◆ことばの話625「受け皿」

このところ、よく目にする言葉に「受け皿」があります。



「破綻した銀行の受け皿機関」



「リストラされた人の受け皿」



といったような使い方です。これが、気になります。本来の「受け皿」は言うまでもなく、「コーヒーカップの受け皿」



のように、「何かの容器の下において、そこからこぼれるかもしれないもの(液体)を、それより下にこぼれないように受け止めるもの(皿)」をさします。そこから比喩的に、最初に書いたような使われ方をしているわけです。



『日本国語大辞典・第二版』によると、



「受け皿」



【1】たれてくるしずくやこぼれて下に落ちるものを受ける皿



【2】そこから転じて、ある人や物事を受け入れる組織、ポスト、場所、態勢などや、それを受け継ぐべき人をいう。



ね、思った通りだったでしょ。しかし、辞書で認められているということと、その言葉をすべて受け入れて使うかというのは、また別の問題です。



私がなぜ「リストラされた人の受け皿」が気になるのか?



本来「(こぼれる)もの」を掬う(救う?)ために設けられた「受け皿」を人間の比喩に使うことで、「ある容器(あるいは会社)から、はみ出してこぼれる=ドロップアウト」のように聞こえるからです。



コーヒーの場合、受け皿にこぼれたコーヒーは、普通飲まれることも、もとのコーヒーカップの中に戻されることもなく捨てられてしまいます。そんなところまで、知らず知らずのうちに、想像が働いてしまうのかもしれません。



これが「破綻銀行の受け皿機関」のように、表面上は「非・人間」が主語になっているものに関しては、それほど違和感はないのですが、「人間そのものが直接的に見える事項」に対しては、できるだけ「受け皿」という言葉を使わないで欲しいという気がします。

2002/4/5


◆ことばの話624「ビタミンB」

4年前から日本新聞協会の用語懇談会放送分科会で、委員の一人として用語の検討をしています。その中で、1999年から検討してきた言葉のうち「数字に関するもの」がこの3月にまとめて発行されました。わが読売テレビでも300部購入しました。



その「数字の読み方」を検討していた時に、こんな課題・疑問が出ました。



「ビタミンBは、B1、B2などいろいろあるが、この数字はどう読むべきか?」



というものです。普通、「ビタミンB1」「B2」は、



「ビー・ワン」「ビー・ツー」



と、数字部分は「英語読み」していますよね。でも「ビタミンB6」は「ビー・シックス」ではなく、



「ビーろく」



と、数字部分は日本語読みしています。なんでやろ。というより、本当にそれで良いのか?また、「ビタミンB」は一体いくつまであるのだろうか?という疑問が出てきたので、調べました。(もう2年前のことになりますが、このページに記すのを忘れていたので書きますね。)



インターネットで調べて、ビタミンのことに詳しそうな「日本ビタミン学会」(京都)に電話で伺ったところ、事務局長の中林靖さんが大変丁寧に教えてくださって、資料をファックスしてくれました。それによると、現在よく使われているビタミンBは、



B1(ビー・ワン)



B2(ビー・ツー)



B6(ビー・ろく)



B12(ビー・じゅうに)



の4種類で、その他の「B」は、



B3→実はB6またはニコチン酸



B4→アミノ酸の混合物



B5→パントテン酸



B7→未確認(純粋な物質として分離できず、幻のビタミン)



B8→もともと欠番



B9→もともと欠番



B10→B12と葉酸の混合物



B11→B12と葉酸の混合物



B13→オロット酸



B14→未確認



B15→パンガミン酸



というふうに、新しいビタミンだと思って発表されたものの、その後の研究で、別のものだったり、実態が確認されていないものばかりで、これらは「現在は使われていないビタミン名」だそうです。だから実質的に今使われているのは、最初に揚げた4種類ということになります。



ビタミンBにどんな種類があるかはわかりましたが、数字部分を英語読みするか日本語読みするかについてはよくわかりません。特に原則のようなものはなく、慣例で1,2は英語読み、6、12は日本語読みしているということでした。



そんな中で、『広辞苑』の見出しには、ビタミンB1、B2は、日本語で「ビーイチ」「ビーニ」となっています。



日本人は英語で数字を言う場合は1,2,3までは英語読みをしても4以上はまた日本語読みになってしまうことが多いような気がします。



さて。すこしはあなたの「知識のビタミン」になりましたでしょうか?

2002/3/29


◆ことばの話623「陽気な日」

夜のニュース番組「きょうの出来事」を担当していた日の、天気予報の原稿を下読みしていたら、こんな表現が出てきました。



「明日の最高気温は16度まであがり、陽気な日になるでしょう。」



そうか、16度まで気温が上がると、みんな陽気な気分で浮かれ出して、そこら中で踊り捲くったりして、「陽気な日」になるのか・・・・・・な、わきゃない。



おいおい、「陽気な日」はないだろうと、原稿を書いた若手のディレクターに行ったところ、少し不満そうな顔をして、



「じゃあ、この文章もだめですか?」



と聞いてきました。そこには、天気概況として



「明日は風も弱く、春の陽気となるでしょう。」



とありました。「春の陽気」。それはOKだろう、もちろん。わかんねぇかな、違いが。



「春の陽気」の「陽気」は名詞で、意味は「気候」といったところでしょう。「太陽の気」という意味です。しかし、「陽気な日」の「陽気」は「陽気な」という形容動詞で、品詞が変わると部妙に意味も変わってくる。「陽気な」は、主に「人の性格や気分」を形容する時に使われるのではないでしょうか。私は、そう感じています。



それをどうしても「日」の形容に使いたいのならば、「陽気の良い日」とすべきだと私は考えるのですが。でもそれも、なんかしっくり来ないよな。感性の問題ですよね。



まだ20代前半の彼と、40代に乗った私の感性は、当然、違うのですが、でもなあ・・・。



まあ、忍耐強く"陽気な"アナウンサーで、一つ一つ教えて行くしかないかな。 みなさんも、ひとつ、ご陽気に!!

2002/3/28


◆ことばの話622「次代と次世代」

NHK放送文化研究所主任研究員の原田邦博さんからメールが来ました。



「最近、本来は"次代を担う"というべきところを"次世代を担う"と表現しているのを見かけるが、どう思う?」



という内容でした。最近「次世代」と表現されるものが多いということは、以前(平成ことば事情319「加速する次世代」)書きましたが、「次代を担う」という慣用句的表現の中にまで「次世代」が入り込んでいるのは気づきませんでした。



そこで、ちょっと注意して新聞を見ていますと、さっそく、ありましたありました。例の鈴木宗男議員に関する読売新聞の記事の中に、



「自民党の次世代を担う」



という表現が出てきました。



辞書を引いてみると、「次代」も「次世代」もあまり意味の上では変わらないような書き方をされています。しかし私の語感から言うと、「次代」は漠然とした次の代のことで、その「代」では、いろいろな基準・標準が、今とはもう変わっている新しい「代」のように感じます。だから、50年から60年、あるいは100年くらい先・未来をイメージします。それに対して「次世代」は、「世代」が次ということで、せいぜい長くて30年。携帯電話などの「次世代」は、数年というところでしょうか。「次世代」の方が「スパンが短く」感じられます。



それとは別に、「次代を担う」は、もう成句として出来上がっているものなので、その「次代」の代わりに「次世代」をほうり込むのは、いかがなものかと、思うわけですね。たとえ意味はあまり変わらない場合でも。



また、このような例がありましたら、ご紹介します。

2002/3/17


(追記)

さっそく見つかりました。「ザ・テレビジョン」という雑誌。3月下旬に出たものだと思います。(コピーなので、日付はわかりませんが、4月スタートの新番組を取り上げているので。)



読売テレビの「土曜ドカンッ!!」(毎週土曜16:55〜18:00)の竹内伸治プロデューサー(実は、私と同期です。)が、この番組をPRしている中で、「目指すのは、みんなで作るライブ感のある番組」として、



「次世代のお笑い界を背負って立つ若者で結成した『ドカンッ隊』は要注目です。」 と答えています。これも「次代を」の方が従来の使い方だったと思いますが、「次世代」がなんの違和感もなく登場しているようですね。

2002/4/5


(追記2)

「次世代」がよく使われて「次代」があまり使われなくなると、こんなことも。
7月19日の大阪版の新聞各紙に、大阪府教育委員会がリーダーの育成のために府立高校17校を指定した、という記事が載りました。

「次代をリードする人材を育成する重点校として・・・」(産経)

「次世代を担うリーダーの育成を目標とする・・・」(日経)


「次代」「次世代」、両方使われていますね。時に日経はやはり、産業関係で良く使い慣れている「次世代」を使ってきましたね。ところが、読売は、
「時代をリードする人材育成の『研究開発重点校』(エル・ハイスクール)として・・・」(読売)

と書いているのです。これは明らかに「次代」とするべきところをワープロの変換ミスで「時代」となってしまったと思われます。

高校生は「次代をリード」しても、まだ「時代をリード」してはいないと思います、「女子高生」を除いて。それとも「女子高生」に限ったことなのかな。いや、共学の高校が対象だったから、やはり単純な変換ミスと考えるのが普通でしょうね。

それにしても、我ながら細かいところまで読んでるなあ。ヤな読者。

2002/7/21


◆ことばの話621「くらたま」

みなさん、



「くらたま」



って、ご存知ですか?何の「たま」かって?「たま」じゃあないんです。人の名前です。



正確に言えば、略称・通称・愛称です。



正式には「倉田真由美」。「くらたまゆみ」の頭4文字を取って「くらたま」です。



3月13日の読売新聞「顔」欄で紹介されたこの「くらたま」は、漫画家です。週刊誌「SPA!」で、「殴られ、だまされ、金をせびられても懲りずにダメ男を渡り歩く不可思議な女性の生態をルポしたマンガ『だめんず・うぉ〜か〜』」を連載中の彼女は福岡県出身の30歳。一橋大学出身で、就職難から西原理恵子さんの影響でギャグ漫画家を目指し(!)、95年にデビュー。1歳の息子がいるバツイチ、とは知りませんでした。「SPA!」は時々読むので、この「だめんず・うぉ〜か〜」にも目を通しておりましたが、なんとなく西原理恵子に似ていたのは、やはり影響を受けていたんですね。ちなみに西原さんは、週刊朝日の「恨ミシュラン」でヒットを飛ばしたあとも、麻雀関係の漫画などでその毒舌をふるい、読者に快哉を叫ばせた漫画家です。



少し、倉田真由美さんの説明が長くなりましたが、今回、「ことば事情」で取り上げたのは、その愛称の略し方についてです。 従来、「くらたま」という4文字の略称であれば、本名は、たとえば「倉石珠美(くらいし・たまみ)」とか「倉重たま子(くらしげ・たまこ)」のように、苗字と名前から「2文字十2文字」取って「くら・たま」ではないかな、と感じたのですが、この場合は、苗字は一つも省略されてなくて、名前の「真由美」が「ま」一文字に省略されて、苗字にくっついている状態です。



これと同じ呼び方をするならば、「倉木麻衣」なんかは「くらきま」になってしまいますが、彼女は省略されていませんよね。なぜかな。



この「くらたま」と聞いて思い出したのは、小学校のころ。同じクラスに「岡田」という苗字の男の子が二人いました。「岡田学」君と、「岡田佳久」君。その区別をするために、二人は、



「岡田マ」



「岡田ヨ」



と呼ばれていました。つまり「おかだま」と「おかだよ」



ね!「くらたま」と同じでしょ。



もう、30年ぐらい会っていない「おかだま」と「おかだよ」だけど、どうしているのかな。



まさか、こんな話題で思い出すとは思わなかった。



もし、この文を読んだら、連絡くださいね、岡田君!

2002/3/17
(追記)

倉田真由美さんは「くらたま」と呼ばれても、歌手の「倉木麻衣」は「くらきま」とは呼ばれていないようですね。

2002/4/4

(追記2)

おお、5年ぶりぐらいの追記じゃ!
最近「くらたま」とよく似た略し方に出逢いました。
「のだめ」
そう、某他局で放送しているドラマのタイトル・・・というか、もともとはその原作であるマンガのタイトル『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子)の「のだめ」です。私は合唱をやっていますから「カンタービレ」はイタリア語の音楽用語で「歌うように」という意味は知っていましたが、この「のだめ」は一体何なのか分らなかったので、マンガの第1巻を買いました。謎はすぐに解けました。主人公の名前が、
「野田 恵(のだ・めぐみ)」
と言うのです。
このマンガ(番組)の魅力の一つには、このなんだかわからないタイトルがあると思います。ドラマは結局、1回も見なかったのですが・・・。
2007/1/5

Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved