◆ことばの話645「"ひとりぐらし"と"ひとりずまい"」
大阪の文化住宅で朝火事がありました。ケガ人などはなかったものの、アパートが焼けてしまいました。出火の原因について、警察と消防では、火元の部屋に住む45歳の女性が放火したのではないかと見て、事情を聞いています。
というふうなニュースの中で、この45歳の女性の居住状況について、原稿には、
「ひとりずまいで」
とありました。これについて、夕方のニューススクランブルのプロデューサーから、内線電話がかかってきました。その内容は、
「"ひとりずまい"より"ひとりぐらし"の方が適切ではないか?」
と言うのです。
うーん、そのニュースは見ていましたが、気づきませんでした。でも言われてみればそんな感じがしますね。
「ひとりぐらし」は若い人、独身の人が「親元を離れて"ひとりぐらし"を始めた」という感じですし、「ふたりぐらし」「さんにんぐらし」と人数を増やして「数詞」のように使える気がします。「親子よにんぐらし」とか。
しかし、「ひとりずまい」というと、何か「わびしさ」を感じます。本来は「夫婦ふたり」あるいは「家族3人」で暮らすべき人が何らかの事情でひとりで住んでいる、といったような、「ひとりでそこに住んでいるのには、実は深いわけがある」といった感じですかね。裏読みしすぎでしょうか?
そうすると、何らかのニュアンス、色をつけたくないニュースの場合は「ひとりずまい」よりも「ひとりぐらし」を使った方が良いような気もするわけです。プロデューサーがわざわざ電話してきたのには、そういう感情が働いたのではないでしょうか。
この件について、夕方ニュースのSキャスターに聞いてみると、
「私見かもしれませんが、私は"ひとりずまい"と聞くと、なんか大きなお屋敷にひとりでポツンと住んでいるような気がしますね。"ひとりぐらし"だと、アパートとか小さな家のような気がするなあ。」
とのこと。ふーむ、なるほど。これはおそらく「すまい」という言葉の和風の響きが、昔風の日本家屋・お屋敷を想起させているのではないかなぁと感じました。あ、Sキャスターは「ひとりぐらし」です。…そのはずです。
また、現在は家族4人ぐらしのHアナウンサーは、
「"ひとりずまい"には"わびしさ"を感じます。ニュースではこの場合、色が付いていない"ひとりぐらし"を用いるべきでしょうね。でも、あえて言うと、"ひとりぐらし"には"孤独"というイメージがありますね。"わびしさ"と"孤独"がどう違うかと言われると困るんですけど…。」
と話していました。
最後に、私の半生における「○○くらし」の歴史を記しましょう。
「家族3人ぐらし」→「4人ぐらし」→「5人ぐらし」→「ひとりぐらし」→「4人ぐらし」→「3人ぐらし」→「ふたりぐらし」→「ひとりぐらし」→「夫婦ふたりぐらし」→「家族3人ぐらし」。
だからどうした。……どうも、しません。どうもすみません。住んでますが、家に。
2002/4/10
◆ことばの話644「五十日」
みずほ銀行のコンピューターシステムがうまく動かなくなって、はや2週間。
今日、4月15日は月曜日。そして、5、10がつく、区切りが良い日です。
東京都の職員にとっては、給料が振り込まれる日=給料日だったようです。その給料がちゃんと振り込まれるかどうか、結果は特に問題はなかったようなのですが、そのことを伝えたNHKのお昼のニュースでTアナウンサーが、
「五・十日(ごとーび)にあたる今日は、給与の振り込みなどが集中して、混乱が予想されましたが…。」
といったような原稿を読んでいました。気になったのは、
「五十日」
の読み方です。「ごじゅうにち」ではありませんよ、念のため。Tアナウンサーは「ごとーび」と、「十」を「とー」(とお)と伸ばして呼んでいたのですが、関西人にとって、「五・十日」の読み方は、
「ごとび」
と3拍。「十」は「と」と短く言い、伸ばしません。
そう言えば今週号の「週刊新潮」(4月18日号)の150p、「女がつくる男のページ」というコラムで、放送作家の山田美保子さんが「頭くらい下げろ」という題でATM障害に続いて口座振替えなどの遅滞というトラブル続きのみずほ銀行をはじめ、銀行全般に対する「うらみ」を書き連ねています。その中でこんな文書が。
「3月中は5・10(ごとう)日でなくとも毎日大混雑」
(実際の文章は、縦書きで、5と10の間に「・」はありません。洋数字で書かれていますが。)その「5・10」に、わざわざ「ごとう」というルビが振ってあるのです。
東京の人は「五・十日」を「ごとうび」「ごとーび」と、「十」を伸ばして発音するのではないか?と思っていたら、その同じ日に、後輩のHアナウンサーが、
「道浦さん、今日、NHKのお昼のニュースで、"ゴトービ"と伸ばして呼んでたんですが、何なんでしょうね、あれ。」
と話し掛けてくるではありませんか。やっぱり、気になる人は気になっていたんだ。
そこで「日本国語大辞典・第二版」を引いてみました。
「ごとび」(五十日)
@「ごとばらい(五十払い)」に当たる日。
A「ごとおび(五十日)」に同じ。この意味では普通「ごとおび」といわれている。
とありました。では「ごとおび」も引いてみましょう。
「ごとおび」(五十日) 月のうち五、一〇、一五、二〇、二五、三〇の各日をいう。納金日などにあたり、特に道路が混雑する日として呼ばれる。
あらま。「ごとおび」なのか、共通語では。ついでにこれも。
「ごとばらい」(五十払い) 商いで五の日と一〇の日ごとに支払いをすること。主に大阪でいう。
とありました。やっぱり、大阪かあ!
そもそも東京の人は「五十日」なんて、20年くらい前、いや10年前でも言わなかったのではないか?と思います。それが大阪の会社の東京移転などに伴って、東京でも「五十日」の習慣と言葉が入っていった、しかし、「五・十」と書いたら、東京の人は「ご・とう」と字面どおりに読んで(呼んで)しまって、「ごとーび」と呼ばれるようになったのではないか?と私は思ったのですが。しかし「日国大」に「ごとおび」が載っているということは、もっとずっと前から、東京でも「ごとおび」と呼ばれていたのでしょうね。
ただ、大阪で「ごとび」と3拍で言い、東京で「ごとおび」と4拍で言うというのは、この前「平成ことば事情628グレフル・ピングレ」でちょっと書いた、東京の省略語は4拍、大阪は3拍が多いという特徴と同じではないでしょうか?
Googleで「五十日」をインターネット検索てみました。その結果は、
「ごとび」=63件
「ごとおび」=95件
「ごとうび」=243件
辞書による表記は「ごとおび」と「お」になっていましたが、ネット上では「う」の表記が多いですね。それも「ごとおび」に組み込むと、
ごとび:ごとおび=63:338(15、7%:84,3%)
なんと、「ごとおび」が8割以上!ということは、「ごとび」が方言だってこと?でも絶対こっち(関西)が本家だよね?
関西で「五十日」を読む時は「ごとび」と言うけど、関東では「ごとおび」でもしょうがないですね。
意外な結果になりました。
2002/4/15
(追記)
『新明解国語辞典・第五版』には「ごとおび」として見出しが立てられていて、それによると、
「(関西で生まれた語)月の五と十で終わる日(=五日、十日、十五日、二十日、二十五日、三十日)。この日に商売上の支払い・受取りが行われるので、街は交通渋滞となることが多い。」
なーんだ、ちゃんと「関西で生まれた語」と書いてあるではないですか!
安心しました。
2002/4/17
(追記2)
2004年4月28日の日経新聞夕刊一面の特集「ニッポンの行列」で、「五十日」が取り上げていました。それによると、比叡山のふもとにある「赤山(セキザン)禅院」には「申(さる)の日の五日に詣でると吉運に恵まれる」という古くからの言い伝えがあるとのこと。江戸時代には「赤山さんは掛け寄せ(集金)の神さんや」とうわさがたって、そのうちに五日講の縁日に詣でて集金に回る習慣が生まれたそうで、五の倍数の日に決済・集金をする「五十日」(関東は「ごとおび」、関西は「ごとび」)は、この赤山禅院詣でが由来とされる、と日経の記事は書いています。また、警視庁交通管制センターのしらべによると、東京都内の昨年(2003年)の交通渋滞発生日ワースト50のうち3割が「五十日」なんだそうです。「五十日」だけなら、月に6日しかありませんから、30分の5=5分の1、つまり20%くらいのはずですから、3割というのは以下に集中しているかがわかりますね。
2004/4/29
(追記3)
ちょっと懐かしい本を引っ張り出してきました。大谷晃一先生の『大阪学』。その中にありました、「五・十日」。ちゃんと「ご・とび」とルビが振ってありました。
2006/3/10
(追記4)
2006年12月28日の日経新聞夕刊のコラム「こころの玉手箱」に伊勢丹会長の小柴和正さんが書いています。なんと小柴会長はゴルフでこれまでに4回も、ホールインワンを達成しているとのこと。そのホールインワンを達成したときに奇妙に共通していることが3つあって、それはプレーをしたときに、
(1)相模湖、河口湖など、コース名に「湖」がつくゴルフ場
(2)「27ホール」あるゴルフ場
(3)支払い日で交通渋滞が激しい五十日
なのだそうです。この「五十日」に、
「ごとおび」
とルビが振ってありました。
2006/12/29
◆ことばの話643「農相か農水相か」
BSE(狂牛病)問題に関する責任をとって辞める、辞めない、辞めさせる、辞めさせないともめた武部勤農水大臣の問題は、「留任」ということで政治的に決着しました。
その武部農水大臣の表記が、新聞各社(4月5日)の表記が微妙に違います。
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(4月5日) |
(4月12日) |
(同・役所名) |
読売= |
農相 |
農相 |
農水省 |
朝日= |
農相 |
農水・厚労両相 |
農水省 |
毎日= |
農相 |
農相 |
農水省 |
日経= |
農相 |
農相 |
農水省 |
産経= |
農水相 |
農水相 |
農水省 |
なぜか産経だけが「農水相」であとは示し合わせたかのように「農相」。(4月12日の朝日は、単独での農相・農水相の表記はなし)
役所の名前は全部「農水省」なのに、なぜ「農相」なんでしょうかね?
ちなみに、日本テレビ・読売テレビ系列は、去年(2001年)1月6日の新省庁名が施行された時にあわせて、各省庁や大臣名の略称を決めています。それによると、農林水産大臣の略称の表記は、
「農水相」 です。読みは「農水大臣」と読みます。
まあ、表記はともかく、仕事はきっちりやっていただきたいものです。
2002/4/12
(追記)
9月30日の内閣改造で、武部さんから大島理森(ただもり)さんに農水大臣がかわりました。その大島さんの秘書が、口利き手数料として6000万円も受け取っていたという報道がありました。『週刊文春』(2002・10・24日号)のスクープなんですが、これを受けて大島大臣はこの秘書をクビにしました。このニュース、各紙の「農水大臣」の表記はどうなっているのかに、また注目。10月18日(金)の各紙の見出しの表記です。
読売=農相
朝日=農水相
毎日=農相
産経=農水相
日経=農相
いつもは意見やスタンスが違う朝日と産経が「農水省」で、あとはなぜか「農相」。1文字節約していますね。
2002/10/18
(追記2)
NHKは、10月26日夜6時のニュースでの字幕も読みも、
「農相」
でした。
2002/10/29
(追記3)
早稲田大学の飯間浩明さんからメールをいただきました。
「松岡農林水産大臣の自殺に関連して、『農相』『農水省』のどちらが多く紙面に出たかを、新聞記事データベースで検索してみました(期間は2007.05.28〜2007.06.28の1か月間)。するとこうなりました。
「農相」=448件(朝日新聞 11件 読売新聞 195件 毎日新聞 233件 産経新聞 9件)
「農水相」=370件(朝日新聞 188件 読売新聞 0件 毎日新聞 5件 産経新聞 177件)
これで見ると、読売・毎日は「農相」の方針、朝日・産経は「農水相」の方針らしく、きれいに分かれていますね。特に読売はきっちり「農相」で統一していて、感嘆します(読売は最近1年間でも「農相588、農水相12」です)。
ついでに10年前(1997年)を調べてみました。1か月分では少なすぎるので1年間にしました(これが、だいたい先月1か月分に相当するのです)。
「農相」=385件(朝日新聞 37件 読売新聞 107件 毎日新聞 220件 産経新聞 21件)
「農水相」=394件(朝日新聞 181件 読売新聞 75件 毎日新聞 23件 産経新聞 115件)
というわけで、やはり傾向は同じようですが、読売の徹底度はやや弱かったようです。」
詳細に調べていただいてありがとうございます。さらに飯間さんは、
「この結果を見て思いました。読売・毎日方式を推し進めれば、『国土交通大臣』は『国相』、『経済産業大臣』は『経相』、『厚生労働大臣』は『厚相』、『文部科学大臣』は『文相』となって、非常にすっきりしますね。特に『厚相』『文相』はなつかしい響きです。私は『文科相』などは、いまだになじめません。『厚相』『文相』を復活してほしいな、と思うのですが、そうもいかないのでしょうか。」
なるほど、たしかにそうですね。新聞は短くするのが好きですから、そうなるかもしれませんね。飯間さん、ありがとうございました。
2007/7/8
◆ことばの話642「"しまくる"と"したおす"」
以前、「ひらかたパーク」通称「ひらパー」のCMで「乗りたおす」というのについて書いたことがありました。(平成ことば事情11「のりたおす」=書いたのは1999年8月でした。)
その後、最近になって「〜しまくる」という表現をテレビやラジオなどでよく耳にするようになりました。そこでこの「しまくる」と「したおす」の違いについて考えてみることにしました。
もちろん、共通語と関西弁という違いは最初にありますね。それは置いておいて、考えていきましょう。
まず「しまくる」の「まくる」は、何か垂れている布をめくるような感じがします。「めくる」ためには、一度姿勢を低くして、垂れている布の下の方を持ってそれを上の方向に上げるという動作が必要だと感じます。しかも「めくる」動作は何度も何度も行わなくてはなりません。(そんな気がします。)つまり「めくりまくる」というか「まくりまくる」感じ。
それに対して「したおす」の方の「たおす」は、今進んできた、立った姿勢のままで、上からやや下の方向に向かってぶつかって、相手を「なぎ倒す」イメージがあります。陸上のハードル競技でハードルを倒しながら進む感じ。
「まくる」が相手の状態に合わせてこちらの姿勢を変えるのに対して、「たおす」はこちらの姿勢は変えずに突っ込んでいく乱暴さのようなものを感じます。
そういったことから、「しまくる」よりも「したおす」のほうが、より「する」という動作の程度が激しく、傍若無人に感じるのですが、いかがでしょうか?
今回は、ここまで。
「書きまくった」感じでしょうか?それとも「書きたおした」感じ?
え?「書き殴った」感じですって?
バレましたか。……。
2002/4/10
(追記)
小林信彦『出会いがしらのハッピー・デイズ』(文春文庫)の89ページに、
「あせりまくる」
という表現が出てきました。この「まくる」は「受動的」ですよね。これを「たおす」に置き換えて、
「あせりたおす」
とはできないような気がします。ということは、「たおす」はもっと「能動的」な行為に使うものなのかもしれません。
2006/5/9
◆ことばの話641「職責全う」
武部農水相続投が報じられた4月4日の読売新聞・朝刊の見出し。
「農相『職責全う』」
とありました。この『』の中の、特に「全う」は読みにくいのではないかな?と思いました。正しくは「まっとう」ですが、果たして「まっとう」に読めるのか?
で、若い人に聞いてみました。
「???」
「まう?」
「『全く(まったく)』は読めるけれど、これは読めません。」
といった答えが返ってきました。
「全う」は確かに難しい。更にこの場合、読み方を難しくしているのは、「職責全う」という4文字の「つくり」です。
「漢字・漢字・漢字・ひらがな」という構造は、
「本来、4文字の漢字で作られた熟語なのだが、最後の一文字は、常用漢字ではないのでひらがなで書いた」
ように見えるため、余計に読み方を難しくしているのではないでしょうか。例えば、
「職責、全う」
と「、」を一つ入れれば、まだ読みやすかったのではないか、とも思うのですが。
いずれにせよ、「全く」は読めても「全う」は、「全く」読めない人が多いのは事実でしょう。だからといって、「まっとう」とひらがなで書くと、「まっとうな人」「まっとうな道」のような意味に取られてしまうような気もするしなぁ。難しいなあ。
2002/4/15
(追記)
『新明解国語辞典』によると、「全うする」は、
「完うする」
とも書くそうです。また、「まっとうな人」「まっとうな道」の「まっとう」は副詞で、「全く」が変化した形だそうです。
この「まっとう」と「まっとうする」は別の言葉として、見出しが立てられていました。「全うする」はサ変動詞で意味は「いい意味での極限状況にまで達する」ということ。
そういう意味からすると、「職責全う」という見出しは、「全う」で切らずに、「全うする」まで書くべきではないかな、という気もしました。もちろん紙面の都合で出来なかったのでしょうが。
2002/4/17
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