◆ことばの話775「台湾人」

平成ことば事情690で「北朝鮮人」とは表現しない、その理由として「○○人」というふうに表現する場合は、「○○」の部分には(1)「国名または国名の略称」(2)「民族名」が入り、「北朝鮮」は正式な国名でも略称でもなく「通称」であり、また民族名でもないから、という理由が示されました。
そうすると、また一つ問題が出てきました。



「台湾」



です。台湾の正式国名は、もちろん「中華民国」。ということは「台湾」は略称ではなく「通称」ですね。民族名でもありません。つまり、「北朝鮮」と同じ立場にあるんです。そうすると、



「台湾人」



という表現は使われない・・・はずなんですが、新聞を見ていると、「台湾人」というのはよく出てきているんですよね。つまり、上にあげた理屈というのは「北朝鮮」に限って使われているということになります。なぜ「北朝鮮人」を使ってはいけないか、あるいは使わないかの本当の理由は、他にあると言わざるをえません。



また「北朝鮮国民」と言わないのは、日本は「北朝鮮」と国交がないから、という理由も言われていますが、そう言えば、1972年に中華人民共和国=中国と国交回復をしたのと同時に、「台湾」と日本は「国としては正式な交流はない」ことになっているので「台湾国民」とも言えないということですね。実際「台湾国民」はあまり耳にしません。



ネット上ではどうか。Googleでウェブ全体を対象に検索したら、「台湾国民」は880件ありました。日本語のホームページに限定したら、346件でした。使われていることは使われているのですね。特に中国語の台湾のホームページでは、大半の人たちが自分たちのことを、当然のこととして「台湾国民」と呼んでいるようです。
台湾は、国連でも中国と入れ替わりにメンバーから外されてしまいましたし。オリンピックなどで、



「170の国と地域が参加して・・・」



などという表現を目にすることがありますが、「台湾」はこの「地域」というのにあたるのでしょうね。
「地域」とされたところに住む人たちは「住民」ではあっても「国民」ではないと。私たち「日本人」の場合は、まず「日本国民」であって、その「地域」の「住民」でありますが、確かに在日外国人の方は、日本に住んでいて、その「地域」の「住民」ではあるけれども、「日本人ではない」ケースがありますね。それとは状況は違いますが、とにかく「住民であって国民でない」という状況は、あります。しかし「どこの国民でもない」という状況は、その人たちにとってはどうなんでしょうか。悲しくはないのかな。
とまれ、日本における北朝鮮と台湾、韓国、中国といった国の扱いは、現状だけを見るのではなく、歴史的な経緯なども踏まえてとらえなくてはならない、まさに一筋縄では行かない、本当に微妙なものだと言えましょう。
(平成ことば事情638「台湾籍」もご参照ください。)



2002/8/9


◆ことばの話774「おわびフラッシュ」

日本ハムの子会社が・・・
またもやユニバーサルジャパン(USJ)が・・・・
そして、不安適中、住基ネットでミスが・・・



連日、責任者が「おわび」しています。まさに「おわびフラッシュ」。「今日のおわび」「おわびスクランブル」。
USJではETまでが「おーわーびー」と言っているとか。
一体、日本はどうなってしまったんだろ。
目先のちょっとした利益を追うためにセコイことをしたり、何のための検査かという大前提を忘れて、帳簿上の数字をあわせるようなごまかしをしたり。
「わび」で済んでたら、松尾芭蕉はいらん!!



今年6月、ワールドカップで大分に試合を見に行った時のこと。試合終了が午後10時を大きく回っていて、リムジンバス乗り場まで、30分以上も歩いてたどり着いた時には、もう時計の針が11時を回っていました。バス乗り場はたくさんの人であふれていました。特に大分駅行きのバス乗り場は、ながーい列。会場整理の人が、「別府行きのバスは空いてますよ!」と言います。その日の宿は別府市内にとっていました。大分駅までは25分、別府までは40分。大分駅からだと電車に乗り換えなければなりません。そこで、別府行きのバス乗り場に並びました。しかし・・・目の前にやってくるバスはすべて我々の前を通り過ぎ、クルッときびすを返すかのように回って、大分駅行きの乗り場に次から次へと到着するのに、別府行きのバスは一向にやって来ません。
10分・・・・20分・・・・30分経過。まだ来ません。そうこうしているうちに、大分駅行きの方に並んでいたあれだけたくさんのお客さんの列が、目に見えて短くなってきました。40分後、ついに大分駅行きのお客さんは、一人残らずバスに乗って行ってしまいました。時刻はまもなく午前零時。ついに堪忍袋の尾が切れました。私は、列から離れて、



「バスの運行の責任者はどこだ!!」




と大きな声でどなりながら、前に出て行きました。程なく「私が責任者ですが・・・」というK交通の50代の男性が出てきました。



「40分も待って、別府行きのバスが1台も来ないというのは、どういうことか!目の前を通り過ぎるのは大分駅行きのバスばかりではないか!あれだけたくさんいた大分駅行きの人たちは、われわれよりあとから並んだ人も含めて、もう全員いなくなったではないか。一体どうなっているのか!また、バスが来ないことに関する説明が一切ないのはどういうことかっ!!!」
と詰め寄りました。すると、その男は、左の方を指差して、こういうではありませんか。
「いえ、バスは、ほらあそこに来ています。」
男の指差す方向には確かに3台ほどのバスが並んでいました。それを見た私はブチ切れました。
「来ているならなぜ、こちらによこさない!!」
「今、来るところです。」
「40分も待たせておいて言う言葉は“今来るところです”だけかっ!“なぜ40分も待たせてしまったのか、お詫びの言葉もないのか!それより何より、なぜバスが来ないかの説明をなぜ待っているお客さんたちにしない!今どのあたりまで来てますとか、あと何分くらいで1台行きますとか、そういう説明も何もない中で真夜中まで待たされているお客さんの気持ちを考えたことがあるのか!こんなことでは、世界中から来ているお客様に、大分は所詮この程度のサービスしかできませんと、さらけ出しているようなものだ恥ずかしくないのか!K交通といえば大分を代表する立派なバス会社ではないか。それがこの程度のサービスの基本も出来ないのか!!」

とさらに強く言ったところ、その責任者だと言う男は、



「それを説明するのは私の責任ではありません」
と、のたまいやがった。
「ほーぉ、じゃああ誰の責任なのだ!?」
「JAWOCの組織委員会の責任です。」
「この場に及んで責任逃れをしようと言うのか、恥を知れ恥を!最終的な責任はJAWOCにあるかもしれないが、じゃあ、あなたは何の責任者なんだ?」
「バスの運行の責任者です」
「じゃあ、それがスムーズに来ていないことの責任はアンタにあるだろう、当然それについて説明する責任がある!万が一、説明責任はJAWOCにあるとして、あなたには説明する責任はないとしても、この現場でお客さんが長く待たされている状況を見ているあなたには、JAWOCの責任者をここに連れてきて説明させる責任がある。あなたはそれを怠った。あなたが説明しないのなら、説明できる者を連れてくる責任があなたにはあるのだ。そうでなければあなたがここにいる意味はない。早く帰って寝た方がいい。」

私の手の先は、怒りでぶるぶる震えていました。
責任者の男の目をしっかりと睨み付けながら、いっときたりとも視線を外すことなく声高に叫ぶ私とその責任者の男の周りには、いつのまにか4人の警察官が集まって来て、事態の推移を見守っています。
そうこうしているうちに、脚立に乗ってパシャパシャとフラッシュをたいて私たち二人の写真を撮るカメラマンまで現れました。これで明日の新聞に「バスの運行、乱れもなく」なんて載せたら、その新聞社に抗議の電話をするぞ、と思いながら、激闘、約20分。ついに相手が折れました。
「確かにお客様に対してこれだけお待たせして何の説明もなかったのは、私どものミスです。」
最初からなぜそう言えない!!
「私は、今週末にまたこの大分ビッグアイに試合を見に来ますが、その時に、またこのような不手際があったら許しませんよ。」
「わかりました。気を付けます。」
「頼みましたよ。」

最後は紳士的に引き下がって、おとなしく別府行きのバスに乗ったものの、煮えくり返った腹が収まるのには、それからなお1時間という時間と2杯のジョッキビールを要しました。
ことほどさように、何かアクシデントが起こった場合、早めにきっちり説明しないと、客のイライラ度は頂点に達するものなのです。私がもしフーリガンだったら、もうあの時点で暴れまくって、取り押さえられていたことでしょう。もしくは他の客を煽動していたかもしれません。大変なことになっていたはずです、もし私がフーリガンだったなら、ですが。よかったですよ、フーリガンじゃなくて。



USJや日本ハム、その子会社にフーリガンが現れないことを望みます。
いや、そうではなくて、きっちりとした説明を望みます。



2002/8/9


◆ことばの話773「日本の国を、だ」

NHKの日曜日深夜に「NHKアーカイブス」という番組があります。昔の優秀なドキュメンタリー番組を、前後に少しだけ加賀美アナウンサーが解説を付けただけで、丸ごと流すのです。先日(8月5日)は、「スガモ・プリズン解体」という1971年の作品を「再放送」していました。第二次世界大戦のA級戦犯などを収容した米軍の「スガモ・プリズン」が、築35年で解体される様子と、そこに収容されていた「戦犯」の人たちのその後を、戦後26年経った1971年に追ったものでした。
ナレーションは和田篤アナウンサーで、構成は小泉三郎ディレクター。
番組の中では「“戦犯”という言葉も今は死語になり、その後は“戦争犠牲者”そして“殉国者”と呼び名が変わった」と説明していました。
その中でインタビューに答えた、元・企画院総裁の鈴木貞一氏の話し方が気になりました。



「日本の国を、だ。・・・・石油を止められたんで、だ。日々、圧迫されている訳だ。・・・痛感している訳だ。・・・ぶつかったということだ。」



この人のしゃべり方は、「・・・だ。」を多用していました。中でも終止形での「・・・だ。」はまあいいとして、文の途中での「日本の国を、だ、・・・」「石油を止められたんで、だ、・・・・・」という形の「だ」の使い方は、昔はよく政治家などが使っているのを耳にした飢餓するのですが、ここ何十年も(?)遠ざかっていたような気がして、とても新鮮に響きました。それとともに、とてもエラそうに聞こえました。
「それで、だ」とか「そこへ行くと、だ」なんていうふうな言い回し、大阪人だと、
「それでや」「そこへ行くとや」
と「や」になるでしょうし、おじいさんだと
「それでじゃ」「そこへ行くとじゃ」
となりますね。ということは、語尾の「だ」「や」「じゃ」だけの問題かな?文中で入れるところが問題ですね。
また、この言い回しを使う有名人がいたら、皆さん、教えてくださいね。



あ、それと、このドキュメントの最後の方で、戦犯で絞首刑となったAさんの妻の現在の様子というのを、取材していた小泉三郎ディレクターが顔出しでリポートしています。夫を亡くしたAさんの妻は、「乳飲み子を抱えて魚を拾ったり、炉端で食いつないで(?意味不明?)」いたのですが、その後の小泉ディレクターの言葉は、
「とうとう再婚したのです。」
これを聞いた我が妻が、ひとこと、
「ひどい!!」
“とうとう”とは何事?!そんな言い方ないじゃない、まるで再婚したのが悪いかの様だ、というのです。
私も同じように感じました。Aさんという処刑された戦犯に思い入れするあまり、その奥さんに対して、ちょっと配慮が足りなくなっていたようです。しかし1971年当時の感覚としてはそれほどおかしなこととも思われなかったのでしょう。
時代を感じさせてくれる貴重な作品ではありました。



2002/8/8


◆ことばの話772「キコリ打線」

いよいよ夏の甲子園が始まります。(もう、始まりましたが、これを書いている時点ではまだ始まっていなかったのです。HPへのアップが遅くなってしまって・・・すみません。)
しかし、高校野球に対しては年々興味が薄れて来ています。それは私個人のことなのか、それとも世の中がそういうふうに動いているのかは分かりませんが。
先日の新聞用語懇談会の席上、あるスポーツ新聞社の委員の方から今年の甲子園出場校に関してこんな話が出ました。
「三重県の代表になった、久居農林高校なんですけど、その紹介に“キコリ打線”というキャッチフレーズを使っていいか?と現場から問い合わせがありまして、却下しました。」
“キコリ打線”ですかぁ。昔“やまびこ打線”というのはありましたね。比喩に職業名を持ってくるのはどうか?ということと、そもそも「きこり」という職業名は、新聞や放送で使ってもよいのかどうか?という問題もあります。
2001年5月に出した『読売テレビ放送用語ガイドライン』「気になる言葉C」として、「きこり」も記されています。このCには他に「百姓・農民」「漁師・漁夫」「炭坑夫」「あんま」「潜水夫」「海女」「沖仲仕」が並んでいて、解説にはこういうふうに書かれています。(88p)



テレビ局や新聞社によっては、言い換えが必要な職業の呼称としているところもあるようですが、人によっては誇りを持って自称しています。ですから、侮蔑的あるいは職業軽視的に表現しない限り、使用可能です。これらのニュアンスに富んだ職業名を生かすも殺すも、使い方と文脈にかかっています。次の事例は配慮しすぎではないでしょうか。
(事例)2000年9月15日放送「ズームイン!!朝!」
関が原の合戦の企画で「武将が“きこり”の格好をして逃げた」という場面があった。スタッフの間で「きこり」は使ってもよいかが問題になった。「そまびと」という言い換えも考えたが、結局、「村人の格好をして」で放送した。



今から20年ほど前の大学生時代、藤沢市民オペラの「ウイリアム・テル」で、そして15年ほど前には、奈良県民オペラ(だったっけな)の「久米の仙人」で、まさに「きこり」の役で出演したことのある私としては、「きこり」も立派な仕事だし、「農林高校」の特徴を出すために「キコリ打線」という表現も、「あり」かなとも思うのですが、やはり、取り上げ方にかかってくるのでしょうね。一生懸命の高校球児を揶揄(やゆ)するような感じになるのであれば、止めた方がいいでしょう。
いずれにせよ、久居農林に注目することにしましょう。5日目(8月12日)の第一試合、岡山代表の玉野光南高校が相手です。ガンバレ!!



2002/8/8




(追記)
久居農林は、残念ながら岡山県代表の玉野光南に2対4で敗れ、1開戦で姿を消してしまいました・・・・。



2002/8/12


◆ことばの話771「統合失調症2」

平成ことば事情664「統合失調症とビューティフルマインド」で書いた「精神分裂病」=「統合失調症」の名称のその後です。
読売新聞は7月4日付の紙面(新聞はすべて大阪版)で、
「『精神分裂病』表記を『統合失調症』に変更」
という2段の小さな記事を出しました。表記は、
「統合失調症「(精神分裂病)」
とすることになりました。独自の判断です。



読売は、7月10日の「今日のノート」というコラムでも「統合失調症」を取り上げていました。松本弘という人が、「新しい病名は、古い病名を告げられてショックを受けた患者の気持ちを和らげることができるだろうか。」と結んでいます。
そして私の観察では、7月11日の夕刊で記事の見出しに初めて「統合失調症」が出てきました。
「マリフアナ受容体統合失調症と関連〜岡山大・遺伝子レベルで解明」
という記事です。



朝日新聞は7月9日付の紙面で
「『統合失調症』に改称〜学会、新聞協会に要請」
という見出しでニュースを載せ、その記事の終わりのところに、やや小さ目に「おことわり」として
「日本精神神経学会が精神分裂病の呼称変更を日本新聞協会に要望したことを受け、朝日新聞社は今後、原則として『統合失調症』と表記し、必要に応じて『統合失調症(精神分裂病)』などと併記します。」
と載せています。



毎日新聞は7月11日付の1面で、
「『精神分裂病』を『統合失調症』に表記変更」
という「おことわり」を載せ、そこに至った詳しい説明を2面に載せました。それによると、「日本精神神経学会が『精神分裂病』を『統合失調症』へ呼称変更するよう日本新聞協会に要請したのを受けて社内で論議を重ねて、基本的に『統合失調症』を使うことになった」そうです。
「統合失調症(精神分裂病)」
と表記します。



毎日新聞では、7月12日朝刊で、読売の前日夕刊に載っていたのと同じ内容のニュースで「統合失調症」が出てきます。見出しは、
「幻覚にかかわる脳内物質統合失調症に関係 新治療薬の開発に期待 岡山大助教授」
です。
また毎日新聞は7月25日の朝刊で、
「統合失調症の長男殺害で執行猶予〜神戸地裁判決81歳の父に」
という記事もありました。



日本テレビ系列のNNN(日本ニュースネットワーク)各局は、7月15日付で
「『精神分裂病』の表記を『統合失調症(精神分裂病)』と変更する。読みは『とうごう しっちょう しょう・いわゆる、せいしんぶんれつびょう』とする」

という「お達し」を出しました。これは、
「ただしこれは経過措置で『統合失調症』に違和感が無くなったと判断した時点で(精神分裂病)を除き、『いわゆる』以下も読まないことにします。」
となっています。変更の理由は、7月8日の、日本精神神経学会の日本新聞協会に対する呼称変更の要請に基づくものです。



7月23日、厚生労働省は、患者が医療費の公費負担などを求める際の公文書に診断名として「統合失調症」を使うことを認めることを明らかにしました。(7月24日付・日経新聞朝刊)それによると、日本精神神経学会が精神保健福祉法にある「精神分裂病」という表記の変更などの法改正を申し入れたのに対し、新名称の浸透度合いを考えるとすぐに法改正するのは難しいという認識を示しました。しかし法律の条文を変えなくても、公文書には「統合失調症」を使うのは問題ないとして、統合失調症の呼称の普及度合いを見ながら法改正も検討していく方針だといいます。



産経新聞と日経新聞は、呼称変更をしたのかしてないのか、ちょっとチェックできていませんが、今後、流れは「統合失調症」に一気に傾いていきそうです。



2002/8/9