◆ことばの話905「遊べません」

10月22日、京都の小学校の敷地内で、教師が運転した自動車に一輪車に乗った自動車が引かれて重傷を負う事故がありました。
テレビニュースで見たその駐車場には、こんな看板が立っていました。
「ここから向こうで遊びません」
なんかヘンな文章です。これによく似た雰囲気の看板の文字としてJR京橋駅の周辺に、
「諸車おけません」
という看板がいくつもあって、これもなんかヘンだなと思っていたのですが、この「ここから向こうは遊びません」はそれよりヘンです。
「ここから向こうでは遊べません」
ならまだ分るんですが。「は」があるかないか、そして「び」と「べ」の違い。あ、もしかしたら、
「ここから向こうでよい子は遊びません」
という文章の「よい子」が省略されているのかもしれませんね。
こういった文章は、当然、対象は「こどもたち」でしょうから、その子供に意味が分る文章を書かないと、意図が通じないばかりか、馬鹿にされるのではないでしょうか?なんて思うのは私だけかな。
もしこの看板の意図がちゃんと通じていたら、事故は起きなかったのではないかな、とも思いました。

2002/11/1



◆ことばの話904「喫緊」

先日の関西地区用語懇談会で、
「最近、官庁発表用語をそのまま記事にしてくる若い記者が増えている」
というご指摘がありました。具体例として挙げられた言葉が

「喫緊」

でした。「きっきん」。意味は、「さし迫った、緊急の」いう事です。でも普通、話し言葉では使いませんよね。私も初めて目にした言葉でした。
そう思っていたら、今日(10月29日)の夜7時のNHKニュースで出てきました。発言者は、扇千景・国土交通大臣。都内の喘息患者ら99人が22億円の損害内証と汚染物質の排出差し止めを求めた東京大気汚染訴訟で、東京地裁の判決に関してのコメント、インタビューで、下記のようなものでした。

「道路環境の整備は、喫緊の課題と認識している」

同じく29日の読売新聞夕刊(大阪版)では、扇大臣のコメントは、次のように書かれています。

「損害賠償の一部が認められ、国にとっては非常に厳しい。訴訟の背景となっている大気環境の現状を踏まえ、早急に総合的な施策を取りまとめた」

「喫緊」ではなく「早急に」を使っていますね。

それにしても「きっきん」なんて言われて、分ったようにうなずくのは、いかがなものかと。「近々」を「きんきん」と言うのもなんだかな。「○○を担保する」も好かない。
簡単なこと難しく言う人は、何かを誤魔化そうとしているか、自分を偉く見せようとしているか、あるいは、聞く相手のことを考えていないか、ではないでしょうか。

2002/10/29



◆ことばの話903「育爺」

10月23日の日経新聞夕刊を読んでいたら、「生活」欄でこんあき時を見つけました。

「われら"育爺"リタイアしたら孫育て」

ホオ、"育爺"。初めて目にしました。記事を読んでみると、

「定年後、働く娘の育児を手伝う男性が目立ち始めた。孫の保育園のお迎えやベビーシッター役を担い、家族の中に仕事に変わる生きがいを見出しつつあるようだ。"塩爺(しおじい)"ならぬ"育爺"たちの奮戦ぶりを追った」

とあります。記事の中に出てくる、中空瑞(みずき)ちゃんの祖父・喜彦さん(66)は、自らを「保育士」ならぬ「保爺」(ほじい・・・ですかね?)と読んでいるそうで、一年間の育児記録を本にまとめてこの夏、自費出版したほどだというからスゴイものです。喜彦さんは、「単なる守り役ではなく、人間を育てているとの自負がある」んだそうです。恐れ入りました。
記事のもう一つの見出しは、

「『働く娘を助けたい』家庭で役割、生きがいに」

です。この「育爺」という言葉は、この記事を書いた記者の造語なのでしょうかね?辞書には載ってないよな。またインターネット検索をしてみましょう。Googleで・・・11件出てきましたが、そのうち7件は中国語のホームページ。日本語のものは4件で、そのうち2件はこの日経の記事関連なので、独自に「育爺」を使っている例は日経以外には2件だけでした。ということは、マスコミ的には日経の「造語」「新語」と言ってもいいのではないでしょうか。
塩川財務大臣を"塩爺"と呼んだのは、元々は宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」に出てくる「釜爺(かまじい)」を倣ったのでしょうが、その影響がこんなところまで・・・と見る事が出来るでしょう。
実際、うちの父も、時々孫の保育園の送り迎えをやってくれます。もちろんそれだけが楽しみという訳ではないのですが。
「育爺」、今後増えるかもしれませんね。
その点、おばあさんははい間々でもそうやって着たのに、全然取り上げられないので、ちょっと不公平かな?でも「育婆」なんて、あまり響きが良くないですよね。
いない、いない、婆。

2002/10/31



◆ことばの話902「おニュー」

京阪電車の京橋駅の駅ビルが10月4日に改修工事を終え、リニューアル・オープンしました。なんかピカピカになった感じです。
その駅のプラットホームに、リニューアル・オープンを告げる広告が出ていました。その文句が、

「おニューに、生きよう!」

でした。「おニュー」って・・・古くない?子供の頃に両親が使うのを聞いて覚えた言葉ですから、きっと発祥は昭和20年代以前では?
古い言葉がかえって新しく感じられるということでしょうか?アルバイトの20代の女性に、「おニュー」を使うか聞いてみました。すると、

「使うこともあるがあまり使わない。」

という答えでした。同じく20代の男性の後輩に聞くと、

「死語でしょうねえ」

とのこと。

「じゃあ、同じく死語の『ナウい』と比べたらどう?」

と聞いたところ、

「『 ナウい』はまったく使わないが、『おニュー』はたまに使う」

とのことでした。
「ナウい」は、英語の「ナウ」に「い」を付けて活用できるような形容詞にしていますが、「おニュー」は「ニュー」という英語の形容詞に丁寧な「お」を付けて名詞にしています。品詞は違いますが「おビール」のようなものでしょうか。英語の形容詞に「お」を付けてみると、「おレッド」「おワイド」「おナーバス」「おハイ」「おディープ」など、どれも見たことも聞いたこともないものになります。「おニュー」は何かかわいらしさがありますよね。「にゅう」という拗音がかわいらしいいのかな。
インターネット検索のGoogleで「おニュー」は、1万8300件使われていました。

2002/10/24


◆ことばの話901「死体と遺体」

関西地区の用語懇談会で共同通信のNさんから、こんな話が出ました。

「僕らは、身元不明の場合は『死体』、身元が分っている時には『遺体』と使い分けるように教わったけれども、最近は『身元不明の遺体』という表現や『バラバラ遺体』 なんて表現をよく見かける。区別はどうなっているのか。」

と言うのです。各委員からも「そう言えばそうだ」とか「罪名の『死体遺棄』だけが『死体』であとは『遺体』」「いや、若い記者では『遺体遺棄』なんて書いてくるのもいる」なんて意見が出ました。また「最近は『死体』という言葉を避けている傾向があるようだ」と読売新聞の委員からの意見も出ました。

恥ずかしながら私はNさんからこの話題が出るまで、死体と遺体の区別について、あまり考えたことがありませんでした。
新聞協会用語懇談会放送分科会で出している「放送で使う言葉〜増補版〜」の66ページにも、実はこれに関する記述がありました。

「死体」と「遺体」

「この事故で、現場に死体が残されており〜」の例で、「死体」は生々し過ぎるのではないかとの指摘があった。山の遭難とか誘拐事件とか、一般に身元が分っている人が死体で見つかったときには「遺体」がふさわしい。「死体」に比べると「遺体」はやや丁寧な言葉で、死者に対する心づかいが込められていると思われるからだ。一方「死体」には「物」のニュアンスがあり、指摘のとおり生々しい感じもする。しかし、戦場に散らばった死体や身元不明の変死体などでは「死体」のほうが適切な場合もありそうだ。

これが書かれたのが、1995年の6月。その頃からもう、問題になっていたのですね。全然気付かなかったぁ。

と思っていたら、会議の翌々日10月27日のTBSのお昼のニュース
「長野県更埴(こうしょく)市で女性の遺体が見つかった死体遺棄事件で・・・」
というのを耳にしました。身元不明なのに「遺体」を使ってました。
そして昨日(10月29日)の夜勤の「今日の出来事」で読んだニュース原稿では、
「大阪市住之江区の運河で見つかった遺体は、司法解剖の結果、60歳くらいの男性で、死後、1か月ほど経っていることがわかりました。」
「木津川河口近くの運河で、スポーツバッグに入れられた遺体が見つかったものです。」
「遺体は、身長170センチぐらいで・・・」
「遺体は全裸の状態でしたが・・・」

と「遺体」づくし。なんだ、うちでももう使ってんじゃん。
この日の「報道泊まりデスク」に聞いたところ、
「やはり『死体』はきつい感じがして使いにくい」
ということでした。「遺体」に「したい」そうです。「死体」は「いたい」のでしょうか。
今後も「死体」は避けられるのでしょうね。
21世紀になっても「死」は忌み言葉なのですね。

2002/10/30

(追記)

10月31日の毎日新聞朝刊に、まさに私が読んだのと同じ住之江区の男性の死体の記事が載っていましたが、その記事の中でも、

「大阪市住之江区の運河で、バッグに詰められた男性の遺体が見つかった事件で・・・」

と「遺体」を使っていました。その他にも、

「遺体の切断」「遺体が見つかった運河」
と2回「遺体」は出てきますが、「死体」は1回も出てきませんでした。

2002/10/31

(追記2)

2006年1月20日、「ことばをめぐるひとりごと」でYeemarさんが、NHKエンタープライズが1990年前後に発売した「NHK THE NEWS」というビデオの一揃いを紹介しています。これはNHKのテレビ放送が始まった1953年以降、毎年の重要ニュースを、1年につき1巻ごとにまとめたものだそうです。そんなものまで持ってらっしゃるんだ、Yeemarさんは。で、
『古いニュースを改めて見てみると、さすがは半世紀以上前のニュースで、アナウンサーのことばが今とはかなり違っています。』
として皇室に対する言葉遣いなどを紹介してらっしゃいますが、私が目に付いたのは、
「ふつうの人々に対することばは、乱暴なものがときどきあります」
ということで、
「この水禍で、濁流の犠牲となった人々の死体が運び出されています。そのほとんどが、裸同様の姿というのも、今度の水害がいかに急であったかを物語っています。〔1953年〕」
というところ。Yeemarさんは、
『今ならば「遺体」というはずです。別のニュースでは、たとえば洞爺丸の遭難の報道で「変わり果てた死体も続々引き揚げられ」〔1954年〕のように、「死体」がごくふつうに使われています。」
と指摘されています。時代とともに、間違いなくことばは変っていますねえ。

2006/1/24