◆ことばの話750「姉妹都市」

この平成ことば事情も連載から丸3年。750回を迎えました。ご愛読ありがとうございます!1年平均で250編も書いているというのは、我ながらすごいことですね。会社に来たときには一つは書いてるということで。



それだけ、言葉の世界は「奥が深い=おもしろい」ということですね。いくらでもネタが、日々湧き起こってきます。強いる「勉強」ではなく。自ら進んで「なぜだろう」を解決する「勉学」は、死ぬまで続けて行くものなのでしょう。でも、大人になってそういうことが出来るようになるためには、子どもの時の基礎の段階をしっかり「勉強」しておくことも大切なのでしょうね。たとえ強いられても。おもしろくなくても。人生に王道なし。日々是精進。別に自慢しているのではないく、自戒を込めて、そう思います。



いや、前置きが長くなってしまいました。"毎日ネタが湧き起こってくる"ということのひとつの例が、今日の疑問です。



「なぜ、"姉妹都市"と言って"兄弟都市"と言わないのか?」



これも話し出すと長いのですが。話しましょうか。 うちの4歳の息子は乗り物が大好き。特に電車と飛行機が好きです。その息子が、「新しい地図帳を買って欲しい」



と言うのです。我が家には、10年ぐらい前に買って少し古くなった世界地図帳を置いてあります。それを時々眺めていた息子は、その地図には、



「関西国際空港が載っていない」



ことに気づいたようなのです。カンクー(関西国際空港)は1994年9月4日の開港で、その地図帳は1991年のものだったのです。そりゃ、載っていないよな。そして、



「カンクーが載ってる地図帳、買ってきて!」



と言うのです。最近は子供向けの電車の本では満足できず、最新の電車のカラーグラビアがふんだんに載っている「鉄道ファン」を買ってもらっては、ひらがなしか読めないくせにじっと見入っている我が息子、末は間違いなく、



「てっちゃん(鉄道おたく)」か、鉄道会社の社員でしょう。待てよ、「中川家」(弟の方)になるということも・・・。まあ、いいか。



というわけで、久しぶりに地図帳を買いました。帝国書院の、高校生が使うような割としっかりしたものの、2002年版。この2002年版の特徴は日韓共催のワールドカップを記念して、韓国の地図を特集で載せていること。その地図の中に、日本の都市と姉妹都市提携を結んでいる都市が書き込まれていたのです。(さあ、そろそろ本題に入りますよ。)そのことを、会社で後輩のSアナウンサーに話したところ、Sアナの口から出た言葉が、



「なんで"姉妹都市"と言って"兄弟都市"と言わないんでしょうね。」



という疑問だったのです。あー、長い説明だった。お付き合いいただき、ありがとう。



「姉妹都市」を辞書で引いてみてもその由来など詳しいことはなかなか載っていません。「日本国語大辞典・第二版」の「姉妹都市」の項には、



「文化交流や親善を目的として外国の都市と特別に親密な関係を取り結んだ二つの都市。日本では昭和三〇年(1955)の長崎市とアメリカのミネソタ州、セントポールとが最初。」



とあります。「日本では」というぐらいだから、海外で始まったのじゃないかな。そう思って和英辞典で「姉妹都市」を引いてみました。



sister city


ちなみにもう一つ姉妹校というのも載っていました。



sister school



うーん、シスターね。やはり海外から始まったような感じ。NHK放送文化研究所の塩田雄大さんにメールで教えを請いました。塩田さんからの返事には、



「おそらく英語からの影響でしょう。研究者の英和辞典でsisterを引くと、『姉妹のような関係にある、姉妹・・・、対の』とありました。例として、



sister arts 姉妹芸術



sister ships 姉妹艦(船)



sister language 姉妹語



sister states 姉妹国



sister block 姉妹滑車



sister city 姉妹都市(米):twin town(英)



などが上がっています。イギリス英語では『双子都市』なのですね。一方の『brother』には「仲間、同僚」などの意味はあるようですが、姉妹のように『仲のいい』という感じの用法は見当たりません。兄弟より姉妹の方が『仲がいい』のでしょう。」



とありました。 参考になりました。どうやらアメリカ起源のようですね。



こういった肉親の関係の比喩がアメリカから輸入されているとすると、もしかしたら、キリスト教の「聖書」が絡んでいるかもしれません。ヨーロッパからだと「ギリシア神話」を探ってみる必要があるでしょうが。



今後更なる調査が必要ですね。今回はこのへんで・・・・"しまいとし"よう。(仕舞いといよう。)



2002/7/28


◆ことばの話749「服用」

中国製ダイエット食品による"健康被害"が社会問題になっています。身近な話題だけに、次々と出て来る問題に対しても関心が高いようです。



さてこの「中国製ダイエット食品」、「食品」と名前が付くからには「薬」ではありません。このあたりややこしいのは、



「中国では薬でも、日本では薬として承認されていない場合にどう表記するか」



ということです。そして、そのれを「飲む」ことを表す表現は、何がふさわしいのか?



「服用する」でしょうか?「飲む」でしょうか?それとも「摂る」「摂取する」でしょうか?



まず新聞紙上でいちばんよく使われている「服用する」を「広辞苑」で調べてみると、



「服用=【2】薬を飲むこと。服薬(例)食後に服用する」



また、「新明解国語辞典」によると、



「服用=茶・薬を飲むこと。(かつては物を食べることをも言った)」



とあります。そして「摂取」は、



「摂取=自分の体を保つために栄養物などを取り入れること(精神や文化を高めるために他から何かを学ぶ意にも用いられる。)



「飲む」は液体だけでなく、薬やタバコにも使えますね。幅の広い言葉です。



では、「摂取と服用の違い」はどういったところでしょうか?次の例文を見てみましょう。 (例)カルシウムを摂取するには、いわしの丸干しを粉にして飲むか、カルシウム剤を服用すると良い。 なんとなくニュアンスは伝わりますかね。 結局、上の問題(中国では薬でもニホンでは承認されていない場合)のケースは「未承認の医薬品」ということです。つまり、



「日本で使うことは、安全確認がなされていないので認められていないが、医薬品は医薬品」



なので「服用」を使っても問題ないように考えられます。「服用してはいけない」のですが、「服用という言葉は使っても良い」ということです。紛らわしい。



余談ですが、この問題を考えている上で出てきた疑問は、 「医薬品にカロリーはあるのか?」



「ダイエット食品はマイナス○○カロリー??」



ということ。 どなたかご存知ありませんか?



2002/7/29


◆ことばの話748「こちらも・・・・」

ワールドカップが終わってしばらくした頃、某局の深夜ニュース番組を見ていた時のこと。そこでは、在日外国人の人たちが、自分たちが住んでいる日本で開かれるワールドカップのために、日本にやってくる外国の人のお手伝いをするというボランティア活動の模様がリポートされていました。



VTRが終わってスタジオの男性アナウンサーが、


「ワールドカップがきっかけとなってこういった動きが出てきて、在日外国人と日本人との垣根がなくなって行けばいいですよね。」



とコメントしたのに対して、横に座っている女性キャスターのKさんが、



「そうですね、こういった動きがもっと広がれば、こちらももっと積極的に外国人の方とコミュニケーションをとれますよね。」



というようなことを言いました。私は耳を疑いました。男性アナウンサーが言ったように「在日外国人と日本人の垣根がなくなればよい」という趣旨でこのリポートは構成されていたのに、この女性キャスターのひとことが、それをぶち壊しているではありませんか。そのひとこととは、



「こちらも」



です。「こちら」とは、明らかに彼女も含めた「日本人」側を指しています。彼女の言葉を使えば「在日外国人」は「あちら」になります。「こちら」と「あちら」を意識して使うのであれば、意識の上での「垣根」は、全くなくなってなんかいないではないですか!なぜそのことに気づかないんだろうか?せめて「私たちも」ぐらいの言葉を選べなかったのだろうか。



VTRはせっかく良いリポートだったのに、最後のひとことで台無しにしてしまった女性キャスターの責任は重いし、プロデューサーはそのキャスター・コメントを事前にチェックしていないのかと、唖然とさせられました。



他山の石とすべきですな。



2002/7/25




(追記)
この番組を見たときのメモが出てきました。 7月2日TBSの「ニュース23」です。あ、番組名言っちゃった!そのVTR終わりで男性のアナウンサーが、 「ナショナリズムの高揚と言われるけど、それを超えたインターナショナリズムと言うかそういうものが感じられますね。」 「見てて、こっちも嬉しくなりますね。」 おいおい、超えてないやないか。「こっち」という意識が消えてなければ。ということでした。



2002/8/1


◆ことばの話747「約10人」



先日、某Kテレビの朝のニュースを見ていると、閉鎖が決まった「宝塚ファミリーランド」の「閉鎖撤回」を求める署名集めを、地元の住民が行っているというニュースをやっていました。



そのニュースの中で若い男性アナウンサーが、署名を集める住民の数を、



「およそ10人



と言った(そう、原稿を読んだ)のです。それを聞いて私は、



「"およそ"10人?なんで10人ほどしかいないのに、"およそ"をつけるねん?たかが10人ぐらい、きっちり数が数えられへんのんかいな。」



と、まず思いました。つまり7人なら7人9人なら9人と言うべきではないのか?およそ100人とかおよそ180人というぐらい多ければ、話は分かるのですが。



そして次に考えたのは、



「実際に集まった地元住民の方は、きっと10人にも満たない少なさだったので、視聴者にカッコつけて少しでも多く感じさせるため、二桁にしようと"およそ"をつけて10人としたのではないか。」



ということでした。さらに私の考えは進みます。



「しかし待てよ。10人にも満たない"地元住民"の行為を、なぜわざわざニュースで取り上げるのかな?」



確かに私の知る限り、このニュースを取り上げていたのは、Kテレビだけでした。ここで、頭にひらめくことがありました。宝塚ファミリーランドを経営するH電鉄は、確かKテレビの大株主だったはずです。「宝塚ファミリーランド」は、経営としては閉鎖を余儀なくされたのだろうが、かなり多くのファンの人たちがいる。その人たちに対して、「閉鎖して欲しくない」という気持ちの代弁者としてこの署名活動をする人たちを取り上げたのではないか。



しかし、その声に本当に答えるのであれば、こういった人たちの気持ちを汲んで「閉鎖を撤回」すれば良いのだが、経営上それは無理。だとするとどういうことになるか?せめてもの罪滅ぼし(?)として、



「お客様の暖かい好意の気持ちを大切にする姿勢だけは崩さずに、粛々と予定通りにことを進める」



こと以外に道はないでしょう。



「およそ10人」



という中途半端な言葉の陰に隠された背景は、こんな話の展開とは全く違って、単に



「何も考えずに"およそ"って付けちゃった」



のかもしれませんが、ここまで考えると、たかだか1分ほどのストレートニュースも、結構推理で楽しめるでしょ?



2002/7/26


◆ことばの話746「終盤力」

将棋の谷川浩司九段が、史上最短・最年少で、通算1000勝をマークしました。



その直前、1000勝に王手をかけていた辞典での日経新聞の記事(7月10日夕刊)で、谷川九段を表して、



「『光速の寄せ』と呼ばれる鋭い終盤力が特徴だ。」



と記してありました。その文の中の「終盤力」という言葉は、将棋に詳しくないわたしにとっては始めて耳にする言葉でした。



「○○力」という形は造語力があるようで、実にたくさんの言葉があります。



「逆引き広辞苑」で調べたところ、なんと235も「○○力」という言葉がありました。その中に「終盤力」というのはなかったのですが、将棋の世界ではよく使われている言葉なのでしょうね。そう言えば数年前に「老人力」なんてのもありましたっけ。



「終盤」を広辞苑で引くと、



「(碁・将棋などで)勝負が終わりに近づいた寄せの段階。またその盤面。転じて、行事・仕事などの最終段階にもいう。(例)「終盤戦」



ほー、やはり「終盤」という言葉自体が、もともとは囲碁・将棋の世界の意言葉だったんだ。じゃあ、「終盤力」が将棋の言葉として使われるのも全く不思議ではありませんね。



また、おもしろい「○○力」というのを見つけたら、報告しますね。

2002/7/25


(追記)

2004年4月中旬、駅の売店で見かけた『別冊・週刊朝日』の特集タイトルが、
「年金力をつけよう」
でした。「年金力」なんてのもあるんですね。あと、元・産経新聞の方が出した本のタイトルが、
「新聞力」
でした。最近、とみに、何でもかんでも「力」をつけて言葉にしてしまってる。これは静かなブームなのでしょうかね?内容がそれに伴って「力」をつけているといいのですが、どうなんでしょう?インフレ気味かも・・・。

2004/4/29


(追記2)

2005年2月5日放送の日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演していた、千葉大学名誉教授の多胡輝さんと言えば、往年のベストセラークイズ本『頭の体操』の著者として有名ですが、その多胡さんがこの番組で行った授業のタイトルが、
「盲点力をつけよう」
でした。「盲点」に気づく力、とでも言うんでしょうかね。常識を打ち破る目、という感じのことでした。多胡さんは盲点力をつけるためには、常識の逆を考える、大きくしてみる、小さくしてみるなどのテクニックをいくつか紹介していました。
それにしてもこの『○○力』は広がっていますね。それを拡げている一人は、なんと言っても明治大学教授の齋藤孝さんでしょう。しかし実のところ、齋藤さんの本、あんまり読みたいと思わないんですよねえ・・・それでもつい、何冊かは買ってしまうところが、すごいといえばすごいなあ。

2005/2/6