◆ことばの話680「コンニシュワー」

ワールドカップ、本当に近づいてきました。あと2週間を切りました。各国代表チームが続々と、来日しています。

夕方の「ニュース・スクランブル」では、奈良県の橿原市でキャンプをはって日本と対戦する「チュニジア」とは一体どんな国なのか?川上記者が、海外取材に行って来ました。先週、3日間にわたってその模様が放送され、ナレーションを私が担当しました。その中で川上記者は、チュニジア代表チームのエース・ストライカーでありながら、けがのため半年間チームに合流できなかった、ジトゥーニ選手に直撃取材を行いました。

「ジトゥーニ選手の家はこの辺り」と聞いてカメラマンとともに歩いていた川上記者は、街角の理髪店で、ちょうど散髪をしているジトゥーニ選手を発見!カメラマンが近づくと、人なつっこい笑顔を浮かべたジトゥーニ選手、髪を切られながらカメラに向かってなんと

「コンニシュワー」

と言ったのです。日本語知ってるんだ!もちろん本人は「こんにちは」と言ったつもりなんでしょう。でもその言葉の響きが、とってもフランス語ぽかった。とてもユニークな感じです。

それで思い出したのが、リュック・ベッソン監督の映画「TAXI 2」です。フランスが舞台で、暴走族あがりのタクシー運転手が主人公。日本の防衛庁長官が来仏するので、地元警察が警護体制を敷きます。なぜか主人公も運転手としてその警備の一員に入ります。そして地元警察署の所長は、日本の防衛庁長官に気に入ってもらおうと、大はりきりで日本語の特訓を署員にさせるのです。なんか、ワールドカップを控えた今の日本みたい。

その練習風景がとっても面白かったのですが、その時練習していた日本語の一つが、何を隠そう、この

「コンニシュワー」

だったのです。フランス人はみんな「コンニシュワー」と言うのかな。

日本語をフランス語っぽくしゃべる、という遊びの一つに「麻布十番」があります。

これを、

「アザブジュバーン」

というふうに言うと、とってもフランス語っぽく聞こえると言うのです。いっぺん、試してみて下さい。「バ」にアクセントを置いて下さいね。

それにしても、ジトゥーニ選手の「コンニシュワー」は、私とっても気に入りました。

チュニジアの選手に、もし出会うことがあったら、さあ皆さんもごいっしょに、

「コンニシュワー!!」

2002/5/17

(追記)

山口仲美「犬は『びよ』と鳴いていた〜日本語擬音後・擬態語が面白い」(光文社新書、2002・8・20)
によると、ネズミは室町時代までは、
「シウシウ」
と鳴いていたそうです。というか、そう鳴いているように聞こえたそうです。漢字で書くと、口偏に秋で「しう」。これは元来、鳥・虫・けものあるいは女や子供などがなく時に出す、か細い声を意味する漢語だそうで、スズメのさえずりも「しうしう」だったそうです。それが江戸時代以降、「ちいちい」「ちうちう」となり、大正時代になってからスズメの鳴き声は「チュンチュン」と表記することになったといいます。
つまり、日本においても「サ行」→「タ行」、つまり「シ」→「チ」の変化というのが行われていたということは、フランス語と日本語において、「コンニチワ」→「コンニシュワ」という「タ行音」→「サ行拗音」の変化が起きても不思議はないかな、ということを言いたかったのです。以上、オチマイ。

2002/8/25

(追記2)

2004年3月4日の毎日新聞。イラクのサマワからの記者報告で、山科武司記者が、
「コ・ン・ニ・シ・ワ」
というタイトルのコラムを書いています。それによると、現地の老人が羊の肉をむしりながら「日本語でサラマリコン(あいさつ)は何と言うんだい?」と聞いてきたので、「こんにちは、だよ」と答えたところ、笑い出したといいます。通訳に理由を聞いても恥ずかしがって答えない。ようやく聞き出したところ、
「どうやら『ニ・チ』の音の並びが何か性的なものを想起させるらしい。そう言えば、通訳が会社名を紹介するときも『まいにち』が『マイニシ』だ」
と山科記者は書いています。日本人にとって(特に関東人)オマーンの港を「オマーン港(こう)」と呼んだり、スイスの「レマン湖」を連呼したらちょっと恥ずかしいようなものなのでしょうか? 最後に老人は、こう言ったそうです。
「自衛隊員の皆さんと仲良くなりたいと考えている。でもあいさつはコンニシワにしてくれ。笑ってしまうから。」
ということは、もしかしたら、フランスやチュニジア、アルジェリアの場合も「コンニチワ」と言わずに「コンニシュワー」というのは、そのあたりに原因があるのかも・・・と思ったのでした。 どなたかご存知の方、教えてください。

2004/3/5



◆ことばの話679「凱旋」

がいせん」と読みます。

近ごろ、この「凱旋」が安売りされているように思うのです。特にスポーツニュースやスポーツ記事で。

たとえば。

昨日神戸ウイングスタジアムで行われたサッカーのキリンカップ、日本代表対ホンジュラス戦の記事(スポーツニッポン2002・5・3)で、

「稲本“凱旋”」

という見出しが。凱旋には“ ”が付いていましたが。

ガンバ大阪出身の稲本選手が、イングランドのアーセナルに移籍してから初めて、「地元・関西」に帰ってきての試合、という意味合いで「凱旋」を使ったのでしょうが、本来の「凱旋」の意味は、

「戦いに勝ち、(かちどきをあげて)帰ること」(新明解国語辞典)

です。もともと、戦争用語でしょうね。

稲本選手は残念ながら、アーセナルではレギュラーになれずになかなか試合にも出ていないのが現状です。とても「かちどきをあげて」地元に帰って来られるような状況ではないはずです。イングランドのプレミアリーグの選手として「故郷に錦を飾る」なら、まだ意味が成立するかもしれませんが。おそらく、その程度の感じで使っているのでしょう。

先日、阪神タイガースが、星野仙一監督の地元・倉敷(岡山県)の球場で試合を行ったことがありました。その時のタイガースは広島との3連戦の3戦目。1勝1敗の五分で迎えた第3戦だったのです。その時も、うち(読売テレビ)の朝の番組のスポーツコーナーのディレクターが書いた原稿には、

「星野監督の凱旋」

というような文章が並んでいました。

もし、タイガースが優勝して倉敷にやって来たのであれば「凱旋」でしょうが、まだペナントレースも始まったばかりで、4月首位が確定した訳でもない。しかも当面の敵・広島カープとは、この3連戦1勝1敗で直前の試合では負けているのに、「凱旋」はおかしいのではないか、と思って原稿は変えました。

また、もう少し前の話ですが、アメリカかどこかのツアーで大健闘4位に入ったプロゴルファーが日本に帰国した時にも、

「凱旋帰国」
という文字が、スポーツ欄の見出しを飾りました。

また5月9日の日刊スポーツにも、ニューヨークで“古巣”(?古いかな?在籍したのは去年なのに)メッツと対戦したサンフランシスコ・ジャイアンツの新庄剛志選手が、大ハッスルして(ふるーい)ヒットを打ったという記事の見出しに、

「凱旋ヒット」
という文字が躍っていました。本文の中には、

「凱旋第一打席」

の文字も。新庄選手は、何の戦いに勝ってニューヨークに来たと言うのでしょうか?

どうもマスコミは今、なんでもかんでも「凱旋」を使いたくて、うずうずしているように思えます。

それもこれも、なかなかハッキリとした回復の兆しを見せない日本経済の中で、せめてちょっとでも明るいスポーツの話題があれば、「凱旋」という晴れがましい言葉を使ってみたくなっているからではないでしょうかね?

2002/5/9




◆ことばの話678「笑点を見ています」

この時期、各企業とも来年入社の新入社員の入社試験が始まっているか、もう済んだところでしょう。読売テレビのアナウンサーの試験も、既に終わりました。

その入社試験を受けにきた若き学生さんの中に、こんな人がいました。

見た目も、面接での受け答えも、とっても真面目に堅く応じていた彼。面接官から、

「お笑いなんかには興味ないの?」

と聞かれて、

「興味あります!」

「どんなお笑い番組を見てるの?」

「ハイ、『笑点』は欠かさず見ております。」

この時、期せずして面接官から笑いが漏れました。

・・・いーじゃない、どんな番組を見ようと。それに『笑点』は、うち(日本テレビ系)の番組だし、何も問題ないじゃない・・・・・・というのはさておき、確かに、21・22歳の若者が『笑点』が好きと言うと、なぜか苦笑(?)が漏れてしまいます。

では『笑点』はお笑い番組ではないのか?というと、まぎれもなく「お笑い番組」でしょう。でも、若者が好むお笑い番組ではない。高齢者向けのお笑い番組と言って良いでしょう。

新入社員の若者に私たち「おじん」が望むものは、高齢者向けのお笑いではない。それならば、今いる「おじん」でも作れるからです。

面接官の「おじんたち」が期待していた「(若者向けの)お笑い番組」とはまったく違う、"意表を突かれた番組"を答えられたために、笑いが起きたのだと思いますが、ある意味では、われわれは『笑点』を「お笑い番組」とはみなしていないという共通認識もまた、明らかになった訳です。(「笑点」の番組担当者の皆さん、ファンの皆さん、ゴメンナサイ・・・・・・)

しかし、今から28年前の、中学生になる年の4月上旬の春休み、熱を出してふせっていた時に、布団の中で見た『笑点』、おもしろかったなあ。

今は亡き三遊亭小円遊さんが、「春の小川」というお題で作った川柳、

「春野さん。 やあ、なんですか?小川さん」

文字どおり、腹をかかえて死ぬほど笑いました。あんなにおかしかったのは、もしかしたら、私が熱を出していたからだったのでしょうか。これなんか、いまだに覚えています。

そういう意味では、当時の私にとって『笑点』はまぎれもなく「お笑い番組」でした。過去形ですけど。今だとこの川柳、面白くも何ともないのになあ。

「笑い」って個人個人でそのツボが違うし、同じ人にとっても状況や年齢、いろんな要素で、「おもしろさ」は変わってくるんでしょうね。
2002/4/29


◆ことばの話677「においとかおり」

花の美しい季節となりました。

さて、その花から漂うのは、"かおり"と言いますか?それとも"におい"と言いますか?

(漢字で書くと「香り」と「匂い」ですよね。)

どうでしょうか?
私は「におい」でも間違いとは言えないけれども「かおり」の方がきれいな感じがします。なぜか?

「におい」の漢字表記には「匂い」と「臭い」があって、「臭い」のほうは「くさい」とも読めるので、「におい」という言葉に「くさいにおい」が移ってしまっているように感じるからではないでしょうか?

では、「ふくよかな」「かぐわしい」といった形容詞の後に来るのは、「かおり」か「におい」か?

○ふくよかなかおり

△ふくよかなにおい

○かぐわしいかおり

○かぐわしいにおい

どれも可能でしょうが、一応私の感覚で○と△をつけました。

でも「かぐわしいかおり」はなんとなく重複しているようなイメージがあるのは私だけでしょうか。

「香ばしい」という形容詞の後も「かおり」を持ってくると、目で見た感じでは重複のイメージがあるので、「におい」のほうが無難な気がします。

そう言えば、以前、子供の頃遊んだ「ぼんさんがへをこいた」(関東では「だるまさんがころんだ」)について調べた時に、京都では「ぼんさんがへをこいた」と1から10まで数えた後、11から20に当たる言葉は、

「においだらくさかった」

だと知りました。「においだら」という言葉の動詞の原形は「におぐ」です。これは、

「におう」と「かぐ」がくっついてできたのではないでしょうか?

あ、「におう」と「かぐ」だと、「におう」の方が上品に感じるなあ、ボクは。「かぐ」って、「かぎまわる」ような感じで、ちょとお下品(!?)。

本当にこの辺りの感覚は、におい・かおりと同じで個人個人の感覚なんでしょうねえ。

2002/5/3



◆ことばの話676「火箸」

アナウンス学校でこの4月から週に1回、「共通語」について教えています。それで、共通語のアクセント練習をしている中でこんな練習文がありました。

「火箸で遊んでいたら火柱が立った」

危ないよね、火の用心。

それはさておき、火箸。

生徒の一人が質問してきました。

「火箸って何ですか?」

はあ、まあそうだよね。火箸、知らないよね。火鉢がないんだから。

一応念のために聞いてみると、「火鉢」は全員知っていましたが「火箸」になると、グッと認知度が低くなります。もちろん「五徳」にいたっては、認知度0に近い。でも、滑舌練習の「外郎(ういろう)売り」には、「五徳、鉄球、金熊童子」が出てくるんだけどな。 仕様がないので、ホワイトボードに「火鉢・五徳・炭・灰・火箸」の絵を書いて説明しました。本物があれば一番良いのですが。

と言う具合に「火箸」は、家庭からその物がなくなった事によって「死語」の世界の棺桶に足を踏み入れた言葉の一つです。

元朝日新聞記者の奥山益朗さんの「続・消えた日本語辞典」(東京堂出版1995・4・25)に、「火箸」は「火鉢」とともに載っていました。

「火箸」=「炭や炭火を挟むのに用いる金属製の箸。もちろん火鉢に付き物で、火鉢の姿が消えて現在は『火箸』も珍しくなった。『火箸』の語は 『消えた日本語』ではないが、物思いに沈んだ娘が火鉢の灰に『火箸』で何やら書く姿などは見られなくなった。」

当然でしょうな。例文として石川達三の「四十八歳の抵抗」(1956年)から


「父はみみずのように曲った火箸をとって、静かに灰の中に字を書いていた。」

というのが載せてありました。「四十八歳の抵抗」は高校の時に読んだけど、内容はよく覚えてません。そんなものかな。まだ48歳までには、もう少し間があります。

2002/5/9


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