◆ことばの話770「キャップ」

「ペットボトルのキャップ」
と言う時の「キャップ」。あなたはどういうふうに発音しますか?
「キャップ(LHH)」
と平板アクセントですか?それとも
「キャップ(HLL)」
と頭高アクセントですか?(Lは低く、Hは高く発音。)



私は「キャップ(LHH)」と平板派です。ところがニュースでそう読んだところ、報道デスクが、
「キャップ(HLL)と頭高アクセントじゃないですかねえ。」
と言ってきました。アクセント辞典には、一応両方のアクセントが載っています。そこで使われている実態はどうなのか?また「道浦式・社内面接調査」を行いました!結果は・・・、



キャップ(LHH=平板)・・・・・18人(72%)
キャップ(HLL=頭高)・・・・・・7人(28%)




ということでした。平板アクセントの方が主流ですね。
ただ厳密に言うと、関西弁アクセントだと
キャップ(LLH)
と「プ」だけが高くなるのですが、この際、「頭高ではない」アクセントは「平板アクセント」に含めることにします。



その、平板アクセント派からは、
「キャップが頭高アクセントだと、『キャプテン』の意味の略称の『キャップ』のように思ってしまう。」
という声も聞かれました。



意味の違いによってアクセントを変えるというのは、同音異義語の多い日本語では合理的な判断だと思いますが、外来語の「キャップ」についても同様になるのかどうか?
今後見守っていきたいと思います。



 
2002/8/7


◆ことばの話769「春先とかに」

8月7日、読売ジャイアンツ前監督の長嶋茂雄さん宅に、刃物を持った67歳の男が侵入し、お手伝いの女性に「次女の三奈さんに会わせろ」と迫ったものの、男は通報で駆けつけた警察官に現行犯逮捕されるという事件がありました。
長嶋前監督というと、「セコム、してますか?」というコマーシャルでも有名。その「セコム」の設備はちゃんと備えてあったものの、どうもスイッチを切ってあったらしいのです。いくらセコムでもそれでは・・・。
さて、この件に関する長嶋さんの会見が自宅近くの公園で行われました。その模様も8月8日(木)の「ズームイン!!SUPER」で見ていたら、記者からの「こういっ侵入者は始めてか?」という質問に対して長嶋さんは、こう答えたのです。



「うーん、春先はね、けっこういるんですけど、夏休みはね、初めてです。」



え!?それって・・・春先には出て来るものって・・・・・何か、ふかーい意味があるんでしょうか?“木の芽時”とかですかね。
各スポーツ紙は、この長島発言をどういうふうに記しているかを見てみました。



(スポニチ)「以前にこういうことはありません。ただファンの方が来てても木戸が開いていたりして庭に入って、花を持って行ったとか、やれどうだとかはありました。」



(デイリー)週末ともなれば、ファンの方が大勢来ますし、夏休みは地方から車で来られる方もいますから。庭まで花束を持ってくることもあって、その都度、交番には連絡してたのですが。」



(報知)「来るものは拒まず的に対応してましたので、庭に侵入して花を持っていったりすることは何度かありました。その都度、警察に連絡していたのですが」



(日刊)ファンの人たちがしょっちゅう家の前にいるし、庭に入って花を持って行ったこととかはあった。その都度交番には連絡してました。春先とかに多いんですけどね。夏休みは初めてです。



(サンスポ)=このくだりの記述なし



ということで、日刊スポーツのみ「春先は多いが夏休みは初めて」とちゃんと書いてありました。デイリーは「夏休み」のくだりのみ、載せておりました。
しかも、他紙は「(ファンが長嶋家の)花を持っていった」と書いてあるのに対して、デイリーだけは、「花束を持ってくることもある」と、全く逆のことが書いてあります。
こういった時はテレビと新聞を比べると面白いですね。
それにしても、そうですか、夏休みは初めてでしたか。以後、戸締まりは厳重に!!



なお、捕まったのは自称・泉秀明(67歳)。長嶋さんと同年輩です。
ところが、翌日(8月9日)の新聞を見ると、なんと「泉秀明」と言うのは偽名。昔、一緒に働いていた人の名前だと言うのですから開いた口がふさがりません・・・。この男、本名は「小野明(65歳)」。福島県出身の住所不定、無職だそうです。警視庁調布署の調べに対して、
「長嶋さんに会わせてくれると言われ、頭の中が真っ白になってしまった。」
と話しているということです。根は純情な長嶋ファンだったということでしょうか。
いやいや、とんだ「オチ」までつきました。



2002/8/9


◆ことばの話768「35度が予想されています」

東北の夏祭のニュースが連日続いています。
きょう8月6日は、、浴衣を着たかわいらしい女性アナウンサー(テレビ朝日系)が仙台の七夕の様子を中継で伝えていました。その彼女が言うには、



「今日の最高気温は、35度が予想されています。
そして今日の七夕の人出は、7万人が予想されています。」




おや?と思いました。この「35度が」「7万人が」の「が」に違和感を覚えたのです。本来、「予想されています」という文章の前には、



「35度と予想されています。」



「7万人と予想されています。」



のように「と」でつなぐのが普通ではないでしょうか?



「〜が予想されています」と「が」が使えるケースは、
「(この抽選箱の中には赤と青のカードが入っていますが、これまでの経験から次の人が引くカードは、)赤が予想されています。」
といったケースで、「事前にいくつかの選択肢が提示されていてその中から一つ選ぶようなケース
」に限られると思います。



なぜ彼女は「35度が予想されています。」と言ってしまったのか?
おそらく彼女は「〜と予想する」「〜と予想される」といった文に慣れていなかったのではないでしょうか?彼女の20数年(だと思う)の人生の中で、「予想をする」という作業をあまり行なったことがなかったのではないか。ここまで言うと言い過ぎか。



でもきっとそれに近い言語生活を送ってきたことが想像できます。
お!「想像できる」という言葉の前には「〜が」と「が」が来るぞ。もしかしたら、これとの混同かもしれない・・・・と予想できます。いや、想像できます。あるいは・・・と推測できますね。



2002/8/8


◆ことばの話767「ベガルタ仙台」

8月7日は、仙台の七夕祭り。大阪ではお盆は月遅れというか8月中旬ですが、七夕は7月7日です。仙台以外にも8月7日に、つまり月遅れの(旧暦=陰暦の)7月7日に行うところがあるかどうかは知りませんが、今年は8月6日、つまり昨日、仙台で七夕祭をしている様子を、各局のお昼のニュースで流していました。
その様子を見ながら、読売新聞校閲部編による「新聞カタカナ語辞典」(中公新書ラクレ2002・5・25)をパラパラとめくっていると、巻末に「Jリーグチーム一覧」というページがありました。そこで、



「ベガルタ仙台」



の項を見ると、チーム名の由来が記されていました。



「織姫星ベガと彦星アルタイルが出会う伝説から合体名に。仙台七夕に由来。」



とありました。なんと、「ベガルタ仙台」のチーム名は、仙台名物の七夕に由来していたのです。知らなかったなあ。ちなみに1998年までのチーム名「ブランメル仙台」の「ブランメル」は、「19世紀初頭の有名な"伊達男""ジョージ・ライアン・ブランメル"に由来」
だそうです。へーえ、これも知らなかった!



伊達政宗と伊達男、「伊達つながり」かな、もしかして。いろいろ知恵を絞っているのですね。これからJリーグで仙台の試合を見るときは、いろんな事が頭に浮かんできそうです。

2002/8/7


◆ことばの話766「まったり」

一つ前の、平成ことば事情755「スベタ」で話した「なにわことばのつどい」の今年の総会で、「間違った大阪弁」として取り上げられたのが、



「まったり」



でした。本来「味」に関して使われる「まったり」が最近は「牛車でまったり」「まったりした時間を過ごす」といった「ゆったり」「ゆっくり」の意味での「まったり」が普及しているのは誤用だというのです。
NHKの「おじゃる丸」の北島三郎さんが歌う主題歌に、
「まったり まったり まったりな いそがず あわてず まいろうか」(作詞:大地土子)
というのがあるそうで、そのあたりも取り上げられていました。
確かにおっしゃるとおり、「まったり」の本来の意味は、



「味わいがまろやかでこくのあるさま」(広辞苑)
「こくのある味わいが舌ざわりよく口の中に広がって行くことを表す」(新明解国語辞典)




となっています。
若者語を取り上げた、大阪外国語大学の小矢野哲夫教授による「ワードウオッチング〜現代語のフロッピイ」(私家版1999・1・30)の中でも、朝日新聞などの記事を引用してこの「まったり」は取り上げられています。



「ジベタリアンの中にはみずからを『プー』と称して、学校へも行かず仕事もしないで、ただ駅のコンコースやコンビニやファストフード店の前の路上に座り込んで時間をつぶす『まったり』した日々を送っていた。『どんよりした日常』をこう形容するそうだ。」(朝日新聞1997年1月3日付朝刊「牛になる」鈴木啓一記者)。
村上龍著『ラブ&ポップ』(幻冬社、1996年)にも、「この三人と一緒の時の自分が好き、高見浩一と一緒の時の自分は何となくまったりしている」と高校二年生女子の内言として使わせている。また、『ひと』(太郎次郎社)1997年4月号では「ポスト・バブルの若者たち『どろんと虚ろな身体』と題する特集をしていて、秋山孝さんが「『まったり』が日常の生徒たち 三割がフリーター予備軍の学校で」で指摘していた。
「まったり」というのは元来、味覚について言う言葉で、「まろやかでこくのある味わいが、口の中にゆっくりと広がっていくさま」(『大辞林』)を表す、プラス評価の言葉である。料理番組でもよく使われるし、1994年に十六茶という缶入りのお茶のCMで流れた早口言葉にも使われていた。二女に聞いたら、つぎのように言っているそうだ。
「やっぱり、くっきり、まったり、どっきり、はっきり、ゆっくり、むっちり、すっきり、ざっきり、てっきり、ぱっきり、ぽっきり、めっきり、しっとり、うっとり、さっぱり」。
それが、「どんより」「どろん」「虚ろ」といった、いずれも人間の生気が感じられない、マイナス評価の言葉の類義語として使われているのである。極端な使い方である。しかし、スパイシーといった感じの刺激がないという共通点がありそうだ。」



長い引用になってしまいましたが、要は1994年位から1997年ぐらいにかけて、本来の意味ではない「まったり」が使われていたということですね。
しかも小矢野先生の説によると「いずれもプラス評価ではない使われ方」をしているということです。
しかし最近は、必ずしも「マイナス評価」とは限らないように思います。



新語アナリストの亀井肇さんの「平成新語・流行語辞典『外辞苑』」(平凡社、2000・7・25)にも「まったり」は載っています。
「1991年の言葉。OL用語。なんとなくつまらない、やることがないといった状態。味覚表現からの語感の転化。*最近では、この意味合いが少し変わって、<味がある><コクがある>といった意味合いで使われるようになっている。90年代半ばに意味合いが変わったようだ。
やっぱりね。新語であってもどんどん意味が変わってきたりすることもあるんですよね。
京都の女子高の先生、高山勉さんの編による「キャンパス用語集1997年(第7版)」によると、「まったり(する)」は、
「退屈、疲れている。普通に(楽しく)過ごす。『今日も2階でまったりしようぜ。』(1997)」
というふうに、ちょうど「まったり」の意味が変化している様子が記されています。



「なにわことばのつどい」では、こんな説明をされてました。
もともと「まったり」は「またい」であった。漢字では「全い」。つまり「完全」という意味。最高の味、あるいは人格の完全な人、というような意味であった。その「またい」の「い」が「り」に変化し、促音便のちっちゃい「っ」が入って「まったり」になったのだと。だから「重厚でコクがある」というのが本来の意味であるということです。この変化に関しては、京都の言葉に詳しい関西外国語大学の堀井令以知先生の説だと説明されてました。
私が思うに、「まったり」の「○ったり」という形のものに「ゆっくり」「ぐったり」「ぐっすり」「ゆったり」など、動作の遅いものが多く、また「まっ」というマ行の音にも「まんねり」「もたもた」「もちもち」など膠着した感じのスピード感を欠く語があることからの類推で、
「まったり」=ゆっくりと粘り気のある時間の流れ



という表現にたどり着いたのではないでしょうか?「マ行」は、一旦、上と下の唇をあわさないと発音できないので、その分、発音がわずかながら遅くなるということもあるかもしれません。
本来の「まったり」が持つ味わいも、「コクか?キレか?」と問われれば、間違いなく「コク」ですし、その分「キレ」は欠いている気がします。どこかのビールのコマーシャルのように「コクがあるのにキレがある」というのは本来、矛盾しているのです。「コク」があったら「キレ」はない、「キレ」があったら「コク」はない。反比例する性格のように私は感じますが、いかが?
話が少しそれましたが、従来ある言葉の意味が変化したり新しい意味が加わると、その言葉に愛着を持っている人たちにとっては「受け入れられない」と大きな反発を招くことは必至です。従来の意味を使う伝統的な人たちが違う意味を理解できたとしても、「理解したくない」という感情の方が先に立つので、そのあたりにどう対処するかが難しいですねえ。しょうがない、今日は「まったり」するか。あ、使っちゃった。



2002/8/6



(追記)
私が教えに行っているアナウンス学校で、生徒(19歳〜27歳)に「まったりという言葉を使うかどうか?」を聞いてみたところ、みんな「使う」ということでした。
使い方は「今日は、まったりしよう」のように「のんびり、ゆっくり」という意味で使う人がほとんどですが、21歳の男性は「あの人、まったりしてはる」のように「ちょこまかしていない、マイペースの人」の意味で使うそうです。また、本来の意味の「このクリーム、まったりしてる」というふうに味に使う女性もいました。



2002/8/8




(追記2)
新聞の切り抜きが出てきました。1999年5月22日の朝日新聞夕刊。「探検キーワード」というかなり大きなスペースを割いたコラム。そこで「まったり」が取り上げられています。それによると、「あら、うちの子『まったり』してきたから帰るね」というような「まったり」の用法が若い人たちの間で使われ始めたのは、1990年あたりから。関西圏はやや遅くて90年代も半ばになってからと見られるそうです。味覚の「まったり」の流行はさかのぼること約10年。80年代半ばに料理評論家の山本益博さんが好んで使ったそうです。料理の「まったり」表現の、文学における起源は、開高健の小説「新しい天体」(1972年)にまでさかのぼれるんだそうです。
そして「まったりと生きよ」と提唱しているのは、社会学者の宮台真司さん。そのあと、「おじゃる丸」の原案者・犬丸りんさんにつながっていくようです。この記事のサブ見出しは「生き方にコクと切れ味」。記事を書いたのは鈴木繁記者です。



2002/9/6