◆ことばの話935「ふしだらとだらしない」

ひょんなことから、



「ふしだらな」



という言葉を耳にしました。誰とは言いませんが、ケータイに女子大生から送られてきた画像を貼りつけていた人に対して、ある女性からの一言です。その是非はさて置き、それを聞いてあれ?と思ったのは、



「『だらしない』という言葉は『しだらない』という言葉の音韻転換で定着したと聞いたことがあるが、この『ふしだら』という言葉は、『ふし・だら』ではなく、『ふ・しだら』なのではないか?そうすると『不しだら』なので"『しだら』ではない"という意味なのではないか?」



ということでした。
こうなると調べなくてはならないのは、「しだら」の意味ですね。こういう時は、やはり『日本国語大辞典』でしょう。まずは「ふしだら」から見ていきましょう。



「ふしだら」(1)しまりのないこと。だらしのないこと。また、そのさま。(2)品行の悪いこと。素行のおさまらないさま。また、その品行。



用例として出ているものは、「不仕鱈」という宛て字や「不行跡」と書いてルビを「ふしだら」と宛てていました。そして「語源説」として、
「フは不の義。シダラは梵語sutra(修多羅)から」
と、荒川惣兵衛の「外来語辞典」
から引いていました。やっぱり!想像どおりだ。
中村元編『仏教語散策』(東京書籍1987)によると、「スートラ」というのは「経(きょう)」のこと。普通の意味は「糸」なんだそうです。芥川の『蜘蛛の糸』と関係あるのかも。「ひも」という意味もあり、つなぎあわせる糸ということのようです。そこから「簡単な規則」という意味もあって、そこから古くは祭式の方法を規定する要綱書がスートラと呼ばれたそうです。一報、「経」という漢字の意味は「たて糸」。これが「すじみち」とか「ことわり」の意味となり、「すじみち」を記した人々の規範となるという意味で「聖人が述作した書物」のことを 指すようになったのだといいます。うーん、奥が深い。



続いて「しだら」を引きました。「しだら」は、二つ見出しが立ててあって、一つは、



(1)1、事の成り行き。事情。2、好ましくない状況。ひどいありさま。ていたらく。ざま。3、好ましくないふるまい。ひどい行状。
こちらの成句には「しだらがない」が載っていて、「しだらないに同じ」とも記されています。もう一つの「しだら」は、



(2)(「したら」とも)1、歌や舞などに合わせて手を打つこと。手拍子。また、それをする人。(以下略)



手拍子も「しだら」と言うのですね。
どうやら(1)の方みたい。「しだらない」を見てみましょう。



「しだらない」=行ないや状態に締まりがない。乱雑で秩序がない。だらしがない。しだらがない。
たくさんの例文が載っています。そして、「補注」として、(1)「しだら」の語源については、挙例の「嬉遊笑覧」の「じだらく(自堕落)」からという説のほか、梵語の「修多羅」(秩序の意)からという説もあるが、擬態語「しどろ」と関係があると見るのが穏当か。とすると、「しだらない」の「ない」は、否定の「ない」ではなく、「はしたない」「しどけない」などの接尾語「ない」と同様ということになる(2)同義の「だらしない」は「しだらない」が倒置された語と考えられ、現代まで併用されている。

とありました。



あれま。「しだらない」は「しだら」が「ない」のではないのか。形容詞の語尾の「ない」ですか。そりゃ「ない」よ。
そうすると、「ふしだら」と「しだらない」は関係ないことになってしまいます。でも関係があるという説もあるということで。私は、「穏当でない方の意見」を支持しますか。



2002/12/1

(追記)

堀井令以知『ことばの由来』(岩波新書、2005、3、10)の182ページに、『「だらしない」と「ふしだら」』が取り上げられていました。それによると、
『「ダラシ」は、手拍子のことをいうシダラが転じたとする説がある』
と記されています。また、
『サンスクリット語のスートラ(sutra
 修多羅)からとの説もある。また「自堕落」が転じてシダラとなったと見る説もある。しかし、シダラとその倒語であるダラシは、「締まり」のことであると見るのがよい。節度がない、また体力がなくて弱々しいのがダラシナイなのである。』
と堀井先生は書いてらっしゃいます。

2005/6/23



◆ことばの話934「シャンパン」

11月の第3木曜日の21日、今年も世界で一番早くこの日本で、ボジョレ・ヌーボーが解禁となりました。11月22日の日経新聞のコラム「春秋」によると、解禁日が11月の第3木曜日に決まったのは1985年だそうです。第一次ヌーボーブームの頃ですね。意外と最近なんだ。そして日本は昨年、ついにドイツを抜いて世界一のヌーボー輸入国となったそうで、フランス国内のヌーボー消費の実に4分の1を日本人が消費しているそうです。スゴイ。
数年前からヌーボーのビンが「緑から透明」になったのも、実は、ヌーボーの緑のビンがあまりにも大量に日本で消費されるのですが、緑のガラスはリサイクルしにくいので、すぐに消費される日本向けのヌーボーに限って、「リサイクル(再利用)しやすい透明なビンにすることになった」のです。そんなことも考えながら飲んだ今年のヌーボー、ジョルジョ・デュビュッフのおなじみの派手なラベルのヌーボーでしたが、香りが良くておいしかったです。



その解禁日の21日の朝日新聞朝刊に面白い記事が載っていました。



「スイス・シャンパーニュ村 地元『シャンパン』守れ〜同じ発音の仏産巡り法廷闘争」
なになに?記事によると、フランスの有名なシャンパンはシャンパーニュ地方で作ったものしか、その名を名乗ってはいけないことになっているのですが、フランスではなく、なんとスイスにも「シャンパーニュ村」という名前の人口わずか700人の村があって、そこでは村の人たち用に白ワインを生産しているというのです。ところが、フランスのシャンパーニュが「シャンパーニュの名前の使用は、フランス以外、まかりならん」と言い出し、スイス政府もEUと結んだ貿易協定の中で2004年6月以降、「シャンパン」表示を止めることを受け入れたため、「スイス政府は、航空権益とシャンパンの名を取り引きした」(地元シャンパーニュ村の元村長)「そりゃないだろ!」とスイス・シャンパーニュ村の人たちが反発、スイス政府と欧州連合(EU)相手に欧州司法裁判所に提訴したのだそうです。
スイスのシャンパーニュ村のジルベール・ギユさん(56)は「フランスのシャンパンはせいぜい数百年の歴史。こちらは1千年以上だから比較にならない。相手がいくら巨人でも、われわれを踏み潰すことは許さない。」と怒りをあらわにしていたそうです。
この記事には、「シャンパン」以外にも最近EUが名称の保護を強化しているものとして、
「パルマハム」「カマンベールチーズ」「スコッチウイスキー」「ボルドーワイン」がイラスト付きで紹介されていて、どれも現地産以外は、その名の表示は許されません。どういう表示なら良いのか、だめなのかというと、



×パルマハム ○日本産パルマ風ハム
×カマンベールチーズ ○日本産チーズ カマンベール風
×スコッチウイスキー ×日本産スコッチ風ウイスキー
×ボルドーワイン ×日本産ワインボルドー風
×シャンパン風 ×日本産シャンパン



だそうです。
確かに「○○風」とか名乗って、その実、全然「○○」に近くないものもあるし、せっかく定着させたブランドイメージに「ただ乗り」されるのはイヤだろうけれど、このシャンパーニュ村の場合は、ちょっと事情を配慮しなきゃならないのではないでしょうか?
全然話は変わりますが、今日、テレビの中で小学生(?か、中学生)に「講談」のイメージについてインタビューしていたシーンがあって、その子供は、



「和風的な感じ」



と答えていました。ずいぶんまあ、ぼやかしたこと。そう言えばYアナが「和チック」という言葉を使ったこともあったな。「平成ことば事情521」。去年の12月の出来事でした。



2002/12/1




(追記)



11月6日の読売新聞のスクラップが出てきました見出しは、
「インドカレー、ブルガリアヨーグルト、現地産以外ダメ〜EU提案『地域名使用ルール厳格化』」



ああ、やはりEUはこのところ、そういう動きを強めていたのですね。記事によると、



「世界貿易機関(WTO)の新ラウンド(多角的貿易交渉)で、欧州連合(EU)が、世界各地で販売される各種商品の名前に生産地を使う際のルールを厳しくするよう提案したことが五日わかった。提案が実現すれば、原産地と異なる地域名を商品に付けることは許されなくなり、インドで実際に作ったカレーでなければ『インドカレー』といった商品名を付けられなくなる。」



とあります。ええ!インドカレーも!この前、出張で行った鹿児島の繁華街・天文館にはインド人3人が等身大で写った「インド人もびっくり!」というキャプション付きのカレー屋さんの広告看板があったけど、あれもアカンようになるのか??そんな殺生な!
産地ブランドを守るのも大切ですが、いくらなんでも・・・という気がしないでもありませんね。



2002/12/4


◆ことばの話933「患者様2」

3年前、当時2歳の長男が入院した時のことを「ことばの話(平成ことば事情の前身)28患者様」に書きました。あれからもう3年かぁ。
今度は妻が骨折しました。足の小指の付け根を。それに付き添って病院に行って気付いたことを記しますね。
あの時に病院の受付の呼び出しが「○○様!」と患者の名前に「様」を付けて読んでいたので、それまで「○○さん」という呼び名に慣れていた私は、「いつのまにこんなに丁寧な呼び方になったのだろう?」と驚いたのでした。その話を聞いたある人は「言葉はタダだからね。」と皮肉な感想を漏らしたのでしたが、実際言い方を変えるだけなら、コストはゼロですからね。
今回も(前回と別の病院ですが)やはり、



「道浦様」



というふうに「様」付きで呼ばれていたのですが、もう驚きません、私も。しかし、受付は「様」付けで呼んでいたのですが、奥にある「中待合室」とでも言うべきところから聞こえてきた女性看護師(つまり看護婦)の声は、



「○○さーん、中までお入りください。」



と「さん」付けだったのです。つまり。お金を頂く(患者は支払う)「受付」では「様」付けで呼んでいるものの、診察をしている医師や看護師は「様」は使わずに「さん」付けだと、そういう事ですね。上下関係が透けて見えるような。
そんな事を隣で順番を待っていた妻に話したところ、



「でも最近は、名前で呼ばない病院も増えたのよ。」



とのこと。彼女は仕事で病院を回ったりしているので、こういった事情には詳しいのです。



「どうして?じゃあ、どうやって呼ぶの?」



と聞くと、



「銀行のように順番札を渡して、番号で呼ぶの。やっぱり、プライバシーの保護を考えて、ということじゃない。」



ということでした。それ以上は聞かなかったのですが、住基ネットで国民総背番号化の中で、病院でも番号で呼ばれるようになってきているのですね。
でも、その番号には「さん」が付くのでしょうか?それとも「様」が付くのでしょうか?それとも呼び捨て?囚人みたい。
「25番さん」は、まだ親しみやすいけど「25番様」は、なんか違和感があるな。
どうなんでしょうかね??

2002/12/1

(追記)
その後、読売新聞の「日本語の現場」でも取り上げられた「患者様」ですが、2004年8月29日の日経新聞のサンデーα紙面、「患者の目」というコラムで、作家で倫理学者でもあるという波多江信子さんは、
「『患者さま』と呼ばないで」
というタイトルで、この問題を取り上げています。
波多江さんは「患者さま」でなく「患者さん」で十分だと思っていて、
「『お客さま』と違って『患者』に『さま』は似合わない」
と書いています。私もそう思います。
「とってつけたような敬称なので、逆に慇懃無礼な感じがする」
そのとおりですよね。言い方よりも、診察内容、インフォームド・コンセントに力を入れて欲しいものですね。

2004/9/5




◆ことばの話932「重いと重たい」



前々から気になっていたことの一つに、「重い」と「重たい」の違いがあります。一体どちらが「重い」のか。
自分の感覚でも周囲の人に聞いても、



「『重たい』の方が重い」



と思います。つまり、
「重たい」>「重い」
という関係。似た言葉には、「眠い・眠たい」があります。これも「眠たい」の方がより主観が入っている感じがして、その分「主張する内容が強い」ように感じます。
「重たい」「眠たい」以外にどんな仲間の言葉があるのだろうか?「○○たい」という形ですね。ほかにもあるのかな。
言わない言葉は「軽たい」「早たい」「遅たい」など。「○○たい」の言葉は少ないのか?『逆引き広辞苑』の登場ですね。
「たい」だから「いた」の見出しで見たら・・・ありました。



「たい」形容詞をつくる接尾語。
厚ぼったい、薄っぺたい、後ろめたい、おめでたい、重たい、くすぐったい、口幅ったい、じれったい、冷たい、つべたい、睡(ねぶ)たい、眠たい、はばったい、腫れぼったい、平たい、平べったい、めでたい、野暮ったい



以上、18語しか載っていませんでした。
形容詞をつくる接尾語ですか、「たい」は。それでは『日本国語大辞典』で「たい」を引いてみましょう。



「たい」
(文)たし((活用は形容詞ク活用型。「いたし」(痛・甚)の頭母音が脱落したものか))名詞・動詞の連用形など、体言に準ずる語に付いて、形容詞をつくる。その事のはなはだしい意を表すという。「めでたい」「うしろめたい」「うれたし」「こちたし」「らうたし」「あきたし」など。また、「はなはだしい」の意味が薄れて、そのような状態であることを表すようにもなる。「けぶたし」「つめたい」など。



とありました。
でも「重たい」はあるのに、なぜ「軽たい」はないんだろうか?
『逆引き広辞苑』に出ていた18語のうち、「重たい」「眠たい」のたぐいと思われるのは、「厚ぼったい」「睡たい」「腫れぼったい」「平べったい」あたりでしょうか。自分の体に密着したような語ですよね。それと「○○たい」の「○○」と「たい」の間に「ぼっ」「っぺ」「ぐっ」「べっ」のように小さい「っ」が入るものもありますが、それは「ぐっすり」「たっぷり」の「っ」と同じく、強調の意味を表しているのではないかと思います。
比較的、語の数が少ないので、これらの語は特別なんでしょうかね。
なんにせよ、より強調する場合に「眠たい」「重たい」を使うようにします。



2002/11/28


◆ことばの話931「続・1尾か1匹か1盃か?」

「平成ことば事情917の「1尾か1匹か1盃か?」を読んで早稲田大学講師の飯間浩明さんからメールが届きました。



「2002年10月24日の朝日新聞(東京版)の読者からの投書欄『声』で、横浜市の午頭志穂さん(13歳)という女子中学生から『放送で使って 正しい日本語』という投書があり、そこで『寿司は1カン、マグロは1尾と数えよ』という趣旨の投書が載っていた」そうです。(いかにもタコにも新聞が載せそうな投書ですが)。



なんでもテレビのリポーターが、お寿司を「1ついくらですか?」「マグロは1匹の重さはいくらなのですか」と聞いていたことに対して、抗議(?)しているのだそうです。本当にこの志穂ちゃんは13歳?おそろしくも頼もしい・・・。



まあ、いいですけど。



ところで、昨日(11月25日)、神戸の三宮に取材で行った帰りに、牛丼の吉野家で昼飯を食べていた時でした。牛丼1杯280円。安いよなあ、昔よりおいしくなってるよなあと思いながらメシをかっ込んでいると、隣の人が、牛丼の「並み」と「生卵」と「味噌汁」を注文しました。それを受けて、アルバイトとおぼしき女性店員が奥に向かって、



「並み1丁、タマゴ1個、味噌汁1杯!」




と叫んだのです。それを聞いて私は感激しました。というのも、



3つのオーダーに使われた助数詞がすべて違うのに、それを彼女はちゃんと使い分けていた
のですから。



ハンバーガー屋さんならおそらく全部「One(ワン)」という助数詞のつかない英語で済ましていたことでしょう。しかしこれは、ある意味で非合理的ではないか。それぞれのオーダーに異なる助数詞を用いるのは面倒だし、彼女の思考回路に余分な負担を強いているのではないのだろうか。



そういう事を後輩のHアナに言ったところ、彼曰く、



「何を言っているんですか。これは大変合理的ですよ。なぜなら、ゴタゴタ・ゴチャゴチャしてうるさい店の中で、なんの注文かハッキリ聞き取れなかったとしても、助数詞を聞けば、『あ、牛丼の並みだな』『味噌汁だな』と判断できるのですから、非常に合理的ですよ。」



なるほど、そうだったのか!納得しました。



2002/11/26