◆ことばの話860「世界カン」

平成ことば807「価値と価値カン」で書いたように「カン」を「観」ではなく「感」だと思っている人が出てきているという話、国語学者の大野晋さんも同じようなことを体験しているようです。大野さんの最新刊「日本語の教室」(岩波新書・2002・9・20)を読んでいるとそんな記述(205ページ)が出てきました。



「世界観」という言葉があります。これはドイツ語のWeltanschauungの訳語です。Weltは世界、anschauungはanschauenという動詞の名詞形で、「じっと見ること」です。
anschauenはanとschauenの複合語で、anはそこにじっと着いていることを表しますから、schauen(見る)と組んで、じっと全体をみることです。(中略)ところが学生は「世界カン」と聞いて、およそは「世界を見る見方」くらいの意味であることは分るようです。しかしそれを書くとなると「世界感」と書くことが多い。私は何回も実例に出会いました。彼らは「世界観」と馴染まない。学生たちには「観」という言葉の意味はしっかり認識できないのです。(中略)それを「世界感」と書くのは、日本人が感じることに傾いていて、物を鮮明に、組織的に見比べてよく見ると言う行為を一般に得意としていないことつまりロゴス的思考、ロゴス的方法の欠乏を反映しています。



そうでしょ、やっぱり!「わが意を得たり」という感じです。
物事をよく見て考えるよりも、感じる=フィーリングを重視する人間が増えていることが、漢字の表記にも現われてきているということでしょうかね。困ったことです。



例によってGoogleで数調べ。



「世界観」・・・・・22万2000件
「世界感」・・・・・・・・5780件




でもこの「世界観」の中には「世界観光」のような言葉も随分含まれていたようなので、「世界観・考え」の二つの言葉をキーワードに調べてみました。



「世界観・考え」・・・5万8500件
「世界感・考え」・・・・・1430件




まだ圧倒的に「世界観」が多いですが、これはたぶん「せかいかん」とキーボードで打ち込んで変換すると、賢いワープロソフトが、ちゃんと「世界観」と変換してくれるからでしょう。手書きだと一字づつ書かなくちゃいけないので、「世」「界」「感」=「世界感」となってしまうのでしょう。
ついでに「世界カン」は2件しかありませんでした。
「世界感」の世界観が広がりませんように。



2002/10/5


◆ことばの話859「おじいさんの古時計」

平井堅さんが歌う「おじいさんの古時計」、4週連続チャートトップを走っているようです。CDが売れないこの時代に、70万枚の売り上げ!こんな曲が、こんなに売れるんですねえ。良い曲ではありますが。
そう思って歌詞を口ずさんでみると、いきなりヘンな所に引っかかりました。



「大きなのっぽの古時計」



「大きな」と「のっぽの」は重なっていないか?「大きな古時計」あるいは「のっぽの古時計」でいいのではないか?
こういうとみんな口をそろえて、
「大きなとのっぽは違うでしょう。『のっぽ』は背が高いけどヒョロっとした感じだし、『大きな』は存在感があるというか、ドーンとある感じ」
と言うのです。確かに「大きな」と「のっぽの」だけの意味ならそうですが、この場合は「古時計」を形容しているわけですから、「古時計」に対してそもそも持っているイメージがありますから、「小さなのっぽの古時計」とか「大きなチビの古時計」は、イメージしにくいわけです。
そんなことを、あーたらこ−たら、向かいの席のHアナと、隣の席のアルバイトのNさんと話していたら、その中で、
「この歌は、誰が、誰に向かって歌っているものなのか?」
という疑問も出てきました。私は「おとうさんが、子どもに対して歌っているもの」と思っていたんですが、Hアナは
「子どもが独り言のように自分に向かって歌っている」
というのです。アルバイトのNさんは、
「おじいちゃんが死んだ時に、子ども(孫)が亡くなったおじいちゃんに向かってレクイエムのように歌っている」
ものだとずっと思っていたそうです。Wアナは、
「小説なんかで、第三者がしゃべっている感じ」。
Mアナは、
「家族が家族に向かって話している感じ」
とのこと。
でも、「おじいさんは何歳でいつ亡くなったのか」も、実はこの歌詞では語っていないんですよね。具体的には。イメージとしては、
「おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計が、今はもう動かない」
と言っているので、
「おじいさんとともに生きてきた時計が死んだ、つまりおじいさんも同時に(少し早く時間差で)死んだ」
と考えるのが妥当とは思うのですが、もしかしたら、
「おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計が、おじいさんが死んだ後も動き続けた時計が、ついに動かなくなった」
とも考えられるわけです。ちなみに日本語の歌詞では、
「100年休まずに、チックタック・チックタック」
となっていますが、この前「ズームイン!!SUPER」を見ていたら、英語の歌詞では「90年」なんだそうです。訳す時に「90年」はゴロが悪いので「100年」にしたそうです。また高石ともやとザ・ナターシャー・セブンの「107ソングブックシリーズ」の中に録音されているこの曲の、高石ともやさんの訳詞によると「80年」になっているそうですから、謎は深まりますよね。



2002/10/5




(追記)



産経新聞で10回連載していた、塩原経央さんの「続国語断想」の第10回(10月4日)にもこの「おじいさんの古時計」のことが出てきました。塩原さんはこの曲が今の時代に売れているのは、“現代人が魂の帰還する所に飢餓しているからだ”と述べています。
それとともに、70年代にヒットした曲がカバーされてリバイバル・ヒットするのは、その当時に青春を過ごした人たちの回顧趣味(これは誰にでも少しはあると思います。同窓会に出席する人は皆、ある)と、「30年」という時間がファッションや音楽の「世代」が一巡することと関係があるのではないでしょうか。
70年代にデビューしヒット曲を出した歌手の野口五郎さんもこのたび、当時ヒットした「私鉄沿線」をセルフカバー(自分の曲を、あとで自分で違う編曲などで歌ってCDを出すこと)した「私鉄沿線02」という曲を出すそうです。それを聞いた野球評論家の川藤幸三さんは「最近こういうのをよく聞くが、昔の同じ曲を歌うのではなく、新しい曲に挑戦して欲しい。」と番組の中でおっしゃっていました。同感です。
でも当時とは、私鉄沿線の風景も変わりましたよね。宝塚ファミリーランドや阪神パークもなくなっちゃうし・・・。30年かあ・・・。



2002/10/8



(追記2)



私も勘違いしていましたが、平井堅さんが歌ってヒットしたのは「おじいさんの古時計」ではなく、「大きな古時計」でした。12月19日の毎日新聞「余録」でも「おじいさんの古時計」が出てきます。「大きな古時計」ではなくて。たしか、昔は「おじいさんの古時計」というタイトルだったのでは??とも思うのですが・・・・。



2002/12/26


◆ことばの話858「遂げるのアクセント」

入社18年目、1年後輩のHアナウンサーが読んでいたナレーションをオンエアーで聞いていて、「おや?」と思いました。その言葉とは、
「遂げた」
です。このアクセントをHアナは、
「遂げた(HLL)」(Hは高く、Lは低く)
という「頭高アクセント」で読んでいたのです。私は
「遂げた」(LHH)
と「平板アクセント」ではないか?と思ったので、本番を終えて戻ってきたHアナに、
「アクセント、違うんじゃない?」
と声をかけました。すると彼は、
「え?でも“遂げる”は“LHL”の中高アクセントだから、活用した“遂げた”は頭高アクセントでいいんじゃないですか?」
と言うのです。私は「遂げる」は「LHH」の平板アクセントだと思っていたので、さっそくNHKアクセント辞典で「遂げる」を引いてみました。するとそこには、「LHL」と「LHH」、中高と平板の二つのアクセントが載っていたのです。
確かに、中高アクセントを認めれば「遂げた」が頭高になってもおかしくないかもしれません。それは「食べる」(LHL)が「食べた」(HLL)になるようなものでしょう。
他のアナウンサーにも聞いてみました。



  「遂げる」 「遂げた」
Sアナ(30代) 中高 平板
Uアナ(30代) 平板 平板
MJアナ(30代) 中高 平板
MSアナ(20代) 平板 平板



と、「遂げる」という終止形は中高と平板に分かれましたが、連体形というか過去形の「遂げた」は3人ともそろって「平板アクセント」でした。
ということは、もともと中高アクセントの「遂げる」(LHL)に平板の「遂げる」(LHH)が出てきてかなり定着してきたことによって、その活用形の「遂げた」が、一足先に「遂げた」(LHH)と平板化したのではないか?という気がします。もう少したくさんのアナウンサーに聞いてみたら、もっとハッキリするかもしれませんね。
今後、継続調査します!



2002/9/23



(追記)



30歳になったばかりのNアナウンサー、彼のアクセントは、



「遂げる」 「遂げた」
Nアナ(30代) 平板 頭高



でした。しかし彼は、
「うーん“遂げた”は頭高ですが、そうすると整合性からいうと“遂げる”は中高ですかねえ。」
と、合理的分析を始めて、
「“遂げる”は中高と平板の両方がアクセント辞典には載っていたと思います。」
という答えを導き出しました。
ちなみに、東京アクセントを重視している秋永一枝先生編の『新明解日本語アクセント辞典』では「遂げる」のアクセントは、「中高アクセント」の「遂げる(LHL)」しか認めていません。その点から見ても、「遂げる」の平板アクセントは、新しいアクセントと言えるでしょう。



2002/10/5


◆ことばの話857「ヒレカツとヘレカツ」

牛のフィレ肉のカツレツのことを、普通は
「ヒレカツ」
と言います。「フィレ肉」とは言っても「フィレカツ」とは言いませんね。言わないと思います。関西ではフツウこれを
「ヘレカツ」
と言います。関西以外の人は「ヘレカツ」と聞くとなぜか「おかしいよ」と言って笑うのですが、何がおかしい?
読売新聞の知り合いから
「関西弁でヒレカツのことをヘレカツと言いますよね。これは、大阪方言集などにも載っていないのですが、ヘレカツに付いて載っている論文などはあるのでしょうか?」
という問い合わせをいただきました。
「ヘレカツに付いてお皿にのっている」のはキャベツですが。
冗談はさておき、確かに大阪弁のバイブル牧村史陽の『大阪ことば事典』にも「ヘレカツ」は載っていません。手もとの資料をガサガサやっていると、ありました、ありました。明治書院の『大阪府のことば』(郡史郎編)に載っていました。



ヘレ=ヒレ肉。もっぱらヘレと言うのは17人中8名、ヒレが4名、併用4名。



これだけですが。17人というのはどこの17人なんだろう?と思って前書きをよくみてみると、書いてありました。
「被調査者は1997年の時点で70、60、50歳代が各3名、40、30歳代が各4名、計17名の大阪方言話者だが、項目によっては少ない場合がある。」
ということです。



Googleで、また検索してみました。



ヒレカツ・・・・1万0800件
ヘレカツ・・・・・・・447件



圧倒的に「ヒレカツ」が買っていますね。いや、勝っていますね。でも447件あるんだから「ヘレカツ」も、頑張っておるぞ。「ヒレ」が勝つか、「ヘレ」が勝つか。両方「カツ」。
それにしても「ヒレ」→「ヘレ」のように
「ヒ(hi)」→「ヘ(he)」
という音韻変換するケースは他にはないのでしょうか?・・・と考えたところ3分くらいで思いつきました。



「きつねうどん」→「けつねうろん」



関西ではおあげさんの入ったうどんは「けつね」です。これは
「き(ki)」→「け(ke)」
という変化で、「ヒレ」→「ヘレ」と同じだ!
また、「ヘレ」という音を聞いて笑う人がいるのは、「ヘ」という音に
「ヘラヘラ」「ヘロヘロ」「ヘトヘト」「へたくそ」「へっぴり腰」
など、なんとなく軟弱な感じの、まさに「屁」のように「空気が漏れる感じ」を覚えるからでしょうかね?とくにラ行とくっつくとその感じが増幅されるように思います。「へいわ」は笑わないものね。「へいせい」は、小渕さんが額を掲げた時にちょっと気が抜けたけど。



(追伸)
きっとこれを読んだNHK放送文化研究所の塩田さんが、感想とともに何か新しい情報を送ってきてくれると思います。食べ物ネタだし。



2002/10/4


◆ことばの話856「博多市」

「平成ことば事情」の愛読者の、千葉県佐倉市に住む「グリグリさん」という方からメールをいただきました。
この方は「チリ好き」なんだそうですが・・・・・あ、「チリワイン」のチリではなく「ちり鍋」の「チリ」でもなく、漢字で書くと「地理」です。「地理好き」。(チリワインもちり鍋も、もしかしたら、お好きなのかもしれないですけど。)そんな「地理好き」の人たちが書き込みをする、グリグリさんのホームページ「都道府県市区町村」の中で、最近こんな話題が出ているそうです。



「関西の某テレビ局が、博多駅をバックに『福岡県博多市』というテロップを出した。」



わかりますよね、「福岡県博多市」。
ありません、そんな「市」は。でも確かに、つい間違ってしまいそうです。
グリグリさんがGoogleで検索したところ、
博多市 459件
福岡市 24万7000件

だったそうです。私も検索してみました。
博多市453件
グリグリさんが調べた時より、ちょっと減っていました。このほか、
福岡県博多市 283件
福岡県博多 2290件
福岡市博多区 5万5400件
福岡県博多区 634件



地元の人は、「そんなのあるわけない」と思い込んでいても以外とそれ以外の地域からは認識されていないケースは、「結構、ある」ことなのかもしれませんね。
(2002、9、26)
(追記)
その後またGoogle検索で「博多市」を引くと、10月4日朝の時点で、463件に増えていました。
また、思い付いて「博多市役所」を引くと、なんと5件、引っかかりました。
そのほか、「なぜは博多市ではなく福岡市になったのか?」ということに関するホームページもいくつか見つかりました。
それによると、明治21年4月、「市制および町村制」の公布により「博多市」にするか「福岡市」にするかで、
「博多の方が福岡より納税額が多い」
「県庁所在地だから県名と同じ福岡にするべきだ」
というふうな大論争になり、はては、「分離独立論」まで飛び出したそうですが、翌・明治22年3月福岡県令で「福岡市」と告示。4月1日から市制が始まったものの「博多」側が収まらず、明治23年2月14日の市議会で「市名変更」の採決に。議員数は、福岡13人に対して博多17人と「博多有利」だったのですが、欠席者がいたりして13対13の同数。結局、福岡出身の議長の採決で「福岡市」に落ち着いたとのこと。
なかなか激しい戦いがあったようですね。



2002/10/4

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