◆ことばの話660「作業着と作業服」

唐突ですが、作業着と作業服はどう違うのか?と聞かれました。



「○○着」と「○○服」という形があるものは他に何があるか?



<服>
<着>
×部屋服
○部屋着
×訪問服 ○訪問着
×外出服 ○外出着
○体操服 ○体操着
○洋服 ×洋着
○和服 ×和着(○着物)
○平服 ×平着
○礼服 ×礼着(○礼装)
×普段服 ○普段着
×下服 ○下着
×上服 ○上着
○宇宙服 ×宇宙着
×肌服 ○肌着
×寝間服 ○寝間着
○勝負服 ×勝負着
×産(うぶ)服 ○産着(うぶぎ)


と並べてみたら、「服」は「洋装」が多そうです。でも「和服」があるではないか!ということですが、これは「呉服」からの流れではないでしょうか。これに対して「着」は「和服」系統の感じがしますね。「着物」のイメージがあります。



「作業着」「作業服」と同じ関係で、「どちらも言う」のは「体操服」「体操着」です。



「着(ぎ)」を辞書(新明解国語辞典)で引いてみました。



「着るもの。(例)下着・外出着・訪問着」



ここから考えると、接尾語的な「着」が付く(「○○着」)のは、「○○」の部分が表す、その動作や目的・状態を主体として捕らえた場合で、それに対して「○○服」は、「○○」の部分が表すものは「服」を形容しているに過ぎない。つまり、



「○○着」=○○>着 「○○服」=○○<服



といった関係が成り立っているのではないでしょうか。あくまで、私の個人的感覚ですが。



言い直すと、「作業着」は、「着物」ということよりも「作業をする」ということの方が重要な要素で、それに対して「作業服」は「服であること」のほうが、「その服を着て何をするか」というような形容する部分の動作よりも重きを置かれている、ということです。



もちろん、その差はごくわずかであり、どちらを使っても構わないのですが、あえてそのニュアンスの違いを問われれば、そういう事になるのではないでしょうか?



ちなみに「作業服」「作業着」、「体操服」「体操着」のように両方なり立つものは、どちらを使うかは、その場面場面で判断していけば良いのではないでしょうか。



いかがかな?



え?私の今の服装は?って?



平服の普段着です。



2002/4/16


◆ことばの話659「和平と平和」

週に二日、木・金と、朝5:25からの番組「あさイチ!」を担当しています。朝…というか夜中の3時に起きて、3時半にタクシーで家を出て、4時に会社に入ります。そして本番直前の5時15分まで、その日紹介する朝刊の下読みなど準備をして、メイクをして衣装に着替えます。衣装といってもスーツなんですが、これはスタイリストさんが用意してくれます。スタイリストさんとは、番組前に5分、そして番組が終わってから着替える時に5分、直接お世話になります。



番組が終わって着替えている時に、控え室に置いてあるテレビでは、イスラエル情勢のニュースを伝えていました。そのテレビを見ながら、スタイリストさんが、話し掛けてきました。(長い前振り!)



「道浦さん、"和平"と"平和"ってどう違うんですか?」



「"和平"と"平和"?うーん、同じといえば同じなんだけど、違うところは一言で言えば、語順が違うね。なんでそんなことを?」



「昨日、仲間内で話をしていた時にそんな話になったんですけど、誰もわからなくて。一緒と違うの?って事になったんですけど、そのあとも気になって…。」



最近のスタイリストさんの話題の中心は「和平」と「平和」ですよ。スゴイですね。



これはしっかり考えて答えてあげなくちゃ。そう思った瞬間、答えが出ました。



「"和平"は"平和を求める動きのこと"で、"平和"は"平穏な状態そのもの"を指すんじゃないかな。だから、"平和じゃない時"に"和平"を求め、"平和"な状態の時には"和平"は必要ないんじゃないかな。」



我ながら良く出来た答えだな、と思ったのですが、一応、国語辞典も引いておきましょう。



「平和」



@心配事・もめごとなどが無く、なごやかな状態。(例)「家庭の平和」



A戦争や災害などが無く、不安を感じないで生活できる状態。(例)「平和を築く(取り戻す・乱す)平和が維持される(訪れる)」「平和的利用」「恒久平和」「平和共存」



「和平」



国と国の紛争状態が終わり、平和を取り戻すこと。(例)「和平を講ずる」「和平交渉」



(以上、『新明解国語辞典・第五版』)



「平和」



@やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと。「平和な心」「平和な家庭」



A戦争がなくて世が安穏であること。「世界の平和」



「和平」



@やわらぎおだやかなこと。



A和睦して平和になること。「和平工作」「和平会議」



(以上、『広辞苑・第五版』)



「平和」に関しては、どちらの辞書もあまり変わりありませんが、「和平」に関しては微妙に記述が違いますね。「和平」について、他の辞書も引いてみましょう。



「和平」



@(名詞)穏やかであること。平和。



A(名詞・スル自動詞)和睦して戦争をやめること。



(『新潮現代国語辞典』)



これは、名詞で使われる時は「和平」も「平和」も同じような意味だけれど、動詞として使う場合は、私が冒頭答えたように「戦争状態から平和状態を求めて交渉する」というような意味になるようですね。



いずれにせよ、イスラエル・パレスチナの地に一日も早く「平和」が訪れることを祈らずにはいられません。



2002/4/13


◆ことばの話658「ピンク衣」

CX(フジテレビ)系の映画「ナースのお仕事・ザ・ムービー」を、日本テレビの「ズームインSUPER」で紹介していました。なんで、よその局の映画の宣伝を時間かけてやるんだと思いながら見ていたのですが、その中で



「ピンクの白衣」



という言葉が出てきました。それを聞いた後輩のOアナウンサーが、



「ピンクの白衣は、おかしいですよねえ。」



というので、



「まあ、そうだけど、でも"黄色いワイシャツ"とも言うからなあ。"緑の黒板"もあるし、"白衣"も白にこだわらなくてもいいんじゃないの?」



と言うと、



「いえ、そうじゃなくて、ピンクの白衣のことを、医者やってる僕の友達はみんな、『ピンク衣(い)』って言ってますよ。」



とのこと。



ピンク衣(い)!?




初めて耳にしました。ホンマかいな。



それこそおかしいんじゃないの?



半信半疑で、私も友人の医者(内科医)に聞いたところ、



「うちではそんなこと言わない。やはり白衣。」



とのことでした。



そうですよね、「ピンク衣」なんて言いませんよね……でもインターネット検索だ!ということで例によってGoogleで「ピンク衣」を調べると……、なんと74件も出てきました!それも、看護学校の学生さんとか、救急病院のHPだとか、ちゃんとした医療関係の、どちらかというとその学校のようなところですかね。どうも看護学生が着る物のようです。74件の中には、「ピンク衣なんておかしいよね」という調子のものもあるのですが、それはどうも外部の人のようです。



つまり最近の看護学生の「学生専門用語」として「ピンク衣」という言葉は広がりつつあるのではないか?というのが、私の結論であります。知り合いの内科医は、40代後半なので、彼が医学生の頃には「まだ、"ピンクの白衣"自体がなかったのではないか」……と想像していますが。(田中さん、ゴメンなさい……)

2002/4/16


◆ことばの話657「まっスラ」

テレビのスポーツコーナーでプロ野球のニュースを見ていたら、こんな言葉が出てきました。



「まっスラ」



???なんだそれ?



「まっすぐ」じゃ、ないの?と思って、野球担当のディレクターに聞くと、



「ピッチャーはまっすぐ(直球)のつもりで投げて、でも勝手にスライダー気味に曲がるボールのことです。"まっすぐ"の"まっ"と"スライダー"の"スラ"で"まっスラ"ですわ。」



という答え。へー、知らなかった。



私にとってはこの言葉は、「まっさら」でした。



でも「まっすぐ」の「まっ」というのは、漢字で書くと「真」ですから、そのあとの「すぐ(直)」を形容しているだけ。強調している言葉ですよね。それに対して、「スライダー」は完全に球種を表していますから、本来の意味を考えると「まっスラ」は、



「まともなスライダー」「正真正銘のスライダー」



のような意味になってしまうのではないかな?と考えるのは、私だけでしょうか。(おお、この「…なのはわたしだけでしょうか。」というフレーズは、1980年代の『ぴあ』の「はみだしコーナー」でさんざん使われたフレーズ。今使うと、ちょっと懐かしい。)



新語はインターネットGoogleで!ということで「まっスラ」を検索すると、80語ひっかかりました。



野球担当のMアナウンサーに聞くと、



「4年ぐらい前からかなあ、使われるようになったのは。アクセントは"まっすぐ"と同じで"LHHL"だなあ。」



ということでした。



まぁしかし、今後はちょっとこの「まっスラ」に注目して、ペナントレースを見ていきたいなと思いました、ハイ。

2002/4/14


◆ことばの話656「メガ」

平成ことば事情562で「ナノ」について書きました。「ナノ」は10億分の1。ごっつい小さい単位です。それとは対称的に、やはり最近よく見かけるのが「メガ」です。



一番よく見るのは、



「メガバンク」(巨大銀行)



ですが、4月10日の読売新聞に登場したのは、



「メガファーマ」(巨大製薬会社)



です。



経営の世界では、先端技術の「極小化」「ナノ化」とは全く逆に、「巨大化」「メガ化」が進んでいるように見えます。「メガ」はパソコンの記憶容量でも耳にしますよね。その分野は弱いんですが……。『現代用語の基礎知識』を引いてみると、



「メガ」(MEGA)=メートル法の100万倍をさす。



とあり、それより大きいのは、



「ギガ」(GIGA)=10億の意味



です。つまり、「10億分の1(=10の9乗分の1)=ナノ」でしたから、



「ギガ分の1」=「ナノ」



なのですね。



先端技術は「より小さくすること」を目指していますが、それは裏返すと



「より巨大な情報量を小さな物理的スペースに納める」



ということで、



「コンテンツの巨大化」



と規を一にしているように思えます。



そして経営面はというと、企業の巨大化によってその市場の占有率(シェア)を高め、さらに巨大化することで、寡占的な状況を作り出し「生き残る」ことに目的はあるように思えます。



一見、なんのつながりもないような「メガ」と「ナノ」ですが、時代の流れの中のどこかで、つながっているような気がします。まるで写真のネガとポジのように。



2002/4/16