◆ことばの話635「料理バンザイ!」

3月の最終日曜日、見るとはなしにテレビを見ていると、「料理バンザイ!」という番組をやっていました。それも途中からですので、もうほとんど終わりかけです。そうこうするうちに出演者の皆さんが揃って出てきて、あの俳優が何か神妙な面持ちで話し始めました。



「20年間、皆さんに愛されてきたこの番組も、今日で最後となりました。本当にありがとうございました! 」



えー、終わっちゃうのー!最終回だったのかぁと、特に好んでみたわけでもないのに、20年も続いた番組が終わるその放送の最後の瞬間に立ち会えてラッキーというか、なんというか、残念と言うか、そんな気持ちを持ちつつ、ついそのままチャンネルを変えずに見続けていると、コマーシャルになりました。でもこれが普通のコマーシャルではなかったのです。その日初めて知ったのですが、この番組は、今では少なくなった「一社提供」で、その一社というのが、なんと、



「雪印乳業」



だったのです。言わずと知れた、一昨年の北海道は大樹工場の食中毒事件で信用を失い、さらに今年に入ってからは、子会社の雪印食品が牛肉偽装事件を引き起こしたことで、親会社としての責任・モラルを問われ、雪印食品の会社整理、乳業本社も人員削減や牛乳部門を手放すなどのほか、経営にも外部の力を導入するなどの大きな「痛手」を負った会社です。



今回「料理バンザイ!」のスポンサーを降りたことも、それらの事件と無関係ではありますまい。番組終了後の雪印乳業のそのコマーシャル、否、企業からの視聴者・消費者へのメッセージは、3分近く続いたでしょうか。事件に関してのお詫び、これからの企業としての社会的役割、雪印が今後どういうふうに社会的な使命を背負っていくかというようなことを、北海道のさわやかな風景映像に乗せて、男性ナレーターが延々と語っていくと言うものでした。



そうか、一社提供のスポンサーとして、お金を投入する余裕もなくなったのかもしれないし、ひとつの「けじめ」をつけるんだなと思い、なんとなく感慨にふけりました。



そして翌週。



新番組が始まりました。同じような料理をメインとした番組で、西村雅彦主演でレストランのオーナーで、毎週、一人ずつのゲストを迎え、料理を味わいます。イメージとしては三谷幸喜の「王様のレストラン」のような感じ。その第一回のゲストは、なんと小泉純一郎総理大臣です。食ってました、ごはんと海苔と魚の焼いたのと、味噌汁、しらすぼしに大根おろしをかけたのとか。



なんか「どやさ」という感じでしたが、最後にまた、新番組のスポンサー名が出ました。



「食糧庁、全国穀物普及協議会(だったと思う)、JA全農」



食糧庁!道理でゲストが小泉総理!。お国の番組になってしまったんですねぇ。



しかもJAと言えば、雪印再建に手を貸して、牛乳部門を引き受けようと言っているところではないですか。テレビ番組のスポンサーも、一緒に引き受けるということでしょうか。



それも全部(一社提供)は無理だから、お国にも力を借りて。



番組そのものの中身よりも、それを取り巻くスポンサー事情の方が気になる番組になってしまいましたねえ。



そうして、もう一つ疑問なのは、なんで第2回のゲストが、とんねるずの石橋貴明なの?日本テレビのドラマ「レッツゴー・永田町」で政治家の秘書役をやったから、「永田町つながり」ですかね?おお、そう言えば、ホスト役の西村雅彦も、同じドラマで代議士役をやっていたぞ。「永田町つながり」というよりは、「レッツゴー永田町つながり」かもしれません。

2002/4/10


(追記)

4月11日(木)発売の「週刊文春」(4月18日号)のコラム「清野徹のドッキリTV語録」で「料理バンザイ!」最終回での鈴木杏樹のコメントが紹介されていました。そうだ、出演者は滝田栄(20年)と鈴木杏樹(1年3か月)でした。そのコラムの書き出しは、



「二十年続いたこの番組が"雪印の不祥事"のあおりを受け、突如という形でフィナーレとなった。」 でした。やっぱり…・。



2002/4/12


◆ことばの話634「鳥肌が立つ」

「鳥肌が立つ」という表現は、本来は



【1】寒い時



【2】 恐ろしい時、おぞましい時



に使われるとされています。少なくともほとんどの辞書にはそう記されています。



しかし、現在は3番目の意味として、



【3】感動した時



にも「鳥肌が立つ」という表現は広く使われており、一般的な表現になってきています。



かくいう私も、「感動して鳥肌が立つ」のは「実際立つんだから、使っても良いんじゃないか」という立場です。



そんな時、こんな本を見つけました。NHKアナウンス室編「失敗しない話しことば」(KAWADE夢新書・1997、7、1)。その82pに「感動して鳥肌が立つ」というのが項目としてあげられています。



それによると、NHK放送文化研究所が行なった調査では、30代以上は「感動して鳥肌が立つ」は「おかしい」という人が多いのに対して、20代は「おかしくない」という人の方が多いという結果が出たそうです。



また国立国語研究所の杉戸清樹さんは、国立中部病院の神経科の医者に立ち会ってもらって、被験者の血圧や脈拍をチェックしながら感動的なビデオを見せるという実験を行ったところ、感動した時たしかに「鳥肌が立った」そうです。つまり、



「感動して"鳥肌が立つ"というのは生理学的には正しい」



ということなのです。ほ―ら、ご覧。私なんか、ちっちゃいときから、感動して鳥肌立ってたもん。何をいまさら・・・・・・という感じです。



とはいえ、それは、「しゃべり言葉」「話し言葉」の上のことだと思ってきました。



しかし先日、コンビニエンス・ストアで、こんな物を見つけてしまったのです!



その名も、



「鳥肌が立つチキンカレー」



それを見た瞬間、私は「ついにここまで来たか」と鳥肌が立ちました。(うそ。)しかも、ご丁寧に「チキンカレー」です。笑わしよんな。ちなみに姉妹品で、



「鳥肌が立つキーマカレー」(挽肉のカレー)



も売っていました。発売元は神戸の会社です。



箱の表には、



「カレー専門店の味を超えるレトルトカレーが可能であることを証明してみたかった〜カレー研究家・小野員裕〜」



また、箱の裏にはこんなキャッチコピーが。



「ひとくち食べたその瞬間、口に広がるおいしさはまさに"鳥肌もの"



何度食べても肌が粟立つほどの、感動の逸品」
ニワトリのあのブツブツが嫌いな人は絶対に食べないでしょうね。私は好きですが。



当然、買って味わいました。美味しいです。値段も他のより高いし。「鳥肌もの」かどうかは別にしまして。



このカレー、箱の表にも名前が出ている小野員裕(かずひろ)というカレー研究家の人が監修で、その人の紹介文には、



「鳥肌ものの味を求めて1000軒以上のカレー専門店を食べ尽くすほど、決して味には妥協を許さない男である。」



とあります。「鳥肌ものの味」・・・・・・。



ここまで来たよ、という「鳥肌」でした。



この「鳥肌が立つ」に関して、社内で若い人(20代)を中心に、42人にアンケートを取ってみました。



【1】「寒くて寒くて鳥肌が立った」



【2】「その光景の恐ろしさに、鳥肌が立った」



【3】「見事な演技に、感動して鳥肌が立った」



の3つのケースについて、「鳥肌が立つ」という表現を、



「使う」、「聞いたことはある」、「使わない」



のいずれかで答えてもらうというものです。その結果は、以下の通り。



【1】(寒さ)



使う=21人(50%)



聞いたことはある=12人(28,6%)



使わない=9人(21,4%)



【2】(恐ろしさ)



使う=28人(66,6%)



聞いたことはある=7人(16,7%)



使わない=7人(16,7%)



【3】(感動)



使う=31人(73,8%)



聞いたことはある=4人(9,5%)



使わない=7人(16,7%)



という結果です。



ここから読み取れることは、「鳥肌が立つ」が一番よく使われるのは、「感動した」場合、次に「恐ろしい」場合、最後に「寒い」場合。また、感動した時に「鳥肌が立つ」という人は、7割を超えているということです。



そして、従来使われていた、寒さや恐ろしさで「鳥肌が立つ」という言い方は、感動で「鳥肌が立つ」が使われるようになってから、減ってきているのではないか?と思われます。



しかしその一方で、今回は関西のテレビ局内で調べたので、寒さに関しては、もしかしたら「鳥肌が立つ」ではなくて、関西方言の



「サムイボが立つ(出る)」



を使っているかもしれません、そのあたりも調べなくてはなりますまい。



乞う!ご期待!!(昔は、「後、ご期待」だと思ってました。)



2002/4/16


(追記)

NHKの衛星第2放送で昨日(12月25日)、保存版と銘打った「アニメソング大全集」を放送していたのでつい、見入ってしまいました。その中で、「アルプスの少女ハイジ」を始めとして4000〜5000曲を手がけたという、元レコーディング・ディレクターの木村さんという方(1934年生まれ)がゲストで来られて、 「ハイジの曲を手がけた時には、鳥肌が立ちました」 とおっしゃってました。1934年生まれですから、今年68歳の人が、明らかに感動の意味合いで「鳥肌が立つ」を使っていた、という例です。

2002/12/26


(追記2)

8月14日の産経新聞のコラムで作家の荻野アンナさんが「二つの作品」と題して書いていました。フランスの作家マルグリット・ドュラスが残した映画の代表作「インディア・ソング」を見て、その中で出て来る歌がヒンドゥスタニー語で意味が分らない。もしこの歌が「五木の子守り歌」だったら、どうだろうか?と自問自答した荻野さんは、

「違和感に鳥肌が立つ」

と、「おぞましい」という感情での「鳥肌が立つ」を使っています。そのすぐ後に、今度は小澤征爾によるヨハン・シュトラウス『こうもり』を観て、

「別の意味で鳥肌がたった」

と書いています。これは明らかに「感動して鳥肌が立った。」ということでしょう。
このコラム、そこに出て来るものを見ていない者には、いまいち、何を書いているかわかりにくいのですが、この部分だけは目を引きました。

2003/8/17




◆ことばの話633「なーべーなーべーそーこぬけと赤とんぼと晴れたらいいねと富士山」



うちの息子(4歳6か月)が保育園で教わってきた童謡、



「なーべーなーべー、そーこぬけー、そーこがぬけたら、かえりましょ。」



という曲。二人で両手をつなぎながら、「かえりましょ。」というところで、ぐるっと回るという遊びです。漢字で書くと「鍋、鍋、底抜け。底が抜けたら、返りましょ。」です。



ところが、子どもが歌う最初の「なーべーなーべー」のところの音程…というかアクセントが、私が覚えているものとは違ったのです。



私の歌う「なーべーなーべー」は、「L―HL、L―HL」(Lは低く、Hは高く。HLはまとめてFと表記されることもあるそうです。)というアクセント。つまり「鍋」は「LHL」あるいは「LF」という大阪弁のアクセントで歌っていました。



しかし、4歳の息子が保育園で習ってきた「なーべーなーべー」は、「H―L、H―L」という頭高の、標準語アクセントです。



歌の場合、アクセントが違うと楽譜上の音符の音程も変わってきてしまいます。



できるだけ、言葉のアクセントと音程を一致させたいという意味での「言文一致」は、昔の作曲家の皆さんは、気にされていたようです。



たとえば、「赤とんぼ」を作曲した山田耕筰さん。この曲の出だしの



「夕焼け小焼けの赤とんぼ」



の部分の「赤とんぼ」が、「HLLLL」と頭高で、「普通は"LHHLL"という中高アクセントではないか」とよく言われました。しかし実際は、東京では昔(山田耕筰さんが生きていらした時代)の「赤とんぼ」のアクセントは「HLLLL」と頭高アクセントだったそうです。じゃあ、「HLLLL」の音程は、言葉のアクセントに従っていたことになります。言葉の方のアクセントが時代とともに変わってしまって、音程が「おかしいのではないか」と言われていたのです。



しかし最近は、曲の音程と歌詞のアクセントが合わないことは、ほとんど気にされていないようです。最近…といってももう10年近く前になりますか。ドリームズ・カム・トゥルーの「晴れたらいいね」の冒頭部分で



「山へ行こう」



の「山」の音程が「H−L」になっていました。標準語のアクセントは「LH」なので、逆になっています。「晴れたらいいね」の部分も「LHLLLLLH」。標準語アクセントなら「HLLLHLL」ですから、やはり標準語アクセントとは、ずれています。当時、先輩のHアナウンサーが「アクセントがずれているのが気になる」としきりに言っていました。Hアナは同志社大学時代にコーラスをやっていたので、そういったところは大変気になったのでしょう。しかし当時、他の人は、あまりそんなことは気にされていないようでした。



さて、Hアナウンサーと同じく、私も大学時代からの趣味で男声合唱(コーラス)を続けているのですが、男声合唱といえばこの人。多田武彦さん。男声合唱をやっている人で、この人が作曲した曲を歌ったことがない人はモグリです。親しみをこめて「タダタケ」と呼ばれています。(「タダタケ」のアクセントは、関東ではLHHH、関西ではLLLH。)そのぐらい有名な作曲家です。



その「タダタケ」の代表曲の一つに「男声合唱組曲・富士山」という組曲があります。詩人の草野心平さんの詩に曲をつけたものです。



その「作品第壱」の最後の方に、



「大雪嶺から黄鳥が使者になって 花をくわえて渡ってくる 三つの海を渡ってくる。」



という部分があるのですが、その「花をくわえて」に付けられた音階が、曲が出来た当初に歌った年配の合唱団員は、



「ドレドレドシ」



と歌っていた(楽譜もそうなっていた)のに対して、現在使われている楽譜は、



「ドレドレドシ」



となっているのです。昔のパターンだと「はなをくわえて」が



「鼻をくわえて」



のアクセントになってしまいます。そこで、この歌を歌った人たちから「楽譜を変えて欲しい」という声が、相当あったのではないでしょうか?それで現在の楽譜のアクセントだと、ちゃんと、



「花をくわえて」



になったのだと思います。しかし、。関西出身の多田さんが作曲したこの曲は、歌詞のアクセントは「関西弁アクセント」が基本になっていますから、そういった部分はまだまだたくさんあるのですが、とりあえず今のところ、「富士山」の中で、直した(変更した)のに気づいたのは、そこだけです。



「赤とんぼ」に関しては、小森法孝「日本語アクセント教室」(新水社1987年・第1刷、2000年10月25日・第4刷)の中に記述がありました。



「歌とアクセント」の「赤とんぼの場合」(191p)です。



「負われて見たのは」の音階は「追われて見たのは」ではないことや、当時の「赤とんぼ」アクセントは、「HLLLL」であったことなどが書かれています。しかし、1番の歌詞に合わせて作曲したために、2番、3番ではアクセントが破綻しているとも書いてありました。



歌とアクセントの関係も、なかなか難しいようです。



2002/4/13


◆ことばの話632「いてまえの英語」

快調ですね、タイガース。なんと開幕7連勝で、8勝1敗!このペースで行けば、124勝16敗・・・ぶっちぎりで優勝ですな。



しかし、阪神の試合を読売テレビで中継する時は良いのですが、よその局で中継があると、視聴率を食われてしまうので、ちょっと困ります。実際、昨日(4月9日)の夕方6時台のニュース番組の視聴率は、いつもより2〜3%低い7%台で、その分、視聴率表には「その他」に分類されているところの視聴率(その中には阪神戦を放送したサンテレビも含まれています)が、いつもの倍近い15%にも達しています。



そんな好調タイガースにちなんでか、はたまたメジャーリーグ人気の高まりを反映してか、最近、野球用語を英語で言えるようにというふうなマニュアル本・英語本があいついで出版されています。中には、阪神タイガーズを英語で応援する本なるものも出ているそうです。タイトルは「英語で阪神タイガースを応援できまっか?」(シャノン・ヒギンス著・朝日新聞社)。著者のヒギンスさんは1970年アメリカ生まれ、7歳で来日、1989年大阪芸術大学に進学したのがきっかけで熱烈なタイガースファンになったそうです。しかし、具体的には阪神の誰を"英語で"応援しようというのか、いま一つよくわかりません。やはり外国人選手かな、アリアスとかホワイトとか。



この本は「ヤジ編」「罵倒編」「ぼやき編」「喝采編」「おまけ編」「応援歌編」に分かれていて、たとえば、



「がんばれ!(Go for it!)」



「一丁かましたれ!」(Give it a rip!)



「走らんかい」(Run!)



「打たんかい」(Hit!)



「投げんかい」(Throw!)



といった英語が記されています。



また、どちらかといえばタイガースではなく近鉄バファローズの応援に使えそうな、



「いてまえ!」(Crush them!)



というのも載っています。



この本を今朝(4月10日)の「あさイチ!」という番組の中でWアナウンサー(神戸出身)が紹介しましたが、その時に、一緒に出ているNアナウンサー(広島出身)とOアナウンサー(神奈川出身)に、「いてまえ!は英語でどう言うか?」と聞いたところ、二人に口からは、



「Go Go」



「Let's Go!」



といった英語が出てきました。それを聞いた英語に堪能なWアナウンサーは「おや?」と思ったそうです。彼女が「おや?」と思ったの、「この二人は英語のボキャブラリーが少ないな」ということではなく、



「関西出身でないNアナとOアナは、"いてまえ"という関西弁を"行ってしまえ!"という意味だと思っているのではないか?」



という疑問でした。だから「Go」という英単語が出てくるのではないかと。



あとでOアナウンサーに聞くと、やはり



「"いてまえ"は"行ってしまえ、行けるところまで行け"という意味だと思う。」



という答えが返ってきました。



また、ためしに千葉県出身のYアナウンサーに「いてまえ」の意味を聞いてみたところ、彼女もやはり「行ってしまえ」だと答えたのです。



違うんだなあ、これが。関西人なら、すぐわかると思いますが、「いてまえ」は、



「やってしまえ」「いためつけてやれ」「やっつけてしまえ」「やってまえ」



という意味です。まあ、「そこへ行って、やってしまえ」と言えなくもないですが、その場合に中心となる意味は「行く」ではなく「やる」の方です。どうも関西以外の人は、そのへんを誤解しているのではないでしょうか。(ちなみにNアナは、「やってまえ」の意味だと理解していました。



牧村史陽「大阪ことば事典」(講談社学術文庫)によると、



「イテマウ」=イテシマウがさらに約まったもの。(例)イテマウぞ(やってしまうぞ)。とうとうイテマイよった(やられてしまった。死んでしまった。)



「イテシマウ」=行ってしまう。やってしまう。さらに略してイテマウ。



とあります。



この話を静岡出身のHアナウンサーにしたところ、



「"イテマウ"に"死ぬ""あの世に行く"という意味があるならば、"いてまえ"も"死んでしまえ"という意味になるんじゃないですかね。それならボクも納得です。」



という答えが返ってきました。またこの場合、ちょっと下品ではありますが、



「イテコマス」



という言葉もあります。「〜こます」の「こます」は、「大阪ことば事典」によると、



「来(こ)ます」=する。物にする等の意にいう下品な語。(例)いてコマソ(行って来よう)してコマシたろ(してやろう)



とあります。今では、関西の品の悪い人しか使わない「こます」ですが、昔はもっと広く使われていたようで、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の中でも、



「えらいおとがひなわろぢゃ、たゝんでこませやい」



というふうに使われていると「大阪ことば事典」には載っています。当時は、上方語が共通語だったのかもしれません。



関西弁「いてまえ」を「行ってしまえ」というふうに意味を取り違えてる例としては、このほかに、



「しょうもない」



があります。関西人が使う「しょうもない」の意味を共通語で言うならば、



「取るに足りない、おもしろくもないこと。つまらない。」



なのですが、関西以外の人(特に東京に住んでいる人)が、ちょっとオシャレに関西弁を使おうとした時に「しょうもない」を「しょうがない」の意味に使うことがあります。



「しょうがない」は関西でも「しょうがない」で使われています。「打つ手がない」「なすがままにするしかない」という意味です。「しょうもない」とは、ハッキリ意味が違います。本来の「しょうもない」「取るに足らないくらいつまらない」という意味なので、相手の言うことを認めていません。それに対して東京の人が「しょうがない」の意味で使う「しょうもない」は、相手の言うことを不承不承ながら認めていますここに大きな違いがあると言えます。



このほか



「いわす」



と言う言葉も、なかなか曲者です。「いわしたろか」というふうに使います。



前出の「大阪ことば事典」を引くと、



【1】「やる。やっつける。」



【2】「言わせる」



と二つの意味が載っています。一つ目の意味が、関西弁独特のものでしょう。が、最近は



この事典には載っていませんが、三つ目の意味として、



【3】勢力を広げる。伸(の)す。攻める。



というような感じの意味で使われることも増えているようです。たとえば、



「祇園でブイブイいわす。」(京都の祇園で、その名を馳せる)



「今日はミナミでいわしたろか。」



(今日は大阪のミナミの店で、お酒を飲み明かそうか。)



と言ったような使い方です。「攻める」は「ミナミの店をかたっぱしから攻める」のような使い方です。積極的にお店に乗り込む、というような感じですね。これは全国的に使われているのではないでしょうか。



3番目の意味の「いわす」は、関西ではよく耳にしますが、東京ではどうでしょうか?使わない方がいいですよ。でも、もし使うなら、間違った使い方はしないで下さいね。



それにしても「いてまえ」では、英語を媒介させて、はからずも関西弁が本当に理解されているかどうかが浮き彫りになった気がします。



2002/4/10


(追記)

これを書いてから2試合行われまして、タイガース9勝2敗。今日は惜しくも横浜に負けちゃいました。それはさておき、矢野の負傷は痛いなあ・・・。「好事、魔多し」ですねえ。



2002/4/13


◆ことばの話631「遺伝上の親」

えらい時代になってきました。



このところ「不妊治療」が"普通"の医療になってきましたが、そんな中で、精子や卵子・受精卵を提供してくれた人の名前などの個人情報を、生まれて来た子どもに教える方向で、厚生労働省の専門部会が決めたという記事が4月4日の朝刊各紙に載りました。4月5日の読売新聞には解説記事が出ています。世界的な潮流である「子どもの知る権利」に配慮してということですが、この「精子や卵子、受精卵の提供者」のことを、



「遺伝上の親」



というそうです。なるほど。



読売新聞は「情報開示は理想だが、方法を謝れば混乱を招くだけだ」としています。



それにしてもこれまでは、「遺伝上の親」も「生みの親」も「育ての親」も、一致する人がほとんどだったと思います。なかには、「生みの親」と「育ての親」が違う人もいたでしょうが、少なくとも「生みの親」と「遺伝上の親」が一致しないことはありませんでした。しかし、あの試験管ベビー・ルイーズちゃん誕生から20年余、「生みの親」と「遺伝子上の親」が一致しない人も相当増えているのが現状のようです。



いま、一緒に暮らしている親と、顔も体格も性格も似ていない子どもが増えているということでしょうか。しかも、その「遺伝上の親」に関する個人情報を子どもの希望に応じてこどもに知らせるとなると、



「おたくのお子さんは、おとうさん似かな?おかあさん似かな?」



「ううん、隣のおじさん似。」



といったことが、笑い話ではなくなってしまい、



「ふーん、そうなんだ。うちの子はね、向かいのおばさん似。」



などと受け答えする必要が出てくるかもしれません。



いやはや、大変な時代になったものです。



でも、子どもが欲しいのになかなか出来なくて大変悩んでらっしゃる方々にとっては、何はともあれ、いい時代になってきているのかもしれません。複雑ですが。



先日、皇太子殿下と雅子さまが、昨年12月に誕生した愛子さまに対する言葉として、



「生まれてきてくれてありがとう」



とおっしゃってましたが、この気持ちはすべての親に共通です。と言い切ろうとしたのですが、最近は、そうとばかりも言えない。ただ、「そうだ」と信じたいものです。



よく考えると、このお二人も長い間お子さんが欲しくて出来なくて悩んでらっしゃったでしょうから、こういった分野のことには関心がおありなのではないでしょうか。



生殖医療に伴うさまざなルール作りは、まだまだその途上のようです。

2002/4/5