◆ことばの話1075「イカナゴ」

瀬戸内海に春の訪れを告げる「イカナゴ漁」が始まったというニュースを昨日(2月19日)にやっていました。とき、あたかも二十四節気の「雨水(うすい)」です。
このイカナゴ、「くぎ煮」で甘辛く煮たものがあれば、本当にご飯が何杯でも食べられます!
さて、イカナゴ、辞書を引いて漢字でどう書くかを見ると、

「玉筋魚」

とあるではないですか!
なんでこれで「イカナゴ」と読めるんだ!と怒っても仕方がない、所詮、宛て字なんですから。おそらく、「玉」=宝石のように美しく、「筋」が見える「魚」ということなんじゃあないでしょうか。「イカナゴ」は「イカ」のように透き通っていて、ちょっと小さいので、「その、子ども」ということで「イカノコ」、これが訛って(?)

「イカナゴ」

なのでは?と思ったのですが、じゃあ、なぜ「イカノコ」ではなく「イカナゴ」なのでしょうか?その時に思い出したのが、「きなこ」です。これも「黄色い粉」なので「黄な粉」ですが、「黄の粉」でもいいはずなのに・・・ということは以前、「平成ことば事情1074『きなこ』と『きのこ』」で考察しました。結局、よく分らなかったのですが・・・。
しかも「イカナゴ」は「コウナゴ」とも呼ばれるらしいです。漢字で書くと、

「小女子」

「コ・オナゴ」というのは、これもおそらく宛て字でしょうが。
どうも語源がハッキリしないけれども、この「な」は、「黄な粉」に通じると思いませんか?

2003/2/28


◆ことばの話1074「『きのこ』と『きなこ』」

テレビを見ていると、なんの拍子でか「きなこ」の話になりました。「きなこ」、一字違うと「きのこ」。一字違いで大違い!
でもちょっと待って、「きのこ=茸」は、もともと「木の子」という言葉の成り立ちでしょ、「きなこ」は漢字で書くと「黄な粉」です。そこから考えると、



「きなこ」=「黄な粉」→「黄の粉」=「きのこ」(=「茸」)



でも良いのではないか?なぜ「黄『な』粉」というふうに「な」になるのか?という疑問がわいてきました。みなさんも、わいてくるでしょう?
そこで思いつくのは、

「今の日本語では『黄色の粉』とは言うが『黄な粉』とは言わない。昔は、『黄な』という、今で言う『形容動詞的活用』をしていたのだろうか?」

ということです。色の名前は「赤」「青」「白「黒」の4色はそれぞれ「赤い」「青い」「白い」「黒い」ろ「い」がついて形容詞の活用をします。それ以外の色は「茶色」「桃色」「橙色」などのように「色」がついて、「茶色の」「桃色の」「橙色の」、あるいは「緑」が「緑の」(「色」がついて「緑色の」)というような形で形容します。「黄な」という漢字で「赤な粉」「青な粉」「白な粉」「黒な粉」という形にはなりません。「の」なら大丈夫ですが。
ということで「黄」だけが特別なのでしょうか?
辞書を引くと「きなこ」は、もともと、

「黄なる粉」

という形だったそうです。その「なる」の「る」が欠落したので「黄な粉」となったと。
うーん、なんでだろう?なんでだろう?(つい、歌ってしまう?)
ネットの掲示板「ことば会議室」に書き込みをして、質問してみました。いろんな方からご意見をいただきました。



「複合語には古い言い方が残るから。現代語では『黄の粉』ではなく『黄色ごな』ではないでしょうか。九州では『黄色の』を『黄な』と普通に言います」(岡島さん)
「形容動詞連体形『な』+形容詞語尾『い』」という語構成は大変奇妙な現象と拝見します。香川県では『静かな(形容動詞連体形)』に『かった(形容詞<過去形>語尾)』をつけて『静かなかった(静かであった)』と申します。・・・(中略)『黄な粉』の類例としては『すぐな文字(ひらがなの「し」のこと)』『濃い口(醤油)』『多い目・早い目』『大い君(長女をいった古語。大き君と言うことと思います。)』「いいもん(悪者<わるもん>の反対)などが思いつきます。」(Yeemarさん)
「『黄名粉』と書く商品があるそうで、Googleで88件ヒットしました。」(UEJさん)




などなど、皆さんありがとうございました。
でもでも、私としては今一つ納得していないのが、本当な気持ちです・・・。

2003/2/28



◆ことばの話1073「『ちぎれる』と『やぶれる』」

(少し前の話です。ごめんなさい)

無茶苦茶な寒波、なんでも6年ぶりとかいうのが関西を襲っています。昨日(1月29日)
なんて午後からずーっと、氷点下。ちゃっぷいを通り越して、痛い!!という今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて先日、5歳の息子を保育所に迎えに行き、夕食を摂った後にお皿を洗っていた時のことです。あまりの水の冷たさに、

「ひや〜!手がちぎれそうや!」

と言うと、息子が、

「ちぎれるって、どういうこと?」

と聞いてきます。そうか、5歳の子供の語彙には「ちぎれる」はないのか。でも保育所で画用紙や新聞紙をちぎったりしないのかな?と思いながら、どう説明するかを考えました。
漢字で書くと「千切れる」だから、切れるのは違いないなと思いながら、

「『ちぎれる』っていうのはな、『やぶれる』とちょっと似てるねん。でも『ちぎる』のは、『引っ張ってやぶれる』感じやねん。ホラ『しっぽ』は『やぶれる』とは言わなくて『ちぎれる』って言うやろ?だからな、あんまりにも水が冷たいから、水に手の指が引っ張られて取れてしまいそうになることを『冷たくて手がちぎれそう』って言うねん。」


と答えたのですが、

「わかった?」

と聞くと、

「うーん、あんまり、わからん」

と言っていました。チェッ。
でも、私が説明している間はおとなしく聞いていたから、まあ、よしとするか。
一応辞書を引きましょう。『日本国語大辞典』。



「ちぎれる」
ちぎったように切れる。ねじられて切れる。断片になる

そうか、単に引っ張るのではなく、ひねりを入れて「ねじられる」のか。



「やぶれる」
(1) 物の形がこわれる。砕ける。破壊される。やれる。
(2)布や紙などが避ける。やぶける。ちぎれる。やれる。

おや、この意味では「やぶれる」と「ちぎれる」は同じ意味の要素を持っているのですね。
(3) 身に傷を負う。きずつく。そこなわれる。害される。
(4) 物事がだめになる。機能がそこなわれる。成り立たなくなる。台なしになる。
(5) (敗)戦いや勝負事に負ける。敗北する。
(6) それまで保たれ維持された状態が失われる。
(7) 起きるの意の近世上方の大工仲間の語。




いろんな意味が載っていましたが、この「やぶれる」はまぎれもなく(2)ですね。 微妙なニュアンスの違いで言葉は使い分けれているのですね。

2003/2/28



◆ことばの話1072「長嶋10年」

人の名前の旧字体や略字体といったいわゆる「異体字」について、「平成ことば事情1005旧字体・異体字」で、以前書きました。
その中に読売巨人軍・終身名誉監督の長嶋茂雄氏の「嶋」の話も出てきました。
私たちは、長嶋監督(この呼び方の方がしっくり来るので、そう呼ばせてもらいます)の「嶋」の字は、ずっと前から、つまり選手時代から「嶋」だったように思っていますが、実は長嶋監督が、「長島」から「長嶋」に変わったのは、今からちょうど10年前だというのをご存知でしょうか?先日、早稲田大学の飯間さんがメールで教えてくれました。
それによると、1993年2月20日(土)の朝日新聞「メディア」欄に、
「巨人のチョーさん長シマはどっちが本当・・・嶋?島」
というタイトルで取り上げられているそうです。書き出しはこうです。 「スポーツ紙各紙の一面にこのところ、大きな『嶋』の字が躍るようになった。これまで『長島』だった巨人軍監督父子の表記が、突然のように『長嶋』と変わったためだ。よく見ると一般紙も『嶋』になっている。いったい何が起きたのだろうか。」



ミステリー風ですね。で、読売新聞が今年(1993年)元日の朝刊から「嶋」と書き、それを運動面で断ったこと、本人の強い要望によるもの、昨年(1992年)12月には球団から新聞各社に『嶋』として欲しい旨の要望書が出されたことなどが記されています。
朝日新聞の場合、長嶋監督に関しては、立教大学の学生時代、1955年秋の早立戦で3点本塁打を打った時の記事は「島」、よく56年春に六大学首位打者とベストナインになった時の記事は、本人の希望で「嶋」、その後、巨人に入ってから1回目の監督時代も33年間は「島」で、1974年10月16日の読売朝刊に書いた手記のサインも「島」。
1990年7月にパリーグ解説者に決まった時からは「嶋」になったそうです。
また、1981年に刊行された「立教大学野球部史」では「長島」、校友会の卒業者名簿は「長嶋」だそうです。
うーん、とにかく本院は「嶋」の方が好きだというのはどうやら間違いないようですね。
名前も人格権の一部という主張はありますが、本人が書いたり使ったりするややこしい字体を、他人も使わなければいけないことにしたら、ずいぶんと面倒なことになるのも確かです。多少、融通を利かせるくらいの余裕を持って、これまでは皆接してきたような気がするんですが・・・。でも例えば「道裏さんへ」とかかれた手紙がきたら、ちょっといやなのは確かだけどなあ。誤字とはまた違う話ですし、ややこしい・・・。

2003/2/27


(追記)

今年の1月21日に、森山真弓法務大臣は、子どもの名前に使用できる「人名用漢字」を年内にも、現在の285字(と、常用漢字1945字の合わせて2230字)から一挙に1000字以上に増やす案を考えていると発表しました。(1月22日付・読売新聞)人名用漢字は1990年に118字が追加、1997年に「琉」1字が加わって以来、見直されていないのですが、それにしてもそんなに漢字を増やしてどうしようと言うのでしょうか。名前を呼ばれない(その名前の漢字を読めないから)子どもが増えるだけでは・・・と思うのは、杞憂でしょうかねえ・・・。

2003/2/28


◆ことばの話1071「持ち寄られ」

2月8日の夜のニュースで、和歌山市の淡島神社で行われた「針供養」の原稿を読みました。その中でこんなフレーズが出てきました。 「全国各地から使い古された針、およそ18万本が持ち寄られ、・・・」



この「持ち寄られ」が引っかかりました。
結果から言うと「寄せられ」に換えて読んだのですが、なぜ「持ち寄られ」がひっかかったのか?
「持ちよる」という言葉は「持つ」+「寄る」という2つの動詞がくっついた複合動詞ですね。そして「持つ」も「寄る」も自動詞です。その後半の「寄る」だけを「寄られ」と受け身系にすることに違和感があったのだと思います。
この「持ち寄る」が、もし「持つ」+「寄せる」という複合動詞「持ち寄せる」であれば、後半の「寄せる」を受け身形にして、「持ち寄せられ」となって、なんら違和感を覚えないのです。
もっとも、この原稿を書いた記者は、「持ち寄られ」でまったく違和感を感じなかったのでしょうから、個人的な感覚かもしれませんがね。
それにしても淡島神社は、雛祭りの頃には「人形供養」をしたり、針供養をしたり、いろいろ供養をしてくれる神社ですな。

2003/2/9