◆ことばの話970「レセプタント」

12月10日の読売新聞夕刊によります
と、日本バンケット事業協同組合は5日までにパーティなどに派遣されて接待する女性について「コンパニオン」の呼称は使わずに、
「レセプタント」
と呼ぶことを決めたそうです。理由は「コンパニオン」は風俗店などで使われるようになったのでそれと混同しないためだそうです。また「レセプタント」は「レセプション(歓迎会)」と「アテンダント(案内係)」を組み合わせた造語で、組合の公募で寄せられた5941件の中から「響きに品格がある」として選ばれたのだそうです。
ふーむ、しかし「レセプタント」かあ。なんか「ミュータント」とか「レプリカント」とか言ったSF的なものを思い浮かべてしまいますねえ。もしくは病院の「レセプト開示」とかなんか制服は着ていそうな感じ。
まあ、「トルコ風呂」が「ソープランド」に変わった時にも「ソープランド?なんか変な感じ」と思ったので、この「レプリカント」も・・・いやいや「レセプタント」も、慣れればどうと言うことはないのかもしれませんが・・・。
一体どのくらいの期間で定着するのでしょうか。意外と早いのかなあ。
しかしまたフーゾク店でこの「レセプタント」を使うようになったら・・・と考えると夜も眠れません。「レセプタント」の夢を見そう。

2002/12/26


◆ことばの話969「綿菓子と綿あめ」

11月29日のお昼のニュースを見ていた時のことです。3年前に東京・杉並区で男の子が割り箸をのどにさして死亡した事件で、診察した医師が業務上過失致死に問われた裁判の初公判が、東京地方裁判所で開かれ、医師は起訴事実を否認したという内容でした。その「割り箸」について、日本テレビのニュースでは、
「綿あめ」
と言っていたのです。それを聞いて私は
「あれ?綿あめ?綿菓子じゃないの?」
と思ったのです。そうすると、「綿あめ」が標準語(共通語)で、「綿菓子」は関西弁なのかしら?その日の夕刊でこのニュースを載せていた記事を見てみると、読売、朝日、日経の3紙がすべて「綿あめ」でしたので、より一層、そういう気が強まりました。
とりあえず、社内で「綿あめか?綿菓子か?」を聞いてみました。その結果は、

「綿あめ」=20人(30,3%)
「綿菓子」=46人(69,7%)

という結果になりました。出身地を見てみますと、
「綿あめ」・・・北海道(釧路市)、埼玉県(川越市、久喜市)、千葉市、東京都(国分寺市、世田谷区、練馬区ほか1)、神奈川県(横浜市)、静岡県、長野県(中野市)、兵庫県(神戸市=親は岡山県、小野市、西宮市)、大阪府(池田市、泉佐野市)、京都府(舞鶴市)、長崎市

「綿菓子」・・・茨城県(日立市)、横浜市、東京都(大田区ほか1)、静岡県焼津市、福井市、大阪府(大阪市5、八尾市3、枚方市2、堺市2、豊中市、寝屋川市、高石市、貝塚市)、兵庫県(神戸市3、西宮市2)、滋賀県(近江八幡市、草津市)、京都市4、奈良県(奈良市ほか1)、和歌山市、岡山市、広島市、山口県2、福岡市、熊本市、長崎市、大分市

というふうに、やはり「東西分布」が見られます。つまり「綿あめ」は東日本出身者に、また「綿菓子」は西日本出身者に多く見られるようです。でもキッパリと分かれているわけでもなさそうです。岡山市内出身者(40歳代・男性)で「綿菓子」派の人は、同じく岡山県(岡山市内ではない)出身者で「綿あめ」と言う人がいるということを聞いて、
「子供の頃、岡山県でも田舎(=岡山市ではない)出身者は『綿あめ』と言っていた。」
と話しています。
表記の違いも気にしながら、インターネットで検索したところ(GOOGLE、11月29日)
「綿菓子」=1万5400件
「綿がし」= 105件
「わた菓子」= 1140件
「わたがし」= 3380件

「綿飴」= 3180件
「綿あめ」= 2180件
「わた飴」= 664件
「わたあめ」= 8100件

と、ネット上では「綿菓子」が一番人気のようですね。ついでにそれぞれの一番人気「綿菓子」と「わたあめ」に「西日本」「東日本」をくっつけて、2つのキーワードで検索したところ、

「綿菓子・西日本」=126件
「綿菓子・東日本」= 66件

「わたあめ・西日本」=38件
「わたあめ・東日本」=97件

で、これから見ると、やはり「『わたあめ』と『東日本』」、「『綿菓子』と『西日本』」の結びつきが強いようです。

ここで辞書も引いてみましょう。
『日本国語大辞典』(小学館)を引くと「綿菓子」の項には、
『「わたあめ(綿飴)」に同じ。』
としか書いてありません。用例は、林芙美子の『放浪記』(1928−29)で、
「湯島天神に行ってみた。お爺さんが車をぶんまはして、桃色の綿菓子をつくってゐた。」また、安部公房の『他人の顔』(1964)の「灰色のノート」から
「縁日の露店で売っている綿菓子でもしゃぶりたいというのか。」
とありました。林芙美子(1903〜1951)は下関生まれの尾道育ち。西日本の人ですね。安部公房(1924〜1993)は、東京生まれの満州育ち。生まれは東京でも満州で育ったのなら、どこからか西日本の言葉が入っていたのかもしれません。
一方の「綿飴」は、
「ざらめの濃い糖液をあたためながら遠心分離機などを利用して、細い穴から出し、外気で冷やし糸状に結晶させ、割り箸などに巻きつけた菓子。電気飴。綿菓子。」
と製造法まで詳しく書いてあります。ということは『日本国語大辞典』としては「綿飴」を標準語として採用しているように見えます。
用例としては、『洒落本・中洲雀』(1777)から
「商人居並て通りせまく、煮売、煮肴、綿飴、玉子焼、胡磨揚、西瓜の立売」
とあります。もう一つの用例は、向田邦子の『父の詫び状』(1978)の「お八つの時間」からで、
「綿飴とアイスキャンデーも絶対にいけませんのクチであった」
とあります。向田邦子(1929〜1981)は東京生まれ。東京語の伝承者として名高いので、東京のその世代の人は「綿飴」と言っていたのでしょう。
またやはり生っ粋の「江戸っ子」というイメージのある女優の沢村貞子さんも、1977年4月号に『暮らしの手帳』の中に書いた『私の浅草』という文の中で、
『鳥居の前の石段の両側には、お馴染みの飴細工、しんこ細工に綿あめ、風船屋から「金ちゃん甘いよ」の豆屋まで、ぎっしり小さい屋台を並べてる』
と「綿あめ」を使っています。実は、『日本国語大辞典』の「綿飴」の次の見出し項目の「綿飴屋」の用例に、この同じ『私の浅草』(1976)の「ほおずき市」の文章が採用されています。
「ほおずき屋さんのあいだ、あいだに、綿飴屋、おしんこ細工、あめ細工の屋台が出ているのは、いつもの通り」

昔の東京にはごく日常的(と言ってもお祭りの時でしょうから、ハレの日だけなのですが)に「綿飴」があったのですね、「綿菓子」ではなくて。
余談ですが、インターネット検索をしていて、面白いことに気付きました。
「綿菓子」を使った林芙美子と、「綿飴」を使った向田邦子が、なんと同じ小学校に通っていたのです。と言っても年齢差が26歳と親子ほど離れているので、同時期に通っていたわけではありませんが、林芙美子は母が鹿児島の桜島出身、旅から旅への生活の中で、小学校2年生から2年あまり、つまり、明治44(1911)年から大正2(1913)年の間、鹿児島の母の実家(の祖父)に預けられたことがありました。その時に、鹿児島市立山下小学校に通ったそうです。その後大正12(1923)年には尾道の女学校卒業、19歳の時に東京へと向かったそうです。
一方の向田邦子も生まれは東京ですが、各地を転々として、小学校3年生から6年生の初めまで、つまり昭和13(1938)年から昭和16(1941)年の途中まで、鹿児島市立山下小学校に通ったとのことです。です。同じ小学校の先輩・後輩でありながら、2人ともこの小学校を卒業していない、というのも共通点なんですね。まさか、『日本国語大辞典』を編纂された松井栄一さんも、そこまで考えて(つまり同じ小学校に通ったことがある2人の女流作家で、しかも「綿菓子」と「綿飴」という別の語彙を使うということ)この2人を選んだわけではないでしょうから、偶然というものは面白いものですねえ。
ところでこの「綿飴」、辞書によると、「電気飴」とも呼ばれたそうです。「電気飴」。初めて聞きました。ネット検索すると、あの「週刊新潮」の表紙の絵で有名な谷内六郎さん(1921−1981)が「電気飴」というタイトルの作品を残していました。
やはりその世代の方が子供の頃、と言いますから、大正末期から昭和初期に「電気飴」という言葉が使われたのではないでしょうか。そういえば「電気ブラン」なるお酒(カクテル)もあったなあ、浅草に。名前に「電気」がつくのがはやった時期があったのでしょうね。モボ・モガの時代かな?
ところで、この電気飴というか綿飴というか綿菓子、いつ日本に入ってきたのでしょうか?
というか、そもそも外国から入って来たお菓子なんでしょうか。
またまたネットによると、外国では・・・アメリカではこの綿飴、「コットン・キャンディ」と呼ばれていて、1897年にウィリアム・モリソンという人とジョン・C・ワートンという、テネシー州ナッシュビル出身のキャンディ製造業者が発明したそうです。
1897年というと明治時代ですね。明治30年か。あれ?そうすると、「綿飴」の用例で『日本国語大辞典』に載っていた『洒落本・中洲雀』の成立年である、1777年よりもあとに「コットン・キャンディ」は発明されたことになるぞ。アメリカで「コットン・キャンディ」が発明される前に、日本では江戸時代に「綿飴」が作られていたということなんですね。
同じ物じゃないのかもしれません。

「綿飴」「綿菓子」と同じ材料で作るけれど、形と食感が異なる駄菓子に「カルメラ焼」があります。漫画「じゃりん子チエ」にも出てきますね、「カルメラのおっちゃん」。でもこの「カルメラ焼」と言うのも関西の方みたい。全国的には、「カルメ焼」の方が通りが良いみたいです。GOOGLEによると、
「カルメラ焼き」=180件
「カルメラ焼」 =33件
「カルメ焼き」 =1740件
「カルメ焼」 =241件

まあ、「キャラメル」と語源は同じでしょうから、どっちが正しいと言うこともないのですが、同じ食べ物をさして、地域で呼び名が微妙に違うと言うのも、おもしろいことですねえ。

(追伸)

12月9日にNNNロンドン支局にいる読売テレビの小島記者(女性)が、ノーベル賞授賞式の会場から、晩餐会に出されるデザートについてリポートしていましたが、その時に播州出身の小島記者は、
「綿菓子のようなお菓子です」
と「綿菓子」を使っていました。やはり西日本出身ですね。


2002/12/24
(追記)

2003年3月15日の毎日新聞29面に、南西諸島海溝の深海に潜航した、宇宙飛行士の毛利衛さんの記事が出ていました。14日、那覇新港に接岸した船上での記者会見の内容を伝えたその記事の中の地の文で、

「カップめんが水圧でつぶれたり、綿菓子がサラサラの状態になるなどの変化があった」

と記されていました。ここでは「綿菓子」、「綿あめ」ではありません!
毎日新聞の記事は、記者の署名がありますので、誰が書いたかわかります。書いたのは野沢俊司記者。野沢記者はきっと、西日本出身の方ではないでしょうかね。

2003/3/15

(追記2)

拙著を読んで下さった読売テレビOBのO氏から電話がかかってきました。

「私は昭和10年の東京の下町生まれで、女房も昭和12年の東京下町出身だけど、私たちは、『綿あめ』とは言わずに『綿菓子』と言っていた。」

という証言です。東京と一口で言っても、地域によって「綿あめ」「綿菓子」の分布は違ったのかも知れません。

また、24時間テレビ(8月24日)の放送で、山形から空き缶や破れ傘の骨などを使ってミニ蒸気機関車を作ったおじさんを紹介していたのですが、その際に女性アナウンサーが空き缶を見せて、

「これで何ができると思います?」

と聞いたところ、武道館会場にいるメイン司会の徳光和夫さんが、こう言いました。

「綿あめ製造機」

徳光さんは「綿あめ」派なんですね。

2003/8/24
(追記3)

先日、家の近くの京都府八幡市にある石清水八幡宮に行ったところ、境内に露店が出ていました。息子が「買って買って!」とうるさいので買ってしまいました、アレ。ビニール袋に入っていたソレは、
「ワタアメ」
と書かれていました。この業者は「ワタアメ」派なんですね、京都でも。500円でした。

2004/2/2

(追記4)

司馬遼太郎さんの『以下、無用のことながら』(文春文庫、2004,7,10)というエッセイ集の18ページに、その名もズバリ、
「綿菓子」
という短いエッセイが載っています。書き出しは、
「祭礼の境内で、綿菓子が売られている。」
司馬さんは「綿菓子」派だったのですね。ちなみにこのエッセイによると、
「アメリカではバブル経済のことを綿菓子(コットン・キャンディ)というそうである」
と書いてあります。

2004/7/28

(追記5)

近くのスーパーに行ったら、早くも「ひな祭り用のお菓子」を売っていました。その仲に、
「ひなあそび わたがし」
という商品がありました。「わたがし」です。製造元は、愛知県安城市のいずみ製菓という会社でした。

2005/1/24

(追記6)

夏石鈴子(旧・鈴木マキ子)著『新解さんの読み方』(角川文庫)をパラパラッと読み返していたら、ありました、243ページに。新解さんでは、
「綿菓子」
なんですね、見出しは。
「綿菓子」=ざらめを溶かして繊維状に噴出させ、割箸などにからみつかせた綿状の菓子。わたあめ。
としています。とすると山田忠雄さんは「綿菓子」派だったのかな。そして、それについて書いている夏石さんは、
「縁日で綿飴の屋台に、へばりつくようにいつも見ていたけれど、一度も買ってもらったことがない。わたしが食べたことがある綿飴は、(中略)屋台で綿飴を作っているおじさんは、(中略)綿飴を買ってもらえた子供は一番かっこよかった。」
と徹底して「綿飴」と書いているんです。この不整合にはお気づきにならなかったのだろうか。気づいたけど大して気にならなかったのだろうか?

2005/2/15

(追記7)

11月29日、国会で怒鳴っていた、マンション販売会社・ヒューザーの小嶋社長が雑誌『経済界』のインタビューや自伝『ヒューザーのNO1戦略』に書いている中で、
「綿菓子製造機」
という言葉が出てきました。小嶋社長は宮城県出身だそうです。

2005/12/1

(追記8)

2006年1月27日の毎日新聞と日経新聞に、玩具会社のトミーの、
「家庭用 わたあめ製造器」
が、発火のおそれがあるとして2004年・2005年製造の約3万2000台を回収すると発表したという小さな記事が出ていました。表記は、
「わたあめ製造器回収」(毎日)
「綿あめ玩具トミーが自主回収 3万個、発火の可能性」(日経)
商品名は、
「くまのプーさん わたあめポット」
です。ちなみに問い合わせ先は、0120-024-924だそうです。
2006/1/27

(追記9)

『三島由紀夫レター教室』(三島由紀夫、ちくま文庫、180〜181ページ)にこんな一節が載っていました。
「電気アメなんか買って、食べながら歩いたら、ステキだと思います。この手紙を読んでいたら、急に電気アメのあの綿菓子が食べたくてたまらなくなりました。(中略)今度会うときは、ぜひ電気アメをお土産にもってきてください」
これはこの小説の中の登場人物の言葉なのですが、三島由紀夫が使っていた語彙としての「電気アメ」なのでしょうか?そのあたりはよくわかりませんが、三島の作品の中に「電気アメ」が出てきた、ということは間違いありませんね。おそらく1960年代でしょう。
2006/3/27

(追記10)

さだまさしの「案山子」という曲を聴いていたら、歌詞の中に、
「この町を綿菓子に染め抜いた雪が。置きざられて雪をかぶったかかしがひとり。」
という一節がありました。
さだまさしさん長崎出身「綿菓子」派ですね。それはさておき、
「置きざられて」
という言葉はちょっと無理があるなあ。
「置き去りにされて」
ですね。
2006/10/31

(追記11)

2006年11月22日朝日新聞・大阪版の夕刊に、
「縁日のあま〜い人気者は綿菓子?綿あめ?」
という見出しの記事が、書いたのは河合真美江記者です。それによると、西宮市の主婦の方から、
「私は『綿菓子』と言うがテレビの『クレヨンしんちゃん』では『綿あめ』と言っていた。どっちが正しいの?」
という投書をもらったそうです。そこでさっそく、著者の臼井儀人(うすい・よしと)さん(静岡出身)に取材したところ、
「子どものころ、『綿あめ』と言いました。」
とのこと。また、東京出身の河合記者も「綿あめ」派で、母校の東京都北区の滝野川第二小学校の4年生にきいたところ、「綿あめ」派66人、「綿菓子」派19人で、「綿あめ派」が圧勝。一方、大阪市の真田山(さなだやま)小学校の4年生では「綿菓子」80人、「綿あめ」51人で、「綿菓子」派の勝利という結果に。
NHK放送文化研究所の(おなじみ!)塩田雄大(しおだ・たけひろ)さん(37)によると、2003年に1446人について調べたら、「綿菓子」が優勢で西日本に多く、「綿あめ」は東日本中心だった、と。また西日本では世代によっても違い、年齢の高いほど「綿菓子」が多く、若い人には「綿あめ」も広まっていた。これは「テレビの影響でしょうか」と塩田さんは言う。
塩田さんによると1900年ごろパリで売られたという資料があり、外国から日本に入ってきて「cotton candy」と言った。
また、英語を教えているニュージーランド人は、
「candy floss(繭綿(まゆわた))とも言うよ」。
なぜ、綿菓子が西で、綿あめが東に多いのか、塩田さんは、
「東西における、屋台の言葉づかいの違いか、『菓子』と『あめ』への意識の差か?」
と首をひねり、はっきりした答えは見つからなかったとのこと。
洋菓子店「ブールミッシュ」社長でお菓子の歴史にくわしい吉田菊次郎(よしだ・きくじろう)さん(62)は30年ほど前、パリで「綿菓子(綿あめ)」を食べたそうだ。公園やサーカス、メリーゴーラウンドの近くで売っているという。
「呼び方はどうあれ、世界で愛される縁日菓子なんですね」
という吉田さんの言葉で、記事は締めくくられていました。
2006/11/30

(追記12)

近くの駄菓子屋で売っていた綿菓子は、お店が書いた手書きの札に、
「わたがし」
と書かれていました。ところがその商品の袋には、ひらがなで、
「わたあめ」
と書かれていました。商品の製造者は、愛知県豊橋市の太田屋製菓
大阪は「わたがし」だけど、愛知は「わたあめ」なんですかねえ。でも「追記5」で書いた「ひなあそび わたがし」という商品の愛知県のメーカーは「わたがし」だったけどな。製造元は、愛知県安城市の「いずみ製菓」という会社。豊橋市の方が東、安城市の方が西だけど、その距離は直線でおよそ25キロ。ともに「三河」ですよね、昔の国の名前で言えば。この間に「わたがし」と「わたあめ」の境界線は存在するのか?
なんだか「アホ・バカ分布図」みたいなことになってきましたねえ。
2006/12/11

(追記13)

「追記12」に出てきた「わたあめ」の愛知県豊橋市にある「太田屋製菓」に電話しました。
「そちらで出されている商品に『わたあめ』と書いてあったんですが、豊橋では『わたあめ』と言うんでしょうか?」
「いえ、『わたがし』ですね。」
「え!?でも、商品名にひらがなで『わたあめ』と・・」
「たぶんそれは『わたあめちょうだい』という商品だと思いますが、うちで出しているその種類の商品の名前は、ほかはすべて『わたがし』なんです。それで、一つぐらい違うのがあってもいいかな、と思って今回は『わたあめ』にしたんです」
「そうだったんですか!と言うことは、豊橋界隈では、みな『わたがし』と言っていると・・・」
「そうですね。豊橋は『わたがし』が一般的です。地方によって呼び方が違うんですか?」
「そうですね、東日本は『わたあめ』、西日本は『わたがし』の傾向が強いみたいですね。」
「そうだったんですか!知りませんでした。」
とのこと。ついでに安城市の「いずみ製菓」にも電話で聞いたところ、
「このあたりは『わたがし』ですね。「わたあめ」とは言いません。」
ということでした。
ということは、愛知県の豊橋あたりまで「わたがし」文化のようですね。
2006/12/16

(追記14)

8月4日の『ズームイン!SATURDAY』で、女優の工藤静香さんが最近、
「綿あめ製造マシン」
を子供用に買ったところおもしろいので、ついつい、はまってしまったと伝えていました。「綿あめ」でした。
2007/8/4

(追記15)

作家の万城目(マキメ)学の『ザ・万歩計』というエッセイ集の中の「マジカル・ミステリー・ツアー」という項目を読んでいたら、トルコで「ハマム」という蒸し風呂に入った時にの経験が書かれていました。そこに、
「男は綿菓子のように膨らんだ泡をちぎっては私の胸にのせた。」
とありました。万城目さんは「綿菓子」派のようです。奥付によると、万城目さんは大阪府出身、京都大学卒とのことです。
2008/6/8

(追記16)

マンガ週刊誌『ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)で連載されている「とめはねっ!〜鈴里高校書道部」(河合克敏)の第54話「夏の思い出」の中で出てくる曲の歌詞で、
「君は綿菓子買って ご機嫌だけど」
というふうに、
「綿菓子」
が出てきました。大塚 愛の「夏祭り」という曲のようです。大塚 愛さんは関西出身でしたよね。だからやっぱり「綿菓子」か、「綿飴」ではなく。
2009/10/14



◆ことばの話968「1缶か?1本か?」

与党三党は12月12日、当初の増税幅を圧縮して、たばこ1本1円、発泡酒も350ミリリットル1缶あたり10円の増税案を決定しました。
さて、この「発泡酒」の数え方についてSキャスターが、疑問を呈しました。
「発泡酒の数え方はなんでしょう?ひとカン?」
「それでいいんじゃないの?」

と答えた後で、
「あ、やっぱり、1本だよ。缶ビールは"1本"でしょう。」
という会話が。
「でも6缶パックともいいますよ。」
「あ、そうだね。6本パックではないねえ・・・。」

困りました。夕刊各紙を見てみると、

(読売)発泡酒(一缶三百五十ミリ・リットル)
(朝日)発泡酒1缶(350ミリリットル)
(毎日)発泡酒を1缶(350ミリリットル)
(産経)発泡酒(一缶三五○ミリリットル)
(日経)発泡酒にかかる酒税を三百五十ミリリットル缶あたり

ビミョウに各紙は違いますね。数字の表記も含めて。
日本テレビは「1缶」という表現をしていました。
しかしよく考えると、「1本、2本」と数える時は、「発泡酒」の「容器の数」を主眼においていて、しかも容器が細長い形であること。一方、今回の増税では「容器の数」ではなく「容器の中に入っている発泡酒の量=容量」が課税対象になっているので、そういう意味では「1缶、2缶」というのは納得できるわけです。
しかししかし、それは課税する側の論理であって、われわれ消費者側から言うと、買うのは「1本、2本」というふうに買うのですから、そう読んでも良いのじゃないかとも思いました。
夕方の関西ローカルニュース番組「ニューススクランブル」の中では、結局、「たばこは1本」と言ったので、それと区別する意味もあって、
「発泡酒ひとカン」
という原稿の読みになりました。



2002/12/12
(追記)

8月20日の読売新聞で、
「缶酎ハイ2本」
という表記がありました。「缶」に入った「酎ハイ」の数え方は、
「1本、2本」
何ですね。

2003/9/4


◆ことばの話967「フリーター」

失業率が5%を超えたのも定着して、いや、近畿では7%だとか実質は10%だとか、不景気な話ばかりが目につきます。不景気の原因は、不良債権処理が進んでいないからだとか規制緩和が掛け声ばかりだとか、これもいろいろ聞かれますが、失業率の高値安定に関して、最近ふと思い付いたことがあります。それは
「『フリーター』という言葉の定着が、若年層の失業率(「無職率」とでも言った方がいいかもしれませんが)を押し上げる一因になっているのではないか」
ということです。
これまで若者が定職につかずにブラブラしていると、
「はよ、仕事につきや」
と大人達も目配り・気配りをしていたと思いますし、若者の方にも、
「そろそろ真剣に仕事探さなきゃなあ」
という意識があって、無職の状態、アルバイトだけで生きている現状は「仮の姿」であるという認識があったと思います。そういったところに、「フリーター」(当初は「フリー・アルバイター」)という言葉が登場しました。梅花女子大学の米川明彦教授の『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂2002、10、10)によると、「フリー・アルバイター」という言葉が出てきたのは1987年、その翌年の1988年にはもう「フリーター」という言葉に形を変えたようです。
そもそも「フリー・アルバイター」「フリーター」という言葉は、
「定職に就くことが出来なくて、やむなく就いている一時的な労働者である形態としての“アルバイト”」
という言葉があり、それを嫌って
「世間から見たら“アルバイト”と同じように見えるかもしれないけど、俺はやむなくアルバイトをしているんじゃないんだ、自ら進んでこの仕事の形態を選んだんだ!」
という意思表示としての「フリーター」という言葉が出てきたのです。「フリー」ということに誇りを感じていたのです。
しかし、時が流れて、新語・流行語だった「フリーター」が、10年後には岩波の『広辞苑・第五版』に採用されるまでに浸透・定着しました。それによって、世間の大人達の「フリーター」の若者を見る目が変わりました。つまり「認知」されたのです。
世間から認知されることによって、「フリーター」であることの「誇り」の裏返しとしての「うしろめたさ」がなくなりました。それが「定職につかない若者」を増やす要因になっているのではないか、ということなんです。つまり、今の「高失業率」が出て来たバックグラウンドは、14年ぐらい前にその萌芽が見られたのではないかということです。
もちろん、それがすべての原因とは思いませんが、心理的な要因は大きいのではないでしょうか。また、言葉というものが規定する実体は、言葉によって大きな影響を受けるということなのではないかなあ、と考えています。


2002/12/20

(追記)

中尊寺ゆつこ『ていうか経済ってムズカシイじゃないですか』(日本経済新聞社2001、10、15)の62ページに、こんな会話が。

オヤジ いつまでフリーターでいる気だ!?」
フリーター「一応定年までね。あとはインキョ。」
※フリーターの定年=34歳
オヤジ 「そんなのありか〜。ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ〜っ」
フリーター「フリーター150万人は今や社会現象さ。」
蘭子課長「確かにネ!フリーターという安価な労働力がなかったら日本の経済は成立しないからね。」
フリーター「えらそーに。あんた資本家なの?フリーターは『生き方』なんだ!金も権力もカンケーない!自由なんだよ〜。」

という漫画が載っていました。そして、その欄外に
「厚生労働省はフリーターの定年を34歳と発表した。定年後は親に貯めておいてもらったお年玉年金で暮らす。」
とあります。なるほどーと思いながらも、どこまでホントなのかな・・・。

2002/12/24


◆ことばの話966「ハリケンジャーと仮面ライダー龍騎」

土日の休みは、5歳の子供のお相手。レンタルビデオショップで「仮面ライダー龍騎」のビデオを借りてきて初めて見ました。
よその局の、しかも子供向け番組なので見たことがなかったのですが、キャラクター商品で「龍騎」の絵の入ったTシャツなどはいつも子供が着ているので目にしていました。
思えば最初に「仮面ライダー」を目にしたのは確か小学校4年生の頃、あれから30数年が・・・。「ライダースナック」を買っては中のカードを集めたなあ、アルバムに入れて交換したり。なんだ「遊戯王」みたいなことは30年前にもやっていたんだ。などと思いながら、この「仮面ライダー龍騎」を見ると、これがなかなか今風で、内容も複雑なのです!
ご存知の方には説明の必要はないのですが、初めて見た私にとっては、
「どうやってライダーに変身するのか」
がまず問題。どうも見ていると、あるカードを取り出してそれを鏡やガラスのように、自分の姿が映るものに映すと変身できるようなのです。そして変身したライダーは、その鏡の中のアベコベの世界の中に入って行ける。(「ミラーワールド」というらしいです。昔「ミラーマン」というのもありましたね。似てるのかな。)その鏡の世界から、怪人が登場します。その上どうも「ライダー」は一人ではなく何人もいて(8人くらいか。まだ姿を現わさないライダーもいる)、そのライダー同士は仲間ではなく、ライバルというか敵(かたき)のような感じなのです。つまり、一人のライダーは、「怪人」という敵と他のライダーという「別の敵がいる」、しかも怪人は絶対的な「敵」なので、それを倒すためには時としてライダー同士で手を組むこともあるという、大変ややこしい関係なのです。こんなにややこしい情勢・関係がきっちり分って見ている子供たちは、きっと大きくなっても「複雑な国際情勢」を理解するのは簡単だろうなあと思いました。
それと、鏡の中のアベコベの世界というのは、まさに今はやりの「バーチャル=仮想現実」の世界のように思えました。その仮想現実と現実の境目がつかないような混沌とした現代ということも、この「龍騎」は現しているのではないか、と思いました。まさに現代的、21世紀的な番組です。
この「仮面ライダー龍騎」、たしかテレビ朝日系列で日曜日の朝8時くらいから放送していますが、昔の「ライダー」は毎日放送ではなかったかな、と思った時、「そうか、昔は系列のねじれがあったから、毎日放送=NET(今のテレビ朝日)、朝日放送=TBSという系列だったんだ!」ということを思い出しました。そのねじれの解消を図ったのは郵政大臣当時の故・田中角栄です。当時はもちろん、そんなことは知りませんでしたが。

その翌日、近くのショッピングセンターに今度は「忍風戦隊・ハリケンジャー」がやって来ました。(これもテレ朝系。どうやら仮面ライダー龍騎の前の時間帯にやっているらしい。)そのショーを子供にせがまれて見に行きました。これも名前聞いたことはありましたが、よく内容を知らなかったのですが、その名前から想像して、
「昔の“ゴレンジャー”みたいなものだろう」
と思っていました。その予想はほぼ当たりました。ショーを見ていると、赤・青・黄色の3人のちょっとチビッ子っぽい「ハリケンジャー」がいて、その兄貴分のような少し体格の大きな「カブトライジャー」「クワガライジャー」とかいうのがいて、悪者をやっつけるというスタイル。(ゴレンジャーではありません。はっきり言って、「仮面ライダー龍騎」より内容は単純です。善悪がハッキリしています。その分、対象年齢が低いのではないでしょうか。そして「ハリケンジャー」も「ゴーライジャー」も「忍者のような身なり」で刀を背負っています。その「戦闘シーン」を見ていると、
「ああ、これは時代劇だな。」
と思いました。「戦闘シーン」は「立ち回り」です。
ただ、「あれ?」と思ったのは、「ハリケンジャー」3人の衣装の色と性別の関係です。昔の「ゴレンジャー」では、女性は「ピンク」の衣装を身につけて「モモレンジャー」とか言っていたのですが、このハリケンジャーの中の女性は「水色(青)」の衣装を身にまとっているのです。名前は「ハリケンブルー」だって。これは「ピンクは女の色」のように「色と性別の関係を固定的に捉える」ことへのジェンダー論者からの批判的な意見に配慮したのかも知れません。ランドセルの色が「男は黒(または青)、女は赤」と固定的だったことを思い起こさせます。別に男の人も「赤い服」は着るのですが、あまり「赤いかばん」は持たないとか。いまだにその名残なのか、「傘」に関してはそういった傾向が残っていますね。「赤い傘」をさした男の人というのはあまり見かけません。男性が赤い傘をさしていると、
「お!昨日の晩、女のところに泊ったの?」
と聞かれます。私も一時期、試しに「赤い傘」をさしていたことがあったのですが、よく、そう言われました。子供向けの番組でもそういった事への配慮が現われているのだろうと推測しました。
また、「正義の味方」のメンバーの構成も、昔のように単純に「5人並んでゴレンジャー」と横一列ではなく重層的です。主人公は「ジュニア」にあたる「ハリケンジャー」とその兄貴分にあたる2人が正義の味方。小学生と中学生のような感じで互いに張り合います。このあたり、最近の芸能界でのジャニーズのグループのような感じ。SMAPがあってTOKIOとかV6とかがあるような(そのへんまでしか知りませんが)、そんな感じなんでしょうかね。影響を受けているのかもしれません。
子供はハリケンジャーショーを夢中になって見ていましたが、私は、そんなことを考えながら見ていたので、それはそれで、結構楽しめたのでした。

2002/12/20

(追記)

外国で放送する分の「ゴレンジャー」は「タイムレンジャー」という名前だったそうです。それと「ハリケンジャー」の見栄の切り方は、歌舞伎と同じでした。

2002/12/26
(追記)

2003年1月5日の日経新聞「SUNDAY NIKKEI」欄「あとがきのあと」というコラムで「特撮黙示録1995−2001」という本を紹介していました。著者は「サブカルチャーの分析力に定評のある人気評論家」の切通理作(きりどおし・りさく)氏。1964年生まれだそうです。うちの弟と一緒だ。まあ、同世代ですね。
その切通氏は著作の中で、「初期のゴジラやウルトラマン井は戦争の記憶、高度成長、開発のイメージが投影されていた」が、戦争が風化し開発も常態化した1980年代に怪獣映画はリアリティーを失ったと述べているそうです。そして90年代はヒーローが世界を救うという希望も描かれたが、「むしろ21世紀に入って世紀末ムードが濃くなった」とみているそうです。
「例えば最新版の『仮面ライダー』は、一人のヒーローが悪を倒すのではなく、十三人の仮面ライダーが生き残りをかけて互いに戦う。『競争社会の現実をそのまま描いている』
と指摘する。」

とあります。おお、これこれ、そうなのよ。やっぱり時代が投影されているんだよね。ハリケンジャーより龍騎のほうが、よりその傾向が強いような気がします。
それを見て育つ、私たちの子供の世代は、20年後30年後に、どんな世界、どんな日本を築いてくれるのでしょうか。楽しいような、恐いような。ドキドキしちゃう、わたしの胸。(後半は山本リンダ調で。)

2003/1/14