◆ことばの話760「スペインの"結果を出す"」

「結果を出す」という言い方がスポーツを中心に良く耳にするようになった、という話を「平成ことば事情101」で書きました。それに関連して、読売新聞夕刊で連載中の「新・日本語の現場」という連載コラムで取材を受けました。そこでは「最初に使ったのはJリーガーの三浦知義選手」と答えました。(2002年6月21日・夕刊、『新・日本語の現場30』)



その記事を見た、共同通信大阪支社の中嶌賢一さんが、新聞用語懇談会の会議の際に、「スペイン語にも"結果を出す"と同じような例がありましたよ」と、コピーをくれました。 それはNHKラジオの「スペイン語講座」の2002年7月号のテキストに載っている、清泉女子大学助教授の木村琢也(きむら・たくや!)先生が書いた「いつわりの友の物語」という4ページのコラムでした。ちょっと長くなるけど、引用すると、



『今回取り上げたいのは、英語の「exit」(出口)とスペイン語の「exito(eの上にはアクセント記号)」(成功)である。あまりに意味がかけ離れているので、、この二つの単語は偶然似ているだけだと思われるかもしれないが、あにはからんや、この二語は語源が同じである。(・・・中略・・・)実はラテン語の「exitus」からして、既に「出口」のほかに「結果」という意味があったようだ。「出口」と「結果」とどういう関係があるんだ、と不思議な気もするが、どうもヨーロッパ人の頭の中では「結果」というものは中から外へ出てくるものらしく(・・・・中略・・・・)「exito」が「結果」という意味を持っていたことはいいとして、これがなぜまた「成功」という意味になったのかという問題は、まだ解決していない。そこで語源辞典の登場となる。スペイン語語源辞典の決定版、Joan CorominasとJose A.Pascual(oの上にアクセント記号)の"Diccionario critico etimologico castellano e hispano "(=斜字の上にアクセント記号・全6巻、1980年〜 )を調べると、ざっと次のような記述があった。"この『exito(eの上にアクセント記号)』という語はスペインではほとんど『良い結果』という意味だけで用いられる。アカデミアは1884年になってもまだこの意味を認めなかったが『Aut(=1726〜37年に刊行されたDiccionario de Autoridadesという辞書のこと。)』はすでに困難な企てのことを"no tendaria exito"(aとeの上にアクセント記号=exitoを持たないだろう)と述べて、この語が『成功』という意味であることをほのめかしている。(中略)この語を良い意味で使うときにわざわざbuenoをつけるのも一般的ではない。"どうやら単に『結果』という意味だったexito(eの上にアクセント記号) が次第に「良い結果→成功」だけを意味するように変わっていったらしい。単に「運」を意味するsuerte が "!Que tengas sueryte!"(幸運を祈ります)だと「幸運」という意味になってしまうのと、ちょっと似ている。」



と書いてありました。長くなりましたが、スペイン語のにも、単なる「結果」という単語が「良い結果=成功」を意味することがあるということですね。



そしてこんどは、それとは逆に「悪い」とは行っていないのに「悪い」ことを意味する言葉の例を、日本の週刊誌で見つけました。「週刊文春」(2002年7月18日号)の36p、「優香との密会で判明、松本人志、常磐貴子の『永すぎた春』」の中でこんな一文が。



「松ちゃんの女グセは有名で、手下にしている吉本の若手芸人を使ってさかんに合コンのセッティングなどをさせてます。」



ここで出てくる「女グセ」は、明らかに「女グセの悪さ」を意味しています。



つまり、「悪い」というのを省略しているのです。



結局は、文脈で判断できるものは省略してしまうという傾向は、洋の東西を問わずにあるのではないでしょうか。



2002/8/2


◆ことばの話759「傷んでいます」

広島の友人からメールが来ました。その内容は、



「ワールドカップの中継でアナウンサーがよく『選手が傷んでいます』という表現をよく使っていたが、『傷んでいる』という言葉を聞くたびに、私は黒ずんだバナナを思い浮かべていた。選手に『傷んでいる』という表現を使うのはおかしいのではないか?」



というものです。



確かに私がサッカー実況をしていた10年ぐらい前まではあまり耳にしたことがない表現でした。ただ、その頃でも、



「足を痛めたようです」



という表現は当然ありました。思うに、



「痛めたようです」→「痛めているようです」→(「痛そう」)→「傷めているようです」→「傷んでいるようです」



というふうな心理的言葉の変化を遂げたのではないか、その結果として、



「バナナが黒ずんで傷んでいる」



というふうな「傷んでいる」のイメージに重なる、人間にはふさわしくない表現が生まれてきたのではないでしょうか。



選手を同じ人間としてケガをした様子を見ていると、自分もケガをしたような気になってきて、重苦しい感じになりますが、そういった空気から逃れるために合えて選手をモノに見立てたかの表現を取っているのかもしれません。まあ、これは推測に過ぎないのですがね。



中継をする以上、選手の気持ちに出来るだけ近づくことも必要だと、私は思うのですが、皆さんはいかが?こう考える私は、



「頭をいためているようです。」



2002/7/26


◆ことばの話758「ブロードウェイかブロードウェーか」

「道浦さん、ちょっといいですか?」



朝の番組「ズームイン!!SUPER」のディレクターF君が話し掛けてきました。



「ニューヨークの"ブロードウェー"の"ウェー"は"−"ですか?それとも"イ"と書いて"ウェイ"ですかね?」



そんなこと、急に聞かれてもわかりません。



「実は今朝のズームで、ブロードウェーからの特集をやったんですけど、日テレは"ウェイ"と"イ"を使っていたんですが、新聞のラ・テ欄に"ウェイ"で出すと、通らないんですよ。"ウェー"が正しいんだって。辞書をみても"ブロードウェー"になっているんですよね。」



「一応調べてみるわ」と、その場はしのいで、あとで調べてみました。



あまり小さな国語辞典には「ブロードウェイ」も「ブロードウェー」も見出しとして載っていませんでした。「広辞苑」では「ブロードウェー」と長音符号で載っていました。「現代用語の基礎知識2002」のカタカナ語にも「ブロードウェー」と長音符号で載っていました。「日本国語大辞典」も見出しは「ブロードウェー」と長音符号だけでしたが、その解説の中の一番初めに「ブロードウェイ」という表記も載っていました。 共同通信社の「記者ハンドブック・新聞用字用語集2002」によると、「外国の地名・人名の書き方」の原則について書いてあって、



「二重母音『エイ』『オウ』は原則として長音符号で表す。(例)アデレード、ベーカー、ゴールドコースト」



となっています。おそらく各社、これを踏襲しているのでしょう。



ただ「原則」となっているように、「絶対ではない」ところもあります。たとえば、「広辞苑」も「ブロードウェー」の「ウェー」は長音符号を使っているのに、「マイウェイ」は「ウェイ」と「イ」を使っているのです。これは整合性がないじゃありませんか。



そして、最近は「ブロードウェイ」という書き方が増えてきているのも事実のようです。インターネットの検索エンジンGoogleで「ブロードウェー」と「ブロードウェイ」を検索してみたところ、



「ブロードウェー」・・・・・・・3220件



「ブロードウェイ」・・・・・3万4900件



ということで、圧倒的に「ブロードウェイ」と二重母音を示す表記の方が、インターネット上では使われているようなのです。



この事からもわかるように、このところ「二重母音」の発音ならびに表記に関しては、国が決めた基準と大きく変わってきているようなのです。今一度、「原則」を徹底して教えるのか、それとも今のこの流れを容認するのか、そろそろちゃんと考えなくてはならない次期にさしかかっているのではないでしょうか。



そういえば、F君がこの前まで担当していた土曜朝の番組も「ウエークアップ」だったな、「ウェイクアップ」ではなくて。



2002/8/5


◆ことばの話757「五色」

先日の新聞用語懇談会でTbSのGさんから、



「『五色』というのは『ごしき』と読むか『ごしょく』と読むのか?」



という質問が出ました。ちょうど七夕の頃だったので、七夕の歌を思い出しました。



「ごーしーきーのたーんざくー」



という、あれです。あれによると「ごしき」ですね。すると、Gさんは、



「『ごしき』って何色なの?」



と質問されました。ふと思い出したのは、前日に見たテレビ番組で言っていたことです。そこで私は



「赤、青、白、黒、それに黄色ですね」



と答えたら、



「本当に?じゃあ、『ごしき(五色)沼』はその5色なの?」



とビックリすると同時に疑わしい顔をされていました。しかし、昔は「ごしき」というとこの5色のことを指したのです。本当。でもそこで、用語懇談会のご意見番、Kさんが、こうひとこと。



「確かにそうですが、それともう一つ、『ごしき』には『たくさんの色』という意味もありますね。それは『なないろ』も同じで、『なないろ(七色)に輝く』と言う時は、色が七つということではなくて、たくさんの色ということですね。」



そうか、その意味もあったか。



「五色」は「ごしょく」と読めば「任意の5つの色」を指しますが、「ごしき」と読むと1.赤、青、白、黒、黄色と2.たくさんの色、という二つの意味があるということが分かりました。



出来たら、表記も前者は「5色」、後者は「五色」と書き分けたらどうでしょうね?



2002/8/3


◆ことばの話756「通算打率」

私らの世代で「756」という数字を聞けば「王選手のホームラン世界記録」と誰もが口にするのではないでしょうか。この756号をもって、当時の福田赳夫総理大臣が、王選手に「国民栄誉賞」の第1号を授賞したんですよね。今の官房長官のお父さん。でも、ハンク・アーロンの持っていた755本を越えた時のことは覚えていても、王選手の生涯本塁打数は、あまり覚えていないなあ。850本くらいでしたっけ?まあしかし、「756」と聞いてこんな話をするかどうかで世代がわかったりして・・・。でも今回はホームランの話ではなく「打率」の話です。



最近気づいたのですが、メジャー・リーグのニュース、イチロー選手と新庄選手のニュースで、NHKの画面に出て来る数字の中に混じって



「通算打率」



という文字があります。「通算打率.356」というふうに表示されているのです。他の放送局では単に



「率.356」 と「率」しか書いてなかったり、もう「率」も省かれていたりするのですが。NHKが示しているのは、



「今シーズンの通算打率」



です。でもたいていの場合、「打率」と言えば「今シーズンの打率」に決まっているのではないでしょうか?もし「最近10試合の打率」や「得点圏打率」 であるなら、そう表示すべきですしね。



逆にこれまで「通算打率」と言った場合は「それまでの野球人生の通算打率」を指していたと思うのです。



そういう意味では、誤用とまでは行かなくても、誤解を招く表現ではないでしょうか?



そのあたりについてNHKの知人に聞いたところ、



「それまでの野球人生での通算打率は、『生涯打率』と言う。」



という返事が返ってきたのですが、「生涯打率」というと、もう既にその人の「野球人生」は終わってしまっている気がします。現役の選手に使うのは失礼な感じです。たとえれば、生きている人に向かって、



「あなたの『一生』はこうでした。」



と言っているみたいです。(この場合は「半生」と言う言葉を使うべきでしょうね。)



いまのところ「通算打率」を使っているのはNHKだけだと思うのですが、広がらないように願います。



2002/7/25



(追記)



7月26日の一般紙朝刊5紙のメジャーリーグの記事で「通算打率」を使っているところはどこもありませんでした。全部シンプルに「打率」でした。



また、テレビ朝日、TbSの朝のスポーツニュースも「率」あるいは「打率」でした。



2002/7/26




(追記2)



この話をNHKの知り合いにしたところ、担当のスポーツの部署に話してくれたそうで、今日(8月3日)の夜のスポーツニュースでは、「通算打率」ではなく、普通の「打率」になっていました。とりあえず、よかったよかった。



2002/8/3




(追記3)



その某国営放送の夜10時台のスポーツニュースで、ヤクルトの岩村選手が、サヨナラヒットを打ったことを、
「岩村、生涯初めてのサヨナラヒット」
という表現をしていました。某国営放送さんは、岩村選手は今後引退するまでサヨナラヒットは打たないと見ているのでしょうかね?岩村選手の野球人生にもうピリオドが打たれたみたいで、なんかかわいそう・・・。



2002/8/15

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