◆ことばの話835「鼎談」

読売新聞大阪本社主催で「遊歩百選」というイベントの司会が読売テレビのアナウンサーに回ってきました。その担当になったMアナウンサーが質問してきました。



「道浦さん、テイダンって3人なんですね。」



「テイダン??ああ、『鼎談』。漢字、手書きでは書けないけど。確かに『鼎談』の『鼎』は『かなえ』の意味で、足が3本で安定して立ってるから、3人なんでしょうね。2人だったら『対(つい)』だから『対談』。」



「『遊歩百選』のイベントで、作家の藤本義一さんと写真家の浅井慎平さんと、そして俳人の黛まどかさんのお三方がお話しするコーナーがあるんですけど、『鼎談』って言って、会場のお客様にわかりますかねえ。『対談』というと間違いですかねえ。」




うーん、確かに耳で音だけ聞いて「テイダン」が「鼎談」とすぐにわかるのは難しいかもしれないですねえ。でも3人で「対談」も、そういう話を聞いてしまうと、なんかおかしい気もしますね。



雑誌の「対談」や「座談会」という形式を考え出したのは、作家の菊池寛だと聞いたことがありますが、鼎談もそうなのかな。菊池寛といえば、「真珠婦人」が大人気だそうですね。昼メロ見てないし、も小説も読んでないけど。
インターネット検索Googleで「「鼎談」と「対談」を引いてみました。



「鼎談」= 9940件
「対談」=22万5000件




圧倒的に「対談」の方が多いですね。でも「鼎談」も1万件近くあるんですね。で、その中に「Web鼎談〜コンピュータ・サイエンスから生まれる新しい基礎科学」と称する、何やら難しそうなページがありました。東京工業大学大学院・情報理工学研究科の渡辺治さんと東京大学大学院工学系研究科の松井知己さん、横浜国立大学教育人間科学部の根上生也さんの3人による鼎談のページで、この鼎談の概要は『数学セミナー』1999年4月号から1年間掲載されたそうです。
で、このページに、



「鼎談。これで『ていだん』と読みます。2人だと対談、3人だと鼎談、4人だと・・・・」



と思わせぶりな表記があって、その「4人」のところをクリックすると・・・



「わかりません」



という文字が出てきました。なーんだ、やっぱり、4人はわからないのか。
どなたかご存知の方、教えてください!



2002/9/24


◆ことばの話834「CMの季節感」

えらいもんですな、お彼岸の中日を過ぎるとほんまに厚さも一段落、朝晩の冷え込みもするようになってきて。身体で季節を感じるようになります。
しかし、われわれテレビ人は、9月になったとたんに「小さい秋」を、もう見つけていたんです。どんな「小さな秋」かわかりますか?それはテレビの中にあります。そうです、コマーシャルです。8月中は、



「夏はカレー!」



とばかり、「インドでもかくは・・・・」というくらい、外国人から見ると「日本人の主食は間違いなくカレーだ」と思われるくらい、いろんな種類のカレーのコマーシャルをやっていたのに、これが9月に入ったとたんに、なんと



「シチュー」



のコマーシャルに変わっているのにお気づきではないですか?例の「こくまろ」も、8月中は「こくまろカレー」だったのに、9月には「こくまろシチュー」に変わったではないですか。これがテレビに見る「小さな秋」なんですねえ。



テレビの世界は、ファッションと同じで季節感を先取りするとはいえ、あまりにもバシッと切り替わるので、残暑が厳しい9月上旬は「シチュー」に違和感があったりするのですが、コマーシャルにだんだん季節が追いついていくような気さえします。



番組と番組の間のコマーシャルも、こういう見方をすれば、結構面白いものですよ。
それにしても日本人はカレーとシチューしか食わへんのかいな。まあ、時々ピアノを売ったり、ケータイ代が高いとぼやいてみたりもしますが。



2002/9/25




(追記)
もうひとつ、9月も下旬になると、「運動会シーズン」ですよね。ということで、「子どもの運動会を撮ろう!」というお父さんをターゲットにしたビデオカメラのコマーシャルも目に付くようになります。これも季節感です。お盆の頃には「ろうそく」や「お線香」のコマーシャルもありました。
今、関西でめちゃくちゃ目立つのは、例の「香酢」(こうず)のコマーシャル。うちの5歳の息子も、ナレーションの大滝秀治さんの声を真似して、「やずや、やずや」と言っています。急にあんなに頻繁に出てきたのには何か訳があるんでしょうかね?



2002/9/27


◆ことばの話833「不審船と工作船」

9月17日の歴史的な日朝首脳会談で、北朝鮮の金正日総書記が、鹿児島県奄美大島沖で引き揚げ作業が行われた国籍不明の船について「北朝鮮のもの」と認める発言をしました。これを受けて日本のマスコミでは、これまで
「不審船」
と呼んでいた船について。その名称を、
「北朝鮮の工作船」
あるいは
「北朝鮮のものと見られる工作船」
という呼び名に変えました。今朝(9月23日)の朝刊各紙を見ると、



(読売)「鹿児島県・奄美大島沖で引き揚げた北朝鮮工作船の」
(朝日)「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記が関与を認めた鹿児島県奄美大島沖の工作船事件で」
(毎日)「鹿児島県・奄美大島沖で起きた北朝鮮の工作船事件で」
(産経)「鹿児島県・奄美大島沖の東シナ海で引き揚げた北朝鮮の工作船に」
(日経)「鹿児島県・奄美大島沖で引き揚げた北朝鮮の工作船の安全確認作業で」



と、どの新聞からももう「不審船」という文字は消えています。(奄美の船に関しては。)
私が気付いたものでは、9月19日の毎日新聞に「おことわり」として、
「東シナ海や日本海に出没した国籍不明の船について『不審船』と表記していましたが、日朝首脳会談で金正日(キム・ジョンイル)総書記が『特殊部隊の自発的訓練』と認めたことなどから
、今後は『工作船』に変更します。」
とベタ記事で書いてありました。しかし「北朝鮮の」は特につけてないんですよね、この「おことわり」では。
読売テレビ・日本テレビ系列では、
『奄美大島沖の「不審船」は、9月18日15時より「北朝鮮のものと見られる工作船」とする』
ことになりました。理由としては、
(1) 金総書記が軍部の一部が行なったと発言した。
しかし、
(2) 当該船が北朝鮮のものとまでは言っておらず、日本政府も認定していない。
ことから「北朝鮮のものと見られる」とする。また、
(3) 当該船は小型船を搭載し、ミサイルなどで武装された船であることから、特殊な目的を持った工作に使用される船であることは明らかである。

ことから「工作船」と断定した呼び名にすることになったものです。
異議なし。



2002/9/23


◆ことばの話832「グラウンド・ゼロ」

9月11日、あの日から丸1年が過ぎました。
ニューヨーク、ワシントン、そして・・・・・では追悼式典が行われました。ニューヨークのワールド・トレードセンター跡地では、ここで亡くなった2501人の名前が、ジュリアーニ前ニューヨーク市長らによって2時間半がかりで読み上げられていました。その中には24人の日本人の名前もありました。
その光景を見ていて思い出したのは、やはり阪神大震災の時のことです。私は地震の時、泊り明け勤務だったので、NNN系列で最初に阪神大震災のニュースをTV画面で伝えました。そしてそれからの1週間はスタジオ担当でしたが、その時にやはり延々と亡くなった方のお名前と年齢を読み上げたことがありました。
阪神大震災が起きた時にまず思い浮かべたのは、1985年の日航ジャンボ機墜落事故です。その晩も私は夜勤だったのです。仕事が終わって家路についたところ急遽、伊丹空港に中継に行くように指示された先輩アナウンサーが、その伊丹空港からの中継で、500人を超える乗客名簿の名前を読み上げていたのでしが、あまりの人数に途中で読むのを止めようとしたことがありました。「続けてください」というスタジオからの指示で名前の読み上げは続いたのですが、そのことも頭をよぎりました。
今、視聴者が知りたいのは「身内や知人の名前が出るかどうか。」なのです。名前をただ読み続ける単純な作業ですが、それが一番必要とされる情報なのです。一人たりともおろそかに読むことはできません。ほんの1,2秒で読めてしまう一人一人の名前の向こうに、一つの尊い命があるのです。
数百人の名前を読みつづける中で、原稿に、
「○○○○ちゃん、4か月」
という文字がありました。当時はまだ独身でもちろん子供もいなかった私ですが、
「生後4か月・・・・まだこの世に生まれたばかりの赤ちゃんじゃないか・・・・」
そう思うと目頭が熱くなり、しばし、次の人の名前を読むことができませんでした。
そのことを思い出し、ニューヨークでこうやって犠牲者の名前を読み上げることの意味が心にしみました。まるでお経のように、彼らの名前が染み込んでくるのです。
さて、そういった追悼式典が行われたワールド・トレードセンター跡地は、
「グラウンド・ゼロ」
と呼ばれています。その語源、起源について、先日の「ズームイン!!SUPER」で佐々淳行さんが解説していました。
そもそもは1945年、アメリカがアラバマ州の核実験場で、原子爆弾の実験をしていた時に、あまりの破壊力で爆弾の投下地点が何もなくなってしまった=ゼロになってしまったことから、「爆心地」をさして「グラウンド・ゼロ」と呼んだことが、ことの始まりだそうです。
そして、今回のテロでワールド・トレードセンターの跡地を指してこの言葉を初めて使ったのは、アメリカABCのアンカーマン、ピーター・ジェニングスだそうです。



追悼式典では、女性沿岸警備隊員のフレーシー・トーマス下士官のアカペラの歌声に、歌の持つ力、平和を願う気持ちを歌に託す気持ちを、改めて感じました。
そういえば1年前、「平成ことば事情434 God Bless America」で、ニューヨーク証券取引所がテロから一週間で再開された時に、女性歌手によって「God Bless America」が歌われ、その歌が実によかったということを書いています。
「『歌』がすべてを救う訳ではありませんが、歌うことで新しい力が湧いてくることがあるのも確かです。」
と結んでいました。そのとおりだと今も思います。



2002/9/17


◆ことばの話831「支庫」

先日、和歌山市内を車でドライブしていた時のこと。ある交差点にかかっている地名看板に目を引かれました。そこには、
「和歌山市次郎丸」
と書かれていました。「じろうまる」こりゃまた変わった地名ですこと。
あとで地名辞典を調べてみると、「じろうまる」ではなく「じろまる」と言うんだそうですが。ちなみに「次郎丸があるなら太郎丸もあるのでは?」と調べましたが、それはありませんでした。
その「次郎丸」交差点の赤信号で止まっていると、左手に大きな倉庫がありました。そこにはこんな文字が。
「紀の川倉庫・次郎丸支庫」
もう「じろまる」は地名だと分かってましたから、今度目を引かれたのは、「支庫」です。
「しこ」と読むんでしょうね。「支社」「支店」「支局」「支部」「支流」など、「支」の付くものは、枝分かれしたもので「本」ではないものを指すのでしょうが、「倉庫」の「支店」だと「支庫」となるとは。初めて知りました。
広辞苑などの国語辞典を見ましたが、「支店」や「支社」は載っていても、さすがに「支庫」は載っていません。「しこ」で載っているのは、相撲の「四股」。これは全然違う。
しかし、さすが『日本国語大辞典』には載っていました。



「支庫」
おおもとから分かれて設置されたくら。
(例)米欧回覧実記(1877)<久米邦武>一・一九「其次は大政府の支庫なり、白大理石にて築き、其費一百十七万弗」



明治時代の文献まで溯ってしまいました。昔からある言葉なんですね。それとも「昔はあった言葉」ということかな?そのあたりは、用例が一つだと読み取れないな。
いずれにせよ、そういう言い方はあるということで。こうなると専門用語ですよね。
なかなか耳にも目にもしない言葉を見られたのは、貴重な経験でした。
こういう言葉を私は「シコシコ」書き溜めているのです。




2002/9/13



(追記)
テレビ東京のK氏からメールが届きました。



「昔住んでいた、富山市の隣町の地名が、富山市太郎丸でした。次郎丸はありませんでした。」



とのこと。地名辞典を引いてみると、確かに、



「富山市太郎丸(たろうまる)」



という地名が載っていました。Kさん、ご指摘ありがとうございました。




2002/9/26

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