◆ことばの話985「E〜SALE」

新年、初出勤の日、JR大阪環状線の電車に乗っていると、車内吊り広告に目が行きました。去年、梅田に出来たファッションビルのバーゲンセールの広告です。そのビルは「門」の空いたところにアルファベットの「E」が入って、
「イーマ」
と読ませるビルです。外国語風の発音なのに、意味の上ではきっと日本語の
「いい間(ま)」(=「良い空間」)
という意味も掛け合わせているのでしょう。
一度、その上層階にあるシネマコンプレックスで映画を見たことがありますが、なかなかオシャレなところでした。特に「名前」がしゃれてるな、と思っていたのですが、そのファッション・ビルのバーゲンです。その広告には、
「門門門門」
という文字が並び、(ワープロでは打てなくて残念なのですが)その「門」の空いたところにアルファベットで
「SALE」
の4文字が入っているのです。つまり「イーマのセール」が、見事に漢字とアルファベットの融合したデザインで示されていた>のです!
「間違った漢字を使っている!」というのではなく、文字を取り込んだ面白いデザインだなあ、とまた感じ入ってしまい、危うく降りる駅で降りそこなうところでした。(ウソ)
こういう車内吊り広告ばかりだと、電車の中でも楽しめるなあと思ったのでした。
そうだ!早稲田大学の飯間さんにも教えてあげなくっちゃ!



2003/1/6




(P.S.)




教えて差し上げたところ、ネット検索で「イーマ」のホームぺージを探して、どんなビルなのかを確認されたそうです。喜んではりました!





2003/1/10


◆ことばの話984「ジョキング」

TBSの「ニュース23」を見ていた時のこと、キャスターの筑紫哲也さんがこんな言葉を発しました。
「ジョキングやるじゃないですか」
え?それって「ジョギング」じゃないの?私は「ジョギング」はやりますが、「ジョキング」はやりません。「除菌クリーナー」だってあまり使わないくらいのもんです。
筑紫さんは大分県出身だと思うのですが、大分では「ジョギング」のことを「ジョキング」と言うのかなあ。それとも60歳を超えたあの年代の人は「ギ」を濁らないで「キ」と言うのか?
Google検索で「ジョキング」を引いたら、なんと933件もありました。
もちろん、「ジョギング」は10万6000件と圧倒的なのですが。
念のため、新語・俗語採集には定評のある『三省堂国語辞典』を引いたところ、見出しは「ジョギング」しかありませんでしたが、その意味の解説の中に、
「ジョッギング」
「ジョッキング」

という呼び方が記されているではないですか!ショッキング!!英語の綴り(スペル)は
「jogging」
もう一度Googleで「ジョッギング」「ジョッキング」を調べてみましょう。意外とたくさんあったりして。結果は、



218件
「ジョッギング」=925件



『三省堂国語辞典』に載っていた、濁らない「ジョッキング」は、218件もありました。あるもんですな。
ここまで書いて思い出しました。確か、梅花女子大学の米川先生の本に、これって書いてなかったっけ?『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂、2002、10、10)を見てみました。索引を引くと・・・やっぱり載ってた!313ページ。「ジョギング」は、そもそも1975年(昭和50年)の新語だったんですね。



てのジョギングがブームになったのはこの年で、きっかけは山中湖畔で行われた第八回国際高齢者走(タートル・マラソン)世界大会である。1976年には日本で初めてのジョギング専門誌『月刊ランナーズ』が発売された。見坊豪紀『ことばのくずかご』によれば、当初『ジョッキング』『ジョッギング』『ジョギング』の三語形が見られる。このことばの普及に力あったのは雑誌『ポパイ』と『日本経済新聞』であると言う。」



やっぱりあった!見坊さんの『ことばのくずかご』も2年ほど前に読んだので、その時のことが少し引っかかっていたのかも知れません。見坊さん編による『三省堂国語辞典』に「ジョッキング」が載っているのは、当然と言えば当然ですよね。我ながらよく思い出したなあ。
でも、今や「ジョギング」が大主流になって、「ジョッギング」「ジョキング」は、ほとんど60代以上の方しか使ってらっしゃらないのではないでしょうかね。Googleでの検索数をパーセンテージで示すと、



「ジョギング」= 98,079%
「ジョッギング」= 0,856%
「ジョキング」= 0,863%
「ジョッキング= 0,202%



ネット上では98%は「ジョギング」が使われているということですね。筑紫さんはネット上ではわずか0,863%の人しか使っていない形態の「ジョキング」を使用している、きわめて珍しい方、ということでしょうか。単なる言い間違いではなく、そういう言葉・言い方が存在したということが、私にとっては新鮮な驚きでした。




2003/1/8


◆ことばの話983「3枚」

平成ことば事情877で「三枚におろす」のアクセントについて書きましたが、今回の「3枚」はそれとはちょっと違います。ほら、「三枚」と「3枚」、違うでしょ?



全国高校サッカーの準々決勝、事実上の決勝戦とも言われた長崎代表の国見高校対東京代表の帝京高校の試合。この中継の中で使われた言葉が「3枚」なのです。



実況の藤井アナウンサーが使った「3枚」とは、



「フォワードは3枚、登録があります。」
「帝京高校(のディフェンス)、中には3枚」




というような使い方。つまり、



「選手の人数を、枚で数えている」



のです。確かにサッカーの現場では、選手を「枚」で数えることがあります。ただそれは私の記憶では、フリーキックの時に、キッカ―(ボールを蹴る人)とゴールの間に立つ選手、通常「カベ」と呼ばれる時の選手の人数で、この場合は、



「カベは3枚です」



というふうに使われます。「3枚」と言っても縦に並んでいるのではなく、横に広がって3人並んだ状態を指して「カベは3枚」と言うのです。トランプのカードを扇状に広げて「何枚?」「3枚」というような状態に、似てなくもない感じ。もしくは、プレハブ住宅の壁や、会議室にある可動式の壁=パーテーションのような感じ。あ、これですね、一番良いたとえは。
そういった「カベ」だから、守備側に「3枚」と「枚」を使うことは分るのですが、「フォワードが3枚」というふうに攻撃側に「枚」を使うことも可能なのかどうか。
ここまで考えた時に、攻撃で「枚」を使うものを思いつきました。



「将棋の駒」



です。「手持ちの駒は、歩(ふ)が3枚」のように使いますね。そういう意味では、監督は選手を「手駒」として使うのですから「枚」としても良いのかもしれません。でも、ディフエンスの「カベ」にしか「枚」を使ったことのない私は、ちょっと違和感を覚えたのでした。



なお試合は、戦後初の大会三連覇を目指す国見高校が、夏のインターハイの決勝で苦杯を喫した帝京高校に1対0で勝ち、雪辱したのでした。



2003/1/6




(追記)



この試合で藤井アナは、
「ボロクソ」
という言葉も3回も使っていましたが、ちょっとお下品。俗語すぎるのでは?「ボロクソ」。「クソ」ですから。「『お前らは技術がない』とボロクソに言われたそうです。」という引用文だったのですが、それにしても。
ちなみに国見は13日に行われた決勝で、千葉代表の市立船橋高校に1対0で破れ、3連覇はなりませんでした・・・。



2003/1/14


◆ことばの話982「屁の河童」

いつものようにアナウンス部で、何かの拍子で出てきた疑問。



「なぜ、“簡単!”なことを“屁の河童”と言うのか?」



Hアナの疑問です。



「それはたしか、もともとは“河童の屁”だったんだけど、強調する意味でひっくり返して倒置して“屁の河童”になったと読んだことがあるような・・・。」



と私。



「ふーん、でもなんで“河童の屁”が“簡単”“朝飯前”なんですか?」
「うーん、それは・・・・???」




ということで、またまた『日本国語大辞典』を引きます。



「かっぱのへ(河童の屁)」
(1) 物事がたやすくできること、取るに足りないことをいうたとえ。屁の河童。
(2) 無味乾燥なこと。気が抜けてききめのないこと。多くはうまくない茶にいう。
(3) どっちつかずの中途半端な人間のことをいうたとえ。



2と3の意味は知らなかったなあ。
そのあとに(補注)として、こんな記述が。




「かっぱの屁は水中でするので勢いがないところからいう。一節に『木っ端(こっぱ)の火』から変化したとする。」



へえー!「木っ端の火」!!
確かに語呂は似ていますねえ。「カッパノヘ」と「コッパノヒ」。
でも、その前に書いてある、「かっぱの屁は水中でするので勢いがないところからいう」というのは、どうなんでしょうか。私の体験から言うと・・・・ウウン、アーアー・・・確かに最初は勢いがないですが、そのあとは勢いよく水面に向かってプクプクーッと上がって来て、



「ボコッ!」



っと。けっこう、きますな。
『日本国語大辞典』のこのくだりを書かれた方に、ひとこと、言わせていただきたい。
そもそも、かっぱが水中で屁をこくところを、



「見たんかい!!?」



失礼しましたぁ〜。



2003/1/7




(追記)



関連の話、見つけました。藤原正彦著『祖国とは国語』(講談社2003、4、25)というエッセイ集の中の「ダイハッケン」というエッセイの中で、著者の藤原正彦さん(作家・新田次郎さんと藤原ていさんの息子、と後輩に言ったら「新田次郎って誰ですか?」と言われてしまった・・・。)が息子達と風呂に入っている時の話。



「パパは今、一つ発見したよ」「ナーニ」「湯船の中のオナラは臭い」



・・・やっぱり・・・みんなお風呂の中でやっているんですね。



2003/5/3


◆ことばの話981「白馬神事」

1月7日、夜のニュースを見ていると、大阪の住吉大社での行事を紹介していました。字幕には



「白馬神事」



と書いてあったのですが、その「白馬」の漢字の上には、なんと



「あおうま」



とルビがあり、アナウンサーも「あおうま」と読んでいました。
なんで「白馬」と書いて「あおうま」なんだ?それじゃあ、無茶苦茶やがな。
正月3日に和歌山の百貨店で見た、



「キティちゃんのコマイヌ(狛犬)」



のぬいぐるみと同じくらい無茶なのではないか?
そう思って、夜9時を回っているにもかかわらず、矢も盾もたまらず、住吉大社に電話しました。しかし、夜ということで詳しい人がおらず、



「平安時代から朝廷の行事として行なっていて、新春に青い馬を見ると縁起がいいから。」



ということしか分りませんでした。
こういう時は・・・そう、『日本国語大辞典』。あ、お、うまっと。載っていましたよ!



「あおうま(青馬、白馬)」
(1)青毛の馬。毛の色が黒く、青みを帯びた馬。
(2)白馬。また、葦毛の馬。
(3)「あおうまの節会」の略。また、白馬の節会に引き出された馬。
(4)略



(1)と(2)では色が違うなあ。もう少し詳しく見てみると、「あおうまの神事」が項目
として載っていました。



「大阪市住吉区にある住吉大社で、毎年正月七日に行なわれる神事。二人の奉行が神馬に付き添い、第一本殿より第四本殿まで、順次に拝礼ののち、その周囲を駆けめぐるもの。白馬(あおうま)の節会(せちえ)を移したものといわれる。」




じゃあ、その「あおうまの節会」を引いてみましょう・・・すぐその次に載っていました。



「奈良時代から朝廷での年中行事の一つ。正月七日、左右馬寮(めりょう)から白馬を庭に引き出して、天皇が紫宸殿(ししんでん)で御覧になり、その後で群臣に宴を賜った。この日、青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事によったもので、葦毛の馬あるいは灰色系統の馬を引いたと思われる。文字は『白馬』と書くが習慣により『あおうま』という。あおうま。あおばのせちえ。」




また、「語誌」のところには、こんな記述が。




『(1)古代においてアヲは、黒と白との中間的性格を持つ範囲の広い色名で、灰色をもその範囲に含めていた。
(2)一○世紀中頃より漢字文献において『青馬』から『白馬』へと文字表記が統一される理由については、本居宣長、伴信友は馬自体が白馬に換えられたからであるというが、室町時代の「江次第鈔―二・正月」に「七日節会<略>今貢葦毛馬也」、「康富記―嘉吉四年正月六日」の白馬奏毛付にも「貢葦毛」とあり、後世においても葦毛馬が使用されていたことが分かる。したがって毛色自体の変化というよりも、平安初期の「田氏家集―下・感喜勅賜白馬因上呈諸侍中」にも「○毛」(※○は、馬偏に「總」の旁を合わせた字です)の馬を「白馬」というように、灰色系統の色名の範囲が青から白に移行したことと、平安末期の「年中行事秘抄―正月七日」所引「十節」などに見える白馬に対する神聖視などから意識的に「白馬」の文字表記を選択したものと考えられる。』



また、「語源説」として、南方熊楠の「世諺問答・白馬の節会に就て」を引いて、
「白馬を青馬と呼んだのは、純白の色は青ざめて見えることがあることからか」
とも書いてあります。本居宣長や南方熊楠も気になっていたのか!五木寛之の作品に『蒼ざめた馬を見よ』というのがあったな。読んでないけど。東山魁夷の絵にも青い景色の中に白い馬が一頭というものがあったな。
結局、そもそも最初の馬の色は「灰色」で、その「灰色」も、昔は「青」の色の規定の範囲に含まれていたから「あおうま」と呼んでいたと。その「灰色」の馬を見る人たちの中で、色の意識が変化して、



「あの馬は『あお』の馬ではなくて、どちらかと言えば『しろ』の馬であろう。」



となったのだけれども、呼び方だけに従来の「あおうま」というのが残って、文字表記は「白馬」に変化していったと。その文字表記に合わせて、実物の馬も、「灰色の馬」から「白馬」を使うようになっていったということですね。そこには「白馬」を神聖なものとする考え方も影響を与えていたと。
色の意識で言えば「青」の示す範囲が狭くなったと言うことですね。
古代の日本における「色の名前」は、以前に書いたことがありますが、



「赤・青・黒・白」



で、これに「黄」を合わせても5色しかなかった。「緑」なんて色の名前はなかったから、今で言えば「緑」のものも「青」と呼ばれていました。光のスペクトラムは、可視光線が赤から紫までの間の無限の色を含んでいますが、それをいくつに分けるかは、人が色にどのくらい細かく名前を付けるかによって決まってくると思います。それは、国や時代、人によって「虹」が何色に見えるか(いくつの色か)が違うということでも、分かると思います。




それにしても「白馬」と書いて「あおうま」は、現代の感覚から言うと、
「なんかヘン」ですよね。いやあ、でも、勉強になりました。地元でも知らないことは、まだまだたくさんありますね。



2003/1/7




(追記)




5月17日、NHKの衛星放送でやっていた、日本の歌を振り返る番組のコマーシャルで(NHKでも自分の局のコマーシャルは、ものすごくたくさんやってますよね)、美空ひばりさんが「丘を越えて」を歌っているシーンが、ちょっとだけ流れました。そして歌詞も字幕で出ました。それは、




「あおの背中に目をさまし、ヤッホーヤッホー!」




というものでした。その「あお」の後には( )を付けた、




(馬)




と出ていたのです。つまり、「あお」だけでも「馬」を示しているケースですね。これはもちろん「白馬」なんでしょうね。「白馬童子」というのもあったな。リアルタイムでは見ていませんが。



2003/6/1

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