◆ことばの話700「カリパチ」

もうすぐこホームページの連載も3年になります。700回到達です。ご愛読ありがとうございます。
さて今回は、記念すべき700回にふさわしい話題……というわけではございません。しょうもない話です。先日、アナウンス部内で、女性のUアナウンサーとMアナウンサーが、一枚のCDを持ってこんな話をしていました。



U「長い間借りてて、どうもありがとう!」
M[わーい、ようやく帰ってきましたね。これ聞きたかったんですよー。]
U「ちゃんと返したからね。けど、CDってカリパチしたりよくするよね」



?????「カリパチ」って、一体なんじゃい?草野球で「ライトで八番」の選手のことを「ライパチ」って言うのは聞いたことがあるけど(つまり、あまり野球が、上手じゃない選手のことですね。)「カリパチ」は始めて聞いたぞ。(大体、想像つくけど)でもって、Uアナウンサーに「カリパチって何?」と聞くと、



「えー、知らないんですかあ」



とバカにされてしまいました。それでも聞いてみると、



「長い間人から物を借りたまま返さないで、パチることですよ。」



という答えが。「パチる」とはもちろん「くすねる」とか「盗む」という意味ですね。そんなこと、やったことがないから、知らなくて当然・・・というのはウソで、自分の意に反して、どうしても返しそびれた品物、誰にでも一つや二つ、ありますよね。あれは「カリパチ」の品物だったのか。
知らなんだ。



でもUアナは、そんな品物が部屋にあふれていたり・・・しないですよね。
・・・しないそうです。




あ、しまったあ、このネタ700回記念でなくて800回記念に書けばよかった。
嘘八百・・・。


2002/5/18


◆ことばの話699「入れっぱ」

アナウンス部にあるビデオデッキで、その日放送の番組を録画しようと新しいビデオテープを入れようとしたところ、誰かのテープが入りっぱなしになっていました。
「ははーん、森若アナウンサーだな」
と思って、彼女の机の上にテープを置いておきました。
机に彼女が帰って来た時に、
「テープ、出しておいたよ」
と言うと、
「あ!すみませーん。私この間の夜勤の時にテープを“いれっぱ”で…・。」
え?何?“いれっぱ”って?“入れっぱなし”のことを“いれっぱ”と言うの?
「あ…。たぶん、森若家でだけだと思います。うちではヘンな言葉がはやってたりするんですよ。」
「じゃあ、何かい、“やりっぱなし”は“やりっぱ”、“出しっぱなし”は“出しっぱ”ってわけ?」
「そうですね、“やりっぱ”“出しっぱ”です。」
……つまり省略して「なし」は「無し」ということです。
この「入れっぱ」「やりっぱ」「出しっぱ」、インターネット上で使われているか、見てみましょう。Googleで。
「入れっぱ」=112
「出しっぱ」=69
「置きっぱ」=91
おー、あるんだ。けど、よく見てみると、「入れっぱなし」もこの件数の中に含まれているようなので、数字は信用できません。しかし、この中にあった「東京出版サービスセンター」というところがネット上で出している「流行語予報(JUNK WORDS)」の20008月号「置きっぱ」「出しっぱ」が、また20014月号には「やりっぱ」をはじめとして「行きっぱ」「狂いっぱ」「話しっぱ」「笑いっぱ」「おかしっぱ」「いじめっぱ」などが載っていました。意味については「やり放しでフォローがないというよりもテンションがガガッといきっぱなしなことです。」と書いてありました。使われている地域は、横浜、千葉が上げられていました。
ところで、前に出ている歯は「出っ歯」、虫歯で黒く欠けた子供の歯は「味噌っ歯」ですが、これと「入れっぱ」「出しっぱ」は、まったく関係ありません。「やっぱり」と言うべきところを若者言葉で「やっぱ」と言うのに、ちょっと似ているような気はします。
家中で、そういった言葉を使っているなんて……お父さんお母さんも、お若い。
ここで一言、言うとしたら、「やっぱ」これでしょう。
「ご立派」。
2002/6/1

*最初Mアナウンサーにしていたのですが、本人に確認したところ、「実名で書いて良い」と言うことでしたので、「森若アナウンサー」にしました。

(追記)

先月、新聞用語懇談会総会で岩手県の盛岡に出張した時に、JRの盛岡駅前ですれ違ったサラリーマンが、
「(靴が)ぬぎっぱ」
と言っているのを耳に留めました。意味はやはり、
「脱ぎっぱなし」
でしょうね。このほか、「借りっぱなし」の「かりっぱ」も最近耳にするようになりました。
もう一度そのあたりを4年ぶりにGoogle検索してみましょう(6月15日)
「入れっぱ」=1万3700件
「出しっぱ」=1万2800件
「置きっぱ」=3万1900件
「ぬぎっぱ」=    87件
「脱ぎっぱ」=   144件
という結果でした。
2006/6/15



◆ことばの話698「バットを折りながらも」

他局のスポーツニュースを見ていたら、こんなフレーズが出てきました。



「スワローズ藤井は、クレスポにバットを折りながらもレフト前に運ばれると…。」



なーんかヘンな感じがしました。どこがヘンなんだろうか?
まずここで藤井というのはピッチャーですね。藤井が主語です。その藤井がクレスポ(バッターですね)にバッタを折られた。これも引っかかるんですよね。



バットを折ったのは、ピッチャーかバッターか?



バッター・クレスポのバットを「豪速球(剛速球かな?)」で「へし折った」のは「藤井投手」です。でもバッターのクレスポ選手も「バッタを折った」と言えます。不思議な言葉ですね、「バットを折る」。自分で折っても人に折られても「バットを折る」。藤井「は」、クレスポ「に」という助詞が、なんかヘンなんですよね。



さらにそのあとは「レフト前に運ばれると」とあります。「運ばれた」のは「藤井投手」です。ということは最初の「スワローズ藤井は」という主語と、述語にあたる「レフト前に運ばれると」はちゃんと呼応しているわけです。おかしいのは真ん中に差し込まれた「バットを折りながらも」ですね。主語が藤井投手ならば、この部分では「バットを折られな
がらも」ならば、やや文章の「ねじれ」は解消する気がします。つまり、



「スワローズ藤井は、クレスポにバットを折られながらもレフト前に運ばれると…。」



しかし!ここでまた、「折られたのは誰か」と言う問題が浮上します。折られたのはバットの所有者のクレスポ選手。うーん、じゃあ、これでどうかな?



「スワローズ藤井は、クレスポのバットを折りながらも、レフト前に運ばれ…。」



もしくは主語を変えてしまって、



「クレスポは、スワローズ藤井の投げたボールをバットを折りながらもレフトに運び…。」



いろいろ考えているうちに、一つわかりました!



このようにねじれてしまった文章は、小手先でちょこっと直そうとせず、一から書き直す努力をした方が早い!ということが。
参考にしてくださいね、「ニュース・ステーション」のスポーツ担当の方!



2002/5/24


◆ことばの話697「賑わしていた」

「あれー?みっちゃん、これ、どっちだっけ?」



先輩のMさんが聞いてきました。



「ナレーション原稿に『賑わしていた』という言葉が出てきたんだけど、これ、『賑わしていた』で、いいのかな?それとも『賑わわせていた』って、『わ』が二つ続いてはいるのかな?」



ちょっと待ってくださいよ。それと良く似たことについて、以前に書いたような。探してみましょう。………・ありました、ありました。「平成ことば事情325味わわせる」ですね。そこでは「味あわせる」か「味わわせる」か?という疑問が提議されていました。
この場合は正しい形は「味わわせる」。「わ」が2回続くので、「なんかおかしいな」「発音しにくいな」と思ってか、最近この最初の「わ」を省略してかわりに「あ」を使い「味あわせる」とする傾向があるようなのです。



この「賑わしていた」もそれと同じように「賑わわせる」が正しく、「賑わせる」は間違いなのでしょうか?つまりそこから考えると、「賑わしていた」なのか「賑わわしていた」なのか?



もとの形は「賑わう」。「わ」行ですね。そうすると、やはり「賑わす」は、
「賑わう」十使役の助動詞「す」。



これを活用させると



○「賑わしていた」か「賑わせていた」



×「賑わわしていた」「賑わわせていた」




となるのではないのでしょうか。「味わわせる」とはちょっと違った結果になりましたね。
「わ」は最初から1回で良いと。
一応、Mさんにはそのように伝えましたが、私の文法の知識は中学生レベルなので、これでいいのかな?
もし間違っていたら、ぜひ皆さんご一報を!



2002/5/24


◆ことばの話696「見えにくいと見えづらい」

「見えにくい」と「見えづらい」。
同じような意味ですね。でもやっぱりちょっと意味は違うのでしょうね。



「○○にくい」と「○○づらい」

という形ですね。ちょっといくつか具体例を考えてみましょうか。



「読みにくい本」と「読みづらい文字」
「歩きにくい道」と「歩きづらい靴」
「寝にくい夜」と「寝づらい夜」
「食べにくい料理」と「食べづらい料理」

こうやって見てくると、
「『にくい』は主観、『づらい』は責任を相手に押し付けている」ように思えませんか?もうちょっと「見て」みましょうか。いや「見えない」という言葉を使って。




「目が悪くなって見えにくい」
「木が邪魔になって見えづらい」




という例では、「にくい」は本人(主体者)に責任、「づらい」は本人(主体者)以外に責任があるような感じですね。
なかなか断定はできませんが。
ということは言い換えると、



「断定は、しにくい」?
「断定は、しづらい」?




うーん、そんな感じかな。
皆さんのご感想、お待ちしていまーす。



2002/5/24

(追記)

以前、早稲田大学の飯間浩明さんが「『書きやすい』と『書きよい』」の違いについて書いてらっしゃいましたが。それとちょうど同じようなことですね。意味は逆ですが。



2002/6/1

(追記2)

2005年10月22日の日本テレビ『世界一受けたい授業』で、垣田達哉さんが、
「わかりづらい」
と言っていました。同じ日のプロ野球日本シリーズの中継で、テレビ朝日のアナウンサーが、
「千葉マリンスタジアムは『もや』や『濃霧』が出て、『みづらい』
と言っていました。これに関して甲南大学の都染直也先生に、
「『見づらい』と『見にくい』というよく意味の似た言葉で、最近『見づらい』がよく使われる理由は?」
と伺ったところ、
「『見にくい』は『醜い』との同音衝突があるので、それを回避しようとして『見づらい』を使うのではないか。」
というお答えでした。
(今頃このメモが出てきたので、もう10か月も前の話を書いています。)
2006/8/7

.(追記3)

北朝鮮の核実験の情報に関してのニュースで、男性記者が、
「情報を取りづらい」
と言っていました。この場合、「取りづらい」と「取りにくい」の違いはどうでしょうか?
うーん、こんな”たとえ”はどうでしょうか。
曲がった細い筒の底にあるボールは、手を入れても「取りにくい」。その筒の前に凶暴そうなドーベルマンがいると「取りづらい」
また、ケチな奴に貸した金は「返してもらいにくい」。恩義のある貧乏な先輩に貸した金は「返してもらいづらい」。
ここから判断すると、
物理的にできないのが「にくい」
心理的にできないのが「づらい」
「にくい」は、既に「そうしよう」と行動は起こしているものの、できない状態。一方の「づらい」は、そういった行動を取ろうとは思っているのだけれど、まだ行動を起こしてはいない状態。
「づらい」には「辛い」「いやだ」という話し手の気持ちが入っているような気がします。だから、物理的にできない「にくい」の代わりに、気持ちの吐露の表現として「づらい」が以前よりも広く使われるようになってきたのではないでしょうか?いかがでしょうか?
2006/10/6