◆ことばの話785「バックスキン」

平成ことば事情784の「灯台もと暗し」もそうですが、



「え!?そうだったの!」



というような出来事にたびたびぶつかります。新鮮な驚きです。四十にして惑いっぱなしです。今回もそんなものの一つ、「バックスキン」
これを私はずーーーーっと「裏革」だと思っていました。え?あなたもそうですって?そうでしょうそうでしょう。「バック」は「後ろ」とか「裏」とかそんな感じだし、「スキン」は「皮・革」でしょ。だから「裏革」。
ところが!
「バック」は「裏」ではなく、「シカ」なんだそうです。だから「バックスキン」は「シカ皮」なんだそうです。本当?
国語辞典をひいてみました。



<新明解国語辞典>
(buckskin=シカの皮)シカ(や羊・牛)の革のもみ革(もんで柔かくしたなめし革)など。またそれらに似せた毛織物。



<岩波国語辞典>
しか皮または羊皮を用いた黄色のもみ皮。「バックスキンの手袋」▽buckskin(=しかの皮)



<広辞苑>
「buckskin」(buckは牡鹿の意)@鹿革または羊のもみ革A鹿革の感じに似せた毛織物




やっぱり、「裏革」ではなかったかぁ。大体「バック」のつづりが「back」ではなくて「buck」だったんですね。
念のため「裏革」も引いときましょう。
「裏革」・・・なんと!!!
上の3つの辞書には載っていない!そんな言葉はないということ?
「日本国語大辞典」にようやく載っていました。
「裏皮・裏革」=(「うらかわ」とも)
靴・袋物などの内側に貼りつけてある革。
三味線の胴の裏側、すなわち糸のかけていない方に貼った革。
裏面を表に出して使った革。

よし、っと。この3の意味の英語が「バックスキン」だとばっかり思っていたのです。
ついでに「日本国語大辞典」の「バックスキン」の説明は・・・。
1.「牡鹿の革の表面をけば立たせたもの。また、それに似せて牛・羊などの革をけば立たせたものの総称。
(2・3略)
そうそう、この「けば立たせたもの」という表現が、一番しっくり来ますよね。けば立ってるので、なめしてある「表」ではない、「裏」のイメージがあったんですよ。おそらく皆さんもそうじゃないですか?
他の辞書もこの「けば立たせたもの」という表現、採用してください。お願いします。
なお、読売新聞朝刊に毎週火曜日から金曜日まで連載している、ことばのミニコラム「日めくり」の7月24日にも「バックスキン」は「裏の革ではない」ということが書かれています。



2002/8/15


◆ことばの話784「灯台もと暗し」

「灯台下(もと)暗し」



ということわざがあります。意味は、



「夜、明るい灯台でも、その足元は自らの光が届かずに暗いものだ。それと同じように、なかなか自分の足もとのことはわからないものだ」



という意味ですよね。
この「灯台」、私は生まれてから40年間ずーっと、岬に立って船の道標として、夜通し光をクルクルとやってっいる、あの「灯台」=Light houseだと思ってきました。
会社で周囲の人、20人近くに聞いてみましたが、聞いた人が全員、
「海の所に立っている、あの灯台」
と答えました。東大出身のNアナウンサー(トーダイつながり)に聞いてみても、
「船に光で合図する、あの建物ですよね。」
と答えました。
しかしこの前、何かで読んだのですが、どうもここでの「灯台」は、
「(岬の)灯台ではない」
様なのです。さっそく国語辞典(「新明解国語辞典」)を引いてみました。すると、



「灯台」(灯明台の圧縮表現)
港口・岬などに築き、夜、光を放って船舶に航路を教える設備。
昔の照明器具。「灯台下(もと)暗し」(=灯台はすぐ下が暗いことから、手近なことがかえって分からないたとえ。)




ああ、やはり。
「岬の灯台」ではなく、部屋の中にろうそくを立てて置く「灯明台」や「燭台」の意味の「灯台」だったのです。!!
なんと・・・・。脱力感。これまでの自分の人生を否定された感じ・・・・。
そもそも「灯台」と言えば、昔は「灯明台・燭台」を指してさしていたのでしょう。まだ電気(電灯)のない時代は。しかし、「照明」の主役は完全に「電灯」にとって代わられて、「灯明台」としての「灯台」は、姿を消しました。「物」が消えると当然その名称も消えます。いわゆる「死語」になります。そうして「灯台」と言えば「岬の灯台」だと誰もが思う時代になりました。
そんな中でこの「灯台下暗し」ということわざは、「灯明台」も「岬の灯台」も、このことわざで表されるのと「同じ特性」を持っていたために、また音声上も、



「トーダイ」



で平板アクセント。全く同じ音だったということもあって、ことわざの意味も形も変わらずに、そのことわざを構成する言葉の意味だけがすり替わってしまったという希有な例なのではないでしょうか。
私は「目からウロコが落ち」て、しまいました。
そうだ、ことわざのことはやはり「ことわざ辞典」を引いてみよう!



「灯台下暗し」



手近なことがかえってわかりにくいというたとえ。今、灯台といって思い浮かべられるのは、船の安全な航行の助けとなる岬や港などに立っている灯台であろう。しかしこのことわざは、俳諧『崑山集(こんざんしゅう)』(巻六)に「本くらき灯台草の茂り哉(かな)」と詠まれているように江戸前期から常用されたもので、ここの「灯台」は、昔の灯火をのせた台のこと。灯台で燃える火の下には受皿のようなものがあるために灯台の真下は薄暗いところから言われたことわざ。もっとも岬の灯台も、遠方を照らすため真下は暗い。だから「灯台」を現代風に岬のものと理解しても少しもおかしくない。そう解するのを単純に誤解とみなす論者もいるが、いかがであろうか。実際、第二次大戦後間もない頃から発行されたいろはカルタのことわざの絵札には、岬の灯台を描いたものは何種類もあるが、灯明台を描いたものはない。それだけ岬の灯台が定着しているということになる。
(岩波ことわざ辞典)




とあり、「岬の灯台」の絵のカルタの写真が載っていました。
この「ことわざ辞典」は、「岬の灯台もやむなし」ということですね。
確かに、今さら「灯明台」と言われても、もうイメージを置き換えるのは難しいですからね。今後は(今までどおり)「岬の灯台」ということで行きますか。



2002/8/14


◆ことばの話783「やばい」

「やばい」という言葉は俗語です。「集団語辞典」(米川明彦)によると盗人業界用語です。
『危い。悪事が発覚するなど身の危険なさま。今では若者一般が使用する。「あやぶい」の省略転化。「いそい」とも』
とあります。
今日(8月13日)の読売新聞夕刊の「新・日本語の現場・特集編〜投稿から」でもこの「やばい」が取り上げられています。



「ちょっと気まずい程度のことで『やばい』が連発されるのが気になります。保護者会で年配の先生に『お母さん、それはやばいでしょう』と言われたこともありました。」(神奈川県・30代女性)



見出しは「『やばい』多用やばくない!?」です。
これに対して国立国語研究所の甲斐陸朗所長は、



「『やばい』は危険を知らせるのに便利な和語。話し言葉としてこれからも使われていくでしょう。」



と答えていました。
・・・・やばいことになりそうです・・・。
いや、もうなって来ているのです。と言うのも、このあとに読売新聞の関根健一記者が(名前は書いてないのですが、ご本人から「私が書いた」とメールをいただいたので)、



「最近の若者は、カッコいい異性に会った時などの感嘆表現としても使っている。・・・・(中略)・・『やばい』は日陰の位置から値を上げつつある注目株といえそうだ。」



と書いているのです。まじ、やばいっすよ。
ちょうど今日(8月13日)の夕方の日本テレビのニュース「ニュースプラス1」で、マクドナルドが先週からハンバーガーを再値下げして、1個59円で売り出し、対抗してロッテリアも低価格で、というニュースをやっていたのですが、その中で、インタビューを受けた若い女性が、マクドナルドのハンバーガーが59円と聞いて、
「やべぇー安い!」
と言っていて、この発言をフォローした字幕スーパーもそう出ました。
(大体若い女の子が「やべぇー」などと口にすること自体が「やべぇ」と思うのは私だけでしょうか。まあ、いいけど。下品だよね。)
このニュースを見ていたタイムキーパーの女性は、
「この間東京に遊びに行って、もんじゃ焼きのお店に行った時に、お店のおねえちゃんが『これ、やばいっすよ』と言って、おいしいもんじゃ焼きを持ってきてくれた。」
という話を聞かせてくれました。「やばいもんじゃ焼き」を出して、その店は「やばくない」のでしょうか?「白い粉」を密売してたりして。小麦粉とか。
関根さんが言うように、強調表現としての「やばい」が出てきているのが「最新の“やばい”情報」なのです。
これは心理分析してみると、まず、従来はやくざな人たちしか使わなかった「危ない」という意味の「やばい」が、「不良用語」になり、不良っぽいのがカッコいいと思う一般の人たちが使うようになり、それが行き渡った段階で、次のステップに入ります。
つまり、あまりにおいしかったり、カッコよかったり、安かったりして、自分がそれにのめり込んでしまって抑制が効かなくなる予感がする、あるいはそうなりかねないぐらい魅力がある、という対象物に対して「やばい」という表現を使うようになったのです。
それは「のめり込んでしまうと、見境がなくなるので危険だ、今の日常を維持できなくなる恐れがある」=「やばい」ということです。
しかしその一方で、今までのように、本当に「やばい」=「危ない」→「避けたい」と思っているのではなく、「やばい」=「危ない」→「でもその魅力には勝てそうもない、自らフラフラと引き込まれてしまいそうだし、心の奥底にはそうなってしまいたいという願望がある」状態が、新しい「やばい」なのです。プラス表現としての「やばい」です。
今のところ関西では、私の周りではあまり耳にしませんが、若者はきっと使っていることでしょう。
毎日新聞の東京版に大阪外国語大学の小矢野哲夫教授が連載している「言葉の取扱説明書(トリセツ)」で6月30日に取り上げたのがこの「やばい」でした。そこでは
「判断力がなくなるぐらいすばらしいことを『やばい』と言う」
と書かれています。(小矢野先生のホームページ、「けとば珍聞」でも読めます。)また小矢野先生は、
「若い人の率直な感動表現として理解したい」
と広い心で若者のこの言葉を受け入れようとしています。きっとこのコラムを読んだ若者は、
「やばいやばい」
とありがたがることでしょう。本当にやばいっすよ。
でもまだ「やばい」と言う人は、「断定」でしゃべれるだけマシ。もっと自信がない人が使うのは、婉曲表現の、
「やばくな〜い?」(平板アクセント)
ですから。
あ、そうそう、前出の8月13日読売新聞夕刊には、私のコメントも載っているので、読んでみてくださいな。



2002/8/13
(追記)

「ニュース23」のスポーツコーナーのフラッシュニュースで、サッカー選手らしき軍団が南の島でリフレッシュ。インタビューにある選手が答えて、
「ここは、もうヤバイっす」
字幕スーパー表記は、
「ヤバイ(きれい)です」
と出ていたと、Sアナウンサーから報告がありました。Sアナいわく、
「若者用法とはいえ、なんだかなぁ。この先、テレビのスーパーフォローは意訳ばかりになるかもしれませんねえ・・・。」
そのうち日本語の語彙は、「ヤバイ」と「ヤバクナイ」の2つになってしまうかもしれません・・・。
九州の耶馬溪(ヤバケイ)の環境が汚染されたらヤバクナイ・・・。関係ないか。

2004/7/13

(追記2)

6月21日の日経新聞夕刊1面の『ジェネレーションY」という特集記事の中の「Y語辞典」でも、「やばい」が取り上げられていて、意味は(正)あぶない(若)素晴らしい、となっていました。
2004/7/15


(追記3)

アニメ映画「シュレック2」の日本語版吹き替えを担当した藤原紀香さんに、森若アナウンサーがインタビューをしました。その様子が7月16日の「ズームイン!!SUPER」で流れました。森若アナが、
「そのシーンが一番お気に入りですか?」
と聞いたところ、藤原さんは、
「ネコちゃんが出てくるシーン。もう、めっちゃヤバイ!」
と答えていました。アクセントも関西の若者の使う「ヤバイ」でした。

2004/7/16



◆ことばの話782「エコノミークラス症候群」

飛行機のエコノミークラスの狭い席に、窮屈な姿勢で長時間乗っていると、血流が悪くなって呼吸困難や心肺停止に陥る病気のことを
「エコノミークラス症候群」
と言うのは、ここ数年でずいぶんと知られるようになりました。特に、今年4月、サッカー日本代表の高原選手がポーランドへ親善試合に行った時にこの病気になって肺を傷め、結局6月のワールドカップ本番には出場できなかったことで、非常に有名になりました。その後7月に入ってからのJリーグでの彼の活躍を見るにつけ、ワールドカップ本番で彼がいてくれれば・・・・と残念でなりません。高原選手は、エコノミークラスの席には座っていなかったと思うのですけどね。
そういった同じ思いの人もいるのでしょう、そして特に航空機業界の方は、この「エコノミークラス症候群」という名前を苦々しく思っているのではないでしょうか?
それでかどうかは知りませんが、7月4日の朝刊各紙にこんな記事が載っていました。救急医療の医師などで作る「日本旅行医学会」というところが、
「『エコノミークラス症候群』という名称は今後『ロングフライト血栓症』と改称すべきだ」
とする提言を、7月3日に提言したのです。というのも、
「狭いエコノミークラスが危険でビジネス、ファーストクラスは安全のような誤解を与えるために、代わりの名称を検討していた」
のだそうです。確かに高原選手の件もそうですし、一口にエコノミークラスと言っても、日本の会社と外国の航空会社でもエコノミークラスの席の窮屈さの度合いは、違ったりしますしね。
日本旅行医学会は、そのホームページによりますと、今年の3月に正式設立された新しい学術団体で、理事長は山田兼雄エイズ予防財団専務理事。そのホームページを見ると、
『「深部静脈血栓症」と「肺塞栓症」を合わせて「ロングフライト血栓症」と改称する』
ことを6月26日の定例理事会において全員一致で決定したそうです。これは一般に「6時間以上の長時間フライトに伴う病気」で、「長距離バスでの血栓症」の報告もあったというきわめてまれな例を根拠に、
「旅行者血栓症」
という言葉も一部では使われているが、意味が漠然と広がりすぎて、「長時間のフライトに注意すべきだ」という日本人旅行者へのメッセージが希薄になってしまうので、「エコノミークラス症候群」の代称としては不適当と思われる、そうです。
なるほどと思わせる提言です。
現時点でのネット上の各用語の使用の度合いは、Googleによると、



エコノミークラス症候群・・・・4120件
ロングフライト血栓症・・・・・・92件
旅行者血栓症・・・・・・・・・・134件



やはり「エコノミークラス症候群」が群を抜いていますが、提案されてから1か月の「ロングフライト血栓症」も頑張っています。これまでは「旅行者血栓症」も割と使われていたんですね。知らなかった。
今後、この「エコノミークラス症候群」と「ロングフライト血栓症」がどうなるか、注目していきます。



2002/8/14


◆ことばの話781「拉致」

今さらなんで「拉致」なんて言葉を取り上げるの?と思われるかもしれません。
以前、この「拉致」という言葉は、常用漢字表に載っていない、いわゆる「表外字」のために新聞やテレビでは、



「ら致」



という「交ぜ書き」表記されていましたが、ここ数年、「交ぜ書き」に対する批判が高まったことや、ワープロ・パソコンの能力が上がったことなどもあって、



「“ら致”ではなく、“拉致”と熟語ごと漢字で書くべきだ」



という声が高まり、マスコミ各社も、ルビ付きであるいはルビなしで「拉致」と書くようになってきているの
が昨今の状勢です。
ところが最近(7月23日)TBSの「ニュース23」で群馬・栃木での拉致事件について、



「散弾銃連れ去り事件」



という表現を使っていたのです。明らかに「拉致事件」と言っていいのに「拉致」という言葉をを避けているのかな?と思い、TBSの知り合いに聞いてみたところ、
「“拉致”という言葉と漢字は使ってもいいことになっているが、よりわかりやすくするために“連れ去り”という言葉を使ったと思う。」
ということでした。
そして、昨日(8月12日)のNHKの夜9時前のニュースでも、字幕スーパーでは、



拉致して殺害」



と出ているのに、アナウンサーが読んでいるナレーションは、



連れ去って殺害」



となっていたのです。
確かに「拉致」は固い言葉ですよね。広辞苑でこの二つの言葉を引いてみると、



「連れ去る」=連れて立ち去る。人や動物をさらう。
「拉致」=むりに連れて行くこと。らっち。




この二つの違いは「むりに」というところでしょうか。でも「さらう」も「むりに」という感じだけど。



「さらう(攫う)」=@人の油断を見て奪い去る。A全部持ち去る



あ、「さらう」は、無理にではなく、一瞬の隙を突くものなんだ!
「おかあさんに頼まれて迎えに来たんだ」などと言葉巧みに車に乗せて連れて行くのは、「拉致」ではなく「連れ去り」で、車でキキーッと急ブレーキの音をたててバタンとドアが開くや否や黒スーツに黒いサングラスの男たちがバラバラッと降りてきて「なんなんだ、キミたちは!?」と言うか言わないかの間に口を白いハンカチで押さえられて車の中に押し込まれてあっという間に去っていくのは、「拉致」ですね。
まあ、微妙なニュアンスの差はありますが、「拉致」の代わりに「連れ去り」という表現を使っても間違いとは言えないので、今後こういった表現が、放送では増えるのではないでしょうか。新聞は文字数が増えるから「拉致」の方が好まれると思います。
あ、でも「拉致事件」も「連れ去り事件」も起こって欲しくはないんですが・・・と言っていたら、愛知県の女子大生が行方不明になって11日後になんと山梨県の樹海で発見されるという事件が起きてしまいました。たぶんまた「拉致」あるいは「連れ去り」という表現が出て来るんだろうな。ハアー。



2002/8/13

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