか。
一応、そういうことで、報道フロア界隈は納得したということを、「通告」しておきますね。
イラク戦争が、早く終わることを願って。



2003/4/3


(追記)

日本新聞協会の金武さんからメールをいただきました。
「新聞社が『通牒』を使わず『通告』を使っている理由は『牒』が常用漢字ではないので、原則使えないからです。使う場合はルビつきか、『通ちょう』という交ぜ書きになり、好ましくない。『新聞用語集』にも『通牒→通達、通告』と言い換えるようになっています。」
ということでした。

2003/4/11


◆ことばの話1117「吾輩は・・・」

4月です。新入社員が入ってきました。歓迎会をかねて宴会が行われました。その席での話。先輩のMアナが、3年目になったSアナと新人Kに、



「じゃあ、夏目漱石の作品を、二人で交互に言ってみな。まずKから。」



といわれたKさん。



「え!?えーっと、吾輩はぁ・・・・」
「うんうん、吾輩は・・・」
「猫・・・・」 「そうそう!」
「猫・・・なり?」
「なーにー!?『猫なり』ってなんじゃあ!『猫である』だろうがあ!」




そこに横からつっこんだSアナ、



「漱石は、ふたつしかないですよね」
「え?なにが?」
「作品が。」
「アーホーかあー!もっとたくさん、あるわい!」
「えーっと、『風の又三郎』もそうですよね、漱石。」
「それは宮沢賢治やろがぁ!」




予想通りの・・・いや、予想を越える展開に、Mアナは、



「漱石はもういい!次、芥川龍之介。Sから言ってみな。」



とSアナ、すかさず、



「『人間失格』!」



・・・周囲のみんなが、太宰のその小説のタイトルと同じ言葉をSアナに投げつけたのは、言うまでもありません。



おもしろいですか?おもしろいですよね。できすぎていますよね、この話。でも実は・・・(ほとんど)実話です。本人たちは、ボケてるわけではなく一生懸命なんです。



「S、おまえ、本読んだことないんとちゃうか?」



と聞くと、



「今も読んでいますよ、ホラ。」



と言ってかばんから取り出した文庫本は「原田宗典」のものでした。今度は、先輩アナが黙る番です。



「原田宗典?だれ?それ?」
「知らないですか?おもしろいっすよ、これ。」




ここから考えると、私たちおじさん世代から見ると、彼ら彼女らは、



「物を知らなすぎる!」



と思うのですが、ただ単に、



「知っている分野が違う」



ということのようです。
でも「はあ、そうですか 」と見過ごせないくらい「違う」のは、同じ仕事をする上で、大きなハンディキャップとなることでしょう。
こんなに大きな「違い」が出てきた原因はなんでしょうか。「教育」でしょうか、それとも「家族」、「社会」の責任なんでしょうか。
これに関連して言うと、この席で、



「山本コータローって知ってる?」



と聞いたところ、30歳以下の若い世代からは、



「誰ですかそれ?」「聞いたことないです」



という答えが返ってきました。



「昔、『走れコータロー』歌ってて、一人になって『岬めぐり』が流行って、その後『おもいっきりテレビ』で、みのもんたの前に初代キャスターやってたりして、今はどこかの大学の教授だよ」



と言っても「知りません」。「岬めぐり」を口ずさんでも「聞いたことがないです。」
でも、同じぐらいの時期に流行った「名残り雪」とか「翼を下さい」とか、もう少しあとだけど「贈る言葉」(今、リバイバル・ヒットしてるみたいだけど)は知っているというのです。これらの曲は、「音楽の教科書に載っているから」残っているのです。
歌も、教科書でしか伝わらないというのが、また「なんだかなあ・・・」という気持ちがします。

年々「常識」と呼ばれるものの範囲が狭まっている気がします。
A君の常識とBさんの常識が異なる場合に、どうやってコミュニケーションを取ればいいのか。これを考えることは、ひいてはA国とB国の戦争を防ぐ手段になるのではないか。
話が大きくなりました。

2003/4/3




◆ことばの話1116「イラクと・・・」

3月20日午前10時15分、ついにアメリカの、イラクに対する攻撃が始まりました。これを受けた3月20日の産経新聞の夕刊(東京はないんですよね)を持って、Sアナウンサーがその夕刊を持ってやってきました。
「ここに、今回の『イラクの自由作戦』の展開に関して『識者インタビュー』が載っているんですけど・・・」
「うん・・・。」
「東大の名誉教授と、元イラク大使はいいんですけど、3人目が・・・」
「3人目がどうしたの?」


とのぞき込むと、そこで意見を述べていたのは、

「落語家・三遊亭円楽さん」

でした・・・。どういう人選なのでしょうか?コメントを読んでみると、円楽師匠は東京大空襲を経験されているとか。それとも読者代表かな?そうか、それで・・・と思ったら、

「まさか、エンラクだから・・」

「えっ!てぇーと、なにかい?『イラク』・・『エンラク』・『エラク』『イラク』ってことで・・・・。」
まーさーかぁー!!
戦争で暗くなる読者を、少しでも鼓舞しようという意図が果たしてあったのか。どうなんでしょう?テツ&トモに聞いてもらわなくっちゃ。なんでだろう♪



そして今日、中央教育審議会が遠山文部科学大臣に対して、教育基本法改正の答申を行ないました。骨子はもう以前に報道された通りですが、その「柱」となるのは、

「愛国心」

いや、正確には「国や郷土を愛する心」が柱です。よりによってこんな日に・・・・。
でも、普段どおりのことを普段どおりに行なうことが、戦時下で庶民にとって一番大切なことであるというのもまた事実です。


2003/3/20