◆ことばの話1025「責任は重い?大きい?」


1月24日、NHK大阪のお昼のローカルニュースを見ていたら、裁判のニュースを伝えていました。その中で判決理由を、

「責任は大きいとして・・・」

というふうに読んでいました。
おや?と引っかかったのは、普段こういった原稿で私が読んでいるものでは、

「責任は重いとして・・・・」

と読むことがほとんどだからです。
「責任は大きい」と「責任は重い」のどちらが正しいのでしょうか?
うーん、と考えた時にすぐに浮かんできたのは、

「責任重大」

という言葉。なーんだ、「責任」は「重くて大きい」の両方使っているではありませんか。
でもニュアンスが微妙に違うような。意味の上で何か違いがあるのでしょうか?
また、うーんと考えて、思いついたのは、こういったことでした。 既に起こった事柄・出来事に対して実際に負うことなった責任は「重い・軽い」
いまだ起こらない事象に対する期待される責任は「大きい・小さい」




お、これは上手いこと、言い当てたかな?
つまり、実際に「こと」が起こってしまったら、その責任を負うことになります。その場合、その責任者個人にかかる「比重」が重いか軽いか、ということではないでしょうか。
それに対して、まだその「こと」が起きていない段階では、責任の比重があまり問われないので、その責任の予想される「大きさ」ということで「責任が大きい、小さい」となるのではないでしょうか。



1月29日の日経新聞夕刊に、横綱昇進の伝達を受けた、朝青龍関の記者会見記事が載っていました。その記事の見出しは、

「重い責任感じる」

でした。記事本記には、

「うれしさもあるし、重い責任もあると感じている」

と、本人が語った心境を記していました。ここは、「重い責任」。いわゆる「重責」ですね。
「大きな責任」は「大責」とは言いませんね。ちょと違うな。
まだ、何も起こっていないのに「重い責任」とはなぜ?と一瞬思いましたが、すでに「横綱」を引き受けたということが「ことが起きた」わけで、その「横綱としての責任」が発生しているというふうに考えることができるのではないでしょうか。



「責任が『大きい』は、程度もそうですが、責任の範囲が広いような気がする。『重い』は深さというか、1か所についての責任の重要度という気がする」とは、前の席に座っているHアナウンサーの弁。今の発言の責任は、○重い。×大きい。

いや、そんなに重くはないか、この場合。責任の「縦軸と横軸」を「大きい」と「重い」で表わすのでしょうか?



Google検索してみます。



「重い責任」・・・・・4290件
「大きい責任」・・・・・142件
「大きな責任」・・・・9480件




「責任が重い」・・・・・2400件
「責任が大きい」・・・・1970件


         (1月31日しらべ)

というふうな感じです。両方使われていますね。今後も事例を考えて行きます。



※「平成ことば事情893需要は高い?」もご覧ください。

2003/1/31


◆ことばの話1024「北朝鮮3」

去年の秋から今年のお正月にかけて、マスコミ各社が「朝鮮民主主義人民共和国」のことを、正式名称を呼ばずに、たんに「北朝鮮」と呼ぶようになってきた動きの続報です。
1月30日の産経新聞朝刊に(首都圏は夕刊ないので、朝刊と断らなくても良いのですが、関西は夕刊もあります)、朝鮮通信=時事通信からの記事として、こんな小さな見出しが載っていました。

「『呼称』で朝日新聞を非難」

記事の内容は、

「朝鮮中央通信によると、北朝鮮の労働党機関紙・労働新聞は二十九日、昨年末に朝日新聞が今後、ほとんどの記事で『北朝鮮』という呼称を使うことを決定し、『北朝鮮の素顔』と題する連載を始めたことを論評し、『これは我が国の権威と自主権を侮辱する主権侵害行為だ』と非難し、『朝日新聞は決定を取り消し、対朝鮮悪宣伝を中止すべきだ』と要求した。同紙は『日本のマスコミの偏狭で不公正な行為と右翼勢力の反共和国、反朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)策動は、一日も早く過去を清算し、国交正常化を実現させようとする朝・日人民の指向に背く』と批判した」

というものです。「北朝鮮」だけにしたのは、何も朝日新聞だけじゃないのに、なんで一社だけ名指しなんでしょうね。皆さんはこの内容についてどう思われますか?



それと時期を合わすかのように、というよりそれより少し早い1月24日に、日本民間放送連盟にあてて、「在日本朝鮮人総連合会中央常任委員会」名で申し入れがあったそうです。

その内容は、

「今年に入って多くの民間放送局が『北朝鮮』とだけ呼ぶようになったが、これは不適切で不当と言わざるを得ない。北朝鮮というのは朝鮮半島の北と南を示す地理的概念であって、国名ではない。したがって、北朝鮮呼称のみを使用すると、国家的次元と地域的次元を混同することによって、視聴者に誤った認識を与えることになり、ひいては朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の客観的存在を否認することになる。」

というふうなものだそうです。また北朝鮮は、

「日本でのみマスコミなどが『北朝鮮』という呼称を使うことは、わが国と人民を冒涜する決して許すことのできない主権侵害である。」

と、2000年7月24日の朝鮮中央通信の論評で表明しているそうです。
これに対する疑問ですが、日本以外の国でも、たとえば英語で「North Korea(北朝鮮)」と呼んでいるではないか?というもの。また、いまや「北朝鮮」というふうに国名を呼んだところで、地域的な次元と国家名称を果たして混同するだろうか?という疑問などがあります。
21世紀に入って、特に去年の9月以降、日本と北朝鮮の関係が、これまでの数十年の状況から大きく動き始めているのは、紛れもない事実です。それを踏まえた上で、いろいろなことを考えて行動していかなければならないと思います。

2003/1/30


(追記)

2月7日に東京で開かれた用語懇談会・放送分科会の席で、「北朝鮮」の正式名称を言わなくなった放送局はどのくらいあるかを聞いたところ、これまで認識していた、フジテレビ、日本テレビ、NHK、テレビ東京の各系列に加えて、TBSも、共同通信の決定の翌日に、正式名称を言うのを止めたことが分りました。つまり1月9日からですね。これで今も正式名称を必ず言っているのは、「テレビ朝日系列のみ」ということになりました。(テレビ朝日は「リードでは『北朝鮮』と言い、本記の最初に1度『北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国』という形」だそうです。)



2003/2/8



◆ことばの話1023「尾頭付き」

連想ゲームのような話です。
JR大阪駅のエスカレーターを降りていた時のこと、改札のところの張り紙が目に入りました。

「裏が白か茶色の切符はこちらの改札をお通り下さい」

その下に書いてあった英語に目が止まりました。「裏」にあたる英語の単語が、
「BACK」

だったのです。「うしろ、背中」という意味が思い浮かびますが、それはさて置き、

「英語で『裏か表か?』と言う時、つまり『コイントス』の時は『Head or Tail』だよな。これだと直訳すると、『頭かしっぽか』だなあ。頭かしっぽと言えば、日本語で『尾頭付き』というのと一緒だな。あれ?順番が違うな。『頭尾付き』ではなく『尾頭付き』なのはなんでだろう?」

ここまで、頭の中で約3秒。
いろいろ歩きながら考えてるでしょ、別にたわいもないことなんだけれど。
そのあとは電車の中で考えたのですが、「英語とは逆」ということではなくて、
「尾頭付きの魚を持つ時は、たいていしっぽの方から持つから、その様子を上から下に表現すれば『尾頭付き』と『尾』→『頭』の順番になるのではないか。」

ということでした。頭の方からは持ちにくそうだもんね。

それにしても、なんで「尾」と「頭」だけが表現されて肝心の「身」は表現されてないんだろう?
これは簡単に分りました。魚は「身」がメインであるのが当たり前。だからわざわざ表現していないということなんでしょう。
そしてこの話を会社ですると、こんな事を言われました。

「尾頭付きというのは、なんの魚でしょうね?」
「そりゃあ、『タイ(鯛)』だろう!」
「タイ以外にも、使うんでしょうかね?」


どうなんでしょう?
「好き嫌い」の激しい『新明解』で「尾頭付き」を見てみると、

「祝い事用の、尾も頭も付けたままの焼き魚。普通、タイを用いる」


焼魚かあ、やっぱり普通はタイなんだ!「祝い事」の時に使うのが「めでたい」
で「タイ」、それが「尾頭付き」ということですね。祝い事に、さんまやいわしの「尾頭付き」でも「めでたさ」が小さいということでしょうかね。
これで謎が解決しました。めでたしめでたし。お祝いに「尾頭付き」で祝いましょうか。「たいやき」の尾頭付きで・・・・って、尾頭のついていない「たいやき」は、店では売ってないって言うの!家では時々見かけました。誰かが齧った残り物・・・。

2003/2/4



◆ことばの話1022「鳥が焼死はおかしいか?」

「みっちゃん、みっちゃん!ちょっとええか?」

報道フロアを歩いていると、F部長が話し掛けてきました。



「この間な、ニワトリ小屋が火事になって、トリが何万羽か、焼け死んだというニュースがあったんやけど、その時にうちのニュースで字幕スーパーが『トリが焼死』と出てたんや。ナレーションは『鳥が焼けました』やったけど。『トリが焼死』はおかしないか?」



確かに言われてみると、「焼死」は「人間=ひと」にしか使わないような気がします。でも、

「トリが焼け死にました。」


なら、特におかしくない。
「焼け死ぬ」という言葉が与えるショッキングな印象の強さから、ニュースで好んで使いたくはない言葉ではありますが。
「焼け死ぬ」を漢字2文字で言えば「焼死」。だから、

「焼け死ぬ」=「焼死」

です。では「トリが焼死しました」でもよさそうなものです。それなのになぜ違和感があるのか?
思うに、「焼け死ぬ」の場合は、「焼けて、それで死んだ」というふうに、二つの言葉がくっついてできたことが明らかで、その「順序」「経過」を言葉の中に感じることができます。
それに対して「焼死」という一つの「漢語」「熟語」になってしまった場合には、「焼けて、死んだ」という説明ではなく「死んだ原因」「死に方」といったニュアンスを表わしているように感じます。
そうすると、「人間様」に関してはそういった「原因追及」は、当然許されます(というのも「生きている状態」を「普通」としている我々人間にとって「死」というのは特別の状況。その「特別の状況」の原因をたどり示すことは「当然」だから)が、人間以外の動物に関して、その死んだ原因を人間様が必要とするかというと、そういうケースはまれです。(もちろん、人間同様に、子供のように可愛がっていたペットなどは、そのまれなケースにあたるんでしょうけど。)
だから動物に対して「焼死」という言葉を使うと違和感があるのではないか?と考えました。
もう一度整理して、ちょっと難しい言い方をしますと、「焼け死ぬ」は、「焼ける」と「死ぬ」が対等なのに対して、「焼死」は語の構造上「焼」が「死」に従属しているイメージを与える、ということです。

この話を向かいのHアナにしたところ、

「ハハーン、なるほど。たしかに、そうかもしれませんね。」

と同意を得ました。

「いや、カモではなくてニワトリなんですけど。」

と答えると、Hアナもひっかくもの、

「そのあたりは"チキン"としておかなくてはいけませんね。」



以上、「トリが焼死しました」になんの違和感を覚えない人にとっては、どうでもいい話ではありますが。でも、

「つまり、焼き鳥やろ」

と、実もフタもない一言で片付けないでいただきたい!

2003/1/31



◆ことばの話1021「酒田漁港」

Uキャスターが内線電話を掛けてきました。

「道浦さん、山形県の『酒田の北の港』のアクセントは、サカタホッコー(HLL・LHHH)ですか、それともサカタホッコー(LHH・HHLL)ですか?」

(Lは低く、Hは高く読む)
まーた、ややこしいことを・・・。

「なんでそんなことを聞くの?」

と問うと、フラッシュ・ニュースに出てくるらしいです。
アクセントは前者だと、「酒田」と「北港」を分けて読む感じ、後者だと「酒田」と「北港」をつなげて読む感じになります。だから、



「"『酒田』の北港"というふうに、『酒田』の地名を意識して読むなら前者だし、もう『酒田北港』が固有名詞として定着していると思うなら、つなげて読んで後者でいいし。どちらも間違いとは言えないね。でも大阪においては、山形の酒田は遠い存在だから、前者のように分けて読んだらどう?」



と答えました。そうこうしていると、Sキャスターが、

「大阪だと大阪南港(おおさか・なんこう、LHHH・LHHH)、大阪北港(おおさか・ほっこう、LHHH・LHHH)という具合に、『大阪』と『南港』『北港』を分けた発音ですね。でもこの酒田北港は、「『酒田北』と『港』に分けたものなので、読みは『ほっこう』『なんこう』ではなくて『さかたきた・こう』らしいですよ。」

と、またややこしいことを・・・。

「じゃあ、『さかたきた・こう(HLLLH・HH)』と読むしかないんじゃない。」


と言うと、今度は

「『さかたきた・こう(HLLLH・LL)』じゃないんですか?」

と。読んでる皆さんも、ややこしくなってきましたよね。
もう、どうにでもしてくれい!!
(結局、どう読んだかは、忘れてしまった、という体たらく)

2003/2/3

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